【2023バスケの殿堂入り記念】マブスを優勝に導いた男 ダーク・ノビツキー

2023年のバスケの殿堂入り(ネイスミス・メモリアル・バスケットボール・ホール・オブ・フェイム)が発表されました。

元NBA選手からは、トニー・パーカー(元サンアントニオ・スパーズ等)、パウ・ガソル(元ロサンゼルス・レイカーズ等)、ドウェイン・ウェイド(元マイアミ・ヒート等)、そしてダーク・ノビツキー(ダラス・マーベリックス)が選ばれています。

長年スパーズを率いているグレッグ・ポポビッチヘッドコーチも選ばれましたね。

今回は、この中でも、NBAを35年間観つづけてきた、わたくしリトルにとって、特別な思い出がある「ダーク・ノビツキー」について熱く語ります。

レッツラゴー!

目次

ダーク・ノビツキー 通算成績

213㎝と高身長ながら、アウトサイドシュートを得意とするパワーフォワード。

ダラス・マーベリックス一筋21シーズン。

歴代で最も長く、一つのチームに在籍した選手がダーク・ノビツキーです。

スタープレイヤーが優勝をするために移籍を繰り返す現在、おそらく今後破られることはない記録でしょう。

この21年間で、多くの栄光を勝ちとってきたノビツキー。

まずは、ノビツキーの通算成績をご覧ください。

ノビツキー 生涯成績
レギュラーシーズン 1522試合出場 20.7得点 7.5リバウンド 2.4アシスト 
          FG 47.1% 3P 38.0% FT 87.9%

プレイオフ     145試合出場  25.3得点 10.0リバウンド 2.5アシスト
          FG 46.2% 3P 36.5 % FT 89.2%

