クロックスで満足していたのに、ウーフォスの心地よさを知ってしまったリトルです。
今年もNBAという世界最高の舞台への挑戦者が集まる、サマーリーグが開催されました。
主にルーキーや、契約をとるためにアピールする選手、十分な実績はあるが調整のために出場している選手など、さまざまな立場の若手選手が出場しています。
日本からも馬場雄大選手がゴールデンステイトウォリアーズの一員として参加しましたね。
NBAの主力はほとんど出場していませんが、若手の必死なプレーで、レギュラーシーズンとは違う熱気を感じました。
全30チームが出場し、ラスベガスで行われた「NBA 2K サマーリーグ」。
今年はポートランドトレイルブレイザーズの優勝で幕を閉じました。
「えっ?ブレイザーズが?」 と思った方も多いのではないでしょうか。
安心してください。昨年の優勝はサクラメント・キングスです。
基本的にレギュラーシーズンの成績が下位のチームほど、ドラフトでよい選手を指名しやすくなるため、サマーリーグは強いのです。
チームの主力選手はサマーリーグには参加しませんから。
といっても優勝は優勝です。
優勝を記念して、ポートランドトレイルブレイザーズについて、2回にわたり語りたいと思います。
今回は、ブレイザーズの象徴、クライド・ドレクスラーがエースだった時代、特に2度のファイナルについて語ります。
ポートランド・トレイルブレイザーズのイメージ
本拠地 : アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド
チーム名の由来 : トレイルブレイザーズ(開拓者)
一般的な呼び名 : ブレイザーズ
リーグ優勝 : 1回 1976-77シーズン
ファイナル進出 3回 1976-77(対フィラデルフィア76ers)
1989-90(対デトロイト・ピストンズ)
1991-92(対シカゴ・ブルズ)
まずわたくしリトルが、パっと思いつくブレイザーズのイメージは「地味に強い」です。
昨年は不動のエース、デイミアン・リラードのケガや、CJ・マッカラムのペリカンズへの移籍もあり、27勝55敗、ウエスト13位と残念な結果に終わりました。
しかし、基本的に「今年はもうダメだろう。」と言われながら、「気づいたらプレイオフのシードとってるやん!」という流れになるのが、ブレイザーズというチームです。
「今年のウエスタンカンファレンス、プレイオフ出るのどこだったっけな?」と考えたときに、「あと1チーム思い出せないな・・・」となることがあるでしょう。
それは、ポートランド・トレイルブレイザーズです。
地味なイメージは、ポートランドという土地柄や、黒を基調とした地味なユニフォームからくるものもあるでしょう。
地味なチームのイメージは、今に始まったことではありません。
1989-90(対デトロイト ピストンズ)、1991-92(対シカゴ ブルズ)と2度ファイナルを戦ったチームも、まさに「地味に強い」チームでした。
ブレイザーズ クライド・ドレクスラーのエース時代
2度のファイナルを戦った当時のブレイザーズには、絶対的なエースがいました。
クライド・ドレクスラーです。
プレイの一つひとつが美しく、滑空するようなダンク。
「クライド・ザ・グライド」の異名は、まさにドレクスラーのプレーを表しています。
伝説の初代ドリームチームメンバーでもあるドレクスラーは、つねに物静かで紳士なプレイヤーでもありました。
ジョーダン、バークレーなど、情熱的にチームをひっぱっていくフランチャイズプレイヤーが多い中、ドレクスラーはチームメイトを静かに支えるような、寡黙なリーダーでした。
ちなみに、今から17年前くらいだったと思うのですが、ドレクスラーを囲んで食事をするという、なんとも不思議な会が九州熊本で行われました。
仕事の関係で行けなかったのですが、出席した友人に話を聞いたところ、「めちゃめちゃいい人で、イメージどおりやったわ。」と感激していました。余談です。
ドレクスラーを中心に、各ポジションに若い実力者がそろっていたブレイザーズ。
ポイントガードには安定感のあるテリー・ポーター。
スモールフォワードには得点力のあるジェローム・カーシー。
パワーフォワードにはディフェンス力があり、3度のオールスター出場歴もあるバック・ウイリアムズ。
センターには213㎝125㎏の巨体ながら、堅実な守備とリバウンドで貢献したケビン・ダックワース。
