【リバウンド王】デニス・ロッドマンを語る 今度はロシアへ「グライナー救出作戦」は成功するのか?

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ずっと気になっていたベイカーパンツを購入し、ウキウキ気分のリトルです。

さてさて、何気なくネットニュースを見ていたら、デニス・ロッドマンの名前が目に飛び込んできました。

目次

ロッドマンがロシアを訪問する理由

ロッドマンは現在ロシアに大麻製品の所持の罪で拘束されている、WNBAのスーパースター、ブリトニー・グライナーを開放するためロシアを訪問するんだそうです。

グライナーは、206㎝の女子バスケットボール選手(201cmのロッドマンより大きい!)。

東京オリンピックでも、アメリカ代表として、金メダルを獲得しています。

オリンピック決勝で、まさに日本の前に巨大な壁として立ちふさがりましたね。

そんなグライナーは、2022年2月17日にロシアで逮捕されます。

ロシアでは違法の大麻オイルを持ち込んだ罪だそうですが、健全なわたくしリトルにはどんなもんかよくわかりません。

グライナー逮捕の1週間後、2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まりました。

「なぜこんな時期にロシアに行ったんだ!?」とお怒りの意見もありますが、彼女はWNBAのフェニックス・マーキュリーの選手でありながら、WNBAがオフの時期は、ロシアリーグのチームと契約していたため、仕方なかったんです。

日本の渡嘉敷来夢や町田瑠唯も、同様に日本リーグに所属しながら、WNBAに挑戦していましたね。

ロシアとウクライナは現在も激しい戦闘を、繰り返しており、米国とロシアの関係も悪化し、グライナーの解放交渉も全く進んでいない状況です。

ここで立ち上がったのが、北朝鮮で金正恩とお友達になった実績のあるロッドマン

グライナーを助けるために、ロシアに行く許可を得た。」と、ロシアを訪問し解放交渉に挑む考えを明かしました。

私はプーチン大統領についてよく知っている。」と発言しているそうですが、何か意味深に聞こえますね。

ただ、ロッドマンのことですから、普通にニュースなどを見て、単純に知っているだけじゃないのかなあと思います(笑)。

アメリカの政府高官は、「解放に向けた努力を複雑化し妨げる恐れがある」と懸念を表明しているそうですが、奇跡的に交渉が進展することを期待しましょう。

今回は、何かにつけて注目を集める愛すべき悪童。

そして、バスケにおいてディフェンスを〝かっこいいもの″に変えた、デニス・ロッドマンについて語ります。

少年時代~ドラフトまで

デニス・ロッドマンが、NBAでも屈指の人気者になった理由の一つに、ドラフトまでのドラマチックな人生があります。

ロッドマンは1961年5月13日にニュージャージー州トレントンで生まれました。

父親は軍人でしたが、ロッドマンが幼いころに愛人をつくり、家を出てしまいました。

母親と二人の姉妹と、スラムの公営住宅で育ったロッドマン。

二人の姉妹にはバスケットボールの才能がありました。

才能にあふれ、注目を集める姉妹に比べ、ロッドマンは背も低く、高校生の時までは全く無名の選手。

レギュラーになれず、高校2年生でバスケを辞めています。

もちろん大学からの勧誘もなく、空港で警備の仕事につきますが、時計を万引きをするなどして解雇

一時はホームレスとして飢えをしのぐ日々を過ごしました。

しかし、20歳のころ、奇跡的に突如身長が20㎝近く伸び、201cmの肉体を手にいれると、妹の友人の紹介でテキサスの短期大学に入学します。

その後サウスイースタン・オクラホマ州立大学にスカウトされ編入。

NCAA(全米大学体育協会)ではないリーグ(NAIA 全国大学体育協会)とはいえ、ロッドマンは1試合平均25.7得点、15.7リバウンドと驚異的な活躍をみせ、1986年のNBAドラフトで、全体2巡目27位でデトロイト・ピストンズに指名されたのです。

指名された時、ロッドマンはすでに25歳

NCAAでのプレイ経験もなし

全米のエリートが集まるNBAドラフトでは、異例の指名でした。

デトロイト・ピストンズ時代

ロッドマンは、デトロイト・ピストンズで運命の出会いを果たします。

当時ピストンズを率いていた、ヘッドコーチのチャック・デイリーです。

後に初代ドリームチームのヘッドコーチとなる名将は、まったく無名のオールドルーキーにとって、父親のような存在でした。

ルーキーシーズン1試合平均6.5得点、4.3リバウンドと、控え選手ながらドラフト2巡目ルーキーとしては合格点を与えられる記録を残したロッドマン。

そんなロッドマンに、チャック・デイリーは「ディフェンスとリバウンドを磨きなさい。誰もやりたがらないことを率先してやれば、いい暮らしが出来るようになる。」と伝えます。

