雨の日にはく通勤靴がなくて、VANSのスリッポンを購入し、満足しているリトルです。
ドラフトで指名された有望選手やNBAを目指す選手の登竜門、サマーリーグで優勝した、ポートランド・トレイルブレイザーズ。
前回はクライド・ドレクスラー時代の最強ブレイザーズが、ピストンズとブルズに挑んだ2回のファイナルについて語りました。
第2弾の今回は、ドレクスラー時代の終焉~レイカーズとの死闘~ジェイルブレイザーズ について主に語っていきたいと思います。
ドレクスラー時代の終焉
3年間で2度ファイナルに出場しながら優勝に届かなかったブレイザーズは、徐々に勢いを失っていきます。
ファイナルに進んだ翌年1992-93シーズンは51勝31敗と好成績を収めるものの、プレイオフでは1回戦敗退。
1993-94シーズンは47勝35敗で、やはり1回戦敗退。
ブレイザーズはついに再建に舵を切ります。
迎えた1994-95シーズン途中の95年2月14日、不動のエースとしてチームを支えてきたドレクスラーを、ヒューストン・ロケッツに放出。
後にドレクスラーは、この時のトレードについて、「私がポートランドを離れた唯一の理由。それはあのチームが再建を始めたからだった。」と語っています。
本当はポートランドで選手生活を終えたいと思っていたドレクスラーでしたが、自身の膝のケガもあり、自分の居場所がここにはないと感じたのでしょう。
しかし、ドレクスラーは大学時代のチームメイト、アキーム・オラジュワンとともに、ロケッツで優勝リングを勝ち取るのですから、人生何が起こるか、そしてどの道が正しい道なのかわかりませんね。
ドレクスラーを失ったブレイザーズは、より地味なチームとなりました。
ポール・アレンオーナーの超豪華補強
しかし、地味で強いチームであるブレイザーズは、その後もなんだかんだでプレイオフには進出し続けます。
シカゴ・ブルズが2度目の3連覇を達成し、チーム解体、ジョーダン引退となった1998-99シーズン。
NBAはロックアウトの影響で、82試合→50試合の短縮シーズンとなります。
この1998-99の短縮シーズンで、ブレイザーズは35勝15敗、ドレクスラー在籍時以来の勝率7割とし、ウエスタンカンファレンス全体3位と復活ののろしを上げました。
アイザイア・ライダー、ラシード・ウォーレス、デイモン・スタウダマイアーら若くて勢いのあるチーム。
ヘッドコーチのマイク・ダンリービー・シニアは、この年最優秀コーチを受賞しています。
ブレイザーズはプレイオフでカンファレンスファイナルまで進みますが、この年優勝するサンアントニオ・スパーズに0勝4敗とスウィープされてしまいました。
シーズン終了後、久しぶりのプレイオフでの躍進に、立ち上がったのはオーナーのポール・アレン。
1988年にトレイルブレイザーズのオーナーとなったアレンは、ビル・ゲイツと共同でマイクロソフト社を立ち上げた億万長者でした。
シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)からPFデトレフ・シュレンプを獲得。
そして、前年のチーム得点リーダーだったが、素行の悪さで問題となっていたアイザイア・ライダーとジム・ジャクソンをトレードでアトランタ・ホークスへ放出し、オールスター経験もありホークスの中心選手であったスティーブ・スミスを獲得しました。
ちなみに、アトランタに移ったライダーは、人気者であったスミスとのトレードだったためファンにとにかく嫌われました。
不貞腐れて余計に問題を起こし、チームを崩壊させるというキングボンビーなみの活躍をみせています。
そして、最大の補強は、スコッティ・ピッペン。
ジョーダンの相棒として6度の優勝を誇るオールラウンダーを獲得するために、ブレイザーズは6人もの選手を差し出しました。
結果として経験豊富なピッペンは、若い選手たちを一つにまとめ、ブレイザーズは優勝候補とみなされるようになります。
有力な選手を集めた結果、ブレイザーズの年俸総額はNBA全体1位の7300万ドル。
ちなみに当時のサラリーキャップは3400万ドルでした。
NBAオーナーの中でも、飛びぬけて資産のあるポール・アレンの、本気のチームづくりでした。
- スコッティ・ピッペン 年俸1470万ドル(リーグ6位)
- ラシード・ウォーレス 年俸1080万ドル(リーグ17位)
- デイモン・スタウダマイアー 年俸1010万ドル(リーグ19位)
- アルビダス・サボニス 年俸981万ドル(リーグ23位)
とにかく言いたいことは、「ピッペンよかったね。」ということです。
ブルズの時は、あまりにも不当な契約で苦しんできましたからね。
スリー・キングス時代のマイアミ・ヒートや、昨年のブルックリン・ネッツなど、スターを金で集めるスーパーチームのはしりではないでしょうか?
