NBAを約35年間観つづけてきて、久しぶりにこんなに驚いているリトルです。
ついに八村塁選手のトレードが決まりました。
車はベンツ、野球は巨人、NBAならレイカーズ。
数々の栄光を勝ちとってきた、特別な球団ロサンゼルス・レイカーズへの入団が決まったのです。
日本人がパープル&ゴールドのジャージを着てプレーするとは感慨深い・・・。
ロサンゼルス・レイカーズは、NBAの中でも特別なチームです。
今回は、NBAの中で、レイカーズがどのようなチームなのかを語っていきたいと思います。
ちなみにわたくしリトルは、アンチレイカーズです。
ただ、八村塁選手が加入したことで、アンチを脱する努力が必要になりましたね。
子供の頃、名前を聞いて食わず嫌いだった〝茶碗蒸し″(虫のイメージがあった)も、30歳頃初めて食べてからは大好きになりましたから。
現在のレイカーズ レブロン&AD&ラス etc
昨シーズン開幕前に、レイカーズはカイル・クーズマ、モントレズ・ハレル、ケンテイビアス・コールドウェル・ポープ、2001年のドラフト1巡目指名権をワシントン・ウィザーズに放出し、ミスタートリプルダブルと呼ばれる、ラッセル・ウエストブルックを獲得しました。
今となっては、失ったものの大きさに唖然としてしまいます・・・。
レブロン・ジェームズ、アンソニー・デイビス、ラッセル・ウエストブルックのBIG3は、ケガもありプレイスタイルの問題もありで機能せず。
2021-22シーズンレイカーズは33勝49敗、ウエスタンカンファレンス11位と散々な成績で終わりました。
2022-23シーズン開幕前、カイリー・アービングの獲得など、噂は数々ありましたが実現せず。
パトリック・ベバリー、デニス・シュル―ダ―、トーマス・ブライアントなどを加え、新シーズンに挑んでいますが、2023年1月24日現在22勝25敗と、波に乗りきれていません。
八村選手が、起爆剤となり、レイカーズの快進撃が始まれば、選手としてのランクが押し上げられるチャンスです。
正直、現在のディフェンス力の高い選手が必要と言われているレイカーズに、八村選手がはまるかはわかりません。
しかし、レイカーズで活躍することは、特別なことなんです。
ぜひ、このチャンスをがっつりつかんで、スターへの階段を駆け上がっていただきたいと思います。
そして、〝キング″レブロンが、ジャバーの通算得点記録を抜く瞬間に立ち会う幸せを感じ、選手として大きく成長してほしいですね。
ワクワクします!
アンチレイカーズになった理由
わたくしリトルは、アンチレイカーズです。
〝アンチ″と言っても、〝嫌い″ではない、このニュアンスわかってもらえますかねえ。
アンチレイカーズになったのは、はるか昔高校生の時まで、さかのぼります。
初めて衛星放送で観たNBAの試合、ロサンゼルス・レイカーズ対ミルウォーキー・バックス。
まず思ったのは、「観にくいなあ・・・」でした。
当時のレイカーズのホームコートザ・フォーラムは床の黄色が強く、ユニフォームの黄色が溶け込んで観にくかったんです。
今のテレビの画質とは違い、ブラウン管のテレビでは、全体が黄色にボヤっとにじんでいましたからね。
マジックの華麗なパスより、ジャバーのスカイフックより、「観にくいなあ・・・」が印象に残りました。
この「観にくいなあ・・・」が、アンチレイカーズへの第一歩でした。
まわりがレイカーズファンだらけだったことも、アンチレイカーズになった一因です。
特に大学生になった時、バスケ部のチームメイトはレイカーズ派が多かったですね。
選手としてマイケル・ジョーダンは好きだけど、チームとしてはレイカーズでしょ!って意見が多かったです。
1990年、カリーム・アブドゥル・ジャバーが引退した翌年。
この年マジック・ジョンソンはMVPを受賞しています。
「野球は巨人、車はベンツ」みたいなものに、つい反発したくなるへそ曲がりのわたくしリトルは、ますますレイカーズ以外のチームを応援するようになりました。
Run TMCで話題となっていたゴールデンステイト・ウォリアーズ、ストックトン&マローンのユタ・ジャズ、そしてマイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズを応援していました。
