日本時間の2024年9月26日、悲しいニュースが飛びこんできました。
かつて爆発的なスピードと身体能力で、世界に衝撃をあたえたデリック・ローズが、自身のインスタグラムでNBA引退を表明したのです。
ローズ大好きだったわたくしリトルにとって、これはショックでしたね。
史上最年少シーズンMVP(22歳6か月)の記録をもつローズ。
NBA入りわずか3シーズン目でシーズンMVPに輝いたローズに待っていたのは、長いながいケガとの戦いでした。
今回は誰もが愛した悲劇のスピードスター、デリック・ローズについて、とことん語っていきたいと思います。
デリック・ローズ 基本情報・スタッツ・受賞歴
デリック・ローズ基本情報
本名: デリック・マーテル・ローズ
ポジション: ポイントガード
生年月日: 1988年10月4日(35歳)
出身地: イリノイ州シカゴ
身長体重: 191㎝ 91㎏
出身校: メンフィス大学
NBAドラフト: 1巡目全体1位(シカゴ・ブルズ)
所属チーム:2008-16 シカゴ・ブルズ
2016-17 ニューヨーク・ニックス
2017-18 クリーブランド・キャバリアーズ
2018-19 ミネソタ・ティンバーウルブズ
2019-21 デトロイト・ピストンズ
2021-23 ニューヨーク・ニックス
2023-24 メンフィス・グリズリーズ
デリック・ローズ通算スタッツ(2008-24)
RS 723試合(先発518試合) 平均30.5分出場
17.4得点 3.2リバウンド 5.2アシスト FG45.6% 3P31.6%
PO 52試合(先発44試合) 平均37.7分出場
21.9得点 4.3リバウンド 6.3アシスト FG42.6% 3P32.2%
デリック・ローズ 受賞歴
NBAシーズンMVP(2011)
オールNBA1stチーム(2011)
NBA新人王(2009)
NBAオールスター×3(2010-12)
NBAの長い歴史の中で、史上最年少シーズンMVPの記録をもつデリック・ローズ。
化け物ぞろいのNBAの中でも、突出した身体能力で、旋風を巻き起こしました。
シーズンMVPを受賞した翌シーズンからはケガに苦しみ、期待されたNBAトップポイントガードの道は絶たれてしまいましたが、チームを転々としながらも、ファンを熱くさせるプレーをみせてくれましたね。
特にミネソタ・ティンバーウルブズ時代(2018年10月31日)、自己最高の1試合50得点を記録したユタ・ジャズ戦は、わたしたちファンにとっても忘れられない試合になっています。
普段クールなローズが、試合後のインタビューでみせた涙は、今思いかえしてもウルッときてしまいます。
通算スタッツをみると、特筆すべきものはありませんが、記録よりも記憶に残る選手の代表といっていいかもしれません。
デリック・ローズ NBAデビューまで
1988年10月4日、イリノイ州シカゴに生まれたローズは、貧困の中で育ちました。
ドラッグや銃がはびこる街で、シングルマザーの母親は4人の息子を懸命に育てます。
ローズは身の回りにギャングによる暴力や犯罪がはびこる、幼い頃のつらい思い出のために、今でもPTSDに苦しめられていると、インタビューで語っています。
そんな中、ローズ家の末っ子デリックは、兄たちがプレーしていたバスケットボールに、夢中になっていきました。
地元シカゴの名門、シメオンキャリアアカデミー高校に進むと、ローズは才能を爆発させます。
1年目から19.8得点 5.1リバウンド 8.3アシストを記録し、注目をあつめると、3年目の2005-06シーズンには、20.1得点 5.4リバウンド 8.7アシストを記録し、チームをイリノイ州のチャンピオンに導きました。
最終学年の2006-07シーズンには、25.2得点 9.1リバウンド 8.8アシストと驚異的なスタッツを記録。
チームを年間33勝2敗、2年連続の州チャンピオンに導いたローズは、高校生のオールスターが集結する、ジョーダンブランドゲーム、マクドナルドオールアメリカンゲームに出場。
ナイキフープサミットではアメリカ代表として、世界選抜チームと戦いました。
デリック・ローズは誰もが認める高校№1ポイントガードとして、注目される存在となっていきます。
大学はメンフィス大学を選択。