最強の敵 ロサンゼルス・レイカーズ
迎えた1999-2000シーズン。
ブレイザーズは59勝23敗、リーグ全体で2位という素晴らしい記録を残します。
リーグ全体1位は、同じウエスタンカンファレンスのロサンゼルス・レイカーズ。
シャキール・オニール、コービー・ブライアント、2人のスーパースターを擁しながら、なかなかファイナルに進めなかったレイカーズは、シーズン前に大胆な補強に動きました。
シカゴ・ブルズを6度の優勝に導いた名将フィル・ジャクソンを招聘したのです。
また、元オールスターのグレン・ライス、ブルズで3回の優勝経験をもつロン・ハーパー、同じくブルズで前期の3ピートに貢献したホーレス・グラントなど、経験豊富なベテランも加え、万全な体制をとります。
レイカーズは67勝15敗、勝率8割超えの驚異的な記録を残し、圧倒的な優勝候補としてプレイオフに進みました。
1999-00 カンファレンスファイナル レイカーズとの死闘
ブレイザーズは1回戦でミネソタ・ティンバーウルブズを3勝1敗で倒すと、カンファレンスセミファイナルではユタ・ジャズを4勝1敗で一蹴し、カンファレンスファイナルにたどり着きます。
一方のレイカーズは、1回戦から予想外の苦戦をしいられます。
1990―00シーズンの開幕戦を日本で戦った、ウエスタンカンファレンス8位のサクラメント・キングス相手に、最終戦までもつれこみ、3勝2敗で辛くも勝ち上がります。
カンファレンスセミファイナルでは、ジェイソン・キッドをケガで欠くフェニックス・サンズを4勝1敗で下し、レイカーズもカンファレンスファイナルの舞台にのぼりました。
第1戦は、ラシード・ウォーレスがテクニカルファウルで退場し、ブレイザーズが自滅し、レイカーズが勝利。
第2戦はレイカーズの本拠地でありながら、ブレイザーズが106対77と圧勝。
第3戦、4戦はポートランドの本拠地でありながら、レイカーズが連勝。
第5戦、6戦はブレイザーズが意地を見せ連勝。
ゲームは運命の最終第7戦へ。
第7戦は、ブレイザーズのペースで進みます。
第4クオーターに入っても、ブレイザーズが15点のリード。
ディフェンスが固く、オフェンスもタレント揃いのブレイザーズが、このままファイナルへ進むのかと思いました。
しかし、ここからブレイザーズのシュートはことごとくリングに嫌われ、なんと13本連続ミス。
タレント揃いで、どこからもシュートを決められると言われていたブレイザーズには、いざという時頼りになる絶対的なエースがいませんでした。
コービー、シャックという2大エースと、ロバート・オーリー、ロン・ハーパー、ブライアン・ショウなど経験豊富なメンバーを擁するレイカーズは確実に得点を重ねます。
結局84対89と、ブレイザーズはまさかの逆転負けを喫し、ファイナルへ辿り着くことはありませんでした。
残り43.1秒で決まったコービーからシャックへのアリウープは、今でもハイライトフィルムとして、よく取り上げられていますね。
どうしても次のシーズンこそレイカーズを倒し、優勝をしたいと選手以上に燃えるオーナー、ポール・アレン。
ファイナルが終わり、2000―01シーズンが始まるまでに、またも積極的な補強を行います。
元スーパースターでありながら、体重増加問題で評価を落としていたショーン・ケンプ、ファイナルの対戦、固いディフェンスでシャックを苦しめていたインディアナ・ペイサーズのデイル・デイビスを獲得。
打倒レイカーズのために、年俸の総額は8700万ドルに達します。
この年のサラリーキャップは3550万ドル、レイカーズの年俸総額は5900万ドルでした。
しかし2000―01シーズン、ブレイザーズは50勝32敗と、ポール・アレンの期待通りとはいかず、ウエスタンカンファレンス7位でプレイオフに突入。
運命のいたずらか、1回戦の相手は宿敵レイカーズ。
結果は0勝3敗のスウィープで、あっさりとレイカーズが勝利しました。
昨年まで、打倒レイカーズの1番手とみられていたブレイザーズは勢いを失い、クリス・ウェバーを中心としたサクラメント・キングスにその座を奪われてしまうことになります。
2001―2002シーズンには、選手のサラリーはさらに高騰。