ブルズは、今考えると巨人やベンツ扱いかと思いますが、当時はピストンズに跳ね返されても立ち上がる、雑草軍団のイメージだったんです。
シャック&コービー時代
マジック・ジョンソンがHIVウイルス感染を理由に衝撃の引退宣言をした後、レイカーズは低迷期に入ります。
1996年シーズンの終了後、シャキール・オニールをオーランド・マジックから獲得。
同じく1996年のNBAドラフト全体13位でシャーロット・ホーネッツから指名されたコービー・ブライアントを、ブラデ・ディバッツとのトレードで獲得し、レイカーズの逆襲は始まります。
1999年にシカゴ・ブルズを6度のチャンピオンに導いたフィル・ジャクソンをヘッドコーチとして招聘。
我の強いスーパースターをまとめる事は、フィル・ジャクソンにしかできなかったでしょう。
デレック・フィッシャー、ロバート・オーリー、グレン・ライスなど、シャック&コービーの周りを固める選手も充実し、2000年、2001年、2002年のシーズン3連覇を成し遂げます。
2000年ファイナル 対インディアナ・ペイサーズ 4勝2敗 MVP シャキール・オニール
2001年ファイナル 対フィラデルフィア76ers 4勝1敗 MVP シャキール・オニール
2002年ファイナル 対ニュージャージー・ネッツ 4勝0敗 MVP シャキール・オニール
シャック全盛期ですね。
圧倒的なパワーと、その巨体からは考えられないスピードで、無双状態。
コービーも、粗削りではあったもののとんでもない身体能力とメンタリティで、敵を蹴散らしていました。
レイカーズが3年連続戦ったファイナルは、正直わたくしリトルにとって、ワクワク感のないものでしたね。
必死で相手チームを応援していましたが、正直レイカーズが4試合負ける想像ができなくて・・・。
スーパースターの個の能力と、圧倒的なチーム力が融合した、歴代でもトップクラスの最強チームだったと思います。
シャック&コービー 最強コンビの崩壊
しかし、誰よりも負けず嫌いな二人のスーパースターの仲は、次第に険悪になっていきました。
2003年プレーオフのカンファレンスセミファイナルで、この年優勝するサンアントニオ・スパーズに4勝2敗で敗退。
シャックとコービーの不仲がゴシップ的に取り上げられるようになり、レイカーズのフロントは焦っていました。
なんとしてもチャンピオンに返り咲きたいフロントは、大型補強に動きます。
ユタ・ジャズからカール・マローン、ミルウォーキー・バックスからゲイリー・ペイトン、二人のベテランスーパースターを獲得。
シャック、コービーに二人を加え、「BIGフォー」と呼ばれ、シーズン開始前には、優勝間違いないのではと話題でした。
しかし、2003―04シーズンが始まると、マローン、シャック、コービーが次々とケガに見舞われ、思うように勝ち星は伸びず(まるで、昨年のレイカーズをみているような・・・)。
それでも56勝26敗と、ウエスタンカンファレンス3位の好成績でプレイオフに進出(やっぱ昨年のレイカーズとは違うか・・・)。
前年王者のサンアントニオ・スパーズ、このシーズンウエスタンカンファレンス1位のミネソタ・ティンバーウルブズなどを倒し、ファイナルに進みます。
対するはイースタンカンファレンス2位のデトロイト・ピストンズ。
チャウンシー・ビラップス、リチャード・ハミルトン、テイショーン・プリンス、ラシード・ウォーレス、ベン・ウォーレス不動の5人のスターター。
スーパースターはいない、ディフェンスを主軸にした地味なチームでした。
どうせ、あっさりレイカーズが勝つだろうな・・・。
と思っていたら、ピストンズのディフェンスにシャック&コービー以外の選手が沈黙。
終わってみたら1勝4敗で、レイカーズは完敗していました。
わたくしリトルが複雑な気持ちになったのは、アンチレイカーズではあるものの、長年応援してきたカール・マローンにチャンピオンリングをつけてほしい気持ちもあったからです。
ファイナルでは、特にカール・マローンの不調が敗因として挙げられ、この年を最後に引退することとなってしまいました。
ファイナルの結果もあり、シャックとコービーの確執は決定的なものとなります。