出場試合数1522試合は、歴代4位の記録です。

21シーズンに渡ってダラス・マーベリックスの象徴であり続けて来たノビツキーは、レギュラーシーズン1試合平均33.8分出場し、1試合平均20.7得点を記録。

シュート確率をみると、とても7フッター(213㎝)の選手の成績とは思えません。

絶対的なフランチャイズプレイヤーとして、マーベリックスの大黒柱であり続けたノビツキー。

アメリカのNBAで、異国ドイツ出身のノビツキーが、なぜこれほどまでに受け入れられたのか。

ノビツキーのバスケ人生を振り返ります。

ノビツキー NBA入りまで

1978年6月19日、ドイツのバイエルン州ヴュルツブルクに誕生したノビツキー。

父はハンドボールのドイツ代表選手、母はバスケットボールのドイツ代表選手というスポーツ一家に生まれたノビツキーは、子供の頃はハンドボールとテニスに夢中になります。

運動能力バツグンで、身長も高かったノビツキーは、地元で一目おかれる少年でした。

子供の頃は、母と姉がバスケ選手だったため、「バスケは女の子のスポーツ」と思っていたそうです。

13歳の頃から本格的にバスケを始めると、圧倒的な才能を発揮し、中学生ながら地元のバスケットボールチームで活躍します。

そんなノビツキー少年に、運命の出会いが訪れます。

NBA入りした後も、運命を共にすることになる、ホルガー・ゲシュウィンドナーとの出会いです。

ホルガ―は、かつてバスケットボール東ドイツ代表のキャプテンとして、1972年のミュンヘンオリンピックで活躍した名選手でした。

ノビツキーの才能を感じさせるプレーに衝撃を受けたホルガ―は、「私にコーチさせてくれないか?」とノビツキーに声をかけます。

ホルガ―は、ノビツキーの両親にも育成についての了解をとり、NBA引退まで続く、師弟関係が始まったのです。

ホルガ―は、長身のノビツキーに対して、センタープレイヤーとしてのスキルではなく、シューティングやパスのスキルを徹底的に叩きこみました。

ビッグマンらしからぬシュート力を身につけたノビツキーは、地元では誰もが知る選手に成長。

ある日、ホルガ―はノビツキーに対し、「地元ドイツのヒーローとしてこのままバスケット人生を進むか、世界に飛び立つのか、決断する時だ。」と語ります。

ドイツで活躍するのであれば今のままで問題ないが、NBAでの活躍を望むのであれば、より厳しい練習を覚悟する必要があることを伝えたのです。

2日間熟考した末、ノビツキーの答えは、「NBAへの挑戦」でした。

16歳で地元のDJKヴュルツブルク(ドイツリーグ2部)でプロ契約したノビツキー。

3年目のシーズンに1試合平均19.4得点をあげ、ドイツ国内で話題となると、4年目のシーズンには平均28.2得点をあげる大活躍で、ノビツキーはついにDJKヴュルツブルクをドイツリーグ1部に導きました。

そしてドイツのバスケットボール誌の選ぶ、年間最優秀選手にも選ばれた19歳の時に、大きな転機が訪れます。

1997年、当時のナイキが主催する「ナイキ・フープ・ヒーローズ・ツアー」で、スコッティ・ピッペンやチャールズ・バークレーらNBAのトップ選手と対戦する機会にめぐまれたのです。

エキシビジョンマッチではあったものの、ピッペンやバークレーを圧倒する活躍をみせたノビツキー。

対戦したバークレーは、「あの子は天才だ。NBAに来たいのなら、俺に電話してこい。」とマスコミに語るほど惚れこんでいました。

翌1998年には、未来のNBA選手の品評会となる、ナイキ・フープサミット(アメリカジュニア選抜vs世界ジュニア選抜)に、世界選抜の一員として招かれたノビツキー。

アル・ハリントンやラシャード・ルイスら後のNBA選手を相手に、33得点、14リバウンドの大活躍をみせ、世界ジュニア選抜の勝利の立役者となりました。

実は、ナイキ・フープサミットの試合前から、ノビツキーの才能に魅せられたのが、当時ダラス・マーベリックスのGM兼ヘッドコーチ、ドン・ネルソンの息子で、アシスタントGMだったドニー・ネルソンです。

ナイキ・フープサミットの世界選抜の練習がダラスで行われたこともあり、ノビツキーのプレーを間近でみたドニーは、父でありヘッドコーチのドン・ネルソンに、ドラフトで獲得することを進言したのです。

1998年のドラフトで、6位指名権を持っていたマブスは、ノビツキーの知名度から9位でも獲得できると考え、9位と19位の指名権をもつミルウォーキーバックスにトレード話を持ちかけます。

マブスは6位でバックスが獲得を希望するロバート・トレイラーを指名し、バックスに9位でノビツキーを指名してもらいトレード。

バックスが19位で指名したパット・ギャリティもマブスへ。

そのギャリティを含めたトレードを同日サンズとまとめ、ドラフト当日に、ポイントガードのスティーブ・ナッシュまで獲得する大仕事を、ネルソン親子はまとめてしまったのです。

ただし、ダラスのファンは、ノビツキーの獲得にブーイングを浴びせました。

ドラフト9位をバックスが指名する時点で、1998年ドラフトトップ3で指名されると言われていた、カンザス大学のポール・ピアースが残っていたため、ファンはピアースの獲得を希望していたのです。

ピアースは10位指名権を持っていたボストン・セルティックスが獲得。

しかし、当時セルティックスの球団社長兼ヘッドコーチだったリック・ピティーノが獲得する予定だったのは、ドイツ時代から目をつけ、極秘でイタリアでワークアウトを行っていた、ダーク・ノビツキーでした。


ノビツキー NBAデビュー~2010年まで

ノビツキーがダラス・マーベリックスでNBAデビューした1998年当時、「ビッグマンはインサイドで勝負!」という考えが一般的でした。

213㎝と背の高いノビツキーも、1年目は慣れないインサイドで勝負し、1試合平均8.2得点、3.4リバウンド、1.0アシストと、不本意な成績に終わります。

1998-99シーズン、NBAはオーナー側と選手会側が、労使交渉の決裂によるロックアウトに突入したため、約3か月の間に50試合を行う超過酷な短縮シーズンだったことも、ノビツキーが自信をなくす大きな要因でした。

