いまや誰もが認めるNBA史上№1シューター、ステフィン・カリーが、また一つとんでもない記録をつくってしまいました。
通算3ポイントシュート成功数4,000本!
カリーが登場する前にNBA史上№1シューターと言われていたレイ・アレンの生涯3ポイントシュート成功数が2,973本ですから、どれだけすごい記録かおわかりいただけるでしょう。
今回はNBAの〝ゲームチェンジャー″ステフィン・カリーについて、まとめていきたいと思います。
レッツラゴー!
ステフィン・カリー プロフィール
ステフィン・カリー プロフィール
本名 ワーデル・ステフィン・カリー2世
所属 ゴールデンステイト・ウォリアーズ
ポジション ポイントガード
背番号 30
サイズ 身長188㎝ 体重84㎏
誕生日 1988年3月14日(37歳)
出身地 オハイオ州アクロン
出身校 デビッドソン大学
ドラフト 2009年 1巡目全体7位
史上最高のシューター、ステフィン・カリーは、オハイオ州アクロンで、NBA選手である父デル・カリーとバレーボール選手だった母ソニア・カリーの元に生まれます。
父のデル・カリーは1994年にNBAシックスマン賞、1999年に3ポイント成功率1位に輝くなど、16シーズンにわたってNBAで活躍した名シューターでした。
わたくしリトルは大学のバスケ部時代、新球団のシャーロット・ホーネッツで活躍する、デル・カリーのプレーをお手本にしていました。
スピードやジャンプ力がなくても、圧倒的なシュート力があれば、チームに貢献できることを証明した選手でしたね。
父のシュート力は、見事に息子に引き継がれています。
ステフだけでなく、弟のセス・カリー(シャーロット・ホーネッツ)も3ポイントシューターですから、シュート力って遺伝するのかもしれません。
ちなみに、父デル・カリーの本名は「ワーデル・ステフィン・カリー1世」。
息子ステフィン・カリーと名前は一緒なんですが、ワーデルのデルの部分をとって、デル・カリーなんですね。
今回記事をまとめてみて、初めて知りました。
弟のセス・カリーは「セス・アドハム・カリー」です。
なんだか美味しそうですね(笑)。
父がクリーブランド・キャバリアーズに所属していた時にステフィン・カリーは誕生したのですが、生まれた病院があのレブロン・ジェームズと同じという奇跡。
有名なエピソードではありますが、あらためてみるとものすごい偶然です。
同じ病院で生まれたもの同士で、4シーズンにわたってNBAファイナルを戦ったのですから。
カリー 生涯スタッツ
ステフィン・カリー 生涯スタッツ(2025/3/23現在)
レギュラーシーズン 1016試合 平均34.1分出場
24.7得点 4.7リバウンド 6.4アシスト 1.5スティール
FG47.1% 3P42.3% FT91.1%
3P試投数平均9.3本 3P成功数平均3.9本
3P試投数9472本 3P成功数4010本
カリーの生涯スタッツをみると、あらためて異次元のシューターであることを認識させられます。
1000試合以上にわたって毎試合3ポイントシュートを9.3本も打ち、42.3%で決め続けるすごさ!