2004年のオフしに、フリーエージェントとなったコービーは、再契約を望むフロントに対し、この先もシャックをチームの中心とするのなら、チームを去ると伝えます。
レイカーズは若いコービーを中心としたチーム作りを選択。
シャックはラマー・オドム、カロン・バトラーらとのトレードでマイアミ・ヒートに去っていきました。
また、コービーはチームを率いてきた名将フィル・ジャクソンに対しても不満が爆発。
レイカーズのフロントに直訴し、ジャクソンもチームを去ってしまいました。
コービー単独エース時代
コービーはレイカーズと7年総額1億3600万ドル(約168億円)の大型契約を結び、望み通りエースの座を手にしました。
しかし、シャック、マローン、ペイトン、デレック・フィッシャーなどの主力がチームを去り、チームを再編する過程であった2004―05シーズンは34勝48敗と大きく負け越し。
11年ぶりにプレイオフを逃し、コービーはファンから激しいブーイングを受ける状態になってしまいました。
すると、フロントはヘッドコーチに再度フィル・ジャクソンを招聘。
1年前にコービー自身が退団を画策したと言われていたジャクソンが復帰することで、チームのケミストリーが心配されましたが、そこはお互いプロ。
フィル・ジャクソンの下で2005―06シーズン、コービーは得点力を爆発させます。
なんと27試合で40得点以上。
1試合平均35.4得点5.4リバウンドを記録し、得点王と共に、当時の現役ナンバー1選手の座をつかみました。
中でも最もインパクトを残したのが、2006年1月22日のトロント・ラプターズ戦の81得点。
これは、伝説の巨人ウィルト・チェンバレンが1962年3月2日、ニューヨークニックス戦で達成した1試合100得点に次ぐ大記録でした。
結局2005―06シーズンは45勝37敗と勝ち越し、プレイオフに進みますが、1回戦でフェニックス・サンズに敗れてしまいます。
翌2006-07シーズンもコービーは孤軍奮闘したものの、プレイオフ1回戦で再びサンズに敗れ去ります。
コービー NBAの頂点へ
コービーのチームに対する不満は再び大きくなり、トレード要求をするなど、フロントへの攻撃的な言動が増え、そんなコービーに対し、ファンからはブーイングが起こるなど、不穏な空気がながれていました。
しかし2007―08シーズンが始まると、コービーは強烈なリーダーシップを発揮し、レイカーズはウエスタンカンファレンス1位の57勝25敗を記録。
シーズン途中の2月にメンフィス・グリズリーズから、ビッグマンのパウ・ガソルをトレードで獲得したことも、レイカーズを1段上のステージに引き上げました。
この年コービーは念願のシーズンMVPを獲得。
結局ファイナルで、この年BIG3(ポール・ピアース、ケビン・ガーネット、レイ・アレン)を結成したボストン・セルティックスに2勝4敗で敗れましたが、再びレイカーズの時代が来ることを確信したシーズンでした。
シーズンオフにはアメリカ代表としてオリンピックで金メダルを獲得。
ディフェンスで圧倒的な存在感を発揮し、若いプレイヤーを生かすプレイスタイルで、リーダーとして進化した姿をみせました。
2008-2009シーズン、ついにコービーはエースとしてチャンピオンリングを手にします。
65勝17敗とウエスタンカンファレンス1位でプレイオフに進むと、ファイナルでは、若いドワイト・ハワードを中心としたオーランド・マジックと対戦。
レイカーズは格の違いを見せつけ、4勝1敗で7年ぶりの優勝を手にしました。
コービーはファイナルで、1試合平均32.4得点 7.4アシスト 5.6リバウンドを記録し、自身初のファイナルMVPを獲得。
正直、アンチレイカーズのわたくしリトルも、コービーの圧倒的な勝利への執念が実った瞬間、不覚にもジーンときてしまいましたね。
翌2009-10シーズンも、レイカーズは57勝25敗、ウエスタンカンファレンス1位でプレイオフに進みます。
レイカーズは、サンダー、ジャズ、サンズを危なげなく破り、ファイナルの相手はボストン・セルティックス。
レイカーズにとっては、2008年のファイナルのリベンジの場となりました。
レイカーズの主力は、コービー、ガソル、ラマー・オドム、デレク・フィッシャー、アンドリュー・バイナム、ロン・アーテスト(現メッタ・ワールド・ピース)など。
