【祝ドラフト2位指名】ディラン・ハーパーの父 ロン・ハーパーまとめ

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日本時間6月26日と27日、2日間にわたって「NBAドラフト2025」が行われました。

奇跡的な確率で全体1位指名をゲットしたダラス・マーベリックスが、当然のようにデューク大学のクーパー・フラッグを指名。

パリオリンピックアメリカ代表の練習相手「セレクトチーム」に高校生ながら選ばれた逸材は、NBAの世界でどんなプレーをみせてくれるのか、本当に楽しみですね。

そんなクーパー・フラッグの話題に隠れがちですが、全体2位で指名されたディラン・ハーパーに、NBAを36年間観つづけてきたわたくしリトルは注目しています。

ラトガース大学出身、198㎝ 95㎏の大型ポイントガード、ディラン・ハーパーの父は1996-1998に3連覇をはたした最強シカゴ・ブルズのポイントガード、ロン・ハーパーですから。

ディラン・ハーパーはオールドファンにとっては、思い入れの強い選手になるでしょう。

デル・カリーの息子、ステフィン・カリーのように。

今回はディラン・ハーパーのNBA入りを祝して、父のロン・ハーパーの選手時代をふりかえっていきたいと思います。

レッツラゴー!

目次

ロン・ハーパー 基本情報・スタッツ

ロン・ハーパー基本情報
本名 ロナルド・ハーパー
ポジション PG/SG
生年月日 1964年1月20日(61歳)
出身地 オハイオ州デイトン
サイズ 198㎝ 97㎏
出身校 マイアミ大学
NBAドラフト 1巡目全体8位
NBA在籍 1986-2001

在籍チーム 
1986-89 クリーブランドキャバリアーズ
1989-94 ロサンゼルス・クリッパーズ
1994-99 シカゴ・ブルズ
1999-01 ロサンゼルス・レイカーズ

NBAチャンピオン×5回(1996-98 2000 01)

シカゴ・ブルズで3連覇、ロサンゼルス・レイカーズで2連覇をはたした名脇役、ロン・ハーパー。

198㎝ 97㎏のサイズは、息子のディラン・ハーパーとほぼ同じです。

息子のディランは得点力が高くバスケIQも高いポイントガードですが、父のロンはNBA入り当初は得点力を期待されたシューティングガードでした。

1986年のNBAドラフト1巡目全体8位でクリーブランド・キャバリアーズ指名されていますが、親子そろってここまで高順位でドラフト指名されたNBA選手は、ほかにいないかもしれませんね。

キャブス、クリッパーズ時代は平均20得点以上を記録するスコアラーとして、ブルズ、レイカーズ時代はエースを盛り立てるペリメーターディフェンダーとして、プレースタイルを変えながら活躍をつづけてきたロン・ハーパーは、NBAチャンピオンに5回輝くレジェンドです。

5回の優勝すべてが、キャリア後半の「得点よりもディフェンスで貢献するスタイル」に変更したあとだということも、興味深いですね。

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ロン・ハーパー スコアラー時代

マイアミ大学のエースとして活躍したロン・ハーパーは、1986年のドラフト1巡目全体8位でクリーブランド・キャバリアーズに指名されると、ルーキーシーズンから1試合平均22.9得点を記録。

この年キャブスは1巡目全体1位でセンターのブラッド・ドアティ、2巡目全体25位でポイントガードのマーク・プライスも指名していましたが、1年目にもっともインパクトを残したのはハーパーでした。

チーム成績が悪かったため、ルーキー・オブ・ザ・イヤーはペイサーズのチャック・パーソン(18.8得点)に奪われたものの、キャブスのエースとしてチームを牽引します。

198㎝とガードとしてはサイズもあり、運動能力も高いハーパーは、アスレティックなシューティングガードとして注目を集めました。

決してシュートが上手い選手ではなかったのですが(3P21.3%)、身体能力の高さで得点を奪うスラッシャータイプのプレースタイルは、マイケル・ジョーダンに通じるものがありました。

