【歴代低身長選手まとめ】河村勇輝より小さい! マグジー ボイキンス ウェブ

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おおいに盛り上がったパリオリンピック。

NBAで活躍する世界中のスター選手たちのスーパープレーを、思うぞんぶん満喫しました。

今回のパリオリンピックでは、なんといっても日本代表の奮闘に感情をゆさぶられましたね。

八村塁選手、渡邊雄太選手、ジョシュ・ホーキンソン選手らが安定感のあるプレーを見せる中、大爆発したのが河村勇輝選手。

172㎝ 75㎏のひときわ小さな身体で、果敢なドライブと3ポイント、目の覚めるようなアシストをくり出し、日本代表を牽引しました。

残念ながら勝利とはならなかったものの、オリンピック第2戦で河村選手は29得点 7リバウンド 6アシストを記録し、フランス代表をあと一歩のところまで追いつめる活躍をみせています。

パリオリンピックグループリーグ終了時のスタッツランキングで、河村選手は得点とアシストでともに3位に入り、世界中から注目をあつめました。

オリンピック前にはメンフィス・グリズリーズとエグジビット10契約をむすんだ河村選手。

NBAではもっとも身長が低い部類に入る河村選手の活躍を、疑問視するファンが多いのも事実です。

ただ、これまでのNBAの歴史の中では、河村選手より背が低くても、印象に残る活躍をみせた選手たちがいます。

今回は河村選手よりも背が低くても、NBAの世界で活躍した選手たちを語ります。

目次

NBA歴代低身長ランキング

まずは歴代のNBA低身長ランキングを発表します。

河村選手の身長172㎝よりも低い5フィート7インチ(170.18㎝)登録の選手までをあげています。

NBA歴代低身長ランキング
1位:160㎝
   マグジー・ボーグス
   (1987-2001) 
2位:165cm
   アール・ボイキンス
(1999-2012)
3位:168㎝
   スパッド・ウエッブ
   (1985-1998)
4位:170㎝
   グレッグ・グラント
   (1989-96)
   キース・ジェニングス
   (1992-95)

正確にいうと、1940年代の選手や、短期間NBAに所属した選手などはいますが、NBAを35年間観つづけているわたくしリトルが実際に観てきた選手の中でのランキングです。

3人とも思い出深い選手ばかりですね。

やはり特別背が低い選手は、つい応援しちゃいますから。

ちなみに、グレッグ・グラントやキース・ジェニングスがスパッド・ウェブと一緒に紹介されていることがありますが、スパッド・ウェブが「5フィート6インチ登録」であるのに対し、グレッグ・グラントやキース・ジェニングスは「5フィート7インチ登録」です。

今回は特に思い入れの強い、3人の選手を語っていきます。

低身長選手1位 マグジー・ボーグス 160㎝

マグジー・ボーグス スタッツ
通算(1987-2001)
889試合出場(556試合先発出場)
7.7得点 2.6リバウンド 7.6アシスト FG45.8% FT82.7%

ベストシーズン(1993-94)
77試合出場(全試合先発出場)
10.8得点 4.1リバウンド 10.1アシスト FG47.1% FT80.6%

身長が低いNBA選手のレジェンド、マグジー・ボーグス。

本名はタイロン・ボーグスなんですが、いつのまにかニックネームの〝マグジー″の方が、有名になっちゃいました。

アービン・〝マジック″・ジョンソンと同じパターンですね。

ちなみに〝マグジー″は、昔のドラマ(バワリー・ボーイズ)に出てくるキャラクター。

子供の頃のボーグスが似ていたから名付けられたそうです。

バスケでスティールが上手かったことから、「MUG(奪う)」もかけているようですね。

シャレてます。

マグジー ルーキーシーズン

マグジー・ボーグスは160㎝に満たない身長ながら、ウェイクフォレスト大学のポイントガードとして大活躍しました。

ウェイクフォレスト大学でつけていた背番号14は永久欠番になっています。

1987年のNBAドラフト1巡目全体12位でワシントン・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)に指名されたのですが・・・。