当時を振り返り、ノビツキーはドイツへ帰ることも考えていたと語っています。

思い通りにいかず自信をなくしていたノビツキーを変えたのは、チームメイトのスティーブ・ナッシュと、ヘッドコーチのドン・ネルソンでした。

ナッシュは、英語圏ではあるものの、アメリカとは文化が違うカナダ出身。

同じ外国人として、ドイツから来たノビツキーのことを気遣い、ナッシュは自身の友人と一緒に食事に誘ったり、一緒にジムに通うなど、常に行動を共にするようになります。

オフに充実した時間を過ごせるようになったノビツキーは、バスケへの情熱を取り戻していきます。

ヘッドコーチのドン・ネルソンは、インサイドでフィジカルに苦しむノビツキーに対し、アウトサイドからのシュートを増やすようアドバイスし、チームの戦略に組みこみました。

ノビツキーは、213㎝のビッグマンでありながら、「インサイドでリバウンドもとれるアウトサイドシューター」として、新たなプレースタイルをつくりあげます。

心身ともに充実した2年目、1試合平均17.5得点、6.5リバウンド、2.5アシストと、大きく成績を伸ばしたノビツキーは、ようやくダラスのファンからフランチャイズスターとして認められる選手となりました。

2001年1月14日に、実業家で大金持ちのマーク・キューバンが、ダラス・マーベリックスを2億8500万ドルで買い取り、オーナーに就任したことも、大きな転機となります。

それまで資金力が弱く、弱小チームであったマブスは、実力あるプレイヤーをトレードで獲得し、徐々にチーム力を高めていきました。

ノビツキーは、3年目の2000-01シーズンから、12年連続平均20得点以上を記録し、スーパースターとしての地位を確立。

圧倒的なシュート力を誇り、パーソナルコーチのホルガ―とのタッグで、常にスキルを磨いたノビツキーは、片足フェイダウェイシュートという、歴代トップクラスの必殺技を武器に、圧倒的なスタッツを残します。

しかし、マブスは2000-01シーズンから毎年危なげなくプレーオフに進むも、なかなかファンが期待する結果を残せず。

2005-06シーズンには、ついにNBAファイナルに進出しますが、若きドウェイン・ウェイド、ベテランのシャキール・オニール擁するマイアミ・ヒートに2勝4敗で敗れてしまいます。

レギュラーシーズンの成績は、マブスが60勝22敗、ヒートが52勝30敗。

マブスが優勢とみられていたこともあり、ファンの失望も大きなものでした。

「ノビツキーでは優勝できない。」との声も大きくなっていきます。

しかし、ファンからの批判を覆すように、翌2006-07シーズンノビツキーは躍動。

自身初のシーズンMVPに輝く大活躍をみせ、マブスもリーグ全体1位の67勝15敗を記録し、最高のシーズンとなるはずでした。

しかし、第1シードで挑んだプレーオフ1回戦、42勝40敗の第8シードでプレーオフに滑りこんだゴールデンステイト・ウォリアーズに、2勝4敗で敗れる大アップセットをくらう、最悪のシーズンエンドを迎えてしまいます。

プレーオフ1回戦で第1シードのチームが敗れるのは、NBAの長い歴史で3度目のことでした。

その後の3シーズンも50勝以上を記録するものの、プレーオフでは勝ち抜くことができず。

「ノビツキーでは優勝できない。」という声は、すでにNBAファンみんなが認識する事実となったかのようでした。

ノビツキー ついに勝ちとったチャンピオンリング

2010-11シーズン、ノビツキーは1試合平均23.0得点、7.0リバウンド、2.6アシストと安定したスタッツを記録。

ダラス・マーベリックスも57勝25敗と好成績を残し、第3シードでプレーオフに進みます。

カンファレンス・セミファイナルで、シャック&コービーを擁し2連覇中だった王者ロサンゼルス・レイカーズを4勝0敗のスウィープで下し勢いにのると、カンファレンスファイナルではケビンデュラント、ラッセル・ウエストブルック、ジェームズ・ハーデン擁する、若きオクラホマシティ・サンダーを4勝1敗で一蹴。