実家が貧しいため、1年でNBA入りしたいローズは、NBA入りを推奨してくれる名将ジョン・カリパリの下でプレーすることを選んだのです。
1年生ながら司令塔を務めたローズは、平均14.9得点 4.5リバウンド 4.7アシストを記録し、メンフィス大学のシーズン26勝0敗という、驚異的な躍進におおきく貢献しました。
そしてマーチマッドネスことNCAAトーナメントでは、平均20.8得点 6.5リバウンド 6.0アシストとさらにギアをあげます。
メンフィス大学は準決勝でケビン・ラブとラッセル・ウエストブルック擁するUCLAを破り、決勝に進出。
決勝ではオーバータイムの末に、ブランドン・ラッシュ擁するカンザス大学に敗れたものの、デリック・ローズの名は全米にとどろきました。
デリック・ローズ シカゴ・ブルズでの大活躍
衝撃のルーキーシーズン
2008年のNBAドラフト。
1位指名を予想されていたのはカンザス州立大学のマイケル・ビーズリーとメンフィス大学のデリック・ローズ。
その他にも南カリフォルニア大学のOJ・メイヨやUCLAのラッセル・ウエストブルックとケビン・ラヴ、オリンピア・ミラノ所属のダニーロ・ガリナリなど有力選手がそろう中、1巡目全体1位で指名されたのは、NCAAトーナメントで評価をあげたデリック・ローズでした。
名門シカゴ・ブルズに指名されたローズは、ルーキーシーズンから旋風を巻き起こします。
ポイントガードとしてチームメイトのベン・ゴードンやルオル・デン、ジョアキム・ノアらを操り、前年33勝49敗だったブルズをプレーオフに導いた(44勝44敗)のです。
ローズは191cmのポイントガードながら、抜群の身体能力とスピードで、アリウープのフィニッシャーになることも多く、ハイライトシーンの常連でした。
ありえないスピードで敵をぶち抜くローズのプレーは、観客を熱狂の渦にまきこんでいきます。
ルーキーシーズンのスタッツは・・・
81試合(80試合先発)37.0分出場
16.8得点 3.9リバウンド 6.3アシスト FG47.5% 3P22.2%
ローズは見事にルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得します。
ただ、ローズの本領が発揮されたのは、プレーオフに入ってからでした。
イースタンカンファレンス7位でプレーオフに進んだブルズは、カンファレンス2位で前年チャンピオンのボストン・セルティックスと対戦します。
圧倒的にセルティックス有利と予想される中、ローズはプレーのレベルをあげていきます。
プレーオフデビュー戦となった第1戦で、ローズは36得点 11アシストを記録。
圧倒的な不利を予想される中、初戦を敵地で勝利し、世間をあっと言わせます。
ローズが記録した36得点は、新人がプレーオフデビュー戦で記録した得点として、カリーム・アブドゥル・ジャバー(1970年)に並ぶNBA記録でした。
2勝3敗と追いつめられた第6戦は、トリプルオーバータイムにもつれこむ大熱戦。
試合を決めたのは、やはりルーキーのデリック・ローズでした。
残り時間8秒を切ったところで、セルティックスの司令塔、レイジョン・ロンドが逆転を狙ったターンアラウンドフェイダウェイシュートをローズがブロック。
128-127でブルズが劇的勝利をかざるキーポイントとなるプレーでした。
残念ながら第7戦で力尽き、ブルズはセルティックスに敗れてしまいましたが、熱い戦いはいまだに「プレーオフ史上最高の1stラウンド」と言われ、語りつがれています。
シリーズを盛り上げたのは、ルーキーだったデリック・ローズの若さあふれるプレーでした。
NBA史上最年少MVPの誕生
NBA2年目の2009-10シーズン、ローズは78試合に出場し、平均20.8得点 3.8リバウンド 6.0アシストを記録。
初めてのオールスターにも選出されています。
しかしチームは41勝41敗と、前年とまったく同じ勝率で、思うように勝ち星を伸ばすことはできませんでした。
8位ですすんだプレーオフでは、レギュラーシーズン1位、レブロン・ジェームズ擁するクリーブランド・キャバリアーズに1勝4敗で完敗しています。
ローズ自身はプレーオフでの5試合で、平均26.8得点 7.2アシストと活躍をみせたものの、チーム力の差は明らかでしたね。