カリーの場合はキャッチ&シュートだけでなく、ドリブルで相手を翻弄しながらのプルアップの3ポイントシュートも多いため、歴代の3ポイントシューターより圧倒的に難易度の高いシュートが多いのですが、それでも42%で沈め続けています。
まさしく化け物ですね。
ちなみにあまり注目されていませんが、通算フリースロー成功率91.1%も、現在NBAの歴史上で1位の記録です。
はたして、カリーを超えるシューターは今後現れるのか、楽しみにしておきましょう。
カリー 受賞歴
ステフィン・カリー 受賞歴
NBAチャンピオン×4回(2015 17 18 22)
NBAファイナルMVP(2022)
NBAシーズンMVP×2(2015 16)
NBAウエスタンカンファレンスMVP(2022)
NBA最優秀クラッチプレイヤー(2024)
オールNBA1stチーム×4(2015 16 19 21)
オールNBA2ndチーム×4(2014 17 22 23)
オールNBA3rdチーム×2(2018 24)
NBAオールスター×11(2014-19 2021-25)
NBAオールスターゲームMVP×2(2022 25)
NBA3ポイントコンテスト優勝×2(2015 21)
NBAスキルチャレンジ優勝(2011)
NBA得点王×2(2016 21)
NBAスティール王(2016)
NBAフリースロー成功率1位×4(2011 15 16 18)
オリンピック金メダル(2024 パリ)
世界選手権金メダル×2(2010 トルコ 14スペイン)
カリーの受賞歴をまとめると、3ポイントだけの選手ではないことを再認識できます。
そういえばスティール王にも輝いていましたね。
4度の優勝、2度のシーズンMVP、2度の得点王など、まだ現役選手ではありますが、すでにNBAのレジェンドの一人といってよいでしょう。
カリー 誕生~ドラフト
1988年3月14日、NBA選手であったデル・カリーとバージニア工科大学のバレーボール選手だった母ソニアとの間に生まれたステフィン・カリーは、高校時代から州選抜に選ばれるなど注目されていました。
しかし当時身長が183㎝と小さかったこともあり、強豪の大学から奨学金オファーをうけることができず。
父親が殿堂入りしているバージニア工科大学でのプレーを希望したものの、やはり奨学金のオファーはありませんでした。
カリーは奨学金オファーを受けた3つの大学の中から、地元のデイビッドソン大学に進学します。
デイビッドソン大学での活躍
デイビッドソン大学では1年生の時から1試合平均21.5得点を記録。
これはテキサス大学のケビン・デュラントに次ぐ全米2位の記録でした。
カリーの活躍もあり、デイビッドソン大学はNCAAトーナメントに進出。
1回戦でメリーランド大学に敗れたものの、カリーはこの試合30得点をあげ、全米から注目を集めました。
シーズン後に行われたU-19世界選手権のメンバーにも選出され、平均9.4得点を記録しています。
2年生時の2007-08シーズンにはカンファレンストップの平均25.5得点 4.7リバウンド 2.8アシストを記録。
チームを再びNCAAトーナメントに導きます。
1回戦の相手は強豪ゴンザガ大学。
前半11点のビハインドを背負いましたが、後半だけで30得点を記録したカリーの活躍で、アップセットを果たしました。
この試合カリーは10本中9本の3ポイントシュートを沈めています。
2回戦の相手はパトリック・ユーイング、アロンゾ・モーニング、アレン・アイバーソンなど、数々のスター選手を輩出し、前年のNCAAトーナメントファイナル4に進出した名門ジョージタウン大学。
圧倒的に不利とされたデイビッドソン大学は、前半17点のビハインドを背負ったものの、後半だけでカリーが25得点と再び爆発し、74対70で大逆転勝利をあげました。
3回戦のウィスコンシン大学戦でも33得点を記録し、デイビッドソン大学をエリート8に導いたカリーは、4回戦のカンザス大学戦で25得点をあげたものの、チームは57-59で敗退。
NCAAトーナメントで一気にNBAの各チームから注目を集めたカリーでしたが、シーズン終了後NBAドラフトにアーリーエントリーしないことを宣言します。
3年生時の2008-09シーズンは平均28.9得点のハイアベレージを残したものの、NCAAトーナメント出場はならず。
それでもNCAAオールアメリカン1stチームに選出され、NBAドラフト2009にアーリーエントリーすることを表明しました。
カリー NBAドラフト
ドラフトでは1巡目全体7位でゴールデンステイト・ウォリアーズに指名されます。
この時のドラフトは、しっかり覚えています。
いや、うれしかったですね。
大好きだったデル・カリーの息子を、大好きなウォリアーズが指名したんですから。
ちなみにこの年のドラフト1巡目全体1位から7位の選手をまとめると・・・
2009年NBAドラフト
1位 ブレイク・グリフィン(クリッパーズ)
2位 ハシーム・サビート(グリズリーズ)
3位 ジェームズ・ハーデン(サンダー)
4位 タイリーク・エバンス(キングス)
5位 リッキー・ルビオ(ウルブズ)
6位 ジョニー・フリン(ウルブズ)
7位 ステフィン・カリー(ウォリアーズ)
特にグリズリーズとウルブズは後悔しているでしょうね。
グリズリーズが2位で指名した身長221㎝のハシーム・サビートはまったく戦力にならず、史上最低の2位指名とまで言われています。
とにかくポイントガードがほしかったミネソタ・ティンバーウルブズが5位、6位とポイントガードを続けて指名したのも印象的でした。
史上最高のポイントガードの一人を見逃していることに、いつ気づいたのでしょうか?
