【歴代ドラフト外選手ベスト10】 リトルが選ぶ歴代最高のドラフト外選手は誰?

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2025-26シーズン開幕から多くのスーパースターが異次元のスタッツを残し、おおいに盛り上がっているNBA。

そんな中、意外な大爆発をみせているのが、ロサンゼルス・レイカーズのオースティン・リーブス。

開幕戦で26得点、2戦目で25得点を記録すると、ドンチッチがケガで離脱した第3戦で衝撃の51得点をあげ、チームを勝利に導きました。

第4戦でも41得点をあげると、第5戦のミネソタ・ティンバーウルブズ戦ではチームを勝利に導くブザービーターを含む28得点を記録。

今シーズンのサプライズプレイヤーとなっているリーブスですが、NBAドラフトでは指名されることがなかったドラフト外選手です。

今回はリーブスと同様にNBAドラフトに指名されることがなかったプレイヤーの中で、誰が歴代ナンバー1なのかを検証していきたいと思います。

レッツラゴー!

目次

NBAドラフト外選手とは

世界最高峰のバスケットリーグNBAは、野球やアメフト、サッカーなど数あるプロスポーツリーグの中でも、もっとも狭き門の厳しいリーグです。

1チームのロスターは15名、2way契約の選手を入れても最大18名しかいません。

30チーム×18名ですから、今この瞬間のNBA選手といえる選手は、世界で540名しかいないのです。

そんな厳しいNBAで毎年行われるNBAドラフトは、2巡目までしか指名がありません。

1年で世界中からわずか60名しか指名されないNBAドラフト。

情報網を駆使し、世界中の有力選手を調べあげ、新しいスターを発掘すべく各チームが指名候補をしぼっていくのですが、当然思い通りに活躍する選手ばかりではなく・・・。

上位指名されたもののまったく活躍できない「バスト」と呼ばれる選手や、2巡目や低順位で指名されたのに予想を裏切るスターとなる「スティール」など、さまざまなドラマが生まれるのが、NBAドラフトなのです。

ただ基本1チーム2名しか指名できない厳しいドラフトですから、当然能力が高くても指名されない有望選手がたくさんいます。

ドラフト指名されなかった選手たちは、サマーリーグに参加したり、Gリーグで異次元の活躍を見せるなどして、自分の能力を証明していくしかありません。

そんな厳しい環境の中から頭角をあらわしたドラフト外選手からは、地味ながら勝利に貢献できるタイプのスターが多数登場しています。

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リトルが選ぶドラフト外NBA選手ベスト10

ここでNBAを37年間観つづけてきたわたくしリトルが、歴代のドラフト外NBA選手ベスト10を発表します。

完全なる独断と偏見ですので、異論はあるかと思いますが、大好きな選手たちばかりですので、ぜひご覧ください。

リトルが選ぶドラフト外NBA選手
10位 ジョー・イングルス
9位 ラジャ・ベル
8位 ダレル・アームストロング
7位 フレッド・バンブリート
6位 ユドニス・ハスレム
5位 ジョン・スタークス
4位 エイブリー・ジョンソン
3位 ブラッド・ミラー
2位 ブルース・ボウエン
1位 ベン・ウォーレス

リトルが選ぶ歴代のドラフト外NBA選手ベスト10、いかがでしょうか?

各選手の実績に、わたくしリトルの思い入れを加味したランキングになっています。

それでは10位から順に各選手の紹介をしていきましょう。

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ドラフト外選手10位 ジョー・イングルス

ジョー・イングルス
2014~現在
203㎝ SF
725試合 7.9得点 3.0リバウンド 3.6アシスト

現在ミネソタ・ティンバーウルブズに所属している38歳の大ベテラン、ジョー・イングルス。

オーストラリア出身のスモールフォワードは、2006年に地元オーストラリアでプロデビュー、2009年からはスペイン、イスラエルなどヨーロッパでプレーし、2014-15シーズンにユタ・ジャズでNBAデビューをはたしました。