ハーパーがジョーダンと比較されたのは得点だけでなく、ディフェンスでも違いをみせつけたこと。

ルーキーでありながらリーグ4位の平均2.5スティールを記録し、攻守両面でインパクトを与えました。

2年目の1987-88シーズン、ハーパーと同期のブラッド・ドアティとマーク・プライスが頭角をあらわし、キャブスは42勝40敗と勝ち越し、プレーオフに進出。

ドアティは2年目にしてオールスター出場をはたし、プライスも平均16.0得点、3ポイントシュート成功率は48.6%と驚異的なシュート力をみせつけました。

ハーパーはケガもあり57試合の出場にとどまり平均15.4得点と、1年目からは大きく数字を落としますが、プレーオフでは平均17.8得点 2.8スティールと攻守に躍動。

しかしキャブスはジョーダン率いるシカゴ・ブルズに3勝2敗で敗れてしまいました。

3年目の1988-89シーズン、キャブスは躍進をとげます。

センターのドアティとポイントガードのプライスに加え、サンズから移籍したパワーフォワードのラリー・ナンス(ラリー・ナンスJr.の父)もオールスターに選出。

控えパワーフォワードのジョン・〝ホットロッド″・ウイリアムズも6thマン・オブ・ザ・イヤーに選出される活躍をみせ、チームはイースト第3シード(57勝25敗)でプレーオフに進みます。

やや影がうすくなったロン・ハーパーもチーム3位の平均18.6得点に加え2.3スティールを記録。

プレーオフでは、2勝2敗でむかえた第5戦で、マイケル・ジョーダンに伝説のザ・ショットを決められ、シカゴ・ブルズにアップセットを許し、シーズンを終えました。

1989-90シーズン途中、ハーパーは思いもよらないトレードで、当時「最悪のフランチャイズ」と呼ばれていたロサンゼルス・クリッパーズへの移籍が決まります。

1989年のドラフトの目玉だったデューク大学のエース、ダニー・フェリーが、1巡目全体2位で指名したクリッパーズへの入団を拒否したためです。

大学時代に「ラリー・バード2世」とまで呼ばれた白人エースは、イタリアリーグで1年間プレーすることを選択し、他チームへのトレードをクリッパーズに要求。

当時のクリッパーズは万年ドアマットチームとして悪名をとどろかせていましたから、フェリーの決断も仕方なかったのかもしれません。

NBAでなにも実績を残していないルーキーに、ここまで言わせるクリッパーズもすごいですが・・・。

クリッパーズのフロントはトレードに動き、ロン・ハーパーとレジー・ウイリアムズとの交換で、キャブスがダニー・フェリーの交渉権を獲得します。

その後ダニー・フェリーがキャブスでまったく活躍できなかったのに対し、ハーパーはクリッパーズで得点を量産。

ただしハーパーは1月に前十字靭帯断裂の大ケガをおい、1989-90シーズンは35試合の出場でシーズン終了。

約1年間の治療をへて1991年1月26日のミルウォーキー・バックス戦で復帰すると、39試合に出場し平均19.6得点をあげ復活をアピールしました。

ハーパーは1991-92シーズン、クリッパーズをロサンゼルス移転後初のプレーオフ進出にみちびくと、翌1992-93シーズンにも2年連続となるプレーオフ出場に大きく貢献します。

ただ、長年NBA最弱球団だったクリッパーズでは、プレーオフ1回戦を突破することはできませんでした。

ロン・ハーパーのキャブス時代~クリッパーズ時代のスタッツは・・・

ロン・ハーパー1987-94スタッツ
532試合 36.6分出場
19.3得点 5.2リバウンド 4.9アシスト 2.1スティール
FG45.2% 3P28.3% FT72.6%

