【ヒートの魂 ジミー・バトラーまとめ】プレーオフジミー・俺勝・コーヒーとは?

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想像してなかったことが起こりました。

2023NBAプレーオフ1回戦、NBA全体1位のミルウォーキー・バックス(58勝24敗)が、プレーイントーナメントを制しギリギリプレーオフに滑り込んだマイアミヒート(44勝38敗)に1勝4敗で完敗したのです。

マイアミ・ヒートの勝因は、もう〝漢″(おとこ)ジミー・バトラーの鬼神のような活躍につきます。

今最も熱いNBAプレーヤー、ジミー・バトラーについて、徹底的に語ります。

目次

ジミー・バトラー通算成績 

ジミー・バトラーは、現在NBA12シーズン目のプレーオフを戦っています。

まずは、通算成績をまとめましょう。

ジミー・バトラー レギュラーシーズン成績
2011-12  2.6得点 1.3リバウンド 0.3アシスト
2012-13  8.6得点 4.0リバウンド 0.8アシスト
2013-14 13.1得点 4.9リバウンド 2.6アシスト
2014-15 20.0得点 5.8リバウンド 3.3アシスト
2015-16 20.9得点 5.3リバウンド 4.8アシスト
2016-17 23.9得点 6.2リバウンド 5.5アシスト
2017-18 22.2得点 5.3リバウンド 4.9アシスト
2018-19 18.7得点 5.3リバウンド 4.0アシスト
2019-20 19.9得点 6.7リバウンド 6.0アシスト
2020-21 21.5得点 6.9リバウンド 7.1アシスト
2021-22 21.4得点 5.9リバウンド 5.5アシスト
2022-23 22.9得点 5.9リバウンド 5.3アシスト

TOTAL  18.2得点 5.3リバウンド 4.2アシスト

2011年のNBAドラフト、1巡目最後の全体30位でシカゴ・ブルズに指名されたジミー。

ルーキーシーズンは平均8.5分の出場時間しか与えられなかったものの、ブルズの若きエース、デリック・ローズから多くのことを学びました。

後にジミーは、当時を振り返ってこう語っています。

「俺は全盛期のローズ、いわゆるMVPローズとともにプレーをしたが、彼の練習している姿を見た時、本当に信じられないという感じだった。」

「この男は本物だ、という感じだったね。」

NBAの世界で初めて出会ったスター選手が、デリック・ローズという努力の天才だったことが、ジミー・バトラーに大きな影響を与えたと言えるでしょう。

2年目のシーズンに、スモールフォワードのルオル・デンがケガで離脱すると、ジミーはスターティングメンバ―に定着。

3年目にはNBAオールディフェンシブセカンドチームに選出され、4年目の2014-15シーズンには、平均得点を20点に乗せ、MIP賞(最も成長した選手に与えられる賞)を受賞します。

大ケガを繰り返し、プレーできないローズに代わり、ブルズのエースとしてチームを牽引したジミー。

その後、2017年6月ミネソタ・ティンバーウルブズに、翌2018年11月にフィラデルフィア・76ersに移籍。

2019年7月2日に、4チーム間の大型トレードで、現在も所属するマイアミ・ヒートに加入しています。

常にチームの勝利のために、自分のすべてをぶつける、熱い漢ジミー・バトラー。

勝つことに、異常なまでの執念を燃やし、時にはチームメイトとの衝突も繰り返してきました。

ジミー・バトラー ネットでの呼び名について

ジミー・バトラーについて、ネット上でファンが語るときに、数々の異名で呼ばれています。

ここでは、代表的な異名の由来について語ります。

ジミー・バトラー 異名① プレーオフジミー

プレーオフになると、必ず目にすることになる「プレーオフジミー」という言葉。

その名の通り、プレーオフの舞台で、特別な輝きをみせるジミー・バトラーに対して、つけられたニックネームです。

2023年NBAプレーオフ1回戦(対ミルウォーキー・バックス)を終えた時点で、レギュラーシーズンとプレーオフの成績を比べてみると・・・

ジミー・バトラー 1試合平均スタッツ
レギュラーシーズン 18.2得点 5.3リバウンド 4.2アシスト 1.6スティール 
FG 46.7%  3P 32.3% FT 84.2%

プレーオフ 20.9得点 6.1リバウンド 4.4アシスト 1.7スティール
      FG 46.8% 3P 35.1% FT 82.8%      

ちなみに、レギュラーシーズンは2022-23シーズン終了時点、プレーオフは2023ファーストラウンド、対ミルウォーキーバックスとの5試合を終了した時点での成績です。