6マンには、1989年のドラフト2巡目全体36位と、予想以上の下位指名ながらも攻守にハッスルプレーで貢献した元祖ヘッドバンド、クリフォード・ロビンソン。
確かな実力を持ちながらも地味な集団は、後に名将と言われるようになる新人監督、リック・アデルマンのもとで強力なチームとなったのです。1989-90 NBAファイナル 対デトロイト・ピストンズ
バッドボーイズ デトロイト・ピストンズ
私が大学1年、4畳半の寮で一人暮らし、自由を満喫しだした頃、ポートランド・トレイルブレイザーズ対デトロイト・ピストンズという「地味VS悪」の激しいファイナルが行われました。
当時のピストンズのプレイは激しく、時には暴力的でもあり、バッドボーイズと言われ恐れられていました。
チームの象徴はアイザイア・トーマス。天使のような笑顔で悪魔の心を持つといわれる名ポイントガード。
チームメイトの悪行(あからさまなハードファウルなど)は、すべてトーマスの指示ではないかと言われていました。
NBAの歴史上もっとも嫌われた選手と言われるビル・レインビア。
説明の必要のないデニス・ロッドマン。
ピストンズ唯一の良心ジョー・デュマース。
一瞬で得点を量産するため、〝マイクロウェーブ″(電子レンジ)の異名をもったスコアリングガード、ヴィニー・ジョンソン。
個性豊かな選手たちを率いるのは、初代ドリームチームのヘッドコーチもつとめることになる、名将チャック・デイリー。
悪の軍団と言われながらも、ピストンズは前年のファイナルで、マジック・ジョンソン擁するロサンゼルス・レイカーズを倒してNBAチャンピオンに輝き、2連覇(バック・トゥー・バック)を目指すエリートチームでもありました。
1989―90シーズン、デトロイト・ピストンズは59勝23敗。
イースタンカンファレンス1位。
カンファレンスファイナルでは、マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズと死闘を演じ、4勝3敗でねじ伏せ、3年連続ファイナルの舞台にたどり着きました。
ブレイザーズの成績
1989-90シーズン、ポートランド・トレイルブレイザーズは59勝23敗。
ロサンゼルス・レイカーズ(63勝19敗)に続いてウエスタンカンファレンス2位。
カンファレンスファイナルでは、レイカーズを破ったフェニックスサンズを4勝2敗で下し、ファイナルの舞台へ進みました。
1989-90 NBAファイナル
迎えた第1戦。
王者ピストンズは、ブルズと最終戦までもつれ込む死闘の疲れか、ミスも目立ち、終始ブレイザーズペースで進みました。
しかし第4クオーター残り7分、10点ブレイザーズリードの場面で、ピストンズのエース、アイザイア・トーマスが覚醒します。
若いブレイザーズの選手たちをあざ笑うかのように次々とシュートを決め、105対99でピストンズが勝利しました。
トーマスは33得点の大活躍でした。
第2戦。
このシリーズで一番印象深い試合です。
とにかく、悪名高きビル・レインビアの長距離砲が落ちない。
ダーティーなプレイだけではないことを、見せつけられた試合でした。
オーバータイムまでもつれこんだ1戦は、残り10秒を切ったところで、ブレイザーズのバック・ウイリアムズが冷静に2本のフリースローを沈め、104対102とブレイザーズが2点のリードを奪う。
追い詰められたピストンズは、レインビアが当時のファイナル記録に並ぶ6本目の3ポイントシュートを、残り4.1秒でヒット。
大歓声にわくピストンズの本拠地ザ・パレスの観客を沈めたのは、ブレイザーズのエース、クライド・ドレクスラーでした。
冷静にドライブを仕掛け、デニス・ロッドマンからファールをもらうと、観客の大ブーイングの中フリースローをしっかり2本決め、勝利。
106対105で、ブレイザーズが1勝1敗のタイにもどしました。
第3戦、第4戦はピストンズが勝利し、後のなくなった第5戦。
お互いのプライドがぶつかり合う激しい試合となりました。
この試合、最も輝いたのは、ピストンズの伏兵ヴィニー・ジョンソンでした。
マイクロウェーブ(電子レンジ)のクッキングタイムが始まってしまったのです。
第3クオーター10分が経過した時点で77対69とブレイザーズがリード。
ここからクッキングタイム開始。
