2023-24シーズンもいよいよ大詰めになってまいりました。
今シーズンも様々なニュースがありましたが、もっとも衝撃的だったのが、なんといってもビクター・ウェンバンヤマでしょう。
2023年のNBAドラフト、1巡目全体1位でサンアントニオ・スパーズに指名され、念願のNBAデビューを果たしたウェンバンヤマは、期待通り、いや期待以上のプレーで、世界を驚かせ続けています。
224㎝ 95㎏と驚異的な高さ(長さ?)、テクニック、シュート力までもあわせもつ規格外のプレーで、新人王当確の活躍を続けるウェンバンヤマ。
再建中のスパーズは勝ち星を伸ばすことはできていませんが、今後リーグのパワーバランスを一変させる選手であることは間違いないですね。
世界最高峰のNBAは、ルーキーが簡単に活躍できるような世界ではありません。
しかし数年に一人は、ルーキーながら圧倒的なインパクトを残す選手が現れます。
今回は、わたくしリトルがNBAを観つづけてきた35年の間に、驚異的な活躍をみせたルーキーを紹介し、リトル的史上最高のルーキーを決めていきたいと思います。
それでは、レッツラゴー。
過去35年間 史上最高のルーキー候補
わたくしリトルがNBAの放送を見だしたのが、1987-88シーズン。
マーク・ジャクソン(スティーブ・カーの前のウォリアーズヘッドコーチ)が新人王になった年です。
そこから約35年間、NBA漬けの日々を送ってきました。
今回のベストルーキー候補は、わたくしリトルが実際にルーキーシーズンを観てきた選手の中から、特に印象的な活躍をみせた選手を挙げています。
おそらくNBA史上最高のルーキーは、1959-60シーズンのウィルト・チェンバレンでしょう。
チェンバレンのルーキーシーズンのスタッツは・・・
72試合出場 平均46.4分 37.6得点 27.0リバウンド
冗談のような数字が並んでいます(笑)。
ちなみにこのシーズン、チェンバレンは新人王とシーズンMVPを同時受賞しています。
オールスターMVP、得点王、リバウンド王と合わせて個人5冠。
こんな新人はもう出てこないでしょうね。
チェンバレンには及ばないものの、マイケル・ジョーダンのルーキーシーズンも圧倒的でした。
82試合出場 平均38.3分 28.2得点 6.5リバウンド 5.9アシスト
こちらも衝撃的なスタッツですね。
ただし、チェンバレン、ジョーダンともにわたくしリトルが、ルーキーシーズンを実際にリアルタイムで観ていないため、今回は対象外とします。
それでは、わたくしリトルが選ぶ、〝最高のルーキー″候補を発表します。
順番は、受賞年が古い順です。
リトルが選ぶ最高のルーキー候補
1990年 デビッド・ロビンソン(サンアントニオ・スパーズ)
1993年 シャキール・オニール(オーランド・マジック)
1997年 アレン・アイバーソン(フィラデルフィア・76ers)
1998年 ティム・ダンカン(サンアントニオ・スパーズ)
1999年 ビンス・カーター(トロント・ラプターズ)
2004年 レブロン・ジェームズ(クリーブランド・キャバリアーズ)
2008年 ケビン・デュラント(シアトル・スーパーソニックス)
2009年 デリック・ローズ(シカゴ・ブルズ)
2011年 ブレイク・グリフィン(ロサンゼルス・クリッパーズ)
2019年 ルカ・ドンチッチ(ダラス・マーベリックス)
この10選手の中から「リトルが選ぶ最高のルーキー」を決定します。
ちなみにビクター・ウェンバンヤマも当然このリストに上がると思いますが、まだ新人王が確定したわけではないので、今回は別枠としています。
それでは最高のルーキー候補を、紹介していきましょう。
1990年受賞 デビッド・ロビンソン
デビッド・ロビンソン(サンアントニオ・スパーズ)
1990年新人王受賞
82試合 平均36.6分出場
24.3得点 12.0リバウンド 2.0アシスト 3.9ブロック FG53.1%
チーム成績 +35勝
初代ドリームチームの一員、デビッド・ロビンソン。
ドラフト1位で指名されながら、陸軍士官学校卒業後2年の兵役に従事したため、24歳と遅めのNBAデビューを飾ると、初戦のレイカーズ戦で23得点17リバウンドを記録。
スパーズの勝利に大貢献し、NBAの世界で記念すべき一歩をしるします。
ロビンソンはすべての月でルーキー・オブ・ザ・マンスに輝き、当然のように満票で新人王を獲得。
ルーキーながらオールスターにも選出され、オールNBA3rdチーム、オールディフェンシブチーム2ndチーム入りも果たす、期待どおりの活躍をみせました。
平均23.9得点、12.0リバウンドもすごいスタッツですが、3.9ブロックはやばいです。
ちなみに1989-90シーズン、ブロック王はアキーム・オラジュワンの平均4.6ブロック!