4年目の2017-18シーズンに初めてシーズン平均2桁得点(11.5得点)を記録しチームの主力として認められると、2020-21シーズンには平均12.1得点 3.6リバウンド 4.7アシストを記録し、6thマン・オブ・ザ・イヤー投票で、同じユタ・ジャズのジョーダン・クラークソンに次ぐ2位の得票を集めています。

バスケットIQが高く、シュート力も高いサウスポーは、ジャズで過ごした8シーズンで590試合に出場し、8.6得点 3.2リバウンド 3.8アシストを記録。

得意の3ポイントシュートは40.8%の高確率で決め続け、イングルスが記録した3ポイントシュート成功数1071本は、現在もユタ・ジャズのチーム記録となっています。

昨シーズンから所属しているミネソタ・ティンバーウルブズでは出場時間がほとんどないものの、ベテランとして若い選手たちを支えているイングルス。

個人的に大好きな選手なので、今回は第10位に選出しました。

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ドラフト外選手9位 ラジャ・ベル

ラジャ・ベル
2001~2012
196㎝ SG
706試合 9.9得点 2.8リバウンド 1.7アシスト

NBAオールディフェンシブ1stチーム(2007)
NBAオールディフェンシブ2ndチーム(2008)

12シーズンにわたって、ディフェンス力の高いシューティングガードとしてNBAの舞台で活躍をつづけたラジャ・ベル。

2007年にはNBAオールディフェンシブ1stチーム、翌年には2ndチーム入りするなど、NBA屈指のペリメーターディフェンダーとして認められています。

2000-01シーズン終盤にフィラデルフィア・76ersと10日間契約を結びNBAデビューしたラジャ・ベルは、レギュラーシーズン最後の5試合に出場、プレーオフにも出場しラリー・ブラウンHCの信頼を勝ちとると、その年のNBAファイナルでも全5試合に出場。

アレン・アイバーソン中心のチームで、シンデレラボーイとなりました。

76ersで2シーズンを過ごしたのち、ベルはチームを渡り歩き、活躍を続けます。

フェニックス・サンズに所属した2006-07シーズンには、自己最高の平均14.7得点を記録し、オールディフェンシブ1stチーム入りする大活躍。

ベルの活躍もあり、この年サンズはリーグ2位の61勝21敗を記録しています。

翌年もオールディフェンシブ2ndチーム入りするなど、ディフェンス力が武器といわれるベルですが、12シーズンのうち7シーズンで平均2桁得点を記録するなど、攻守にすぐれた万能タイプのシューティングガードでした。

ドラフト外からはいあがり、強豪チームを支えてきたラジャ・ベルは、ランキング8位にふさわしいといえるでしょう。

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ドラフト外選手8位 ダレル・アームストロング

ダレル・アームストロング
1995~2008
185㎝ PG
840試合 9.2得点 2.7リバウンド 4.0アシスト

MIP(1999)
6thマン・オブ・ザ・イヤー(1999)

185㎝と小柄ながら、14シーズンにわたってNBAで活躍を続けた司令塔、ダレル・アームストロング。

NBA史上初めてMIPと6thマン・オブ・ザ・イヤーを同時受賞した選手です。

当時NBA3シーズン目のシャキール・オニールと2年目のアンファニー・ハーダウェイを中心に、イースタンカンファレンスで勝率トップを記録していたオーランド・マジックと、1995年レギュラーシーズン最終盤の4月に10日間契約をむすび、NBAデビューしたアームストロング。

徐々に出場時間を与えられるようになると、シャックがチームから去り、ハーダウェイがケガがちとなり、司令塔として存在感を増していきます。

ロックアウトにより50試合の短縮シーズンとなった1998-99シーズンには全試合に出場し、平均13.8得点 3.6リバウンド 6.7アシスト 2.2スティールを記録。

NBA史上初めてMIP(最も成長した選手に与えられる賞)と6thマン・オブ・ザ・イヤーを同時受賞しました。

オーランド・マジックで9シーズンを過ごしたのち、ニューオリンズ・ペリカンズ、ダラス・マーベリックスなどジャーニーマン化したアームストロングは、2007-08シーズンをニュージャージー・ネッツで過ごし引退。