ローズにとってはくやしいシーズンになったのではないでしょうか。
オフにアメリカ代表の一員として世界選手権に出場し、見事金メダルを獲得したローズは、むかえた2010-11シーズン、開幕から躍動します。
爆発的な瞬発力で一気にトップスピードに乗り、襲いかかってくるビッグマンたちをダブルクラッチでかわしながら、シュートを決めきるシーン。
速攻で味方とのパス交換から、豪快なアリウープを決めるシーン。
ありえないスピードから、ありえないクロスオーバーで敵を置き去りにするシーン。
敵をあざわらうかのような華麗なアシスト。
毎日のようにNBAハイライトにはデリック・ローズのプレーがとりあげられていました。
あまり表情を変えることなく、淡々とスーパープレイを決めるローズに、ファンは熱狂します。
オールスターにファン投票で選出されるなど、NBAでもトップクラスの人気選手となったローズ。
2010-11シーズンのローズのスタッツは・・・
81試合(全試合先発)37.4分出場
25.0得点 4.1リバウンド 7.7アシスト FG44.5% 3P33.2%
ローズの活躍にひっぱられるように、チームも大躍進。
シカゴ・ブルズは62勝20敗を記録し、レギュラーシーズン、リーグ全体1位の座をつかみとりました。
レギュラーシーズンMVPは、受賞時点で22歳6か月だったデリック・ローズ。
NBAの歴史上最年少でのMVP受賞でした。
プレーオフでは1stラウンドでインディアナ・ペイサーズを4勝1敗で一蹴すると、カンファレンスセミファイナルでアル・ホーフォード、ジョー・ジョンソンらを擁する強豪アトランタ・ホークスを4勝2敗で破ります。
カンファレンスファイナルの相手は、圧倒的な強さで勝ち進んできたマイアミ・ヒート。
生え抜きエースのドウェイン・ウェイドに加え、シーズン開幕前に、レブロン・ジェームズ、クリス・ボッシュをFAで獲得したヒートは、この〝スリーキングス″を軸に、強力なチームをつくりあげていました。
レギュラーシーズンは58勝24敗で、ブルズに次ぐイースタンカンファレンス2位だったヒートですが、プレーオフに入る頃にはチームワークも盤石となり、誰もが認めるリーグ最強チームとなっていました。
ホームコートアドバンテージをもつブルズは第1戦を勝利したものの第2戦から4連敗し、ヒートの前に敗れ去ってしまいます。
ローズはヒートとの5試合で平均41.9分出場し、23.4得点 4.0リバウンド 6.6アシストを記録。
これまで大舞台でギアをあげた活躍をみせていたローズですが、やや不完全燃焼のシーズンとなってしまいましたね。
力尽きた理由は、疲労だったと思います。
このシーズンからシカゴ・ブルズは新しいヘッドコーチを迎えていました。
トム・シボドーです。
現在ニューヨーク・ニックスを率いるシボドーが、NBAのヘッドコーチとしてデビューしたのがこの2010-11シーズンのシカゴ・ブルズでした。
選手を酷使することで「酷シボドー」とも呼ばれているシボドーHCのもとで、ホークスとの6試合で平均41.0分、ヒートとの5試合で平均41.9分出場したローズ。
プレースタイル的に、全力、全速力で相手に突っ込んでいくローズには、スリーキングスに対抗するだけの体力は残っていませんでした。
ただ、2010-11シーズン、デリック・ローズのまばゆいばかりの輝きは、いまでも強烈に心に残っています。
シカゴにマイケル・ジョーダン以来の熱狂を生み出したデリック・ローズ。
ブルズの栄光は約束されたと思っていました・・・。
ケガとの戦い
ローズが前年のMVP受賞者として挑んだ2011-12シーズン。
NBAは労使交渉のもつれにより、66試合の短縮シーズンとなりました。
ローズはシーズン開幕前に5年総額9480万ドル(約73億9440万円 当時1㌦=78円)の高額契約をブルズと結びます。
当時チームのサラリーキャップの30%を占める大型契約は、ブルズフロントのローズへの信頼のあかしでした。
同時期にアディダスと14年総額2億5000万ドル(約195億円 1㌦=78円)の超大型契約も締結。
レブロン・ジェームズ、コービー・ブライアントなど多くのスター選手を抱えるナイキに対抗するために、アディダスが白羽の矢をたてたのが、プレーに華のあるデリック・ローズでした。