2分弱の間にジョンソン一人で9連続得点し77対78とピストンズが逆転。
あとがないブレイザーズは、第4クオーターですぐにリードを奪い返し、残り2分5秒には90対83とリード。
しかしここから、ジョンソンのクッキングタイムが再開。
ピストンズの連続7得点のうち、5得点をジョンソンが記録。
残り36.5秒で90対90の同点。
続くブレイザーズのシュートは外れ、ピストンズの攻撃。
ラスト・ショットは絶好調のヴィニー・ジョンソン。
冷静に時計を見ながら、ヴィニー・ジョンソンがゴールを射抜いたとき、電光掲示板に映ったのは0.07秒。
ブレイザーズに逆転する時間は残っていませんでした。
最終スコアは92対90。
ブレイザーズは、百戦錬磨のピストンズに、4勝1敗で敗れてしまい、NBA制覇の望みは絶たれてしまいました。
1991-92 NBAファイナル 対シカゴ・ブルズ
衝撃のニュース マジック引退
1991-92シーズンは、衝撃のニュースで始まりました。
シーズンが始まったばかりの1991年11月7日。
NBAを象徴するスーパースター、マジック・ジョンソンがHIV感染を理由に引退を表明したのです。
この年のオールスターで1日限りの復活をとげたマジックはとてつもない輝きを放ち、観る者に魔法をかけてくれたのですが、この素晴らしいオールスターについては、また別記事で書きたいと思います。
マジックのライバル、ラリー・バードも腰の痛みで欠場が続く中(このシーズン終了後に引退)、NBAを引っ張ったのはマイケル・ジョーダンでした。
王者 シカゴ・ブルズ
前年の1990-91シーズン、シカゴ・ブルズは、長年苦しめられたデトロイト・ピストンズをついに4連勝で叩きのめし、ファイナルでマジック・ジョンソン擁するロサンゼルス・レイカーズを4勝1敗で破り、初優勝を遂げます。
1991-92シーズン、2年連続シーズンMVP、6年連続得点王に輝いたジョーダンがエースとして君臨するシカゴ・ブルズは、67勝15敗とリーグトップの勝率を残す、圧倒的な強さ。
絶対的エースマイケル・ジョーダンの周りにも、優勝で自信を深めたメンバーが揃っていました。
前年のファイナルでマジックを抑え込んだことで、ディフェンダーとして評価を高めたスコッティ・ピッペン。
ピッペンは、このシーズン、初の平均20点オーバーとなる21.0得点、7.7リバウンド、7.0アシストとオールラウンダーとしての評価を高め、不動の地位を築きました。
ポイントガードには、ジョン・パクソン、パワーフォワードにはホーレス・グラント、センターにはビル・カートライト。
控えにもB.J.アームストロング、クリフ・リビングストン、ウィル・パデューなど、地味ながら献身的な選手が揃うチームでした。
チームを率いるのは、最も成功したヘッドコーチと後に語られることになる、名将フィル・ジャクソン。
プレイオフでは、カンファレンス・セミファイナルでパット・ライリー率いるニューヨーク・ニックスの激しいディフェンスに苦しみながらも、第7戦でジョーダンが42得点しなんとか勝利。
続くカンファレンス・ファイナルでは、クリーブランド・キャバリアーズ相手に最初の2戦を落とす最悪のスタートながら、その後4連勝を飾り、なんとかファイナルにたどり着きました。
ブレイザーズの成績
一方、ポートランド・トレイルブレイザーズは、2年前のファイナルの時と主力は変わらず、そこにボストン・セルティックスで2度の優勝を経験したダニー・エインジが加わり、チームのエナジーを高めます。
前回ファイナルでは百戦錬磨のピストンズ相手に、若さがでてしまったブレイザーズでしたが、コアメンバーを変えずに経験を積んだことで、より強固なチームワークを築きあげることに成功。
シーズンは57勝25敗。
ウエスタンカンファレンス1位でプレイオフに進むと、危なげなくファイナルにたどり着きます。
この年のNBAファーストチームに選ばれたガード二人の対決は、大きな注目を集めました。
エアーVSグライド。
ファイナルでの対決が決まった時のワクワクは、今でも思いだせます。
1991-92 NBAファイナル
第1戦。
マイケル・ジョーダンの弱点と言われていた3ポイントシュートが面白いように決まり、ブルズが122対89で圧勝。
ジョーダンは前半だけでNBAファイナル記録6本の3ポイントシュートを決め、35得点を記録。
後半をほぼ休憩する余裕もあり、39得点11アシスト。