引退後は、プレイヤー時代に2シーズンを過ごしたダラス・マーベリックスのアシスタントコーチとなり、2011年のNBA制覇に貢献しています。

常に全力プレーでファンからも人気の高かったアームストロングは、まさに「ザ・ドラフト外選手」といえる存在でした。

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ドラフト外選手7位 フレッド・バンブリート

フレッド・バンブリート
2016~現在
183㎝ PG
550試合 14.9得点 3.4リバウンド 5.7アシスト

NBAチャンピオン(2022)
NBAオールスター(2022)

現役選手の中で、ドラフト外選手の代表といえば、やはりフレッド・バンブリートでしょう。

2016年のNBAサマーリーグにトロント・ラプターズの一員として出場し、開幕ロスター入りを勝ちとると、2年目の2017-18シーズンにはベンチから76試合に出場。

平均8.6得点 3.2アシストを記録し、6thマン・オブ・ザ・イヤー投票で3位の得票を集めました。

2018-19シーズンにはトロント・ラプターズの初優勝に大きく貢献。

ウォリアーズと戦ったNBAファイナルでは、ベンチからチーム4位の平均14.0得点を記録し、ラプターズの主力としての地位を確立しました。

2019-20シーズンからは全試合にスターターとして出場し、2022年にはオールスターも出場。

ドラフト外選手ながら、NBAを代表する司令塔として認められました。

2023年の夏にはFA権を獲得し、ヒューストン・ロケッツと3年総額1億3000万ドル(当時約192億円 1㌦=147円)の大型契約を結んでいます。

残念ながら前十字靭帯断裂のため今シーズンは全休となるバンブリートですが、まだまだ全盛期は続くでしょう。

引退時にはこの「歴代ドラフト外選手ランキング」でも、さらに上位にあがってくるでしょうね。

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ドラフト外選手6位 ユドニス・ハスレム

ユドニス・ハスレム
2003~2023
203㎝ PF
879試合 7.5得点 6.6リバウンド 0.8アシスト

NBAチャンピオン×3(2006 12 13)
ヒート永久欠番 40

マイアミで生まれ育ち、20シーズンを故郷のチーム、マイアミ・ヒート一筋で過ごしたレジェンド、ユドニス・ハスレム。

203cmとパワーフォワードとしては小柄ながら、献身的なプレーとディフェンス力で強豪ヒートを支え続け、3度のNBA優勝に大きく貢献しました。

名門フロリダ大学を卒業後、NBAドラフトに挑むもどこからも指名されなかったハスレムは、フランスリーグでのプレーを選択。

フランスでの活躍が認められ、サマーリーグに参加したハスレムは、マイアミ・ヒートとの契約を勝ちとると、1年目の2003-04シーズンから平均7.3得点 6.3リバウンドを記録し、貴重なベンチプレイヤーとして頭角をあらわします。

2年目の2004-05シーズンには先発パワーフォワードに抜擢され、センターのシャキール・オニールとともにヒートのインサイドでインパクトを残し、3年目の2005-06シーズンにはマイアミ・ヒートの初優勝に大きく貢献しました。

その後もヒートの主力としてプレーを続け、ウェイド、ボッシュ、レブロンのビッグ3体制で2012年、13年と連覇をはたした時も、名脇役として存在感をしめします。

3度の優勝をはたしレブロンが去った後、ハスレムは次第に出番が少なくなり、主に若手選手を鼓舞する精神的支柱として、ヒートのベンチで存在感を強めました。

そして2023年4月9日に行われたレギュラーシーズン最終戦。

すでにシーズン終了後の引退を発表していた42歳のハスレムは、オーランド・マジックを相手に3本の3ポイントシュートを含む24得点を記録し、チームの勝利に貢献しました。

常に脇役としてヒートを支えてきたハスレムは、NBA人生最後の試合で、主役として輝いたのです。

1つのチームで20年以上のキャリアを過ごしたのは、NBAの歴史の中でコービー・ブライアントとダーク・ノビツキー、そしてユドニス・ハスレムの3人のみです。

マイアミ・ヒートのレジェンド、ユドニス・ハスレムは、ドラフト外選手の希望の星ですね。

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ドラフト外選手5位 ジョン・スタークス

ジョン・スタークス
1988~2002
196㎝ SG
866試合 12.5得点 2.5リバウンド 3.6アシスト

NBA6thマン・オブ・ザ・イヤー
NBAオールディフェンシブ2ndチーム
NBAオールスター(1994)