カリー モンタ・エリスとの共闘
カリーを指名した当時のウォリアーズは、前年29勝53敗、直近15シーズンでプレーオフ進出が1回のみと、NBAを代表するドアマットチームでした。
チームのエースは190㎝のシューティングガード、モンタ・エリス。
カリーはルーキーシーズンから3ポイントシュートを43.7%の高確率で決めつづけ、平均17.5得点を記録しました。
新人ながらモンタ・エリス(平均25.5得点)に次ぐチーム2位の平均得点を記録しています。
カリーは新人王投票で、タイリーク・エバンスに次ぐ2位の票をあつめますが、チームは26勝56敗と低迷から抜け出すことはできませんでした。
ちなみにドラフト全体1位指名だったブレイク・グリフィンはケガのため1年目は全休しています。
2年目の2010-11シーズンはフリースロー成功率でリーグトップとなる93.4%を記録。
3ポイントシュートも44.2%の高確率でしたが、平均得点は18.6と大きくは伸びず。
ボールを独占するタイプのモンタ・エリス(24.1得点)とプレースタイルのかぶるカリーは、能力を十分に発揮することができていませんでした。
ウォリアーズは36勝46敗で、当然のようにプレーオフに進出することなく、シーズンを終えます。
運命を変えた2011-12シーズン
2011-12シーズンは、ウォリアーズとカリーにとって、大きな変化のあるシーズンとなります。
まずは新ヘッドコーチとして、かつてニックスやペイサーズで活躍した名ポイントガードのマーク・ジャクソンが就任。
TVの解説者として人気の高かったジャクソンを突然ヘッドコーチに招聘したことには、大変驚かされました。
次に2011年のNBAドラフト1巡目全体11位で、ウォリアーズはワシントン州立大学のシューティングガード、クレイ・トンプソンを指名。
当時このニュースを見て、ウォリアーズファンのわたくしリトルは「カリーいるのにまたシューターとって、大丈夫か?」「マイカル・トンプソンの息子か。2世ばっかり集めるつもりか?」とやや懐疑的な感想をもっていました。
まさかNBAの常識をかえるほどのコンビになるとは、想像もしていなかったですね。
運命を変えたエリスのトレード
そして極めつけは、トレードデッドラインに起こったモンタ・エリスのトレード。
チームのエースで、当時人気の高かったモンタ・エリスとビッグマンのクワミ・ブラウン、エペイ・ユドーをミルウォーキー・バックスに放出し、バックスからアンドリュー・ボーガットとスティーブン・ジャクソンを獲得したのです。
エリスが去ったことで、ウォリアーズはカリーをチームの中心にすることを明確にしました。
ただしこのバックスとのトレードには、裏話があります。
当初トレードされる予定だったのは、エリスではなくカリーだったのです。
この2011-12シーズン、カリーは開幕前の5月に右足首のじん帯の修復手術を受けたものの、プレシーズンゲームで右足首を捻挫。
さらにシーズン開幕後も捻挫をくり返し欠場がつづき、健康状態が危ぶまれた時期でした。
ウォリアーズのフロントは、カリーを含むトレードをバックスに打診したものの、バックスのチームドクターがカリーの足首の状態を不安視し、トレードを承認しなかったため、ウォリアーズはエリスをトレードしたのです。
当時都市伝説のように語られた裏話でしたが、後にドレイモンド・グリーンのポッドキャストで、カリー自身が認めています。
当時のバックスのチームドクターは、その後のカリーの活躍をどんな思いで観ていたのでしょうか?