一方ドレクスラーは16得点と、チームとしても個人としても完敗しました。
第2戦。
ブレイザーズが奇跡の反撃を見せ、1勝1敗のタイに戻します。
第4クオーター、ブルズが10点をリードした場面で、エースのドレクスラーがファウルアウト。
誰もがブルズ2連勝を確信する中、ファイナル経験豊富なダニー・エインジがチームを救いました。
ジョーダンの勝ち越しを狙ったラスト・ショットが外れ、試合はオーバータイムへ。
そのオーバータイムで、エインジは9得点を奪い、115対104でブレイザーズが勝利。
引退後に、長くボストン・セルティックスのCEOを務め、現在ユタ・ジャズのCEOとしてチーム改革を行っているエインジは、選手としても実に優秀だったのです。
第3戦は、ドレクスラーが32得点9リバウンドと一人気を吐きますが、他のプレーヤーのシュートが入らず、ブレイザーズが自滅。
94対84でブルズが勝利。
スコア以上の完敗でした。
第4戦。
いきなりブルズの10点リードとなったこの試合。
ブレイザーズのリック・アデルマンHCは思い切った奇策をとります。
センターのケビン・ダックワースとパワーフォワードのバック・ウイリアムス、2人のビッグマンをベンチに下げ、代わりに第2戦で大活躍したガードのダニー・エインジと、208㎝と高身長ながら機動力があり、ポジションレスに活躍できるクリフォード・ロビンソンをコートに送り出したのです。
コート上にはガードのテリー・ポーター、ドレクスラー、エインジ、ジェローム・カーシー、ロビンソンの5人。
現代のNBAでは多用されるスモールラインナップ(特にゴールデンステイトウォリアーズではデスラインナップと呼ばれるビッグマンを起用せず機動力で闘うスタイル)は、センターを中心にチーム造りをしていた当時のNBAでは、斬新な作戦でした。
スモールラインナップのブレイザーズは、コート上のあらゆるところからシュートを決め、93-88で勝利し、2勝2敗のタイに戻します。
第5戦は、ジョーダンに46得点を許すと、ピッペンにも24得点、11リバウンド、9アシストとオールラウンドに活躍され、119-106でブルズが完勝し王手をかけます。
第6戦。
ブレイザーズは、徹底的にジョーダンを抑え込む作戦に出ます。
最初の11分間、ジョーダンを無得点に抑え、ブレイザーズはペースを握り、第3クオーター終了時点で79対64と大きくリード。
すると第4クオーター、今度はブルズのフィル・ジャクソンHCが考えられない奇策を用います。
ピッペンだけをコートに残し、ジョーダン、パクソン、グラント、カートライトのスタメン4人をベンチに下げたのです。
まるで現代のウォリアーズのトンプソンファイブ。
〝第4クオーターの殺し屋″と言われるジョーダンをベンチに下げる?フィル・ジャクソンもう諦めたのか?と思いました。
しかし、エナジーにあふれた控え選手たちと、そんなメンバーを牽引するピッペンの活躍で、僅か3分で15点差を3点差にまで縮めてしまったのです。
混乱したブレイザーズにとどめを刺すようにジョーダンがコート上に戻ると、ブレイザーズに流れを押し戻す力は残っていませんでした。
97対93でシカゴブルズが勝利。
4勝2敗で、シカゴ・ブルズが2連覇を達成。
MVPはもちろん平均35.8得点を記録した、マイケル・ジョーダンでした。
ブレイザーズのエースとして闘ったドレクスラーは平均24.8得点。
チームを鼓舞してきましたが、得点力だけでなく、ディフェンス力、支配力、リーダーシップ、勝利へお執念、すべてにおいて、ジョーダンとの差をみせつけられたファイナルとなってしまいました。
まとめ
クライド・ドレクスラーがエースとして君臨し、2度のファイナルを戦った、歴代最強のブレイザーズのついて語ってきました。
現在まで続く、〝地味に強い″イメージは、(僕の知っている限りでは)ドレクスラーの時代から続いていると思います。
ウエスタンカンファレンスの王であったレイカーズの時代を終わらせたのは、リック・アデルマンHC率いるブレイザーズだったと言っても過言ではないでしょう。
チャンピオンリングにはあと一歩届きませんでしたが、若さと闘志にあふれるすばらしいチームでした。
しかし、その後2度とブレイザーズがファイナルに進出することはなく、ドレクスラーを中心としたチームは終わりを迎えます。
次回に続きます。