わたしたちマイケル・ジョーダン世代のファンからすると、ある意味レジェンドであるジョン・スタークス。

1990年代のニューヨーク・ニックスを語るときには、欠かせない選手です。

マイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズと数々の死闘を繰り広げたニックス。

ジョーダンにマッチアップするのは、このジョン・スタークスでした。

ドラフトでは指名されなかったものの、1988年11月にゴールデンステイト・ウォリアーズと契約を交わしNBAデビュー。

1年目は36試合に出場したものの契約を切られ、当時のNBA下部リーグCBAでプレーを続けます。

CBAでの活躍が認められ、1990-91シーズンにニューヨーク・ニックスと契約を結ぶと、デビュー2戦目のアトランタ・ホークス戦、3戦目のマイアミ・ヒート戦でともに20得点を記録し、インパクトを残しました。

ニックス2年目のシーズンに平均13.9得点を記録すると、3年目の1992-93シーズンには先発シューティングガードの座を勝ちとり、パトリック・ユーイングに次ぐ平均得点(17.5得点)を記録しています。

得点力だけでなく、アグレッシブなディフェンスでも評価をあげ、この年(1993年)のプレーオフではマイケル・ジョーダンとマッチアップ。

プレーオフカンファレンスファイナルで3連覇を目指すシカゴ・ブルズと対戦したニックスは、第1戦でスタークスが3ポイント7本中5本を含むチームトップタイの25得点を記録し、王者ブルズに先勝します。

第2戦では12得点 9アシストをあげ、ブロックに飛んできたジョーダンとホーレス・グラントの上から左手でダンクをたたきこみ、ニックスに勢いを与えました。

この時のスタークスのダンクは、ケビン・ジョンソンのオラジュワン超えダンクとともに、今でもハイライトによく登場しています(上の動画の最初のプレー)。

王者相手に2連勝したニックスでしたが、残念ながら第3戦以降ブルズに4連敗し、シーズンを終えてしまいました。

シーズン終了後、とんでもないニュースが飛びこんできます。

マイケル・ジョーダンの大リーグ挑戦です。

ジョーダンがNBAを去ったため、ニューヨーク・ニックスは一気に優勝候補ナンバー1と呼ばれるようになりました。

1993-94シーズン、スタークスは自己最高となる平均19.0得点を記録し、チームメイトのパトリック・ユーイング、チャールズ・オークリーとともに、初のオールスターに出場。

人気だけでなく実力も認められ、スターの仲間入りを果たしました。

プレーオフカンファレンスセミファイナルでジョーダンが去ったブルズを4勝3敗でなんとか倒すと、ニックスはヒューストン・ロケッツとのNBAファイナルにたどり着きます。

ユーイングvsオラジュワンの対決が注目される中、キーマンはスタークスでした。

初戦でスタークスは18本中15本のシュートをミスし、ニックスは敗戦。

2戦目では3ポイントを4本中3本成功し、19得点をあげニックスは勝利。

第3戦は敗れたものの、第4戦、第5戦はスタークスの第4クオーターでの爆発もあり、ニックスが勝利し王手をかけました。

第6戦もスタークスは第4クオーターだけで16得点をあげ、ロケッツを追い上げたものの、最後に放ったスタークスのショットはオラジュワンにブロックされ、2点差で涙を飲みます。