確かに、ディフェンスの強度が上がるプレーオフの舞台で、すべての項目でスタッツがアップしているのは、すごいことです。

ただ、特別な異名をつけられるほどの差はないようにも感じてしまいますね。

ジミーが「プレーオフジミー」と呼ばれるのは、特に大事な試合で、何度も奇跡的な活躍をみせて、チームを歴史的な勝利に導いてきたからです。

ジミーが歴史的な活躍をした試合の一部をあげると、ヒートに来てからだけでも・・・

ジミー・バトラー 歴史的試合 5選
2020年 NBAファイナル第3戦(vsレイカーズ)
40得点 11リバウンド 13アシスト 2スティール 2ブロック

2020年 NBAファイナル第5戦(vsレイカーズ)
35得点 12リバウンド 11アシスト 5スティール 1ブロック

2022年 イースタンカンファレンスファイナル第6戦(vsセルティックス)
47得点 9リバウンド 8アシスト 4スティール 1ブロック

2023年 ファーストラウンド第4戦(vsバックス)
56得点 9リバウンド 2アシスト 0スティール 1ブロック

2023年 ファーストラウンド第5戦(vsバックス)
42得点 8リバウンド 4アシスト 2スティール 1ブロック

今年(2023年)のファーストラウンドでは、2試合続けての歴史的大活躍。

2分35秒からの、4クオーター残り2.1秒からの衝撃の同点シュートをお見逃しなく!

相手はNBAでもトップクラスのディフェンダー3人(ドリュー・ホリデー、ブルック・ロペス、ヤニス・アデトクンボ)が揃うミルウォーキー・バックス。

2022-23シーズン、NBA全体1位の58勝24敗を記録したバックスを相手に、やっとプレーインを制して第8シードでプレーオフに進出したヒート(44勝38敗)が、大アップセットを起こす原動力になりました。

しかも、プレーオフに入って、セカンドスコアラーのタイラー・ヒーローと、オールスター経験もありディフェンスも固い控えガード、ビクター・オラディポをケガで失いながらの勝利です。

NBA選手たちが選ぶ、ベストディフェンダーにも選ばれているドリュー・ホリデーにマッチアップされながら、獅子奮迅の活躍をみせたバトラー。

「プレーオフジミー」と呼ばれることに、異論をはさむ人はいないでしょう。

第5戦に勝利し、ファーストラウンド突破を決めた直後のインタビューで、ジミーはこう答えています。

「チームメイトが必要としていることに、応え続けているだけさ。」
「40得点でも、50得点でも、無得点の12アシストでも、勝つためならなんだってやるさ。」

ジミー・バトラーの恐ろしさが集約されています。

本当に、「自分のスタッツはどうでもいい」、「チームが勝利するためには、なんだってやる」というプレイヤーです。

レギュラーシーズンでは、〝グッドプレイヤー″ですが、プレーオフでは、〝グレイトプレイヤー″になるのが、ジミー・バトラーなのです。

ジミー・バトラー 異名② 俺勝

5ちゃんねるなどで、ジミー・バトラーを語るとき、「俺勝」のニックネームで呼ばれていることがあります。

「俺勝」は、ミネソタ・ティンバーウルブズに所属していた時に、練習でジミーが発した言葉に由来するものです。

シカゴ・ブルズに所属していた2017年1月25日、ホームでアトランタ・ホークスに敗れた試合後、ジミーはカメラの前で「チーム(ブルズ)は常にハードにプレーしていない。」と発言します。

この年、ヒートから移籍しチームメイトとなっていた、マーケット大学の先輩、ドウェイン・ウェイドも、チームメイト数名の勝利への意識がうすいと主張。

ヘッドコーチのフレッド・ホイバーグは、「チームへの不満を、メディアを通じて表沙汰にするのは、受け入れられることではない。」と、次戦で二人をベンチ起用としたのです。