父親を知らずに育ったロッドマンは、チャック・デイリーの温かい言葉に心を打たれ、ディフェンスとリバウンドにより一層情熱を注ぎました。

当時のピストンズには、アイザイア・トーマスをエースとして、ビル・レインビアリック・マホーン、そしてデニス・ロッドマンと、暴力的に激しいディフェンスで相手に襲い掛かる選手が揃っていたため、「バッドボーイズ」と呼ばれ、〝最も対戦したくないチーム″と言われていました。

特にNBA歴史上、最も嫌われた選手と言われているビル・レインビアのプレイの激しさ、汚さは半端じゃなかったです。

しかし、レインビアは頭の良い選手でもありました。

211cmと長身ではありながら、ジャンプ力のない白人。

運動能力はNBAでも底辺と言われていたレインビアでしたが、1985-86シーズンには1試合平均13.1リバウンドで、リバウンド王のタイトルも取っています

レインビアは、的確なポジションどりと、執拗になんどもボールに食らいつく執念で、ボールを自分のものにしていました。

そんなレインビアのプレイを間近でみて、ロッドマンはリバウンドの極意を学びます。

対戦相手の選手や、チームメイトのシュートの傾向を分析し、リバウンドのポジショニングを研究

相手のオフェンスの際のクセも頭にインプットし、鬼気迫るディフェンスで相手を追い詰めました

身長は201cmと低いものの、ロッドマンにはオリンピック級の身体能力があったのです。

2年目のシーズンは1試合平均11.6得点、8.7リバウンドと一気に成績を伸ばしてNBA選手としての地位を確立。

その後も順調にリバウンド数を増やし、NBAで最も恐れられるディフェンダーとなります。

ロッドマンの成長と共に、デトロイト・ピストンズのチーム力もアップ。

1987―88シーズン、ついにピストンズはNBAファイナルに進出。

ファイナルでは第7戦まで戦い、レイカーズに敗れますが、翌1988―89シーズンと1989―90シーズン、2年連続チャンピオンとなり、バッドボーイズは周囲からのブーイングの中(地元のデトロイトでは圧倒的な人気を誇っていました)、頂点に君臨します。

デニス・ロッドマンはバッドボーイズの中心人物となっていました。

1990-91シーズン、プレイオフのイースタンカンファレンスファイナル、0勝3敗で迎えたシカゴ・ブルズとの第4戦で事件は起きます。

ブルズの圧倒的な勢いに押され、ストレスMAXとなっていたロッドマンは、ブルズのスコッティ・ピッペンが、見事なバックドアからレイアップシュートを狙った際、背後から飛びかかり、思いっきり観客席まで突き飛ばしたのです。

この時のプレイでピッペンは顎を6針縫うケガを負ったとされていますが、当時試合を観ていて、「これ、レインビアのせいじゃないかなあ?」と思っていました。

ロッドマンの突き飛ばし方が派手で目立ったんですが、レイアップに対してヘルプに行ったレインビアの肘が思いっきりあごにはいってたんです。

みんながロッドマンが・・・と言っていたのが、どうも納得できなかったことを、書いていて思い出してしまいました。

とにかく、その時は勝つことに専念していて、冷静に対応していたピッペンが素晴らしかったです。

ピストンズを4勝0敗とスウィープしたシカゴ・ブルズは、初のNBAチャンピオンとなりますが、この時はまさか、後にロッドマンがシカゴ・ブルズの一員としてチャンピオンになるとは、夢にも思わなかったですね。

翌1991-92シーズン。

ロッドマンの1試合平均リバウンド数は18.7!!

初めてNBAのリバウンド王となります

ちなみに2021―22シーズンのリバウンド王は身長216cmのルディ・ゴベア(当時ユタ・ジャズ)。

1試合平均14.7リバウンドで、ゴベアにとって自己最高の記録です。

201cmのロッドマンが記録した18.7リバウンドがいかに驚異的かお判りでしょうか?