さまざまな期待を背負ったシーズン、ローズはケガに苦しめられます。
右股関節、腰、足の指・・・。
ブルズは50勝16敗を記録し、前年に引き続きリーグ全体1位の座を死守したものの、ローズは度重なるケガによる離脱をくりかえし、39試合の出場にとどまりました。
2011-12シーズンのスタッツは・・・
39試合(全試合先発)35.3分出場
21.8得点 3.4リバウンド 7.9アシスト FG43.5% 3P31.2%
前年のMVPシーズンに比べるとやや見劣りしますが、ケガによる離脱をくりかえしたことを考えると、まずまずのスタッツと言えるでしょう。
ローズはなんとかシーズン最終盤にケガから復帰。
イースト8位(35勝31敗)でギリギリプレーオフに進んだフィラデルフィア76ersとのプレーオフ1stラウンドに挑みます。
当時の76ersは、ルー・ウイリアムズ(14.9得点)、ドリュー・ホリデー(13.5得点)、サディアス・ヤング(12.8得点)、アンドレ・イグダーラ(12.4得点)など実力者はそろっているものの、エースと呼べる選手はおらず、あまりインパクトのないチームでした。
ブルズの勝利を疑う人は、ほとんどいない状況でしたね。
なんといっても2年連続でリーグ全体1位の成績を残していましたから。
前年ヒートに敗れた悔しさをはらす時がきたと、ブルズファンはおおいに盛り上がっていました。
選手たち、そしてエースのデリック・ローズたちの気持ちは最高潮に高まっていたでしょう。
しかし第1戦で悲劇が起きます。
ローズは第1戦で37分13秒出場し、23得点 9リバウンド 9アシストと、トリプルダブル級の活躍をみせました。
第4クオーター試合残り時間1分20秒。
試合は99-87でブルズがリード。
ローズがトップからドライブを仕掛け、ジャンプシュートを打とうとしたところで突然味方へのパスに切り替え、着地後フロアに倒れこんでしまいます。
膝をさすりながら苦悶の表情を浮かべるローズ。
両脇をスタッフに抱えられ、なんとか歩いてコートをあとにしたローズでしたが、診断の結果は左膝ACL(前十字靭帯)の断裂でした。
ローズの人並外れたスピードからの方向転換に、膝が耐えられなかったのでしょう。
試合は103-91でブルズが勝利したものの、アリーナには悲痛なムードに支配されていました。
エースを失ったブルズは、2勝4敗で1stラウンド敗退。
誰もが思い描いたブルズの栄光は、悪夢にかわってしまいました。
そしてこの深刻なケガによって、ローズの人生はおおきく変化していくのです。
ローズの復活 そしてシカゴ・ブルズとの別れ
2012-13シーズンを全休したローズは、2013-14シーズン開幕戦、スリーキングスがそろうマイアミ・ヒート戦で復帰をはたします。
復帰戦から34分21秒出場。
ヘッドコーチのトム・シボドー、本当に大丈夫か?と思ったものです。
12得点 1リバウンド 4アシストと控えめなスタッツでしたが、無事に復帰できたことにホッと胸をなでおろしました。
復帰第2戦となったニューヨーク・ニックス戦では、試合終了間際に逆転弾となるフローターを沈め、チームの勝利の立役者となります。
しかし復帰10戦目となった11月22日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦で右ひざを負傷。
試合後のMRI検査の結果は右膝半月板断裂でした。
ローズが完全復活をめざした2013-14シーズンは、わずか10戦で終わってしまったのです。
2シーズンをほぼ治療に費やしたローズでしたが、2014-15シーズン開幕前には、アメリカ代表として世界選手権に出場。
ローズはベンチから全試合に出場し、金メダル獲得に貢献します。
調整十分で挑んだニューヨーク・ニックスとの2014-15シーズン開幕戦、ローズは先発出場し21分21秒プレー。
13得点 3リバウンド 5アシストを記録し、ブルズの勝利に貢献しました。
しかし2試合目のクリーブランド・キャバリアーズ戦で右足首を捻挫。
その後もハムストリングを痛めるなど欠場が増えていきます。
それでも57試合を終えた時点(2月23日)で46試合出場と、MVPシーズン以降で最多出場をはたし、1月14日のワシントン・ウィザーズ戦でシーズンハイの32得点を記録するなど、復活を印象付けていたのですが・・・。
