【祝ジャマール・マレー契約】NBA史上最悪?の契約 グラント・ヒルの悲劇

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ついに噂されていたデンバー・ナゲッツとジャマール・マレーの延長契約がまとまりました。

4年総額2億800万ドル(約310億円 1㌦=150円)のMAX契約。

単純計算すると1年約77億5000万円。

デンバー・ナゲッツは、莫大な契約金をつぎこみ、ジャマール・マレーと二コラ・ヨキッチのコンビを継続することを決断しました。

うーむ・・・。

今回の決断は、デンバーの地にさらなる栄光をもたらすのか。

それとも、絶望のはじまりとなるのか。

今回は、デンバー・ナゲッツとジャマール・マレーの契約について、そしてNBAの歴史に残る巨額の失敗契約について語ります。

目次

ジャマール・マレー 延長契約の懸念点

今回のジャマール・マレーの契約は、4年2億800万ドル(約310億円 1㌦=150円)ですが、これは来シーズン(2025-26シーズン)から始まる4年契約です。

今シーズンのマレーは、2020-21シーズンから始まった5年1億6000万ドル(約240億円 1㌦=150円)の契約最終年。

2024-25シーズンから2028-29シーズンまで、5シーズンのサラリーをまとめると・・・

ジャマール・マレー年俸(1㌦=150円計算)
2024-25  3600万ドル(54億円)
2025-26  4640万ドル(69億6000万円)
2026-27  5010万ドル(75億1500万円)
2027-28  5380万ドル(80億7000万円)
2028-29  5750万ドル(86億2500万円)

いや、えげつないですね。

2020年の夏に結んだ5年1億6000万ドルの契約時も「うーむ・・・」と思いましたが、来シーズンから始まる新しい契約は、もう笑ってしまうほどです。

現在27歳のジャマール・マレーは、契約最終年の2029-29シーズンには32歳になります。

バスケットボール選手としては、油がのりきった時期になるとは思いますが、2021-22シーズンをヒザの前十字靭帯断裂で全休するなど、ケガに苦しんできたマレーですからねえ・・・。

正直サラリーにみあう活躍をつづけられるとは思えないんですよね。

プロ入りして3シーズンは82試合、81試合、75試合とほぼフル稼働していましたが、4年目の2019-20シーズンは59試合、翌2020-21シーズンは48試合と、欠場が増えていきます。