そして運命の第7戦、スタークスはまずで呪いにかかってしまったようでした。

スタークスは42分間出場し、18本のシュートを放ちましたが、成功はわずか2本。

3ポイントシュートは11本放ちながら1本も決まることはありませんでした。

84-90で敗れ、悲願の優勝を逃したニックスファンたちは、スタークスを戦犯にあげ、バッシングを続けました。

その後もニックスで活躍をつづけたスタークスですが、この1994年のNBAファイナルの活躍とスランプは、強烈な印象をファンに残しました。

8シーズンにわたってニューヨーク・ニックスの主力として活躍したのち、ウォリアーズ、ブルズ、ジャズと移籍をくり返し引退したスタークス。

記録よりも記憶に残る代表のような選手です。

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NBAドラフト外選手4位 エイブリー・ジョンソン

エイブリー・ジョンソン
1988~2004
178㎝ PG
1054試合 8.4得点 1.7リバウンド 5.5アシスト

NBAチャンピオン(1999)
スパーズ永久欠番 6

NBAコーチ・オブ・ザ・イヤー

背番号6がサンアントニオ・スパーズの永久欠番となっているドラフト外選手、エイブリー・ジョンソン。

デビッド・ロビンソンとともに強豪サンアントニオ・スパーズの司令塔として、チームのNBA初制覇に貢献しました。

サザン大学でプレーし、2年連続でNCAAのアシスト王に輝いたジョンソンでしたが、1988年のNBAドラフトではその身長(178㎝)からかどこからも指名されず、アメリカの独立リーグUSBLでのプレーを選択します。

しかし1998-89シーズンの開幕前にシアトル・スーパーソニックスから声がかかり、NBAデビュー。

ルーキーシーズンは43試合に出場し、平均1.6得点と結果を残せず、翌年もソニックスでプレーしたものの、トレードの駒としてデンバー・ナゲッツに放出されます。

その後は短期間でナゲッツ⇨スパーズ⇨ロケッツ⇨スパーズ⇨ウォリアーズと移籍をくりかえしたジョンソン。

それでもウォリアーズでプレーした1993-94シーズンは、82試合すべてに出場し、うち70試合で先発出場します。

平均10.9得点 5.3アシストと初の2桁得点を記録し、存在感をアピールしたジョンソンはシーズン終了後、運命のチームサンアントニオ・スパーズと3度目の契約を交わしたのです。

(3度目の)スパーズ1年目の1994-95シーズン、ジョンソンは82試合すべてに先発出場し、平均13.4得点 8.2アシスト 1.4スティールを記録し、司令塔として信頼を勝ちとります。

その後もスパーズ不動の司令塔として活躍を続け、チームリーダーとしての能力を発揮していくジョンソン。

当時エースだった海軍士官学校出身のデビッド・ロビンソンは提督(アドミラル)の異名で呼ばれていたため、ジョンソンは「リトルジェネラル(小さな将軍)」と呼ばれ、尊敬を集めていきました。

そして迎えた1998-99シーズン。

ロックアウトにより50試合の短縮シーズンとなったこの年、スパーズはユタ・ジャズとともにリーグトップタイとなる37勝13敗を記録。

1997年のNBAドラフト全体1位指名で加入したティム・ダンカンとデビッド・ロビンソンのツインタワー擁するスパーズは、プレーオフでも圧倒的な強さをみせつけ、NBAファイナルではニューヨーク・ニックスを4勝1敗で一蹴し、NBA初制覇を果たします。

勝負を決めた第5戦、大接戦となったこの試合で勝利を決定づけるシュートを決めたのが「リトル・ジェネラル」エイブリー・ジョンソンでした。

76-77と1点ビハインドの場面でコーナーからジャンプシュートを冷静に沈め、78-77、1点差の勝利をつかみ取ったのです。

ジョンソンがもっとも輝いた瞬間でした。

ジョンソンは2000-01シーズンまでスパーズの司令塔としてプレーし、その後デンバー・ナゲッツ、ダラス・マーベリックス、ゴールデンステイト・ウォリアーズでプレーし、2004年に引退。

引退後はダラス・マーベリックスのヘッドコーチとしてチームをNBAファイナルに導き、2006年のNBAコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。

リトル・ジェネラル、エイブリー・ジョンソンはプレイヤーでも、コーチとしても、真のリーダーでした。

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NBAドラフト外選手3位 ブラッド・ミラー

ブラッド・ミラー
1998~2012
211㎝ C
868試合 11.2得点 7.1リバウンド 2.8アシスト

NBAオールスター×2(2003 04)