57試合目のミルウォーキー・バックス戦で右膝を痛め、試合翌日にMRI検査の結果「右膝半月板部分断裂」で手術が必要と発表されました。
またもシーズン終了かと思われましたが、手術後の懸命なリハビリを経て、4月8日、シーズン78試合目のオーランド・マジック戦で復帰。
先発で19分24秒出場し、9得点 2リバウンド 2アシストを記録しました。
2014-15シーズンのローズのスタッツは・・・
51試合(全試合先発)30.0分出場
17.7得点 3.2リバウンド 4.9アシスト FG40.5% 3P28.0%
シーズン最後の5試合に出場したローズは、復活をかけてプレーオフに挑みます。
50勝32敗、第3シードでプレーオフに進んだシカゴ・ブルズは、1stラウンドで41勝41敗、第6シードのミルウォーキー・バックスと激突。
バックスはNBA2年目のヤニス・アデトクンボ、3年目のクリス・ミドルトンなど、後のチャンピオンチームの原型といえるチームでした。
若いバックスを相手に、ブルズは一気に3連勝。
ローズは第3戦で34得点を記録するなど、完全復活を印象づけます。
そしてシカゴ・ブルズには、もう一人のエースが台頭していました。
ジミー・バトラーです。
2011年のNBAドラフト1巡目全体30位でシカゴ・ブルズが指名したスモールフォワード、バトラーは、ルーキーシーズン平均2.6得点、2年目8.6得点 、3年目13.1得点と順調にスタッツを伸ばし、4年目となるこの2014-15シーズンは、ついに平均20.0得点と、才能を開花させていました。
レイカーズから移籍してきた大ベテラン、パウ・ガソルもゴール下で奮闘し、復活したローズと共に、若きエースを盛り立てます。
第4戦、5戦を落としたものの、チーム力の差をみせつけ、4勝2敗でシカゴ・ブルズは勝利。
カンファレンスセミファイナルに進みました。
カンファレンスセミファイナルの相手は、レブロン・ジェームズが復帰したクリーブランド・キャバリアーズ。
スリー・キングスとして一世を風靡したマイアミ・ヒートから、地元で古巣のクリーブランド・キャバリアーズに復帰したレブロンとローズの対決に、ファンはおおいに盛り上がりました。
キャブスはシーズン53勝29敗の第2シード。
レブロンに加え、オールスターポイントガードのカイリー・アービング、前年までミネソタ・ティンバーウルブズのエースだったオールスターパワーフォワードのケビン・ラブと、優勝を目指して戦力強化に成功していました。
圧倒的にキャブス有利とみられたシリーズでしたが、初戦勝利したのはアウェーのブルズでした。
ローズは初戦チームトップの25得点を記録し、衝撃を与えました。
2戦目を落としたものの、ブルズは第3戦にも99-96で勝利。
第3戦では、ローズが38分43秒出場し、30得点 7リバウンド 7アシストを記録し、完全復活を印象づけました。
しかも勝利を決めたのは、ローズのブザービーターとなる3ポイントシュートでした。
この時は、勝利の瞬間テレビの前で涙を流しましたね。
ローズのこれまでの苦しみを知っているからこそ、思いがあふれてしまいました。
勝利を手にした無表情のローズがベンチに駆け寄るシーンが印象的です。
残念ながら第4戦から3連敗し、ブルズはシーズンを終えてしまいましたが、ローズにとっては復活を印象づけるシリーズとなりました。
ローズはカンファレンスセミファイナルの6試合でチームトップとなる平均21.7得点 6.5アシストを記録。
ジミー・バトラーとともにシカゴ・ブルズのWエースとして活躍を続けてくれると期待をもたせてくれたシーズンでした。
2015-16シーズン、デリック・ローズは前年を大きく上回る66試合に出場。
ほぼ1シーズン健康に過ごしたローズのスタッツは・・・
66試合(全試合先発)31.8分出場
16.4得点 3.4リバウンド 4.7アシスト FG42.7% 3P29.3%
健康に過ごしただけに、スタッツの低下が目立つシーズンとなりました。
ブルズのエースがローズからジミー・バトラーへと、完全に移行したシーズンともいえますね。
チームは42勝40敗と勝率を落とし、プレーオフ進出を逃してしまいました。
シーズン終了後、ブルズのフロントはローズの放出を決断。