己にも厳しく、チームメイトにも同様に厳しさを求めるジミーと、ほかの選手の溝は次第に深まっていき、シーズン終了後に、ブルズのフロントは動きます。

2017年のNBAドラフト当日、ザック・ラビーンらとの大型トレードが成立し、ミネソタ・ティンバーウルブズへの移籍が決まったのです。

ウルブズでも、オールスターに選出される(休養のため出場せず)活躍をみせ、チームを14年ぶりのプレーオフに導きます。

しかし、プレーオフファーストラウンドでチームが敗れると、オフにジミーは自身のトレードを要求。

翌年にはFAの権利を持っていたため、何の見返りもなく出て行くと宣言したのです。

能力はあるが、努力が足りない若手選手たちに、嫌気がさしたと言われていました。

チームが対応を協議していた2018年10月10日の練習中、事件は起きます。

近くトレードされることは、ほぼ決まっていたため、チーム練習に参加することを拒んでいたジミーに、ウルブズのスタッフが「練習に参加するんだ。」と強引にせまりました。

強要されたため、渋々練習に参加したジミーは、5対5の試合形式の練習で、セカンドチームに入ることを提案します。

しかし、スタッフからファーストチームに入るよう伝えられると、ジミーに火がついてしまいました。

「じゃあ、サードチームに入るから、ファーストチームと戦わせろ。」

ゲームでは、カール・アンソニー・タウンズや、アンドリュー・ウィギンズ(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)擁するファーストチームを、圧倒したジミー。

ヘッドコーチのトム・シボドーや、チームメイトに攻撃的な言葉を浴びせます。

そして、練習をみていたスコット・レイデンGMに放った言葉が、「俺が必要なんだろ!俺がいなきゃ勝てないんだろ!」だったのです。

「俺勝」誕生の瞬間です。

その後ジミーは、フィラデルフィア・76ersにトレードされますが、ここでもチームのカルチャーに馴染めず。

「俺は優勝したい。」と選んだチームは、マイアミ・ヒートでした。

優勝したいと言いながら、前年プレーオフにも出ていないヒートを選んだジミーに対して、「エースになれるチームを選んだだけだ。」と批判が集まりました。

しかし、1年目からヒートをファイナルに導く大活躍をみせ、自身の決断が間違っていなかったことを証明します。

ようやく、自身が心から望んでいた「勝利するためのカルチャー」を持ったチームに出会うことができたのです。

これからも、俺勝精神で、ヒートを勝利に導いていってほしいと思います。

ジミー・バトラー 異名③ コーヒー

2019-20シーズン、コロナウイルスの世界的な蔓延のため、NBAは3月から4か月間のシーズン中断に踏みきります。

そして7月に、フロリダ州オーランドのディズニーリゾート内に設けられた隔離エリア「バブル」でNBAは再開。

レギュラーシーズンの試合はカットされたものの、プレーオフは全試合バブル内で行われました。

このバブルで行われたNBAファイナルに進んだチームがロサンゼルス・レイカーズとマイアミ・ヒート。

惜しくも2勝4敗でレイカーズに敗れましたが、マイアミ・ヒート、そしてジミー・バトラーの活躍に、驚かされたシーズンでした。

そして、バブル内でもう一つ驚かされたのが、ジミー・バトラーがバブル内のホテルの一室で始めたコーヒーショップ「ビッグフェイスコーヒー」です。

バブル内でおいしいコーヒーが飲めないと感じたコーヒー好きのジミーは、自ら機材を揃え、手書きのメニューを用意。

豆にもこだわり、エルサルバドル産のコーヒー豆を仕入れるなど本格的なものでした。

「BIG FACE COFFEE」の登録商標も済ませ、コーヒーを淹れる技術も真剣に練習を続けたジミー。

値段は、スモール、ミディアム、ラージ全て20ドル(当時約2100円)とお高めの設定でした。

自らバリスタとしてコーヒーを淹れ、ホテルのフロントで選手たちに営業をかけるジミーを想像するだけで、なんだか笑ってしまいますね。

どこまでストイックなのでしょうか。

チームメイトのバム・アデバヨは、ビッグフェイスコーヒーについて、「ジミーのコーヒーは高すぎる。スモールでもミディアムでもラージでも1杯20ドルもかかる。スモールサイズを2杯頼むだけで50ドル払わないといけないんだ。」と不満を語っています。

アデバヨに対するジミーの答えは、「俺は愛をこめてコーヒーを淹れているからね。」でした(笑)

大金を稼いでいるNBAのスター選手たちには好評だったビッグフェイスコーヒー。

バブル内でコーヒー事業の覇権をにぎったジミーに、ライバルが現れます。

マイアミ・ヒートのアシスタント・アスレチック・トレーナーのブランドン・ギリアムが、1杯5ドル(当時約525円)のコーヒーを販売し始めたのです。

しかも、1杯目は無料という大サービス。

店名は、なんと「スモールフェイスコーヒー」でした。

ギリアムは、開店の理由を、「チームのビデオコーディネーターは、かわいそうなことに、バトラーのコーヒーを買う金銭的な余裕がなかった。彼は毎晩徹夜して試合映像の研究をしている。僕は、彼を助けたかった。」と語っています。