ちなみにバックスはオーナーが変わった時に、当時の医療スタッフ全員をクビにしたそうです。
エリスがトレードになったことで、カリーは能力を思う存分発揮することになり、クレイ・トンプソンと史上最強のシューティングユニット「スプラッシュブラザーズ」を結成するのですから、本当に運命を変えたトレードになりました。
2011-12シーズン、ケガに苦しんだカリーは、26試合の出場(66試合の短縮シーズン)にとどまり、自己最低の平均14.7得点に終わりますが、3ポイントシュート成功率は45.5%と高い確率をキープ。
シューターとしての能力は誰もが認める存在となったカリーでしたが、健康状態が大いに不安視されたシーズンでした。
カリー 初めてのプレーオフ
2012年のNBAドラフト1巡目全体7位でウォリアーズはノースカロライナ大学のハリソン・バーンズを指名。
そして2巡目全体35位でミシガン州立大学のドレイモンド・グリーンを指名します。
この時、198㎝の小柄なパワーフォワード、ドレイモンド・グリーンがウォリアーズ王朝の立役者になるとは、誰が想像したでしょうか?
まあドレイモンドがその実力を発揮するのは、2年目からになるのですが。
4年総額4400万ドルの契約をむすんで挑んだ2012-13シーズン、カリーは健康状態の不安を吹きとばし78試合に出場。
1試合平均38.2分もプレーし、22.9得点 4.0リバウンド 6.9アシストと活躍します。
得意の3ポイントシュートは45.1%の高確率で決め続け、レイ・アレンの持つ1シーズン269本を超える272本成功のNBA新記録を打ち立てました。
カリーの活躍に導かれたウォリアーズは、47勝35敗と躍進。
カリーにとってキャリア初のプレーオフに進出しました。
第6シードのウォリアーズに対するは、第3シードのデンバー・ナゲッツ。
当時のナゲッツは、レギュラーシーズン2ケタ得点をあげた選手が6人いるバランスのよいチームでした。
エースはのちにウォリアーズで仲間となるアンドレ・イグダーラ。
チーム力にまさるナゲッツ有利とされていましたが、カリーが平均24.3得点 9.3アシストとゲームメイクでも活躍し、4勝2敗でウォリアーズがアップセットを果たします。
カンファレンスセミファイナルの相手は第2シードで、ダンカン、パーカー、ジノビリのベテランビッグ3を擁する強豪サンアントニオ・スパーズ。
当時ダンカン36歳、パーカー30歳、ジノビリ35歳と高齢化していたスパーズでしたが、3人に加えて2年目のカワイ・レナードも急成長をみせるなど、バツグンの安定感を誇るチームでした。
第1戦はダブルオーバータイムまでもつれる大熱戦となりますが、ウォリアーズ1点リードでむかえた残り3.4秒からのスパーズのインバウンドパス、一瞬のスキをついてレナードがパスした相手は、逆サイドの3ポイントラインの外で待つジノビリでした。
ジノビリが放ったシュートは見事にゴールを射抜き、激闘に決着をつけます。
この試合最長の57分56秒出場したカリーは、3ポイント6本を含む両チーム最多の44得点を記録したものの、あと一歩で勝利をつかみ取ることはできませんでした。
ウォリアーズはこの年ファイナルに進むスパーズ相手に、なんとか2勝をあげたものの、カリーを徹底的にマークされ、力の差をみせつけられました。
カリーはスパーズとのシリーズで1試合平均22.5得点 3.3リバウンド 6.8アシストを記録したものの、3ポイントシュート成功率はレギュラーシーズンより約10%低い、35.2%におさえこまれています。
ただ、一時代を築いたスパーズと戦ったこのシリーズが、ウォリアーズ、そしてカリーの経験値となり、大きなステップアップにつながったといえるでしょう。
カリー 初めてのオールスターシーズン