当時160㎝のマグジーを指名したブレッツは、多くの批判をあびました。

ブレッツには当時NBA歴代最高身長、231㎝のマヌート・ボルが所属していたため、最高身長と最低身長の選手のコンビで話題になるよう、マグジーを指名したと噂がひろがったのです。

https://twitter.com/washwizardsjp/status/1390936010993770501
有名なボルとマグジーの宣材写真

この写真は当時の月刊バスケットボールでみましたねえ。

231㎝と160㎝、71㎝差ですから、そりゃあ面白い写真が撮れますよね。

マグジーの表情が微妙な感じですが、気のせいでしょうか。

ルーキーシーズンのマグジーは、79試合に出場し、先発出場は14試合。

平均20.6分の出場で、5.0得点 1.7リバウンド 5.1アシスト 1.6スティールを記録しました。

出場時間に比較して、5.1アシストと1.6スティールはすばらしいスタッツですね。

平均スティールはチームトップでした。

ただしシュート成功率は39.0%とかなり苦戦したのも事実です。

ちなみにこの時代、3ポイントシュートは今ほど重要視されていませんでしたから、マグジーもほとんど打つことはなく、1試合平均0.2本試投し、成功率は18.8%でした。

マグジー シャーロットの英雄になる

ルーキーシーズンを終えたところで、マグジーの人生を大きく変える運命のドラフトが行われました。

この年NBAに新たに加わった、マイアミ・ヒートとシャーロット・ホーネッツによるエクスパンションドラフトです。

NBAの各チームがプロテクトしなかった選手の中から、ヒートとホーネッツが選手を指名するエクスパンションドラフトで、マグジーはホーネッツに指名されました。

同じドラフトでステフィン・カリーの父、デル・カリーも指名され、ホーネッツに加わっています。

マグジーがシャーロット・ホーネッツに移籍して1年目は、プレータイムをあまりもらえなかったものの、2年目の1989-90シーズンには65試合で先発出場(81試合出場)。

平均得点は9.4得点、アシストは10.7とトップポイントガードなみのスタッツを残しました。

ちなみに1989-90シーズンのアシストランキングをみてみると・・・

1989-90アシストランキング
1位 ジョン・ストックトン 14.5
2位 マジック・ジョンソン 11.5
3位 ケビン・ジョンソン  11.4
4位 マグジー・ボーグス  10.7

やばいメンツがならんでいます(笑)。

ストックトンものすごいですね。

160㎝の選手が、歴史に名を残す選手たちと対等に戦っていたんですから、当時のホーネッツファンが熱狂したのもおわかりいただけるでしょう。

ホーネッツはチーム創設2年目、19勝63敗と大きく負け越していましたが、マグジーの人気はすさまじいものでした。

マグジーの武器は圧倒的なスピード。

160㎝ながら筋骨隆々なマグジーは、爆発的な瞬発力から一気にトップスピードにのり、地をはうようなドリブルで相手ディフェンダーを抜き去っていきました。

ディフェンスでもそのスピードは相手の脅威となっていましたね。

常にトップスピードで先回りし、下からプレッシャーをかけ続けてくるマグジーは、史上最強の平面ディフェンダーでした。

絶対に相手にしたくないディフェンダーです(笑)。

バスケットボールIQも高く、強いリーダーシップももつマグジーは、シャーロット・ホーネッツの象徴となっていきました。

ホーネッツは1990年のNBAドラフトでケンドール・ギル、91年にラリー・ジョンソン、92年にアロンゾ・モーニングを獲得し、急激に強くなっていきます。

「フューチャーブルズ(未来のブルズ)」と言われたホーネッツの中で、マグジーはチームキャプテンとして、若い選手たちをまとめていきました。

1992-93シーズン、マグジーは10.0得点 3.7リバウンド 8.8アシストを記録。

ホーネッツは44勝38敗を記録し、球団創設以来はじめてのプレーオフにすすむと、1stラウンドでボストン・セルティックスを3勝1敗でたおす大金星をあげました。

カンファレンスセミファイナルではニューヨーク・ニックスに1勝4敗で敗れましたが、プレーオフで全試合に先発出場したマグジーの活躍は、全米を驚かせました。

翌1993-94シーズン、マグジーは自己最高のシーズンを過ごします。

77試合にすべて先発出場すると、平均10.8得点 4.1リバウンド 10.1アシスト FG47.1% 1.7スティールを記録。

残念ながらチームは41勝41敗でおしくもプレーオフに進めなかったものの、シーズンダブルダブルを記録し、ホーネッツの司令塔として、キャプテンとして、チームを牽引しました。

160㎝とNBAの歴史で圧倒的に背が低い選手が、平均4.1リバウンドを記録していることも驚きです。

ちなみに昨シーズンの八村塁選手の平均リバウンドは4.3です。

マグジーのすごさがおわかりいただけるでしょう。

マグジーは1994-95シーズン、自己最高の平均11.1得点を記録し、再びホーネッツのプレーオフ進出に貢献したものの(1stラウンド敗退)、翌1995-96シーズンはケガのため6試合にしか出場できませんでした。