2021-22シーズンは前述のとおりシーズン全休。

2022-23シーズンは見事に復帰をはたし65試合に出場し、優勝に貢献したものの、昨シーズンも59試合の出場にとどまっています。

これだけケガで苦しんできた選手に、莫大な金額の長期契約をわたして本当に大丈夫なんでしょうか・・・。

今回のマレーの延長契約への懸念点は、ケガだけではありません。

そもそもの話「サラリーにみあった実力をもっているのか?」という疑問があるのです。

デンバー・ナゲッツのエースは昨シーズン3度目のシーズンMVPを受賞した、現役№1プレイヤー、二コラ・ヨキッチ。

ヨキッチは2022年に、当時NBA史上最高額となる、5年2億6400万ドル(約396億円 1㌦=150円計算)で延長契約をむすんでいます。

ヨキッチの年俸を単純に契約年数で割り、日本円にすると、1年79億2000万円。

マレーの年俸を同じように計算すると、1年77億5000万円。

ほとんど変わりません。

そこでヨキッチとマレー、2人の2023-24シーズンのスタッツを比べると・・・

2023-24シーズンスタッツ

二コラ・ヨキッチ 79試合出場
26.4得点 12.4リバウンド 9.0アシスト FG58.3% 3P35.9%

ジャマール・マレー 59試合出場
21.2得点 4.1リバウンド 6.5アシスト FG48.1% 3P42.5%

センターとポイントガード、ポジションが違うため単純に比較はできませんが、この2人が今後ほぼ同じサラリーをもらうのは、どうも納得できません。

まあ、デンバー・ナゲッツにはもう一人、マイケル・ポーターJr.というMAX契約の選手がいるんですけどね(笑)。

ポーターJr.の契約は5年1億7200万ドル(258億円 1㌦=150円計算)。

正直これも高すぎるなあ・・・。

今回ジャマール・マレーと高額契約をむすんだことで、ナゲッツは来シーズンにプレイヤーオプションとなるアーロン・ゴードンとの再契約も難しくなってしまいました。

MAX契約の3選手で、サラリーキャップをこれだけ圧迫すると、優秀なロールプレイヤーを補強することも苦しくなります。

3人の力だけで優勝できるほどのトリオだとは思えないんですよね。

ヨキッチは別格ですが・・・。

マレーはこの夏カナダ代表の一員としてパリオリンピックに出場。

オクラホマシティ・サンダーのエース、シェイ・ギルジャス・アレキサンダー(SGA)とのWエースとして期待されていましたが・・・。

パリオリンピックスタッツ
SGA(4試合 平均30.1分出場)
21.0得点 4.3リバウンド 4.0アシスト FG54.0% 3P33.3%

マレー(4試合 平均20.5分出場)
6.0得点 3.0リバウンド 3.8アシスト FG29.0% 3P14.3%

SGAが勝負所でエースとしての役割をしっかり果たしたのに対し、マレーは期待を大きく裏切ってしまいました。

今回オリンピックに出場したNBA選手の中で、もっとも期待を裏切った選手と言われていますね。

シュート成功率の低さは、目も当てられません。

マレーと同じく、攻撃的なスタイルのポイントガード、パティ・ミルズ(オーストラリア代表)は、36歳ながら平均30.9分出場し、16.5得点 FG41.4% 3P40.9%と、オリンピックの舞台で大活躍をみせました。

NBAの世界では、出番が限られてきた大ベテランのミルズですが、国際大会では違いをみせつけています。

これが本当のNBA選手だと思うんですけどねえ。

これまで散々マレーの高額契約に文句をたれてきましたが、まあナゲッツのフロントの気持ちもわかります。

ケガに苦しんできたとはいえ、クラッチタイムで何度もチームを勝利に導く活躍をつづけ、ナゲッツの初優勝にも貢献したマレーを、簡単に切り捨てることはできません。

「ナゲッツは冷たい球団だ」と思われたら、ただでさえ選手に人気のない田舎の球団にくる選手がいなくなってしまいますから。

「下手をしたらヨキッチにも出て行かれるかもしれない」と考えたのかもしれません。

マレーのプライドを考えると、MAX契約を提示するしかなかったのでしょう。

もしマレーがオールスターに選出されたり、オールNBAに選ばれたりしていたら、もっと大きな契約を渡さなければいけなかったことを考えると、4年2億800万ドルですんでよかったのかもしれませんが・・・。

それでも、やはり今後のナゲッツを考えると、大きな不安を感じます。

ニューヨーク・ニックスのジェイレン・ブランソンのように、チームが補強をできるように、大幅な減額契約をむすんだ選手もいますしね。

今回のナゲッツとマレーの契約について考える時、NBAを35年間観つづけてきたわたくしリトルは、昔の大きな失敗契約を思い出すのです。

それは、オーランド・マジックによる巨額の契約でした。

史上最悪の契約 グラント・ヒル(2000年)

グラント・ヒル 契約内容
7年総額 9300万ドル(約101億3700万円 当時1㌦=109円)


在籍期間スタッツ(2000-07)
200試合出場 うち195試合先発出場
16.4得点 5.0リバウンド 3.1アシスト FG50.0% 3P22.5%

この夏世界中を熱狂させた、パリオリンピックバスケアメリカ代表の影の功労者グラント・ヒル。

バスケ男子アメリカ代表のマネージングディレクターとして、レブロンやカリーなど、NBAのスーパースターたちの招集に成功しました。

ヒル自身も1996年のアトランタオリンピックに出場し、アメリカの金メダル獲得に貢献した、レジェンド選手です。

ヒルは19シーズンにわたってNBAでプレーし、40歳で引退するまで活躍をつづけた、息の長い選手だったんですが・・・。

一番あぶらののった、28歳の時に加入したオーランド・マジックでは、ケガによる離脱をくりかえす暗黒時代でした。

グラント・ヒル 栄光のピストンズ時代

1994年のNBAドラフト1巡目全体3位でデトロイト・ピストンズに指名されたグラント・ヒルは、ルーキーながら1995年のオールスターファン投票で全体1位に輝くなど、バツグンの人気を誇り、ポストマイケルジョーダンとして期待されていたスモールフォワードです。