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ロン・ハーパー 失敗といわれたシカゴ・ブルズへの移籍

1993年10月16日、世界中を衝撃のニュースが駆けめぐります。

シカゴ・ブルズを3年連続のNBAチャンピオンに導き、7年連続NBA得点王に輝いていた「神様」マイケル・ジョーダンが引退を発表したのです。

1994年2月7日にジョーダンはシカゴ・ホワイトソックスと正式に契約をむすび、野球の世界に挑戦。

最強のシューティングガードを失ったシカゴ・ブルズは、FAとなったロン・ハーパーにジョーダンの穴埋めを期待します。

ハーパーに期待されたのは、得点力でした。

ジョーダンが抜けた1993-94シーズン、ブルズで最も平均得点が高かったスコッティ・ピッペンが平均22.0得点。

つづくホーレス・グラントが15.1得点、BJ・アームストロングが14.8得点、トニー・クーコッチが10.9得点と、ブルズの得点力不足は深刻でした。

平均得点はリーグ全体27チーム中23位。

得点力の高いシューティングガードを探していたブルズが、前年20.1得点を記録したFAのロン・ハーパーを獲得したのは、必然でした。

しかし1994-95シーズンが始まると、ブルズのフロントは大いに失望することになります。

ハーパーは開幕から先発シューティングガードとして出場し、ブルズでのデビュー戦では8得点をあげたものの、2戦目のワシントン・ブレッツ戦では21分出場しながら無得点。

その後も1桁得点の試合がつづき、期待をよせていたファンをおおいに落胆させます。

結局1994-95シーズン77試合に出場(先発53試合)し、平均6.9得点と自己最悪のシーズンとなりました。

1995年3月19日のインディアナ・ペイサーズ戦で、マイケル・ジョーダンがシカゴ・ブルズに復帰してからは、ハーパーの出場時間は激減。

プレーオフでは全10試合のうち6試合にベンチから出場し、平均6.7分の出場時間で平均得点は2.0得点と、完全にベンチウォーマーと化していました。

これまでクリーブランド・キャバリアーズ、ロサンゼルス・クリッパーズでスコアラーとして華々しい活躍を続けてきたハーパーにとって、1994-95シーズンは屈辱のシーズンだったと思います。

ロン・ハーパー 1994-95スタッツ
77試合(うち先発53試合)19.9分出場
6.9得点 2.3リバウンド 2.0アシスト 1.3スティール
FG42.6% 3P28.2% FT61.8%

ブルズにとって、ロン・ハーパーの獲得は完全に失敗だったと思われていましたが、名将フィル・ジャクソンの元、意外なかたちで後期3ピートに大きく貢献することとなるのです。

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ロン・ハーパー ジョーダン&ピッペンとつかんだ栄光

1994-95シーズン、マイケル・ジョーダンが復帰したものの、シカゴ・ブルズはカンファレンスセミファイナルでオーランド・マジックに敗れシーズンを終えます。

シーズンオフには、1994-95シーズン全試合で先発ポイントガードをつとめたBJ・アームストロングが、NBAに新加入したトロント・ラプターズにエクスパンションドラフトで指名されチームを去る緊急事態が発生。

衝撃のトレードで悪童デニス・ロッドマンを加え、チームを強化したブルズでしたが、ポイントガードの穴を埋められないままシーズンは開幕します。

フィル・ジャクソンが出した答えは、ロン・ハーパーのポイントガードへのコンバートでした。

ブルズ加入1年目で周囲の期待を大きく裏切ったハーパーでしたが、2年目の1995-96シーズンは出場した80試合すべてで先発をつとめます。

平均7.4得点 2.7リバウンド 2.6アシスト 1.3スティールと、スタッツは前年と大きくは変わりませんでしたが、サイズと運動能力を生かしたディフェンスで勝利に貢献。