ロッドマンが能力を覚醒させていく中、次第にピストンズは勢いを失っていきます。

1991―92シーズン、プレイオフ1回戦でニューヨークニックスに2勝3敗で敗退し、ヘッド・コーチのチャック・デイリーは、チームを去ることを決意しました。

1992-93シーズン、チャック・デイリーが辞任したピストンズは、40勝42敗で負け越し、バッドボーイズは崩壊していきます。

ロッドマンは、父と慕うチャック・デイリーを失い、また、離婚を経験し愛する家族と離れ離れになったことも重なり、精神的に不安定な状態におちいります。

ある晩、ロッドマンはライフルを持ってトラックの中にいるところを発見されたのです。

後に「自分の中のもう一人の自分撃ち殺して生まれ変わった」と語っていますが、衝動的に引き金を引かなくて本当によかったと思いますね。

精神的に不安定となりながらも、この年(1992-93シーズン)も1試合平均リバウンド数は18.3と高いレベルを維持し、2年連続リバウンド王

確かな実力は見せつけました。

しかし、チームに不信感をもつ、精神的に不安定なロッドマンの扱いに困ったフロントは、ついにトレードでの放出を決定したのです。

サンアントニオ・スパーズ時代

移籍したのは、提督デビッド・ロビンソン擁するサンアントニオ・スパーズ

ウエスタン・カンファレンスの強豪でした。

1993-94シーズン開幕戦、NHKの衛星放送を見て、大学生だったわたくしリトルは度肝を抜かれます。

ロッドマンの頭が金ピカの金髪になっていたのです。

当時流行っていた映画「デモリッションマン」で、ウェズリー・スナイプスが演じた20世紀最大の犯罪者フェニックスにそっくりな金髪姿は、激しいリバウンドや執拗なディフェンスとあいまって、観る者を熱狂させました。

この年、ロッドマンは1試合平均17.3リバウンド3年連続のリバウンド王を獲得。

チームのエースであるデビッド・ロビンソンは1試合平均得点29.8点で得点王を獲得。

チームも55勝27敗と第4シードでプレイオフに進むものの、1回戦でユタ・ジャズに敗れます。

ロッドマンは、勝利のかかった場面で消極的になるロビンソンへの不満を隠そうとしませんでした。

髪の毛の色を様々に変化させ、全身のタトゥーは次第に増えていき、数々の奇行が話題になるロッドマン。

海軍士官学校を卒業し、海軍士官として2年間の軍役も行った、規律正しい真面目なロビンソン。

二人のスターは、まさに水と油でした。

翌1994-95シーズン、スパーズはNBA全体1位の62勝20敗を記録。

エースのデビッド・ロビンソンはレギュラーシーズンMVPを獲得します。

ロッドマンも1試合平均16.8リバウンド4年連続のリバウンド王を獲得。

しかし、この年ロッドマンは数々の問題を起こします。

バイク事故で肩を負傷し欠場

チームのイベントや練習に遅刻して出場停止

ヘッドコーチのボブ・ヒルに氷の入った袋を投げつける

カンファレンスセミファイナルの対レイカーズ第3戦タイムアウトの際、靴を脱いで話し合いに参加せず

結局、トップシードでプレイオフに進んだものの、カンファレンスファイナルで、この年優勝するヒューストン・ロケッツに敗れ去りました。

スパーズのフロントは、確かな実力がありながらも数々の問題を起こし、チームのエースであるロビンソンへの不満をあらわにするロッドマンに見切りをつけます。

その結果ブルズの前髪フーフー男、ウィル・パデューとの超不釣り合いトレードで、宿敵ブルズの一員となるのです。

シカゴ・ブルズ時代

まさか、あのロッドマンがジョーダンやピッペンと一緒に戦うとは!

当時働いていた職場に出勤した際、全然NBAに興味がない同僚から、「なんか派手で悪いのがブルズに行ったって?」と言われ、初めてトレードを知ったのを思い出します。

フィル・ジャクソンから、「ブルズに加わるならまずピッペンに謝れ。」と言われ、素直に謝ったのは有名な話です。

例の〝観客席まで突き飛ばし事件″のことですね。

1995年3月、野球に挑戦していたマイケル・ジョーダンが復帰したものの、シカゴ・ブルズはプレーオフでオーランド・マジックに敗退。

1995-96シーズンになんとしてもチャンピオンに返り咲きたいブルズのフロントは、チームにデニス・ロッドマンという劇薬を注入したのです。

ブルズの代名詞となっている、複雑なトライアングルオフェンスを理解できるのかとの周囲の心配をよそに、ロッドマンは誰よりも早くシステムをマスターし、ブルズ最後のピースとして躍動します。