史上最年少でMVPを受賞し、故郷を熱狂の渦にまきこんだスーパースターは、ついに地元シカゴを離れることになったのです。
ローズ ケガと苦悩の日々
2016-17シーズン、トレードで移籍したニューヨーク・ニックスの一員としてプレーしたローズは、カーメロ・アンソニー、クリスタブス・ポルジンギスとのビッグ3を形成し、おおいに期待を集めました。
ローズは66試合に出場し、平均18.0得点 4.4アシストを記録。
しかしニックスは31勝51敗と低迷し、ローズも戦犯の一人としてあげられるようになります。
ローズはニューヨークの大都会に馴染むこともできず、精神的にも追いつめられていきました。
4月に入ると左膝半月板損傷のため、残り試合の全休が発表され、復活を期したニューヨークでのシーズンを終えてしまいます。
残念ながら、ニューヨークファンの期待に応えることはできませんでした。
5年総額9480万ドルの巨額契約を満了したローズは、2017年7月24日、ベテラン最低年俸の1年210万ドル(約2億3520万円 1㌦=112円)でクリーブランド・キャバリアーズと契約をむすびます。
レブロン・ジェームズ、カイリー・アービング、ケビン・ラブのビッグ3体制で3年連続NBAファイナルに進んでいたキャブス。
2015-16シーズンには、球団初の優勝もはたし強豪チームとなったキャブスでしたが、2017-18シーズン開幕前にカイリー・アービングがトレードを要求。
ボストン・セルティックスに去ったカイリーに代わるポイントガードとして期待されたのが、カイリーとのトレードで加入したアイザイア・トーマスと、デリック・ローズでした。
ローズはボストン・セルティックスとの開幕戦に先発出場、14得点を記録しチームの勝利に貢献します。
しかしその後左足のケガなどで欠場をくりかえすと、11月24日に「チームを離脱し自身の去就を検討する」という報道が出ました。
32試合連続欠場したのち、2018年1月18日にキャブスに復帰。
その後9試合に出場したところで、キャブスはローズをトレードでユタ・ジャズに送ります。
若返りを図っていたジャズは、トレードで獲得したローズをすぐに解雇。
かつてのMVPにとって、あまりにも厳しい状況でした。
ローズ 涙の50得点
ユタ・ジャズを解雇されたローズが、次の戦いの場に選んだのは、ミネソタ・ティンバーウルブズ。
シカゴ・ブルズで指揮官をつとめていたトム・シボドーが率いるウルブズは、再スタートをきるには最適な環境だったと思います。
シーズン終了までの契約をむすぶとレギュラーシーズンの9試合に出場しましたが、平均5.8得点とインパクトは残せませんでした。
レギュラーシーズンではほとんど活躍できなかったローズですが、プレーオフでは5試合すべてにベンチから出場。
平均14.2得点と、貴重なバックアップポイントガードとして評価を上げました。
このプレーオフでの活躍によって、2018-19シーズンもローズはミネソタ・ティンバーウルブズとの1年契約を結びます。
金額はベテラン最低年俸でしたが、シーズンが始まるとベンチからインパクトを与えるプレーを連発。
開幕3戦目のダラス・マーベリックス戦では、途中出場ながら28得点を記録するなど、いきいきとプレーするローズに、ファンやチームメイトの評価も上がっていきました。
開幕第2戦から6試合連続2ケタ得点を記録し、むかえた8試合目のユタ・ジャズ戦で、ついにローズは覚醒します。
2018-19シーズン初めての先発出場をはたしたローズは、第1クオーターからチームトップの13得点を記録。
第2クオーターは3得点に終わりますが、第3クオーターに11本中9本のシュートを決めきり、19得点をあげる大爆発をみせました。
第3クオーターまでに35得点をあげたローズに、ウルブズのホームアリーナは大歓声を送ります。
接戦となった第4クオーター、ローズは次々とゴールを射抜くと、1点リードの残り13.8秒には2本のフリースローをきっちり決めきり、その差を3点に。
最後は同点をねらったダンテ・エクサムのコーナー3をローズがブロックし、ウルブズが貴重な勝利をあげました。
試合終了後チームメイトからもみくちゃにされるローズ。
この試合ローズは40分51秒出場し、フィールドゴールを31本中19本、3ポイントシュートを7本中4本決め、自己最高の50得点を記録。