2013-14シーズン、カリーは1試合平均24.0得点 4.3リバウンド 8.5アシスト 1.6スティール を記録。
3ポイントシュートはこのシーズンも42.4%の高確率で決めつづけ、前年に自身がつくったシーズン272本成功のNBA記録にはとどかなかったものの、リーグトップとなる261本を沈め、オールNBA2ndチーム入りを果たします。
初めてのオールスターにもファン投票でスターターとして出場し、知名度が大きくあがったシーズンになりました。
ウォリアーズは51勝31敗、ウエスタンカンファレンス第6シードで2年連続でプレーオフに進みます。
1stラウンドの相手はクリス・ポールとブレイク・グリフィンの強力コンビを擁するロサンゼルス・クリッパーズ。
一進一退の大熱戦となったシリーズは、最終の第7戦まで進んだもののわずかに届かず、ウォリアーズは1stラウンドで敗れ去ってしまいました。
カリーはクリッパーズとの7試合で、平均23.0得点 3.6リバウンド 8.4アシストとレギュラーシーズンよりも数字を落とし、3ポイントシュート成功率も38.6%と、不本意なスタッツに終わっています。
この悔しさが、翌年の信じられないような活躍につながっていくのです。
カリー 運命の2014-15シーズン
2014-15シーズン開幕前に衝撃的なニュースがとびこんできました。
ドアマットチームを強豪チームにかえたマーク・ジャクソンHCを解雇し、コーチ経験なかったスティーブ・カーをヘッドコーチとして招聘したのです。
スティーブ・カーといえば、マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、デニス・ロッドマンの最強ビッグ3とともにシカゴ・ブルズの後期3ピートに大きく貢献した3ポイントシューター。
選手としての実績はあるものの、指導者としては未知数であるカーのヘッドコーチ就任は衝撃でしたね。
ウォリアーズファンのわたくしリトルは「なんでマーク・ジャクソン解雇するんや!カーで大丈夫なわけないやろ!」と大騒ぎしていましたが、今考えると恥ずかしいです(笑)。
ウォリアーズは16連勝を記録するなど、圧倒的な強さを発揮し、リーグトップとなる67勝15敗を記録。
ステフィン・カリーとクレイ・トンプソンのリーグを代表するシューター2人を、このシーズンからスターターに定着したドレイモンド・グリーンがポイントフォワードとして操り、リーグトップの攻撃力で次々と勝利をあげるウォリアーズ。
カリーは80試合に出場し、1試合平均23.8得点 4.3リバウンド 7.7アシスト 2.0スティール 、3ポイントシュート成功率44.3%、フリースロー成功率91.4%(リーグトップ)を記録。
シーズン3ポイントシュート成功数286本は、自身のNBA記録を塗りかえるものでした。
カリーはオールスターに全体最多得票で選出されるなど人気も爆発。
初のシーズンMVPを獲得し、スーパースターへの階段を上りました。
キャブスとの死闘 そして歓喜の初優勝
第1シードで進んだプレーオフでは、1stラウンドでニューオリンズ・ペリカンズ(4勝0敗)、カンファレンスセミファイナルでメンフィス・グリズリーズ(4勝2敗)、カンファレンスファイナルでヒューストン・ロケッツ(4勝1敗)で下し、ついにNBAファイナルまでたどりつきます。
ファイナルで対するのは、シーズン前にヒートから〝キング″レブロン・ジェームズが帰還したクリーブランド・キャバリアーズ。
レブロンに加え、ポイントガードのカイリー・アービング、パワーフォワードのケビン・ラブとオールスター選手3人がそろったキャブスは、イースタンカンファレンス第2シードを勝ちとりプレーオフに進んだものの、ラブが1stラウンドで肩を負傷し離脱。