ルーキーがオールスターのファン投票で全体1位となったのは、NBA史上初めてのことでした。

ちなみに1995年のオールスターには、当時大リーグに挑戦していたマイケル・ジョーダンは出場していなかったのですが、翌年のオールスターファン投票でも、NBAに復帰したジョーダンをおさえて、2年連続ファン投票で全体1位となっています。

ジェイソン・キッドと共に1994-95シーズンの新人王に輝いたヒルは、デトロイト・ピストンズのエースとして、圧倒的な活躍をみせます。

しかし、チームはなかなかプレーオフ1回戦の壁をやぶれませんでした。

このままでは優勝できないと思ったヒルは、チームにトレードを要求し、2000年8月3日、チャッキー・アトキンス&ベン・ウォーレスとのトレードで、オーランド・マジックに移籍したのです。

デトロイト・ピストンズ時代(1994-2000)のヒルのスタッツは・・・

グラント・ヒル スタッツ(1994-00)
435試合出場 平均39.1分出場
21.6得点 7.9リバウンド 6.3アシスト 1.6スティール FG47.6% 3P25.6%

オールラウンドな活躍をみせていたことが、おわかりいただけるかと思います。

デトロイト・ピストンズでの6シーズンで、欠場した試合は25試合のみ。

ルーキーシーズンに12試合、ピストンズ最後のシーズンとなった1999-00シーズンに8試合を欠場した以外は、ほぼシーズンフル稼働していました。

NBAでトップクラスの人気と実力を兼ねそなえた欠場の少ないスター選手と、オーランド・マジックが交わした契約は7年総額9300万ドル(約101億3700万円 当時1㌦=109円)。

当時はまだ数少なかったMAX契約でした。

ちなみにこの時、オーランド・マジックはヒルと同時に、トロント・ラプターズで主に6thマンとして平均15.4得点を記録していたトレイシー・マグレディ(T-MAC)もMAX契約で獲得しています。

当初オーランド・マジックのフロントは、グラント・ヒルとともに、サンアントニオ・スパーズの若きエース、ティム・ダンカンの獲得を狙っていました。

契約まであと一歩というところで、スパーズの大先輩デビッド・ロビンソンの説得に応じ、ダンカンはスパーズに戻ることを決めたのです。

そこでマジックのフロントが考えたプランBが、能力は高いもののビンス・カーターの影にかくれて不満を訴えていたT-MACの獲得でした。

当時は、高卒でNBA入りし3シーズンを過ごしたばかりのT-MACと高額な契約を交わしたことに批判の声があがっていましたね。

反対にグラント・ヒル獲得には大きな期待がよせられていました。

結果は真逆になってしまうのですが・・・。

グラント・ヒル 暗黒の前期マジック時代(2000-2004)