1996-97シーズンに復活し、65試合の出場で8.0得点 7.2アシスト 1.3スティールを記録。

ホーネッツはプレーオフに進みましたが、ニューヨーク・ニックスに0勝3敗のスウィープで敗れました。

マグジーは3試合のうち2試合に出場していますが、平均16.0得点 1.5リバウンド 2.5アシストと、スコアラーとして活躍。

特に驚くのは、これまでほとんど打つことのなかった苦手な3ポイントシュートを、7本打って6本成功させていることです。

成功率は驚異の85.7%!

マグジーの新たな可能性を感じさせてくれました。

1997-98シーズン、シャーロット・ホーネッツはボストン・セルティックスからデビッド・ウェズリー(183㎝)をポイントガードに迎え入れると、マグジーをゴールデンステイト・ウォリアーズに放出。

マグジーはウォリアーズでも59試合に出場、うち31試合でスターターとして起用されましたが、平均5.8得点 5.5リバウンドとスタッツは伸びず、身長のデメリットが目立つようになっていきます。

1999-00シーズン開幕前にマグジーはトロント・ラプターズに移籍し、80試合に出場。

35歳になったマグジーは5.1得点 3.7アシストを記録し、1995年に創設したラプターズにとって、初めてのプレーオフ進出に貢献し、翌シーズンに引退しました。

世界最高峰のバスケットボールリーグ、NBAで14シーズンにわたって活躍したマグジー・ボーグス。

圧倒的な身体能力とスピード、バスケットボールIQの高さで160㎝の身長を武器に変え、NBAの歴史に名を残しました。

マグジー・引退後~河村選手へのエール

マグジーは現役引退後、WNBAのシャーロット・スティングのヘッドコーチを務めるなど、指導者の道へすすみます。

自らの経験を言葉で伝えることに秀でたマグジーは、シャーロットの高校でコーチとして指導しながら、2016年には東京都内の中学校を1週間だけ指導。

この1週間の様子を、NHKが「奇跡のレッスン」というタイトルで放送し、大きな反響を呼びました。

当時わたくしリトルも番組を観ましたが、とても感動的だったのを覚えています。

正直「こんなコーチに教えられたかったなあ」と強く感じました。

わたくしリトルは、毎日蹴ったり殴ったりされていましたからねえ・・・。

今後マグジー・ボーグスが再びNBAの舞台に、ヘッドコーチとしてもどってくる日が来るかもしれません。

2024年夏、パリオリンピック。

日本代表の河村勇輝選手が、グループリーグの3試合で平均20.3得点 7.7アシストを記録する大活躍をみせます。

172㎝と小柄な河村選手の大活躍に反応したのが、マグジーでした。

「この若者のプレーを見るのが大好きだ」とエールをおくったのです。

河村選手の果敢にゴールに突き進むドライブ、圧倒的な運動量で相手にプレッシャーをかけるディフェンスは、まさにマグジーのプレーをみているかのようです。

NBAを35年間観つづけてきたわたくしリトルもマグジーの言葉にグッときてしまいました。

河村選手には、マグジーのように、NBAの世界で存分に暴れてほしいですね。

「シャーロット市長選に立候補したら、当選まちがいなし」と言われるほど、地元で絶大な人気をほこるマグジー。

彼をこえる低身長選手は、今後現れるのでしょうか?

低身長選手2位 アール・ボイキンス 165㎝

ダンカンをあざわらうショット

アール・ボイキンス スタッツ
通算(1998-2012)
652試合出場(34試合先発出場)
8.9得点 1.3リバウンド 3.2アシスト FG41.7% 3P34.8 FT87.6%

ベストシーズン(2006-07)
66試合出場(23試合先発出場)
14.6得点 2.1リバウンド 4.4アシスト FG42.0% 3P39.7%
FT89.8%

身長165㎝のスコアラー、アール・ボイキンス。

圧倒的なスピードとテクニック、そしてシュート力を武器に、165㎝の身長ながら13シーズンにわたってNBAの世界で活躍をつづけました。

とにかく点をとることに関しては、天才的だったイメージがあります。

マグジー・ボーグスが、強烈なリーダーシップと激しいディフェンス、ゲームを読むバスケIQの高さを武器に戦うチームプレイヤーだったのに対し、ボイキンスは個の得点能力のみで勝負するインスタントスコアラーでした。