2位はパトリック・ユーイング(4.0ブロック)で、ロビンソンは3位です。
凄い時代ですね。
ロビンソン加入前の1988-89シーズン、スパーズは21勝61敗と大きく負け越していましたが、ルーキーシーズンの1989-90シーズンは56勝26敗。
前年よりプラス35勝と、ロビンソンの活躍によって、チーム力も大幅アップしています。
ベストルーキーの有力候補といってよいでしょう。
1993年受賞 シャキール・オニール
シャキール・オニール(オーランド・マジック)
1993年新人王受賞
81試合 平均37.9分出場
23.4得点 13.9リバウンド 1.9アシスト 3.5ブロック FG56.2%
チーム成績 +20勝
もはや説明不要のレジェンド、〝シャック″ことシャキール・オニール。
初代ドリームチームに大学生として唯一選ばれたデューク大学のクリスチャン・レイトナーを差し置いて、ドラフト1巡目全体1位で指名されオーランド・マジック入りし、NBAに旋風を巻き起こしました。
雑誌とテレビでしか情報を得る手段がなかった時代、大学生だったわたくしリトルは、「デューク大学を奇跡的な優勝に導き、ドリームチームの一員となったクリスチャン・レイトナー以上の選手がいるのか?」とシャックに疑いの目を向けていました。
もちろん、NBA雑誌HOOPで、〝大学バスケ界の怪物″〝ドラフト1位間違いなし″など記事になっていたので、凄い選手だとは認識していましたが、Youtubeなどもない時代、プレーを観る機会はありませんでしたから。
迎えたNBAデビュー戦。
マイアミ・ヒートを相手に、シャックは12得点ながら18リバウンド3ブロックと、ゴール下で存在感をみせつけます。
すると2戦目に22得点 15リバウンド 4ブロック、3戦目には35得点 13リバウンド 3ブロック、4戦目には31得点 21リバウンド 4ブロックと、驚異的なスタッツをたたき出し、ルーキーながら開幕第1週目のプレイヤー・オブ・ザ・ウィークに選出される、前代未聞の偉業を成し遂げました。
シャックがスタッツ以上にインパクトを残したのが、2度のリング破壊。
一度はシャックがダンクした際、リングが重さに耐えきれず、ゆっくりと下がってきたのですが、もう一度は根本からボッキリ折れてしまいました。
よく怪我せずにすんだなと、感心します。
ちなみに、一番危なかった練習の時のリング破壊をごらんください。
シャックがリングを破壊したことにより、NBAはゴールの強度を数段上げたため、その後派手にリングが破壊されることはなくなりました。
やんちゃでユーモラスなシャックは、その異次元な活躍とあいまって人気が爆発し、ルーキーながらオールスターファン投票でスターターに選ばれています。
シャックが加入する前の1991-92シーズン、マジックは21勝61敗。
ルーキーシーズンの1992-93シーズンは41勝41敗、前年よりプラス20勝と躍進しました。
スタッツやチーム力の向上という点でみると、ロビンソンに分があるように思いますが、リング破壊やキャラクターのインパクトを考えると、シャックが与えた衝撃の方が大きかったかもしれません。
1997年受賞 アレン・アイバーソン
アレン・アイバーソン(フィラデルフィア・76ers)
1997年新人王受賞
76試合 平均40.1分出場
23.5得点 4.1リバウンド 7.5アシスト 2.1スティール FG41.6% 3P34.1%
チーム成績 +4勝
183㎝のスコアリングガード、アレン・アイバーソン。
史上最も背が低いドラフト全体1位指名選手です。
NBAでは低身長のスコアラーに懐疑的な意見が必ず聞かれるのですが、アイバーソンも例外ではありませんでした。
しかし、わたくしリトルはなんの心配もしていませんでしたね。
毎年NBAドラフト1位で指名されるような選手は、雑誌で名前は見ていても、プレーを観る機会はなかなか無かったのですが、アイバーソンと次にあげるティム・ダンカンについては、1995年、福岡で行われたユニバーシアードにアメリカ代表として出場していたため、しっかりプレーを観ることができたのです。
なんといっても、福岡ユニバーシアードでは、バスケ男子日本代表が決勝に進む大盛り上がりでしたから!