デトロイト・ピストンズでのラストシーズンとなった1999-00シーズン終盤、ヒルは左の踵を痛めてしまいます。

それでもマイアミ・ヒートとのプレーオフ1stラウンドに無理をおして出場すると、第2戦でケガはより深刻なものとなり、その後プレーすることはできませんでした。

チームも0勝3敗でスウィープされ、ヒルは移籍を決意したのですが・・・。

この時のケガが、オーランド・マジックでの7年間を決定づけたと言われています。

ヒルは、マジックでの1年目、開幕戦から出場したものの、4試合目で骨折し故障者リスト入り。

左足かかとの手術にふみきり、シーズンを終えてしまいました。

まったくの期待外れに終わったヒルとは対照的に、T-MACの活躍は予想をはるかに上まわるものでした。

2人の2000-01シーズンのスタッツをまとめると・・・

2000-01 スタッツ
グラント・ヒル 4試合出場
13.8得点 6.3リバウンド 6.3アシスト FG44.2% 3P100%


トレイシー・マグレディ 77試合出場
26.8得点 7.5リバウンド 4.6アシスト FG45.7% 3P35.5%

くらべるまでもありませんね。

ヒルが4試合しか出場していないのに対し、T-MACは77試合に出場。

T-MACは前年15.4だった平均得点を、一気に26.8までアップし、もっとも成長した選手に贈られるMIP賞を受賞しています。

初めてのオールスターにもファン投票で選ばれ、スターターとして出場し、オールNBA2ndチーム入りするなど、一気にスターへの階段を上っていきました。

ちなみにヒルもファン投票でオールスターに選出されましたが、当然のように出場することはできませんでした。

マジック2年目の2001-02シーズンの開幕戦、グラント・ヒルは復活をとげます。

トロント・ラプターズとの開幕戦で、ヒルは31分41秒の出場で22得点を記録。

ついに復活のシーズンになるかと思われましたが、11月26日に行われたデトロイト・ピストンズ戦を最後にふたたび離脱し、再度左足かかとの手術を行い、シーズンを終えています。

マジック3年目の2002-03シーズン、ヒルはふたたび開幕戦で元気な姿をみせます。

フィラデルフィア・76ers戦に32分52秒の出場し、18得点 6リバウンド 7アシストを記録し、チームの勝利に貢献しました。

その後もMAX契約の選手としてはものたりなかったものの、オールラウンドな活躍をつづけ、無事に年を越したヒルでしたが、1月16日のワシントン・ウィザーズ戦でついにダウン。

4回目の手術を行ったヒルは、翌2003-04シーズンを全休します。

この時点で、マジックファンは、グラント・ヒルへの期待を完全に失っていましたね。

どれだけ才能があっても、試合に出ることができなければ意味がありませんから。

7年総額 9300万ドル(約101億3700万円 当時1㌦=109円)、マジックにとっては悔やんでも悔やみきれない契約になってしまいました。

ヒルとのトレードの一員としてピストンズに移籍したベン・ウォーレスがディフェンダーとして開花したことも、マジックのフロントやファンの後悔を大きくしました。

ベン・ウォーレスを中心にした強力なディフェンスを武器に、2004年のファイナルでロサンゼルス・レイカーズを倒し、ピストンズはNBAチャンピオンに輝いています。

ヒルが優勝するためにトレードするよう要求したピストンズは、エースが去った後わずか4年で優勝を勝ちとったのです。

ここでヒルとT-MACがマジックに移籍してからの4シーズンのスタッツを比べてみましょう。

2000-04 スタッツ
グラント・ヒル 47試合出場
15.1得点 7.6リバウンド 4.5アシスト FG46.4% 3P28.6%

トレイシー・マグレディ 295試合出場
28.1得点 7.0リバウンド 5.2アシスト FG44.6% 3P36.1%

同じサラリーで、これほど出場試合数に違いがあるとは・・・。

2000年の時点では、圧倒的にヒルの方が実績が上でしたが、4年間で2人の立場は逆転してしまいました。

T-MACはマジック入りしてから4シーズン連続オールスター出場。

オールNBA1stチーム×2回(2002 、2003)、2ndチーム×2回(2001、2004)選出と、スーパースターの仲間入りをはたしています。

2004年3月10日のワシントン・ウィザーズ戦で、T-MACは驚異の62得点も記録しています。

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オーランド・マジック不動のエースとなったT-MACは、すばらしい活躍をみせたもの、2003-04シーズン、マジックは21勝61敗と低迷。

リーグ最低勝率に終わったチームに愛想をつかしたT-MACは、トレードを要求し、ヒューストン・ロケッツへ去っていきました。

グラント・ヒル マジック時代後期(2004-2007)

大エースT-MACを失ったマジックでしたが、リーグ最低勝率を記録したおかげで、2004年のNBAドラフト1巡目全体1位の指名権を獲得します。

マジックは高卒のビッグマン、ドワイト・ハワードを全体1位で指名。

T-MACとのトレードでロケッツから移籍した、スティーブ・フランシスとカティーノ・モーブリーのガードコンビも加入し、新生オーランド・マジックの戦いが始まりました。