ついに、2度目のNBAファイナル進出を果たします。

対するは、シーズン前にレブロン・ジェームズ、クリス・ボッシュのオールスター選手二人を獲得し、ドウェイン・ウェイドとスリーキングスを結成したマイアミ・ヒート。

当時のNBAでトップスターだった仲良し3人が、話し合って一つのチームに集まったことで、マイアミファン以外には批判されまくっていた、最強のチームでした。

結成1年目から58勝24敗と好成績を残したヒートは、危なげなくファイナルにたどりつきます。

ファイナルが始まる前の時点では、圧倒的にマイアミ・ヒート有利と考えられていました。

第1戦は前評判どおり、ヒートが勝利するものの、第2戦アウェイでマブスが取り返す大接戦。

第3戦、マブスのホームでノビツキーが34得点11リバウンドと活躍するものの、2点差でヒートが勝利。

第4戦、ノビツキーはフィールドゴール19本中6本成功と、シュートスランプにおちいったものの、シックスマンのジェイソン・テリーの活躍などもあり、3点差で勝利。

ノビツキーは風邪をひいており、試合中もベンチで咳をする姿がみられていました。

第5戦の試合前に、ノビツキーが咳をする姿をマネして笑いあっている、レブロンとウェイドの姿が、繰り返しテレビで放送されます。

マブスファンの私からみると、大変に胸糞悪い映像でした。

世界中のNBAファンからも批判が殺到します。

ノビツキーは、「子供じみてくだらないと思った。自分は13年NBAにいるが、けがや体調不良を装ったことはない」と不快感を示しています。

その上で、「ファイナルを戦うのに余分なモチベーションは要らないし、もう終わったこと」と大人な対応もみせました。

迎えた第6戦。

ノビツキーのシュートがまったく入らない。

最初の12本のシュートのうち、1本しか決まらず。

しかし、ここでもポイントガードのジェイソン・キッドが試合をつくり、JJ・バレアやショーンマリオン、そしてシックスマンのジェイソン・テリーが次々にシュートを決めていく。