決勝の相手はもちろんアメリカ代表。
アレン・アイバーソン、ティム・ダンカン、レイ・アレン、ケリー・キトルズなど、豪華な布陣でした。
結果はアメリカが141-81、60点差で日本を下したのですが、とにかくアイバーソンのプレーはアメリカ代表の中でも別格でしたね。
「アメリカにはこんなスゲー選手がいるのか・・・」と呆然としてしまったのを覚えています。
おかげでNBAドラフトの結果をみて、初めて「よっしゃ、来たー!」と思えました(笑)。
まるで甲子園で大活躍した選手が、プロ野球ドラフトで指名された時のように。
迎えたNBAデビュー戦、ミルウォーキー・バックスを相手にアイバーソンは30得点 6アシストの大爆発。
周囲の不安を初戦で吹きとばします。
アイバーソンはシーズン終盤、5試合連続で40得点以上を記録するなど、高い得点力を発揮し、当然のように新人王を獲得しました。
アイバーソンのルーキーシーズンといえば、忘れてならないのがマイケル・ジョーダンを翻弄した1on1。
上の動画の最初に出てきますので、ぜひご覧ください。
アイバーソンのクロスオーバーは腕が長いだけに、ふり幅が大きくて迫力がありますね。
アイバーソンが加入する前の1995-96シーズン、76ersは18勝64敗。
アイバーソンが加入した1996-97シーズンは、22勝60敗。
アイバーソンの大活躍はあったものの、チームとしては4勝しか増えませんでした。
当時「アイバーソンはチームを勝たせることはできない」という声が溢れていましたねえ。
2年後には、その意見が間違っていることがわかるのですが(笑)。
アイバーソンのルーキーシーズン、インパクトは大きかったのですが、チーム成績をみると、「ベストルーキー」と呼ぶには、やや物足りないかもしれませんね。
1998年受賞 ティム・ダンカン
ティム・ダンカン(サンアントニオ・スパーズ)
1998年新人王受賞
82試合 平均39.1分出場
21.1得点 11.9リバウンド 2.7アシスト 2.5ブロック FG54.9%
チーム成績 +36勝
歴代最高のパワーフォワードとも言われるティム・ダンカン。
ウェイクフォレスト大学で4年間プレーし、カレッジバスケ界の主要な個人賞を総ナメにしたダンカンは、当然のようにドラフト全体1位で指名されます。
指名したチームは、前年エースのデビッド・ロビンソンがケガのためシーズン序盤の6試合しか出場できず、20勝62敗と低迷したサンアントニオ・スパーズ。
ダンカンを獲得するために、タンク(わざと負けてドラフト指名順位を上げる行為)を行い、プレーできる状態になったロビンソンを復帰させなかったとも噂されていました。
NBAデビュー戦では、レイカーズを相手に15得点10リバウンドを記録し、チームを勝利に導く活躍をみせます。
開幕第3戦では、当時最強のシカゴ・ブルズを相手に19得点22リバウンドと大爆発。
おしくも83-87でスパーズは敗れましたが、デニス・ロッドマンとマッチアップしながらも、十分に戦えることを証明しました。
その後もルーキーとは思えない落ちつきはらったプレーでダブルダブルを連発。
すべての月でルーキー・オブ・ザ・マンスに輝き、当然のように新人王を獲得します。
ルーキーながらオールスターにも選出。
ルーキーとしては異例のオールNBA1stチーム、オールディフェンシブ2ndチーム入りも果たし、スパーズ王朝のはじまりとなる1年が終わりました。
ダンカンが加入する前年の1996-97シーズン、スパーズは20勝62敗でしたが、ルーキーシーズンの1997-98シーズンは56勝26敗。
前年よりプラス36勝と大躍進をはたしましたが・・・
2年前には、デビッド・ロビンソンを軸に59勝23敗を記録し、カンファレンスセミファイナルまで進出していたチームでしたからねえ。
1996-97シーズンが異常だっただけで、力のあるチームでしたから、ダンカンの力による+36勝ではないと思いますが、素晴らしいシーズンでした。
その後ダンカンが5度優勝を果たすことになるとは、当時夢にも思っていませんでしたが。
1999年受賞 ビンス・カーター
ビンス・カーター(トロント・ラプターズ)
1999年新人王受賞
50試合 平均35.2分出場
18.3得点 5.7リバウンド 3.0アシスト 1.5ブロック FG45.0% 3P28.8%
チーム成績 +約21勝
NBA史上最高のダンカー、〝エアカナダ″の異名をもつビンス・カーター。
ルーキー時代の衝撃という点では、今回あげた選手の中でもトップクラスですね。