- スコッティ・ピッペン 年俸1970万ドル(リーグ7位)
- ラシード・ウォーレス 年俸1620万ドル(リーグ8位)
- ショーン・ケンプ 年俸1260万ドル(リーグ13位)
- デイモン・スタウダマイアー 年俸1237万ドル(リーグ14位)
総年俸は1億ドルを超えました。
しかし2001-02シーズン49勝33敗の6位。
プレイオフには6位で進みますが、1回戦でまたもレイカーズにスウィープで敗退。
そして2002―03シーズンに、50勝32敗の6位でプレイオフに進み1回戦でダラス・マーベリックスに敗れると、プレイオフに21年間連続出場していた記録はここで途切れます。
いつしかブレイザーズには、コート外の問題が山積みとなり、「ジェイル(刑務所)・ブレイザーズ」と呼ばれるチームになっていました。
コート外でのバッドボーイズ 「ジェイル・ブレイザーズ」
ブレイザーズの選手は、次々と事件を起こします。
まずは、エース格のラシード・ウォーレスは、コートの内外で大暴れします。
コート内では、テクニカルファウル王となり、2000―01シーズンに記録した、シーズン41回のテクニカルファウルは、2度と抜かれない記録として、NBAの歴史に燦然と輝いています。
ちなみに2021―22シーズンテクニカルファウルが最も多かったのは、ドワイト・ハワード(レイカーズ)の16個です。
いかにウォーレスの記録が突出しているかお判りいただけるのはないでしょうか?
他にも試合後の会見で、記者から何を聞かれても、「Both Teams played hard(両チームとも全力にプレイした)と返答し続けるという、まるでコントみたいなやりとりで問題になったこともありました。
審判にタオルを投げつけたり、審判を駐車場で待ち伏せして出場停止をくらうなど、気性の粗さをコントロールできない選手でした。
運転中にマリファナを吸っていて逮捕されたこともありました。
マリファナで逮捕と言えば、デイモン・スタウダマイアー。
複数回の逮捕歴のあるスタウダマイアーは、2003年に空港でマリファナ所持と麻薬関連器具の所持で逮捕され、4年間、年間90日のリハビリプログラムと尿検査を行うよう指示されます。
忘れてならないのがザック・ランドルフ。
マリファナでの逮捕はもはや当たり前。
練習中にチームメイトのルーベン・パターソンと乱闘になり眼窩底骨折させ、報復を恐れてデイル・デイビス宅に隠れるなど、ギャングのような事件もありました。
兄弟がナイトクラブで発砲した際は、うその証言をして偽証罪で逮捕。
若く才能のある選手だったランドルフは、素行の悪さから見限られ、トレードに出されます。
まさかその後、メンフィス・グリズリーズで「ザック神」と呼ばれ、チームをまとめる活躍をみせるとは、想像できませんでした。
ちなみに、ザックに殴られ骨折したルーベンパターソンも、自分の子供のベビーシッターをレイプしようとして逮捕されたり、ナイトクラブで暴力行為でつかまったり、飲酒運転でつかまったり・・・。
とにかくどうしようもないチームでした。
ポール・アレン悲しかったろうなあ。
書いていてつらくなります。
ブレイザーズの復活 まとめ
チームを解体し、苦しい時期を過ごしたブレイザーズに光がともったのは、2006年のNBAドラフトでした。
全体2位でパワーフォワードのラマーカス・オルドリッジ、6位でシューティングガードのブランドン・ロイを指名し、ブレイザーズが勢いをとり戻します。
ブランドン・ロイのケガもあり、勢いを失いかけますが、現在もエースを務めるデイミアン・リラードの大活躍もあり、地味で強いブレイザーズのイメージは根付いています。
昨年はリラードのケガもあり、チーム改革に乗り出したブレイザーズ。
元ピストンズのエースで東京オリンピックにも参加したジェレミー・グラントを加え、今年はどんなプレイを見せてくれるのでしょうか?
楽しみに新シーズンを待ちたいと思います。
長々とブレイザーズの歴史を書いてきましたが、どうしようもなかったジェイル・ブレイザーズは、私の周りにも意外とファンが多かったですね。
やはり人は悪に惹かれるのか・・・。
ジェイル・ブレイザーズの世界に引き込まれないよう、自分を律して生きていこうっと。