今でいうと、ユタ・ジャズのジョーダン・クラークソンのようなスタイルですね。

ディフェンスで大きな穴になることがわかっていながらも、得点が欲しい時には頼りになる、そんな選手でした。

ボイキンス NBAデビュー

イースタンミシガン大学4年時に平均27.5得点 5.1アシストを記録し注目されたボイキンスでしたが、NBAドラフトで指名されることはありませんでした。

当時NBAの下部組織だったCBAでプレーした後、1999年1月21日、ニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)と10日間契約をむすび、ボイキンスは夢のNBA入りを果たします。

ネッツでの出場は5試合のみだったものの、その後クリーブランド・キャバリアーズと契約し、ルーキーシーズンは22試合に出場。

その後も短期契約でチームを転々としながら、NBAでのキャリアを積み重ねていきました。

ボイキンス デンバー・ナゲッツでのブレイク

ボイキンスが一気にブレイクをはたしたのが、NBA6シーズン目。

2003-04シーズン開幕前、デンバー・ナゲッツに加入したボイキンスは、82試合全試合に出場。

平均10.2得点、1.7リバウンド 3.6アシストを記録し、6thマン・オブ・ザ・イヤーの投票で、5位の票を獲得します。

ボイキンスは小さな選手の中では珍しい、スピードよりもテクニックで勝負するプレイヤーでした。

当時のナゲッツは、ルーキーでエースのカーメロ・アンソニー、センターのマーカス・キャンビー、堅実なポイントガードのアンドレ・ミラーなど、実力者がそろったチーム。

ベンチからボイキンスが出てくると「どうやって点を取ってくるんだ?」とワクワクしたものです。

特にボイキンスが輝いたのが、プレーオフ。

2003-04シーズン、ナゲッツは第8シードでプレーオフに進むと、ウエスタンカンファレンス第1シード、ケビン・ガーネット、サム・キャセール、ラトレル・スプリーウェルがそろうミネソタ・ティンバーウルブズと対戦。

1勝4敗で敗れるのですが、初めてのプレーオフで、小さな小さなスコアラーは躍動します。

ボイキンスは全5試合にベンチから出場し、平均13.4得点 2.4リバウンド 3.8アシストを記録。

エースのカーメロが平均15.0得点と、プレーオフの激しいプレッシャーに苦しむ中、ボイキンスの得点力は大きな助けとなりました。

ボイキンスはナゲッツでフルシーズンを過ごした2003~2006年の3シーズンで、平均11.7得点1.6リバウンド 4.0アシスト FG41.4% 3P33.5% FT89.7%を記録。

わたくしリトルがボイキンスについて思い出すのは「フリースロー落とさんなあ」といつも感心していたことです。

大事な場面でも、いつも淡々とフリースローを沈めていた印象があります。

ボイキンス ミルウォーキー・バックスでの活躍

2006-07シーズン、ナゲッツで自己最高のシーズンを過ごしていたボイキンスの運命を変えるトレードが行われました。

トレード内容をまとめると・・・

デンバーナゲッツ獲得
アレン・アイバーソン


フィラデルフィア・76ers獲得
アンドレ・ミラー
ジョー・スミス
2007年ドラフト1巡目指名権×2

フィラデルフィア・76ersで4度のNBA得点王に輝いたスーパースター、アレン・アイバーソンを、カーメロ・アンソニーの相棒として獲得したのです。

史上最低身長(183cm)のドラフト全体1位指名選手、アレン・アイバーソンは、低身長スコアラー究極の存在です。

ボイキンスとアイバーソンは数試合同時にプレーし、息の合ったコンビプレーをみせて、ファンをワクワクさせてくれたのですが、やはりディフェンスのリスクは高く、ボイキンスはミルウォーキー・バックスへと放出されてしまいました。