ドラフト1巡目全体5位でゴールデンステイト・ウォリアーズに指名され、すぐに4位で指名されたノースカロライナ大学のチームメイト、アントワン・ジェイミソンとのトレードでトロント・ラプターズ入り。
当時ウォリアーズファンだったわたくしリトルは、シーズンが始まってすぐ「ウォリアーズのフロント、なにやっとんじゃ!」と怒りに震えたのを覚えています。
ジェイミソンもいい選手ではありましたが、カーターのダンクの衝撃は圧倒的でしたから。
「なにカーターに金銭までつけて交換しとんじゃい!」と思いますよね。
カーターのルーキーシーズンは、労使交渉の決裂によりロックアウトが起こり、50試合の短縮シーズンでした(通常82試合)。
いつ試合が始まるのか、イライラしていたのを思い出します。
結局開幕は2月5日までずれこみます。
開幕当日に、ラプターズはボストン・セルティックスと対戦。
カーターは先発出場し、16得点を記録。
この試合でカーターはチャールズ・オークレーのパスからのアリーウープパスを受け、記念すべきNBAでの初ダンクを決めています。
その後ダンクの雨あられを降らせ、ジョーダン引退後のNBAをおおいに盛り上げる活躍をみせるのですが、そこはぜひ上の動画で確認ください。
とにかく観ればわかると思います。
当時のウォリアーズファンの歯ぎしりが聞こえてくるようですね(笑)
短縮シーズンのため、オールスターはありませんでしたが、例年通りなら必ずファン投票で選出されていたでしょう。
カーターが加入する前の1997-98シーズン、トロント・ラプターズは16勝66敗でイースタンカンファレンス最下位でした。
カーターがデビューした短縮シーズンは23勝27敗。
82試合計算すると、約37勝となり、前年より21勝プラスとなります。
残念ながらプレーオフに進むことはできませんでしたが、カーターは1年目からトロントのフランチャイズビルダーとして大活躍をみせました。
ルーキーシーズンのインパクトという意味では、歴代最高クラスでしたね。
2004年受賞 レブロン・ジェームズ
レブロン・ジェームズ(クリーブランド・キャバリアーズ)
2004年新人王受賞
79試合 平均39.5分出場
20.9得点 5.5リバウンド 5.9アシスト 1.6スティール FG41.7% 3P29.0%
チーム成績 +18勝
先日NBAでの通算得点記録を、前人未踏の4万点に乗せたレブロン・ジェームズ。
NBAの世界で〝王(キング)″となるスーパースターのルーキーシーズンは、ある意味ほろ苦いものとなります。
NBAの歴史の中でも有数の大豊作だった2003年ドラフト、当然のように1巡目全体1位で指名されたのは、高校を卒業したばかりの、レブロン・ジェームズでした。
2003年頃わたくしリトルは、「HOOP」と「ダンクシュート」NBA雑誌2冊買いしていたのですが、どちらの雑誌でも高校生のスーパースター、レブロン・ジェームズのことはかなり取り上げられていたので、期待値はものすごく上がっていましたね。
レブロンはNBAデビューとなるサクラメント・キングス戦で、25得点 6リバウンド 9アシスト 4スティールと、高卒ルーキーとは思えないスタッツを残し、強烈なインパクトを与えました。
このデビュー戦はNHKのBSで放送され、ワクワクしながら観たのをはっきり覚えています。
チームはキングスに敗れたものの、レブロンは「The Chosen One(選ばれし者)」の異名がおおげさではないことを証明しました。
ルーキーシーズンは目の覚めるような素晴らしいプレーをみせたかと思えば、一桁得点に抑えられる試合もあり、やや不安定なシーズンとなりましたが、高卒選手だったことを考えると、とんでもない活躍だったと思います。
しかし、新人王に関しては、全米を巻き込む大問題に発展してしまいました。
レブロンとカーメロ、どちらが新人王にふさわしいのか、意見が分かれてしまったのです。
2003年のNBAドラフト1巡目全体3位でデンバー・ナゲッツに指名されたカーメロ・アンソニーは、ルーキーながらチームトップの平均得点を記録し、ナゲッツをプレーオフに導きました。
一方レブロン擁するキャブスは、プレーオフに出場することはできず。
2人のスタッツを比べると・・・
レブロン 20.9得点 5.5リバウンド 5.9アシスト FG41.7% 3P29.0%
カーメロ 21.0得点 6.1リバウンド 2.8アシスト FG42.6% 3P32.2%
いかがでしょうか?