わたくしリトルが大好きだったプレイヤー、ブラッド・ミラー。

211㎝と長身ながら正確なシュートとアシストを得意とする、当時は珍しいタイプのセンターでした。

白人であり身体能力が高いわけではないミラーは、パデュー大学4年時に平均17.2得点 8.8リバウンドをあげたものの、1998年のNBAドラフトでは指名されず、イタリアでのプレーを選択。

16試合に出場したところでシャーロット・ホーネッツから声がかかり、NBA入りを果たします。

ルーキーシーズンは38試合に出場し、12.3分の出場ながら6.3得点 3.1リバウンドを記録しインパクトを残したミラー。

ホーネッツで2シーズンを過ごしたのち、ミラーはシカゴ・ブルズに移籍。

ブルズで先発センターの座をつかむと、2年目の2001-02シーズンにはブルズで76試合(うち先発75試合)に先発し、平均13.6得点 8.2リバウンドを記録します。

シーズン中盤の2月に3対3(+ドラフト2巡目指名権)の大型トレードでインディアナ・ペイサーズに移籍すると、シーズン残りの28試合すべて先発センターとして出場し、平均15.1得点 7.9リバウンドと活躍を続けました。

2002-03シーズンには初のオールスターに選出されると、シーズン終了後に3チームが絡む大型トレードでサクラメント・キングスに移籍。

キングスでむかえた2003-04シーズンには、平均14.1得点 10.3リバウンドと初のシーズンダブルダブルを記録し、

2年連続でオールスターに出場しています。

その後もコンスタントにシーズン2桁得点を記録したミラーは、ブルズ、ロケッツ、ウルブズでプレーした後、14シーズンを過ごしたNBAに別れをつげました。

プレーオフではカンファレンスセミファイナルまでしか勝ち進むことができなかったものの、シュート力とパス能力の高いビッグマンとして、活躍を続けた白人センター。

もし今のNBAでプレーしていれば、より3ポイントシュートに特化したストレッチ5として、もっともっと活躍をしていたかもしれませんね。

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NBAドラフト外選手2位 ブルース・ボウエン

ブルース・ボウエン
1997~2009
201㎝ SF
873試合 6.1得点 2.8リバウンド 1.2アシスト

NBAチャンピオン×3(2003 05 07)
オールディフェンシブ1stチーム×5(2004-08)
オールディフェンシブ2ndチーム×3(2001-03)
3ポイント成功率1位(2003)
スパーズ永久欠番 12

ブルース・ボウエンの2位選出には、賛否両論あるでしょう。

キャリア平均得点はわずか6.1得点 2.8リバウンド 1.2アシスト。

それでも、ボウエンがいなかったら、スパーズの(5回のうち)3回の優勝はなかったのかもしれません。

徹底的な粘着ディフェンスとコーナーからのオープン3でスパーズの伝説となった男、ボウエンは大学卒業後のNBAドラフトで指名されず、フランスリーグとCBAで3シーズンプレー。

そこでのプレーが評価され、マイアミ・ヒートと契約を交わし1997年3月16日にヒューストン・ロケッツ戦でNBAデビューします。

ただしNBA1年目の出場は、このロケッツ戦の1試合33秒間のみ。

記録に残ったスタッツは1ブロックだけでした。

その後セルティックス、76ers、そして2度目の所属となるヒートでなんとかNBAでプレーする機会を死守したボウエン。

NBAの底辺でもがき苦しむボウエンにディフェンスの重要性を説いたのは、マイアミ・ヒートの名将パット・ライリーでした。

「オフェンスで成功するには遅すぎる(当時28歳)が、リーグで長く活躍したいのなら、全力をあげてディフェンスを磨け。そして相手チームに恐れられるようなストッパーになれ」

この言葉を受け、ボウエンは過去のペリメーターディフェンダーの映像をみて、ディフェンステクニックを研究します。

ヒート2年目の2000-01年にはついにスターターに定着し、平均7.6得点 3.0リバウンドを記録。

数字に現れないディフェンス力が評価され、オールディフェンシブ2ndチームに選出される、大躍進のシーズンとなりました。

2001-02シーズンからは運命のチーム、サンアントニオ・スパーズでデビッド・ロビンソン、ティム・ダンカン、トニー・パーカー、スティーブ・スミスとともにスターターに名を連ねたボウエン。