2004-05シーズン、新メンバーが活躍する中、もっともファンを驚かせたのは、すでに過去の人あつかいされていた、グラント・ヒルでした。

マジックに加入した4シーズンで47試合しか出場していなかったヒルですが、2004-05シーズンだけで67試合に出場。

フランシスに次ぐチーム2位の平均19.7得点を記録し、奇跡の復活をはたしました。

4年ぶりにオールスターにも出場。

ファン投票でスターターに選出されたのは、NBAファンがヒルの復活を心から待ち望んでいた証拠でしょう。

ヒルの復活にわいたマジックでしたが、プレーオフ進出は叶わず、36勝46敗でシーズンを終えました。

マジックでの6シーズン目、2005-06シーズン、ようやく健康体をとりもどしたと思われていたヒルですが、開幕から30試合を欠場。

ファンが再びあきらめの境地に達しようとしたところ、12月14日のニューヨーク・ニックス戦で復帰。

復帰2戦目のダラス・マーベリックス戦で28得点を記録するなど、希望を抱かせました。

しかしこのシーズン、ヒルは腰のヘルニアに悩まされます。

結局シーズン途中にまたも手術を決意。

21試合の出場に終わり、平均15.1得点 3.8リバウンド 2.3アシストを記録しました。

マジックはこのシーズンも36勝46敗と負け越しますが、2年目のドワイト・ハワードが15.8得点 、リーグ2位の12.5リバウンドを記録するなど急成長。

ハワードと同期入団のジャミーア・ネルソンとのコンビに光を見出したマジックのフロントは、スティーブ・フランシスを放出し、チームの軸を明確にしました。

ヒルの契約最終年となる2006-07シーズン、オフの懸命なリハビリが功を奏し、ヒルは開幕から先発出場をつづけます。

途中何度か離脱もありましたが、65試合(うち64試合先発)に出場し、15.1得点 3.8リバウンド 2.3アシストを記録し、マジックのプレーオフ進出に貢献しました。

プレーオフ1回戦の相手は、自身がかつて「優勝できないから」とトレード要求をつきつけた、2シーズン前のチャンピオン、デトロイト・ピストンズ。

ヒル自身がオーランド・マジックに加入してから4度目のプレーオフでしたが、ヒルがプレーするのは初めてでした。

マジックでの初めてのプレーオフ、ヒルのスタッツは・・・

2006-07 グラント・ヒル プレーオフスタッツ
4試合出場(全試合先発)35.8分出場
15.0得点 5.5リバウンド 3.8アシスト FG50.0% 3P0%

マジックの主力としてフル稼働したヒルでしたが、強豪となったピストンズには、歯が立ちませんでした。

0勝4敗で敗退し、グラント・ヒルの7年におよぶオーランド・マジックとの契約は、終わってしまいました。

7年間ほとんどの期間を離脱していたヒルに「マジックと最低保証額で契約し、プレーを続けるべきだ」という声もあがりましたが、ヒルはFAになるとフェニックス・サンズとの契約を選択。

超高額なサラリーを受け取りながら、7シーズンで200試合(1シーズン平均28.57試合)しか出場しなかったヒルが、あっさりチームを去ったことにマジックファンは怒り、その後のサンズ戦では盛大なブーイングが響くこととなりました。

サンズでヒルが復活し、ほぼシーズンフル稼働(2008-09シーズンは82試合全試合出場)したことも、マジックファンやフロントにとって、腹立つポイントだったかもしれません。

まとめ

今回は、新たにMAX契約をむすんだジャマール・マレーと、最悪の契約と聞いて一番に思いだしたグラント・ヒルについてまとめました。

実績の少ない選手でも簡単にMAX契約がとびかう現在では、最悪といわれる契約も多くなっています。

ブラッドリー・ビール、ルディ・ゴベア、ベン・シモンズ・・・。

ただ、35年間NBAを観つづけてきたわたくしリトルが「最悪の契約」と聞いて1番に思いだしたのは、期待値も高かったグラント・ヒルとオーランド・マジックの契約でした。

もし、あのときヒルがケガなく戦えていたら・・・。

もし、デビッド・ロビンソンが止めることなく、ティム・ダンカンがマジックに移籍していたら・・・。

NBAの未来は大きく変わっていたかもしれませんね。

ジャマール・マレーは、わたくしリトルの心配を吹きとばすような活躍をみせてくれるのでしょうか。

それとも・・・。

今シーズンが終わるころには、ナゲッツの未来がみえてくるのかもしれません。

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