セルティックスの主力は、ポール・ピアース、ケビン・ガーネット、レイ・アレン、ラジョン・ロンド、ケンドリック・パーキンス、ラシード・ウォーレスなど。
宿命の両チームの対決は、予想を超えるディフェンスの応酬となります。
第1戦はコービーが30点、ガソルが23点と、デュオが活躍し、102対89でレイカーズが勝利。
第2戦はロンドのトリプルダブルもあり、94対103でセルティックスが勝利。
結局第7戦まで戦いますが、その後の5試合は両チームとも100点を超えることはなく、緊張感のあるヒリヒリとした肉弾戦となりました。
最終第7戦。
第3クオーター残り8分24秒の時点で、レイカーズは13点のリードを許します。
しかし、なんとか第3クオーター後半で17-7と反撃し、53-56で最終クオーターへ。
この試合、コービーはフィールドゴール成功率がシリーズ最低(24本中6本成功)でしたが、勝負どころの第7戦、最終クオーターで意地を見せ、この日の23得点のうち、11点を第4クオーターにあげました。
徹底マークを受け、得点を抑え込まれたコービーは、それでも45分間出場。
自身のファイナル記録となる15リバウンドをもぎとります。
コービーのほかにも、ガソルが19得点、18リバウンド。
ロン・アーテストが20得点、5リバウンド、5スティールと活躍。
結局レイカーズが、第4クオーターを30対22とリードし、最終スコア83対79で2連覇を果たしました。
試合後のコービーの言葉「相手が相手だから、これまでの優勝で一番うれしいね。」に、このシリーズの苦しさが表れています。
ファイナルのコービーの記録は、1試合平均28.6得点、8・0リバウンド、3.9アシスト、2.1スティール。
セルティックスの執拗なディフェンスを受けながら、見事に2年連続ファイナルMVPを獲得しました。
もちろんわたくしリトルは、全力でセルティックスを応援していましたが・・・。
コービー時代の終焉
翌2010―11シーズン、3連覇を狙ったレイカーズは、この年優勝するダラス・マーベリックス相手に、プレーオフのカンファレンスセミファイナルで1勝もできず敗退。
チームを率いてきたフィル・ジャクソンがチームを去ります。
2011-12シーズンは、またもスティーブ・ナッシュ、ドワイト・ハワードの元スーパースターを加えますが、ケガや戦術の問題もあり、失速。
それでも7位でプレイオフ進出が決まったレイカーズですが、レギュラーシーズン終了5日前のゴールデンステイト・ウォリアーズ戦でコービーがアキレス腱を断裂。
チームはプレイオフ1回戦でサンアントニオ・スパーズにスウィープで敗退。
コービーがプレイオフの舞台に立つことは、この後2度とありませんでした。
レイカーズはリーグの最下位を争うようになり、コービーもケガを繰り返し、かつての輝きを失っていきます。
コービーが最後に輝いたのは、2016年4月13日に行われた現役引退試合。
レギュラーシーズン最終戦、対するはユタ・ジャズ。
10点ビハインドの第4クオーター残り時間2分30秒から、コービーはゾーンに突入。
一人でノーミスの連続13得点を挙げ、レイカーズを逆転勝利に導きます。
この試合、コービーは60得点を獲得し、スーパースターとして生きたNBA人生に幕を閉じました。
まとめ
レイカーズは常に強豪のイメージがありますが、そう簡単に戦力を維持できないのがNBA。
マジック・ジョンソンを中心としたショータイムレイカーズ時代(~1991)
シャック&コービーの2大スター時代(1996~2004)
コービー単独エース時代(2007~2012)
上記以外の期間は、プレイオフにも進めない、期待値の薄い弱小チームでした。
現在のレイカーズは、2020ファイナルで優勝したものの、2021年はプレイオフにも進めず。
果たして、レブロンはマジックやシャック、コービーと同じようにレイカーズの伝説となれるのか(個人としては十分伝説ですが)。
そして、何より八村塁は、名門ロサンゼルス・レイカーズで爪痕を残すことができるのか?
2022-23シーズンの後半、レイカーズから目が離せないですね!
みなさん、NBARakutenで、日本人プレイヤーの活躍を楽しみましょう!!