当時NBA歴代最高記録となる、72勝10敗を記録した最強ブルズの一員として、おおいに評価を高めました。

最強のハンドラー、マイケル・ジョーダン擁するブルズには、ボールを持ちたがるポイントガードはいらなかったのです。

リーグ最高のペリメーターディフェンダーコンビ、ジョーダン&ハーパーは、相手のガードへプレッシャーをあたえ続けました。

3ポイントシュートが必要な時は、ベンチに控える最強シューター、スティーブ・カーを使いながら、フィル・ジャクソンHCの緻密なトライアングルオフェンスでプレーオフも危なげなく勝ち進み、3年ぶり4回目の優勝をはたしたシカゴ・ブルズ。

スタッツに特筆すべきものはなかったものの、ロン・ハーパーが優勝するための貴重なピースだったことは、間違いありませんでした。

ブルズは1996-97、1997-98シーズンもNBAチャンピオンとなり、3連覇をはたします。

第2期の王朝を築いたシカゴ・ブルズの中で、ハーパーは先発ポイントガードの座を死守し、名脇役として歴史に名を刻みました。

ブルズは3連覇をはたした1998年のオフに解体となります。

ヘッドコーチのフィル・ジャクソンはチームを去り、ジョーダンは2度目の引退。

ピッペンはヒューストン・ロケッツへ移籍。

ロッドマンもしばらくバスケから離れる決断をし、ブルズに残った主力はトニー・クーコッチとロン・ハーパーだけでした。

スコアラーが去ったブルズで、ファンはハーパーの得点力復活を願ったものの、1998-99シーズンは平均11.2得点と期待にはほど遠い結果に終わってしまいます。

こうしてハーパーの屈辱と栄光のシカゴ・ブルズ時代は終わりをむかえました。

ハーパーのブルズでの5シーズンのスタッツは・・・

ロン・ハーパー1994-99スタッツ
360試合 24.4分出場
7.9得点 3.0リバウンド 2.6アシスト 1.3スティール
FG43.2% 3P29.8% FT70.3%

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ロン・ハーパー シャック&コービーとの2連覇

1988-99シーズン、ブルズはクーコッチとハーパーが奮闘したものの、ブルズは13勝37敗(50試合の短縮シーズン)とイースト最下位に終わります。

ハーパーは膝の調子が悪く50試合中15試合を欠場。

すでに35歳となっていたため、引退も考えていました。

そんなハーパーに声をかけたのが、シカゴ・ブルズで共に戦ったフィル・ジャクソンヘッドコーチ。

フィル・ジャクソンは1998年にシカゴ・ブルズを優勝に導きNBAを去っていましたが、1年の休養をへて名門ロサンゼルス・レイカーズの指揮をとることが決定していました。

フィル・ジャクソンはレイカーズにもトライアングルオフェンスを導入するため、システムを熟知したハーパーが必要と考えたのです。

年齢と膝の痛みによって運動能力はおちてきたハーパーでしたが、レイカーズ入りを決断します。

レイカーズは、当時27歳と全盛期のシャキール・オニールと、21歳の若きコービー・ブライアント、2人のスターを中心にしたチームでした。

元オールスターのグレン・ライス(32歳)やAC・グリーン(36歳)、そして〝ビッグショットロブ″ことロバート・オーリーなど、充実した戦力を誇るチームの中で、ハーパーは先発ポイントガードとして堅実なプレーをみせます。

得点力のある2大エースを引き立て、ディフェンスで貢献するプレースタイルは、ブルズ時代と変わらぬ役割でした。

1999-00シーズン、レイカーズは67勝15敗と圧倒的な強さでリーグを席巻します。

プレーオフでは1stラウンドでサクラメント・キングスに最終第5戦で勝利し勢いに乗ると、カンファレンスセミファイナルでフェニックス・サンズを4勝1敗、カンファレンスファイナルではスコッティ・ピッペンが加入したポートランド・トレイルブレイザーズを4勝3敗で倒し、NBAファイナルに進出。