バックスでも好調を維持し、1試合36得点を2度記録するなど、大活躍をみせたボイキンス。

激動の2006-07シーズン、ボイキンスのスタッツをまとめると・・・

デンバーナゲッツ(31試合出場 4試合先発)
15.2得点 2.0リバウンド 4.3アシスト
FG41.3% 3P37.3% FT90.8%


ミルウォーキー・バックス(35試合出場 19試合先発)
14.0得点 2.2リバウンド 4.5アシスト
FG42.7% 3P41.9% FT88.6%

とても165cmのプレイヤーの残したスタッツとは思えませんね。

当時ひときわ小さなボイキンスが、2mを超える大男をスピードとテクニックで翻弄する姿は、よくハイライトで流されていました。

上にあるYoutubeの動画は、〝史上最高のパワーフォワード″とも呼ばれる211㎝のティム・ダンカンを、165㎝のアール・ボイキンスが翻弄するものです。

まさにチンチンにしています。

ボイキンス キャリアの終焉

ただ、ボイキンスがNBAの世界で輝いたのは、このシーズンまででした。

シーズン終了後にFA(フリーエージェント)となったボイキンスでしたが、ディフェンス面を危惧され、なかなか獲得するチームは現れず。

シーズンなかばに、ようやくシャーロット・ボブキャッツ(現シャーロット・ホーネッツ)と契約したボイキンスでしたが、バックスで平均30.8分与えられていたプレータイムは16.0分になり、平均得点は5.1得点まで下降してしまいました。

翌シーズンはイタリアのチームでプレーしたボイキンス。

その後NBAに復帰し、3シーズンを過ごしたのち、引退しています。

当時平均身長が2mにおよぶ世界最高峰のバスケットボールリーグ、NBAの世界で、165㎝ 60㎏しかないボイキンスが、スコアラーとして活躍した事実は、今思い返しても信じられません。

30得点以上をあげた最も小さなNBA選手、アール・ボイキンス。

彼の記録をやぶる選手は、今後現れるのでしょうか?

低身長選手3位 スパッド・ウェブ 168㎝

スパッド・ウェブ スタッツ
通算(1985-98)
814試合出場(429試合先発出場)
9.9得点 2.1リバウンド 5.3アシスト FG45.2% 3P36.7% FT84.8%

ベストシーズン(1991-92)
77試合出場(全試合先発出場)
16.0得点 2.9リバウンド 7.1アシスト FG44.5% 3P36.7%
FT85.9%

NBAのオールドファンが、背の低い選手と言われて一番に思いだすのが、このスパッド・ウェブ選手ではないでしょうか。

なんといっても、当時ランバードのバスケットボールシューズのコマーシャルに出ていましたから。

CMでバックダンクを決めるウェブ。

「小さかったら、高くとべ」のキャッチコピーは、説得力のあるものでした。

ウェブの一番の特徴は、CMでもフィーチャーされた〝ダンクシュート″。

上の動画をみていただければわかると思いますが、168cmしかないウェブが、NBAの試合の中で、当たり前にダンクをかましています(笑)。

ウェブの当時の垂直とびの記録は、驚異の117㎝。

なんといってもNBA2年目の1986年には、NBAオールスターのスラムダンクコンテストで、同僚のドミニク・ウィルキンスをやぶって優勝していますからね。

ダンカーとしての実力は本物です。

これまで多くの名場面が誕生してきたスラムダンクコンテストですが、170㎝に満たない選手が優勝することは、もう2度とないのかもしれません。

ウェブ アトランタ・ホークスでのブレイク

スパッド・ウェブはノースカロライナ州立大学で活躍した後、1985年のNBAドラフト4巡目87位でデトロイト・ピストンズに指名され、NBA入りしました。

開幕前にアトランタ・ホークス入りしたウェブは、ルーキーシーズン79試合に出場(うち先発8試合)し、7.8得点 1.6リバウンド 4.3アシストを記録し、新人王の投票で4位の票を集めます。