結果的にはレブロンが新人王に輝きましたが、「NBAがレブロンを新しいスターにしたいために、新人王を与えた」
「カーメロがかわいそうだ」と批判が巻き起こりました。
正直わたくしリトルも、当時はカーメロが新人王にふさわしいと考えていましたね。
レブロンに批判が巻き起こったため、「これじゃあレブロンがかわいそうだ」とまで思っていました。
まあ、そんな心配いらない活躍を、その後続けるんですが。
レブロンが加入する前の2002-03シーズン、キャブスは17勝65敗で、イースタンカンファレンス最下位でした。
レブロンが加入した2003-04シーズンは35勝47敗、前年より18勝プラスと、大きく勝ち星を伸ばしています。
ちなみにライバルカーメロ・アンソニーは、ナゲッツの勝ち星を前年から26勝プラスさせ、プレーオフに導きました。
これだけハイレベルな新人王争いは、今後もなかなかないでしょうね。
2008年受賞 ケビン・デュラント
ケビン・デュラント(シアトル・スーパーソニックス)
2008年新人王受賞
80試合 平均34.6分出場
20.3得点 4.4リバウンド 2.4アシスト 1.0スティール FG43.0% 3P28.8%
チーム成績 ー11勝
天才スコアラ―ケビン・デュラント。
現在歴代最高級のスコアラーとなったデュラントも、ルーキーシーズンは細く頼りない身体ながら、想像以上の活躍をみせた選手でした。
テキサス大学1年生で、大学バスケの個人賞を総なめにする活躍をみせ、2007年のドラフトにアーリーエントリーすることを決断したデュラント。
2007年のNBAドラフト1巡目全体2位で、シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)に指名され、NBAの世界に入りました。
この年のドラフト全体1位は、10年に一人の大器と言われた本格派センター、グレッグ・オデン。
オデンがいかに素晴らしいセンターであるかはNBA雑誌でチョコチョコとり上げられていたものの、デュラントに関しては優れたスコアラーであることと、高校時代日本人ポイントガードの伊藤大司選手とチームメイトだったことくらいしか情報がありませんでした。
ドラフト時に話題になったのは、デュラントのドラフトコンバイン(身体測定、身体能力測定etc)の結果。
デュラントは参加者でただ一人185ポンド(約84kg)のベンチプレスを上げることができなかったのです。
身体能力測定の結果は80名中78位とさんざんな結果で、デュラントのNBAでの活躍に疑問符をつける記事もありました。
しかし、いざシーズンが開幕すると、デュラントはその実力を発揮します。
開幕となるデンバー・ナゲッツ戦でデビューすると、18得点 5リバウンド 3スティールを記録。
第2戦のフェニックス・サンズ戦では27得点を記録し、並みのルーキーではないことを証明します。
開幕から17試合連続で2ケタ得点を記録するなど、ソニックスの不動のエースとして得点を量産しました。
驚くべきは208㎝の身長ながら、ガードのようなドリブルテクニックとスピード、シュート力を兼ね備えていたこと。
あまりにも細く、まだNBAで戦える身体ができていなかったデュラントは、ルーキーシーズン、シューティングガードとして起用されます。
208㎝の身長(実際はもっと大きいとも言われていますが・・・)に加え、225㎝のウイングスパンを持つデュラントは、ディフェンスの選手のはるか上空から、次々とシュートを沈めました。
「こんなに器用なビッグマン、どうしようもないな。」とバスケ仲間と話していたのを思い出します。
デュラントは当然のように新人王を獲得。
一方、10年に一人の大器と言われたドラフト全体1位のグレッグ・オデンは、膝の軟骨除去手術を行い、1試合もプレーすることはありませんでした。