ギリアムはジミーに対して、「君はモカチーノやフラッペ・ラテを提供しているが、僕はブラックコーヒーだけ売っている。だから、ここで小さなショップを出すことを認めてくれ。」とお願いしたそうです。

ジミーの答えは、「誰もリトルフェイスコーヒーになんて行かない。ビッグフェイスが一番だ。」でした。

なんともジミー・バトラーらしい答えですね。

ジミー・バトラーを語るとき、SNSなどで「コーヒー」と呼ばれる理由が、おわかりいただけたでしょうか?

ジミー・バトラー 壮絶な生い立ち

究極の負けず嫌い。

大舞台になるほど力を発揮する主人公感。

ジミー・バトラーのストイックさを語る上で、避けて通れないのが、NBA入りまでの道のりです。

温かい出会いがなければ、道を踏み外していたかもしれないジミーの、壮絶な生い立ちをまとめます。

ジミー・バトラー 13歳でホームレスに

ジミーは、自分の父親の顔を覚えていません。

自分がまだ赤ちゃんの時に、家族を捨てて出て行ってしまったから。

父親に育てられたジミーは、13歳の時に今度は母親にも捨てられます。

「あなたの顔が嫌い。さっさと出て行ってちょうだい。」

成長してきたジミーが、裏切り者の夫に似てきたことを許せなかったのでしょう。

13歳にして、ジミー・バトラーは、ホームレスとなってしまったのです。

友人の家を転々としながら、なんとか高校に進学したジミーは、ある日後輩のジョーダン・レスリーに3ポイント勝負を挑まれ、そこから意気投合。

ジョーダンは、自宅にジミーを招くようになりました。

レスリー家は、7人の子供がいる大家族で、ジミーを養うだけの余裕はとてもありません。

ジョーダンの両親は、「ジミーが家に泊まれるのは1度に1泊か、せいぜい2泊までだよ。」と子供たちに伝えます。

すると、レスリー家の子供たちは「今日は僕がジミーを招待するよ。」と、〝毎晩交代でジミーを招待する作戦″を編み出したのです。

自分の子供たちに、こんなに愛されているジミーを放っておくことはできませんでした。

最終的にレスリー夫妻はジミーに「ずっとここにいなさい。」と伝えます。

ジミーに、ついに家族ができたのです。

ただし、レスリー家の一員になるための、条件がありました。

・門限を守ること
・きちんと学校に行って、成績をよくすること
・家事雑用をすること
子供たちの模範になること

レスリー家の母ミッチェルが後に語ったところによると、ジミーは4つの約束をしっかり守ったそうです。

ジミー・バトラー バスケでの台頭

レスリー家の一員となったジミーは、家族の後押しもあり、バスケットボールに熱中していきます。

高校ではチームのキャプテンを任され、地元の選抜チームにも選ばれる活躍をみせました。

しかし、大学からのオファーはなく、地元にある〝タイラー・ジュニアカレッジ(短大)″に進みバスケを続ける道を選びます。

NBAへの道は閉ざされた・・・ジミーも当初NBA選手になるなど、夢にも思っていなかったそうです。

しかし、1年生ながらチームのエースとして大活躍をみせると、奨学金付きのオファーが届いたマーケット大学に転入。

マーケット大のヘッドコーチ、バズ・ウイリアムズは厳しい指導で有名なコーチでした。

そのバズは、最も厳しく指導した選手として、ジミー・バトラーの名前を挙げています。

「ジミーは自分がどれだけ素晴らしいものをもっているか理解していなかった。」ために、より厳しく接したそうです。

激しい練習で心身ともに追い込まれたジミーは、何度もバスケをやめることを考えたそうです。

ストイックの塊のようなジミーが、バスケを辞める決心をするほどの練習って・・・恐ろしいですね。

バズは、ただ厳しく接するだけでなく、ジミーの心のケアにも熱心でした。

つらい体験をしてきたこともあり、当初チームメイトとも心の壁をつくっていたジミー。

ヘッドコーチのバズは、心を通わせることで、安心してバスケに打ち込める環境をつくりあげていったのです。

コーチやチームメイトたちが自分を受け入れてくれたことで、ジミーは厳しい練習を乗り越え、成長することができたのでしょう。

ジミー・バトラー マーケット大学での活躍

ヘッドコーチのバズ・ウイリアムズや、チームメイトたちとの間に溝がなくなると、ジミーは次第に本領を発揮していきました。