ちなみにこの年(1986年)の新人王は、ニューヨーク・ニックスのパトリック・ユーイングでした。

2年目にスラムダンクチャンピオンとなり、一気に注目を集めましたが、プレータイムはなかなか伸びず。

なかなかチャンスをつかめなかったウェブの転機となったのは、NBA5年目の1989-90シーズンでした。

この年ウェブは82試合すべてに出場し、46試合に先発出場。

アトランタ・ホークス不動の先発ポイントガード、ドック・リバース(現ミルウォーキー・バックスヘッドコーチ)のケガによる欠場の穴を埋める活躍をみせたのです。

1989-90シーズン、ウェブのスタッツは、平均9.2得点 2.5リバウンド 5.8アシスト。

前年の3.9得点 1.5リバウンド 3.5アシストから大きくスタッツを伸ばしています。

翌1990-91シーズンには出場した75試合のうち64試合で先発出場。

ドック・リバースが復帰したあともガードコンビを形成し、さらに存在感をましていきました。

平均得点は自信初の2ケタとなる13.4得点。

最も成長した選手に贈られるMIPの投票で、8位の票をあつめました。

ウェブ サクラメント・キングスでの活躍

翌シーズンはサクラメント・キングスに移籍し、出場した77試合すべてで先発出場。

自己最高となる平均16.0得点 2.9リバウンド 7.1アシストと、トップポイントガードなみのスタッツを残しています。

4シーズンにわたってキングスの主力として活躍したウェブのスタッツをまとめると・・・

1991-92 77試合出場(全試合先発出場)
16.0得点 2.9リバウンド 7.1アシスト 1.6スティール
FG44.5% 3P36.7% FT85.9%


1992-93 69試合出場(68試合先発出場)
14.5得点 2.8リバウンド 7.0アシスト 1.5スティール
FG43.3% 3P27.4% FT85.1%


1993-94 79試合出場(62試合先発出場)
12.7得点 2.8リバウンド 6.7アシスト 1.2スティール
FG46.0% 3P33.5% FT81.3%


1994-95 76試合出場(全試合先発出場)
11.6得点 2.3リバウンド 6.2アシスト 1.0スティール
FG43.8% 3P33.1% FT93.4%  

平均身長2mの中で168㎝の選手が残したスタッツとは思えませんね。

入団した年をピークに、やや成績を落としていますが、最後のシーズンとなった1994-95シーズンでも出場した全試合で先発出場し、2ケタ得点を残しています。

1994-95シーズンのフリースロー成功率93.4%は、NBA全体でトップの成功率でした。

ウェブ キャリアの終焉

キングスの4シーズンを終えると、ウェブは再びアトランタ・ホークスに移籍しますが、ドミニク・ウィルキンスやドック・リバースがいなくなったチームで思うような活躍をみせることはできず。

シーズン終盤にミネソタ・ティンバーウルブズにうつり、再び先発ポイントガードとして起用され、9.4得点 5.4アシストとまずまずのスタッツを残したものの、シーズン終了後に放出されました。

ディフェンスで大きな穴となる168cmの選手は〝まずまず″の活躍では認められないのです。

1996-97シーズンはイタリアリーグでプレー(低身長選手はイタリアが好きですねえ)。

1997-98シーズン、オーランド・マジックで4試合のみプレーし、ウェブはNBAのコートを去っていきました。

165㎝のスコアリングポイントガードは、13シーズンにもわたり、プロバスケットボール選手として、世界中のファンを驚かせてきました。

NBAの世界で、168㎝のウェブが果敢にダンクをねらうすがたは、多くのこどもたちに夢と希望をあたえました。

わたくしリトルもその中の一人です。

ウェブのCMをみてランバードのバッシューを買い、必死にスクワットをくり返し、ダンクに挑戦をつづけました。

小学校のリングでしか成功しませんでしたが(笑)。

マグジーの強烈なリーダーシップや、ボイキンスの圧倒的なオフェンススキルも魅力的ですが、ウェブのダンクには強烈に興奮したのをおぼえています。

やはり自分が高校生、大学生のときに活躍していた選手への思い入れは、特別ですからね。

今回記事を書いてみて、思わず当時のウェブのプレーをYouTubeであさってしまい、メチャメチャ時間がかかってしまいました。

168㎝のダンク王は、NBAの世界にとてつもない大きな足跡をのこしています。

まとめ

今回は、NBAの世界で活躍した、河村勇輝選手よりも小さな3人の選手について語りました。

強烈なリーダーシップを発揮し、シャーロットの英雄として語り継がれているマグジー・ボーグス。

圧倒的なスキルとシュート力で、身長のハンデを克服したスコアラー、アール・ボイキンス。

世界一小さなスラムダンカーとして活躍し、子供たちに夢を与えたスパッド・ウェブ。

3人とも強烈な光を放ち、NBAの歴史にしっかりとその名を刻んでいます。

ちょうど今回の記事を書き終わるタイミングで、メンフィス・グリズリーズが河村勇輝選手と契約をむすんだと発表しました。

詳細はまだわかりませんが、2way契約であれば、十分に試合に出る可能性はありますね。

河村選手が高校生のころから応援してきたおじさんとしては、本当に震えるほどうれしいニュースです。

172㎝ 75㎏と、現在のNBAの中では最も小さな選手になる河村選手ですが、能力的には十分通用すると思います。

今回とりあげた3人のレジェンドのように、自分の強みを存分に発揮し、NBAの世界で存分に暴れてほしいですね。

がんばれ、河村勇輝選手!

全身全霊で応援しますよ!!

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