チームは、当時歴代最高の72勝10敗(現在の記録はゴールデンステイト・ウォリアーズが2015-16シーズンに記録した73勝9敗)の記録を打ち立てました。

記録だけでなく、その人気も凄まじく、ジョーダン、ピッペン、ロッドマンのトリオは社会現象を巻き起こします。

特に、ロッドマンの人気は「ロドマニア」と呼ばれる熱狂的なファン集団を生み出すほどでした。

数試合おきに髪の色を変え、自由気ままな言動で世間を騒がせ、プレーでは激しいリバウンドと相手のエースを抑え込むディフェンス、熱い闘志でファンの目をくぎ付けに。

バスケの世界で、「ディフェンスをかっこいいもの」にしたのは、間違いなくロッドマンの功績だと思います。

シカゴ・ブルズは1995-96シーズンから3連覇を果たします。

1996ファイナル  対シアトル・スーパーソニックス 4勝2敗  MVPマイケル・ジョーダン

1997ファイナル  対ユタ・ジャズ         4勝2敗  MVPマイケル・ジョーダン

1998ファイナル  対ユタ・ジャズ         4勝2敗  MVPマイケル・ジョーダン

もちろん、チームのエースはマイケル・ジョーダンでしたが、後期3ピートはロッドマンなくしては、成し遂げられなかったでしょう。

特にユタ・ジャズとのファイナルでの、カール・マローンとの肉弾戦は、感動的ですらありました。

結局ブルズに所属していた3年間も、ロッドマンはすべてリバウンド王になっています。

7年連続リバウンド王は、いまだに破られていないNBA歴代ナンバー1の記録です。

1997-98シーズンのラスト・ダンスの1年で最後の優勝を勝ち取ると、最強ブルズは解散してしまいます。

マイケル・ジョーダンは引退。

スコッティ・ピッペンはヒューストン・ロケッツへ移籍。

デニス・ロッドマンもチームを去り、しばらくどのチームにも属さない期間がありましたが、1999年2月にロサンゼルス・レイカーズと契約

しかし、NBAの世界で再び輝くことはありませんでした。

同年4月に解雇となり、翌年ダラス・マーベリックスと契約するも、シーズン途中で解雇され、NBAを去っていきました。

レギュラーシーズン 生涯で1試合平均7.3得点 13.1リバウンド 1.8アシスト 7年連続リバウンド王

とても201cmしかない選手の記録だとは思えません。

数字以上に大きなインパクトを残し、リバウンドやディフェンスといった人が嫌がるプレー(私も学生時代ディフェンス嫌でした)を、かっこいいものに変えたスーパースター、デニス・ロッドマン。

マイケル・ジョーダンのように7年連続得点王は今後も出てくるかもしれませんが、ロッドマンの7年連続リバウンド王の記録はなかなか破られないのではないでしょうか?

NBA選手の平均身長に近い201cmしかないロッドマンが打ち立てた記録は、とてつもないNBA記録です。

まあ、ジョーダンも野球に挑戦しなければ12年連続得点王をとっていたかもしれませんけどね(実際は得点王10回)。

悪童デニス・ロッドマン バスケの殿堂入り

2011年2月11日、デトロイト・ピストンズはロッドマンのピストンズ在籍時の背番号10を永久欠番とすることを発表します。

そして2011年4月4日、クリス・マリンアルビダス・サボニス(ドマンタス・サボニスの父)などと一緒に、バスケの殿堂入りを果たすのです。

殿堂入りの授与式で、ロッドマンは、ロッドマンらしさを爆発させました。

背中にバスケットボールの柄と、「PISTONS」「BULLS」とラメが入ったド派手なスーツ。

顔にはたくさんのピアス。

プレゼンターのフィル・ジャクソンと抱き合うと、感極まった様子のロッドマンは言葉につまると、なかなか一言目が出ません。

一言目はまさかの「スコッティごめんね」。

祝福に来ていた前年殿堂入りしていたスコッティ・ピッペンに向けた一言でした。

その後多くの人に感謝を述べた後、嗚咽をもらし、言葉に詰まるロッドマン。

発した言葉は、「俺は金のためにプレーしていたんじゃない。有名になるためにプレーしていたわけでもない。ただ、クールでカラフルな人間でいたかっただけだ。」でした。

当時のロッドマンのプレーを思い出すと、とてもしっくりくるロッドマンらしい言葉でしたね。

デビッド・スターンとNBAコミュニティーの皆さんに、このビルの中に入れて下さったことにすら感謝しています。」と爆笑をとることも忘れなかったロッドマン。

その後の感動的なスピーチは、ぜひ動画でご覧ください。

まさかロッドマンのスピーチで涙するとは思いませんでした。

何事にも全力で、自分にウソをつかないロッドマンの、嘘いつわりのない言葉が心に突き刺さりました。

まとめ

デニス・ロッドマンは、わたくしリトルが35年間NBAを観つづけてきた中でも、唯一無二の存在です。

ディフェンスとリバウンドにすべてを注ぎ、研究し、勝利のために全力でプレーする姿。

派手な見た目とは違い、どこまでも純粋、ストイックで真面目なロッドマン。

引退後は、北朝鮮に渡り、金正恩(キム・ジョンウン)総書記と友好関係を築いたり、今回グライナーを救いにロシアに渡ることを決心したり、世界をハラハラさせています。

「ロッドマン大丈夫か?正気ですか??」と心配にもなりますが、周囲の人々の常識なんかロッドマンは屁とも思っていないのでしょう。

自分の信念にしたがい、研究し、全力でトライする。

ロッドマンなら、常識をぶっ壊して世界を変えれるんじゃないか・・・

そんな気も、ちょっとだけするんですよね。

ロッドマンへの思いが強すぎて、ちょっと長くなってしまいました(笑)

それではまた!

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