平均7.0得点 2.7リバウンド 1.5アシストと平凡なスタッツでしたが、圧倒的なディフェンス力を発揮し、2年連続オールNBA2ndチームに選出。

そして2002-03シーズン、アルゼンチンの英雄マヌ・ジノビリが加わったスパーズはリーグトップの60勝を記録し、プレーオフも順当に勝ち上がると、NBAファイナルではニュージャージー・ネッツを一蹴し、NBA制覇を果たします。

この年レギュラーシーズン82試合、プレーオフ24試合すべてに先発出場し、最強スパーズに欠かせないディフェンダーとなったボウエン。

ただあらゆる手をつかって相手エースの攻撃を無効化するディフェンスのスペシャリストであるボウエンは、ダーティープレイヤーとして多くのアンチを生みだしました。

特に問題となったのが、ジャンプシュートした相手の足元に自分の足を入れ、着地時に足をひねらせる行為。

一見偶然に見えるものの、あまりに頻度が多く「ボウエンはわざと相手をケガさせる」と物議をかもしました。

それでも2003-04シーズンから5年連続でオールNBA1stチーム入りするなど、ボウエンのデイフェンス力は陰りをみせることなく、2005年、2007年のスパーズの優勝にも大きく貢献しています。

8年連続オールディフェンシブチーム入りした絶対的なディフェンス力が注目されていますが、2003年には3ポイントシュート成功率1位(44.1%)に輝くなど、オフェンスでも貢献。

ボウエンのコーナー3は、スパーズの大きな武器でした。

3ポイントシュートは得意としていたものの、フリースローは苦手としていて、3ポイント成功率1位となった2002-03シーズンのフリースロー成功率はなんと40.4%。

あのシャック(この年62.2%)よりフリースローが苦手な3ポイントリーダーって、いったいどうなっているんでしょうか?

スパーズはボウエンがつけていた背番号12番を、永久欠番としています。

NBAの歴史に残る嫌われ者だったボウエンですが、恵まれない子供たちのための奨学金を援助するブルース・ボウエン基金を設立、運営するなど、慈善事業にも積極的でした。

ブルース・ボウエンの2位指名には賛否両論あると冒頭で語りましたが、みなさんの考えはいかがでしょうか?

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NBAドラフト外選手1位 ベン・ウォーレス

ベン・ウォーレス
1996~2012
206㎝ C
1088試合 5.7得点 9.6リバウンド 1.3アシスト

NBAチャンピオン(2004)
最優秀守備選手賞×4(2002 03 05 06)
オールNBA2ndチーム×3(2003 04 06)
オールNBA3rdチーム×2(2002 05)
オールディフェンシブ1stチーム×5(2002-06)
オールディフェンシブ2ndチーム(2007)
NBAリバウンド王×2(2002 03)
NBAブロック王(2002)
ピストンズ永久欠番 3

NBA史上最高のドラフト外選手は、今のところベン・ウォーレスだと断言できます。

身長206cmとセンターとしては小柄ながら、圧倒的なフィジカルの強さと身体能力を武器に、唯一シャキール・オニールを1on1で守れる男と言われていました。

史上最多タイとなる4度のNBA最優秀守備選手賞受賞、5年連続のオールNBA1stチーム入り、2度のリバウンド王、1度のブロック王など、ディフェンスに関する数々の栄光を手にしてきたウォーレス。

2004年にはデトロイト・ピストンズを優勝に導き、史上初めてドラフト外からバスケットボール殿堂入りしたNBA選手となりました。

大学卒業後、NBAドラフトで指名されなかったウォーレスはイタリアでプレーすることを選択します。

その後NBAレジェンドで当時ワシントン・ブレッツGMだったウェス・アンセルドに声をかけられNBAデビューしたウォーレスでしたが、1年目の1996-97シーズンは平均5.8分となかなか出場時間を得られず。

当時ワシントン・ブレッツのエースだったビッグマン、クリス・ウェバーがチームを去った1998-99シーズンに出番を増やすと、オーランド・マジックに移籍した1999-00シーズンには81試合に先発出場。