「今日の練習はやりたいだけハードにしてくれ。」とコーチに言ったり、練習で手を抜いた選手に、「ソフトすぎる!」と激怒したり。

「俺勝」精神はすでに大学生の時から、備わっていたのですね。

大学3年生の時に先発のスモールフォワードに抜擢されると、1試合平均14.7得点、6.4リバウンド、2.0アシストを記録。

マーケット大学の5期連続のNCAAトーナメント出場に大きく貢献しました。

しかし、ジミーは2020年のインタビューで、「マーケット大学での練習態度は褒められたものではなかった。特に頑張ることもせず、何が何でもNBAに行きたいとは考えていなかった。僕の頭にあったのは、せっかく奨学金で大学に入れたのだから、しっかり卒業して稼ぎのいい仕事に就き、年収10万ドルくらいの生活ができればOKだということだったんだ。」と語っています。

チームの誰よりもストイックに練習に取り組んでいた大学3年生のジミーも、2020年マイアミヒートで活躍するジミーからみると、「頑張っていない」ことになってしまうんですね。

しかし、ここでまた運命の出会いがあります。

「大学4年生のある日、マーケット大学のOBで現レイカーズのウェズリー・マシューズと、ティンバーウルブズなどでプレーしたラザー・ヘイワードが大学に来たんだ。その時二人が『ジミー、君にはNBAでやっていく能力があるよ。』とうれしいことを言ってくれて、いろいろと話をしてくれた。」

「それからは練習に真面目に取り組んだよ。技術を磨くための〝勉強″もしたんだ。他の選手を観察したりね。特に参考にしたのは元ヒートのドウェイン・ウェイドだった。彼はマーケット大学のOBで最高の選手だ。大学の先輩にこれだけの選手がいると思うと、僕もNBAでやれる力があるのではないかという気がしてきた。」

本気でNBAを目指し始めたジミーは、大学4年生のシーズン、1試合平均15.7得点、6.1リバウンド、2.3アシストを記録。

特にディフェンスで敵のエースを抑え込む活躍をみせ、NBAのスカウトからも注目される存在となりました。

そして、ついに2011年のNBAドラフト1巡目全体30位で、シカゴ・ブルズに指名されたのです。

逆境になるほど、実力を発揮し、壁を打ち破ってきたジミー。

今年のプレーオフでは、第8シードから、どこまで登っていくのでしょうか?

まとめ

今回は、2023年プレーオフの主役となっている、ジミー・バトラーについてまとめました。

大きな試合になればなるほど、相手のディフェンスが真剣になればなるほど、とんでもない実力を発揮するジミー・バトラー。

プレーオフモードに入ると、スーパーサイヤ人のように、特別な力を開放するかのようです。

2023年プレーオフ、バックスを4勝1敗で破り、迎えたニューヨーク・ニックスとのカンファレンスセミファイナル第1戦。

ジミーは、第4クオーター残り5分、ヒートが3点リードしている場面で、ニックスのジョシュ・ハートと接触し右足首を負傷してしまいます。

かなり痛がるジミーの姿に、「終わった・・・」と思いました。

しかし、その後もジミーの姿は試合終了までコート上にありました。

ヘッドコーチのスポールストラは、「ジミーは下がろうとしなかった。だからコートに残すことにした。」と語っています。

明らかに動けない状況で、オフェンスではコーナー待機、ディフェンスでは完全に穴になる状態。

それでも、ジミーの気迫と魂は、チームメイトに伝わり、見事108-101でヒートの勝利。

この試合、25得点 11リバウンド 4アシスト 2スティールと大活躍し、チームを勝利に導いたジミー・バトラーは、試合後のインタビューでラスト5分のプレーについて「エアボールの3ポイントシュート以外はなにもしてないよ。」と平然と語ったそうです。

自らの戦う姿を仲間に示し、士気をあげて敵を打ち倒す。

まるで戦国武将のような戦い方ですね。

ケガの程度が心配ですが、ぜひ2023年プレーオフをもっともっと盛り上げていってほしいと思います。

それではみなさん、NBAを思う存分楽しみましょう!

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