それでもイーストの第1シード、アトランタ・ホークスをカンファレンスファイナルでスウィープし、キャブスはファイナルに進出しました。
NBAファイナルは第1戦からオーバータイムの大熱戦となります。
第4クオーター終盤でカリーのレイアップをカイリーがブロックし、勝負はオーバータイムへ。
オーバータイムでは残り2分22秒、攻守に活躍していたカイリー・アービングが、ドライブをしかけた際に左膝を痛め退場。
カイリーを失ったキャブスには、ウォリアーズに対抗できる力は残っていませんでした。
第1戦はレブロンの44得点の活躍もあったものの、108-100でウォリアーズが勝利。
カイリー・アービングは検査の結果、左膝膝蓋骨骨折の診断をうけ、離脱してしまいます。
初戦でカリーは26得点 4リバウンド 8アシスト 2スティールの活躍をみせたものの、3ポイントシュートは6本中2本の成功におわり、44得点のレブロンに比べ、やや物足りない結果に終わりました。
第2戦も一進一退の大接戦となり、ウォリアーズ2点ビハインドの第4クオーター残り7.2秒で、カリーがドライブからレイアップを決め、勝負の行方は2戦連続のオーバータイムへ。
結果は93-95でキャブスが勝利し、1勝1敗のタイに戻しました。
第2戦のカリーは19得点 、フィールドゴール成功率21.7%(5/23)、3ポイントシュート成功率13.3%(2/15)、6ターンオーバーと波に乗れず。
不調のカリーにかわり、クレイ・トンプソンが34得点を記録しています。
オーバータイムに進みながら100得点に達しないのは、現在のNBAでは考えられないですよね。
第3戦、カリーは3ポイントシュート7本を含む27得点を記録したものの、レブロンに40得点を許し91-96でキャブスに敗れます。
しかしカイリーとラブを失ったキャブスには、もう余力が残っていませんでした。
ウォリアーズは第4戦から3連勝し、ついに40年ぶりのチャンピオンに輝きました。
NBAファイナルとプレーオフ全体でのカリーのスタッツは・・・
カリー NBAファイナル2015 スタッツ
6試合 平均42.5分出場
26.0得点 5.2リバウンド 6.3アシスト 1.8スティール FG44.3% 3P38.5%
カリー プレーオフ2015 スタッツ
21試合 平均39.3分出場
28.3得点 5.0リバウンド 6.4アシスト 1.9スティール FG45.6% 3P42.2%
念願のチャンピオンリングを手にしたカリーでしたが、ファイナルではやや精彩を欠く場面も。
ファイナルMVPは、ベンチ出場ながら攻守に活躍をみせたアンドレ・イグダーラが選出されています。
ただ、ゴールデンステイト・ウォリアーズとステフィン・カリーの本当の快進撃は、まだ始まったばかりでした・・・。
まとめ
今回はNBA史上最強のシューター、ステフィン・カリーの初優勝までの道のりを語りました。
NBAを36年間観つづけているわたくしリトルですが、ステフィン・カリーはある意味もっとも思い入れのある選手かもしれません。
父親のデル・カリーのシュート力の高さに魅了されたのは、わたくしリトルが大学生の時でした。
そんなカリーの息子が、父親以上のシュート力をもつスーパースターになるなんて、ちょっと出来すぎたストーリーですね。
カリーの初優勝までの道のりをふり返ると、決して平坦なものではありませんでした。
もしかしたら、カリーはミルウォーキー・バックスでヤニスとコンビを組んでいたのかもしれなかったのですからねえ。
初のNBAファイナルで、カリーはレブロン擁するクリーブランド・キャバリアーズを倒し、優勝を果たしましたが、現代を代表するスーパースター二人の因縁は、まだまだ続きます。
次回は、カリーが連覇を目指し戦った2015-16シーズン以降の活躍を語っていきますので、お楽しみに!