前年自身を解雇した因縁のユタ・ジャズを相手に、神がかった活躍をみせ、ウルブズに勝利を引き寄せました。
ホームコートでスタンディングオベーションがつづく中、選手の輪の中から出てきたのは、静かに涙を流すデリック・ローズでした。
タオルで顔を覆いながら、右手でガッツポーズを繰り返すローズ。
クールなローズが、感情をあらわにする光景に、胸が熱くなりました。
インタビューでローズが語った「僕は必死にやってきた」という言葉は、これまでの苦難の連続を思えば、あまりにも重いものでしたね。
この日のローズは、まちがいなく世界で最高のバスケットボール選手でした。
かつてのローズがそうであったように。
ローズ 引退まで
2017-18シーズン、平均8.4得点だったローズは、2018-19シーズン、50得点ゲームを含み30得点以上を4試合記録。
平均18.0得点 2.7リバウンド 4.3アシストを記録し、復活のシーズンとなりました。
残念ながらウルブズはプレーオフに進むことができず、シーズン終了後にはデトロイト・ピストンズに移籍。
2019-20シーズン、ローズは平均18.1得点 2.4リバウンド 5.6アシストと、再び躍動します。
2020-21シーズン途中に、ローズはトレードで古巣のニューヨーク・ニックスに加わり、貴重なバックアップポイントガードとして活躍。
自身のプレーだけではなく、若手のメンターとしても貢献し、多くの選手の成長を助けました。
現役最後のシーズンとなった2023-24シーズンは、大学時代を過ごし、50得点も記録した思い出深いメンフィス・グリズリーズでプレー。
ベンチから8.0得点を記録したものの、ケガによる離脱は多く、24試合の出場にとどまっていました。
2024年9月26日、デリック・ローズはSNSで15シーズンのキャリアに終止符をうつことを発表します。
ローズは自信が全身全霊で取り組んできたバスケットボールに対して、熱いコメントを残しました。
「ありがとう・・・君はよい時も悪い時も僕を信じてくれたし、すべてにおいて確信をもてなかった時には支えになってくれた。本物の愛とはどういうものなのかを教えてくれた。君がコートを自由に表現できる聖域、ホームへと変えてくれたんだ。一緒に過ごした早朝と深夜に、汗をかいて努力する価値があるんだと教えてくれた」
「これから僕がどんな人生を送ろうと、君は僕の一部なんだと安心させてくれたし、もう『さよなら』を言っていいと教えてくれた。僕はずっと君のものだ」
ローズはこれまで所属してきたシカゴ、ニューヨーク、クリーブランド、ミネソタ、デトロイトの地元紙に一面広告を出し、ファンに感謝の意を伝え、NBAから引退することを宣言したのです。
まとめ ありがとうローズ
NBAを35年間観つづけてきたわたくしリトルの中でも、デリック・ローズは特に思い入れの強かった選手です。
爆発的なスピードとジャンプ力、ゴール下に飛びこんでからのフィニッシュ力、そして試合を読むアシスト。
カイリー・アービングの天才的なテクニックとは違う、荒々しい魅力のあるポイントガードでした。
特に好きだったのが、ローズのスピードがありふり幅の大きいクロスオーバー。
決して美しくはないものの、力強いドリブルで敵を抜き去る姿は、魂を燃やしているようでした。
今観ると「そりゃヒザ壊しちゃうよな」と思ってしまいますが・・・。
膝のケガさえなければ、NBAの顔となっていたかもしれないデリック・ローズですが、デビューから4年間の輝きと、その後の地獄のような苦しみを私たちファンも思いを共有してきました。
ただ憧れるNBAのスーパースターたちよりも、苦しみを共有してきた分、デリック・ローズは身近に感じてしまう選手です。
今回引退を発表したことで、大きな悲しみを感じていますが、なにより今後のローズの幸せを祈らずにはいられません。
子供のころから貧しく危険な地域で成長し、NBAでは栄光を極めたものの、その後長い間ケガで苦しみぬいたローズ。
つらい中でも常に前を向き、できることを懸命にやりつづけ、若い選手の手本になってきたローズを、世界中のファンが今、賞賛しているでしょう。
ありがとう、デリック・ローズ。
願わくばバスケットボール、そしてNBAの世界に指導者として、また帰ってきてくれることを期待します。