平均4.8得点 8.2リバウンド 1.6ブロックとディフェンスで頭角をあらわし注目されました。

そして2000年8月3日、当時スーパースターだったグラント・ヒルとのトレードの一員として、運命のチーム、デトロイト・ピストンズに加入します。

ピストンズでは1年目から平均13.2得点 2.3ブロック 1.3スティールと圧倒的なディフェンス力を発揮。

ピストンズ加入2年目の2001-02には80試合に先発出場し、平均13.0リバウンドを記録しNBAリバウンド王、3.5ブロックを記録しNBAブロック王に輝きました。

この年から5シーズン連続でNBAオールディフェンシブ1stチーム入りすると、2002 03 05 06と4度の最優秀守備選手賞を獲得し、NBA最強ディフェンダーと呼ばれるようになりました。

206㎝ながら、筋骨隆々のからだと、モサモサのアフロによって、より大きく見えていましたね。

2003-04シーズン、54勝28敗を記録しイースト第3シードでプレーオフに挑んだピストンズは、ディフェンス力を武器にプレーオフを勝ち上がります。

イースト第1シードのインディアナ・ペイサーズと戦ったカンファレンスファイナルでは、相手を平均72.6得点におさえる驚異的なディフェンスを発揮し、NBAファイナルへ。

敵は3連覇を果たしたのち、前年カンファレンスセミファイナルでスパーズに敗れ、雪辱を期すロサンゼルス・レイカーズ。

シャキール・オニール、コービー・ブライアントのコンビに、この年大ベテランカール・マローンとゲイリー・ペイトンを加えた、強力なスターパワーを誇るチームでした。

圧倒的にレイカーズ優位と予想される中、ピストンズはウォーレスを中心に強烈なディフェンスで対抗します。

ウォーレスの平均10.8得点 13.6リバウンド 1.8スティール 1.0ブロックの活躍もあり、5試合すべてで敵を2桁得点におさえこんだピストンズは、予想をくつがえし4勝1敗でレイカーズを一蹴し、NBAチャンピオンに輝きました。

わたくしリトルは37年間NBAを観つづけてきましたが、もっとも意外な結果に終わったNBAファイナルでしたね。

ベン・ウォーレスがディフェンス力だけでレジェンドとなった瞬間でした。

ウォーレスは6シーズンをピストンズで過ごした後、ブルズ、キャブスでプレー。

次第にケガにより欠場がふえてきたウォーレスは、2009年のオフにシャックとのトレードの一員としてフェニックス・サンズにトレードされたものの、プレーすることなくバイアウトされます。

引退を決意したウォーレスでしたが、ともにチャンピオンを勝ちとったリチャード・ハミルトン、テイショーン・プリンスに説得されたウォーレスは、古巣ピストンズに加入。

3シーズンをプレーし、2011-12シーズン終了後16シーズンの現役生活に別れをつげました。

ドラフト外からディフェンス力を磨き続け、殿堂入りするまでの選手となったウォーレス。

NBAに大きなインパクトを残し、史上初めてドラフト外から殿堂入りした「ビッグ・ベン」は、ドラフト外選手の頂点といえるでしょう。

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まとめ

今回はNBAの歴代ドラフト外選手ベスト10を発表してきました。

ドラフト外から這いあがってきた選手は、ディフェンス力の高いハードワークの選手が多い傾向にありますね。

今回はNBAを37年間観つづけてきたわたくしリトルが勝手に選んだベスト10ですが、もちろんまだまだたくさんドラフト外出身のスター選手たちはたくさんいます。

現役選手の中でも、現在爆発中のオースティン・リーブスや、今回とりあげたフレッド・バンブリート、ヒートからピストンズに移籍したダンカン・ロビンソンやペリカンズの小兵ホセ・アルバラード、圧倒的なディフェンス力をもつアレックス・カルーソなど、たくさんのドラフト外選手が奮闘しています。

今回あげたベスト10も、これからどんどん入れ替わっていくでしょうね。

ベン・ウォーレスに続く殿堂入り選手が現れることを期待しましょう。

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