NBAファイナルでは、レジー・ミラー擁するインディアナ・ペイサーズを4勝2敗でやぶり、レイカーズは12シーズンぶりのチャンピオンに輝きました。

ハーパーはレギュラーシーズン平均7.0得点、プレーオフでは平均8.6得点と、決して華々しい活躍をみせたわけではありませんでしたが、当時まだ21歳だったコービーにチームプレーの大切さを説いたり、チームメイトたちに個々の役割をまっとうする大切さを伝えたり、精神面でレイカーズの優勝に大きく貢献したそうです。

翌2000-01シーズン、レイカーズは56勝26敗(ウエスト2位)と、レギュラーシーズンの勢いは前年よりペースダウンしたものの、プレーオフではブレイザーズ、キングス、スパーズをすべてスウィープで倒し、2年連続NBAファイナル進出。

レイカーズはNBAファイナルでもアレン・アイバーソン擁するフィラデルフィア・76ersを4勝1敗と圧倒し、2連覇を達成します。

歴史的な強さをみせつけたレイカーズでしたが、ハーパーの身体はすでに限界でした。

2000-01シーズンのハーパーは、レギュラーシーズン47試合の出場にとどまり(うち46試合に先発)、平均6.5得点。

プレーオフでは全16試合のうち6試合のみの出場におわり、平均出場時間は7.0分。

先発出場はありませんでした。

自身5つ目のチャンピオンリングを手にし、ハーパーは現役引退を決意します。

身体能力を生かしたスコアラーとしてデビューしながら、スーパースターを引き立てる名脇役として5つのチャンピオンリングを手にしたロン・ハーパー。

マイケル・ジョーダン&スコッティ・ピッペン、シャキール・オニール&コービー・ブライアント、歴史に残るスーパーデュオ2組とともに戦い、栄光を勝ちとったハーパーには「運がよかっただけだ」という心無い声も聞かれます。

ただハーパーのディフェンス力とスタッツに現れない地道なプレーが、優勝の一因になったことは間違いないでしょう。

NBAの歴史に残る偉大な名脇役、ロン・ハーパーは、私たちオールドファンの心にとってレジェンドの一人ですが、これからは「ディラン・ハーパーの父」としてさらに有名になっていくのかもしれませんね。

ハーパーのレイカーズでの2シーズンのスタッツは・・・

ロン・ハーパー1994-99スタッツ
127試合 25.0分出場
6.8得点 4.0リバウンド 3.0アシスト 1.0スティール
FG42.3% 3P29.2% FT68.7%

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まとめ

今回はNBAドラフト2025で次男のディラン・ハーパーが全体2位指名され、注目をあつめたロン・ハーパーについて語りました。

ロン・ハーパーの長男、ロン・ハーパーJr.もラトガース大学を経て2023年にトロント・ラプターズでNBAデビューし、3シーズンで11試合のみですが公式戦に出場しています。

2人の子供がNBA選手となっているところをみると、やはり身体能力は遺伝するのでしょう。

2025-26シーズン、サンアントニオ・スパーズでビクター・ウェンバンヤマやステフォン・キャッスルとともに躍動するディラン・ハーパーが、NBAの新しいスターとなる可能性は十分あると思います。

NBAチャンピオンとなり、コート上で仲間と喜ぶディラン・ハーパーと、コートサイドで笑顔で拍手を贈る父ロン・ハーパー。

そんな光景がいつの日かみられるかもしれません。

NBAを36年間観つづけてきたわたくしリトルにとって、ロン・ハーパーはレジェンドの一人です。

若いNBAファンの方々には、父ロン・ハーパーの活躍を知った上で、ディラン・ハーパーを応援してもらいたいと思い、今回の記事を作成しました。

クーパー・フラッグに注目が集まっている今年のルーキーですが、ディラン・ハーパーの活躍にも注目です!

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