シュートが入らなくても、チームメイトはノビツキーにボールを集め、当然のように高いアーチでシュートを打ち続ける。

迎えた後半、ついにノビツキーのタッチが戻り、15本中8本のシュートを決める大活躍。

残り29.5秒で試合を決めるレイアップを沈め、4勝2敗で強敵マイアミ・ヒートを倒し、優勝を決めました。

試合終了のブザーが鳴り、選手たちがコート上で健闘を称えあう中、ノビツキーは一人、一目散でロッカールームへダッシュしていきました。

これまでのバスケ人生を振り返り、涙があふれているところを、見られたくなかったからだそうです。

当然のように、ファイナルMVPは、満場一致でダーク・ノビツキー。

こうして、見事13年目にして、ダラスファンに優勝の歓喜を届けたのでした。

ノビツキー 優勝後~引退

優勝後、「ノビツキーでは優勝できない。」という言葉は、笑い話になりました。

ノビツキーはダラス・マーベリックスのレジェンドとして、優勝後もチームのエースとして君臨。

しかし、ノビツキーも、年齢とともに支配力に陰りがみえはじめ、チームもなんとかプレーオフに進んでも、1回戦を突破することができなくなっていきます。

2018-19シーズン、ノビツキーは、最後まで口にしなかったものの、誰もが気づいていました。

今年でレジェンドがコートを去るということを。

2018-19シーズンは、ファイナルを戦ったドウェイン・ウェイドも引退を公言しており、2人とも特別枠でオールスターに出場しています。

正直「そんなことしたら、ノビツキーも引退するしかなくなるやろ!」と思いましたが、結果リスペクトに溢れる、すばらしいイベントになりました。

迎えたホーム最終戦、ノビツキーはシーズンハイの30得点をあげる大活躍で、マブスを勝利に導きます。

試合終了後に、ノビツキーはコートの中央でマイクを持ち、ファンに感謝をこめた挨拶を行いました。

「みんなもわかっていたかもしれないけど、今日が自分にとって、最後のホームゲームです。」と語り始めると、涙をぬぐいながら、自身の引退とファンへの感謝を伝えていきます。

対戦相手のサンズの選手に「今日は点をとらせてくれてありがとう。」とジョークを伝えたノビツキーは、ジャマール・クロフォードを指さし、「ジャマールは、俺より目立ってたけどね。」と満面の笑みをみせました。

この日、サンズの大ベテラン、38歳のジャマール・クロフォードは、ベンチからの出場ながら、30本中18本のシュートを決め、ノビツキーの30点を大きく上回る51点を記録していたのです。

会場は笑いに包まれ、クロフォードは頭を抱えていました。

これほど幸せに満ちた引退スピーチは、今後もなかなか見られないでしょう。

21シーズンをマブス一筋で過ごし、エースとして優勝に導き、最後は若い選手たちのメンターとしてチームのためにすべてをささげたノビツキーだからこそ、ファンからの温かい声援が止まりませんでした。

ノビツキーがつけた背番号41は、ダラス・マーベリックスの永久欠番となっています。

ノビツキーが勝ち取ったもの

最後に、ダーク・ノビツキーが、NBAで勝ち取った栄光の数々をまとめます。

NBAチャンピオン  (2011)
NBAファイナルMVP(2011)
NBAシーズンMVP (2007)
オールNBAファーストチーム ×4回(2005、06、07、09)
オールNBAセカンドチーム  ×5回(2002、03、08、10、11)
オールNBAサードチーム   ×3回(2001、04、12)
NBAオールスター出場 ×14回(2002-12、14、15,19)
NBAオールスタースリーポイントコンテスト優勝(2006)
NBA75周年記念チーム
etc

オールNBA入り12回は、とんでもない偉業です。

オールスターにも14回選出されており、実力のみならず、ファンに愛されていたこともわかりますね。

NBA75周年記念チームの76名にも、当然のように選出されています。

まとめ

今回は、今年バスケの殿堂入りをした、ダラス・マーベリックス一筋21年のダーク・ノビツキーについて語りました。

今現在、わたくしリトルが歴代の好きな選手でチームをつくるなら、パワーフォワードはダーク・ノビツキーを選ぶでしょう。

正直、カール・マローンとの2択です。

あの、高いアーチで決める3ポイントシュートの軌道の美しさは、なかなかマネできるものじゃないですね。

ノビツキー引退後、マブスのホームアリーナ「アメリカン・エアラインズ・センター」の前の道路、通称「オリーブ通り」が、正式に「ノビツキー通り」に改称され、シグニチャームーブである、「片足フェイダウェイシュート」の銅像が立ちました。

遠くドイツからアメリカに渡ってきた、インサイドであたり負けしていた若者は、ダラスのファンから絶大な支持を集めるレジェンドとなったのです。

ノビツキーのデビューからずっと見てきたわたくしリトルにとって、1つの大河ドラマを観てきたような感覚です。

正直、デビューの年は、「マブスはドラフト失敗やろ。」と思っていました。

あのころの自分に、21年後のノビツキーの引退試合を、そして引退スピーチの盛り上がりをみせたら、「ウソだろおい・・・」と放心状態になるでしょう。

なにがあるのかわからないのがNBAの面白いところ。

これから2023年のプレーオフに突入します。

果たして、今年はどんなドラマが生まれるのか?

一緒に楽しんでいきましょう。


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