ちなみにオデンの膝はその後も治癒することはなく、実働3シーズン、通算105試合の出場でNBAの世界を去っています。
もし怪我がなければ・・・と思ってしまう選手1位かもしれません。
デュラントが加入する前年、スーパーソニックスは31勝51敗。
デュラントが加入した2007-08シーズンは、20勝62敗と、今回取り上げた選手の中で唯一チームの成績が大きく落ちています。
これは2007年のオフに、スーパーソニックスのエースを務めていたラシャード・ルイスとレイ・アレンを放出し、チーム再建に踏みきったためでした。
「すごい新人だけど、スーパーソニックスの復活は時間かかるなあ・・・」と思っていましたが、翌年チームはオクラホマシティに移転し「オクラホマシティ・サンダー」となり、2008年ドラフトでは全体4位でラッセル・ウエストブルックを指名。
ドラフト全体3位でジェームズ・ハーデンを獲得した2009-10シーズンには、デュラントが史上最年少で得点王になる活躍をみせ、あっという間に再建が終わってしまいました(笑)。
3年連続で殿堂入り間違いなしの選手を指名するなんて、サンダーのフロントは神がかっていましたね。
2009年受賞 デリック・ローズ
デリック・ローズ(シカゴ・ブルズ)
2009年新人王受賞
81試合 平均37.0分出場
16.8得点 3.9リバウンド 6.3アシスト FG47.5% 3P22.2%
チーム成績 +8勝
シカゴ・ブルズのエースとして強烈な光を放ち、その後ケガで苦しみチームを去ったデリック・ローズ。
彼のルーキーシーズンも、とても印象深いものでした。
2008年NBAドラフト1巡目全体1位で、シカゴ・ブルズに指名されNBA入り。
シカゴ生まれのローズは、ブルズファンから温かく迎えられ、大きな期待を集めます。
NBAデビューとなったミルウォーキー・バックス戦では、11得点 4リバウンド 9アシストと上々の活躍をみせ、ブルズを勝利に導きました。
その後も圧倒的なスピードと驚異的な身体能力で、ハイライトシーンを量産し、シカゴのファンを熱狂させていきます。
2008-09シーズン、シカゴ・ブルズは41勝41敗を記録。
第7シードでプレーオフに進み、前年のNBAチャンピオン、ボストン・セルティックスに挑みました。
デリック・ローズを今回のベストルーキー候補に挙げたのは、このプレーオフでのインパクトの大きさが強烈だったからです。
圧倒的実力差のあるセルティックスに対し、ローズは第1戦で36得点 4リバウンド 11アシストと鬼気迫る活躍をみせ、ブルズを勝利に導きます。
2勝3敗とあとがない状況で迎えたシカゴでの第6戦は、NBAの歴史に残る一戦となりました。
第3クオーターを終えた時点で、ホームのブルズが7点をリードしていましたが、第4クオーターセルティックスに巻き返され、オーバータイムへ。
オーバータイムではブルズのエース、ベン・ゴードンがファールアウトする苦しい展開となりますが、なんとか踏ん張り2ndオーバータイムへ。
ブルズ3点リードで迎えた2ndオーバータイム残り7.6秒、セルティックスのレイ・アレンが起死回生の3ポイントをヒットし、試合はついに3rdオーバータイムへ。
両チームのプライドがぶつかり合った死闘に決着をつけたのは、デリック・ローズでした。
ブルズが1点リード、試合残り15.9秒からセルティックスがスローイン。
セルティックスのレイジョン・ロンドが1on1から、ターンアラウンドショットを放った瞬間、ディフェンスについていたローズの完璧なブロックが炸裂。
トリプルオーバータイムの熱戦は、128-127でブルズの勝利に終わりました。
残念ながら最終第7戦でセルティックスに敗れたものの、デリック・ローズは強烈な印象を残しましたね。
ローズが加入する前年、シカゴ・ブルズは33勝49敗。
ローズが加入した2008-09シーズン、ブルズは41勝41敗でプレーオフに進んでいます。
レギュラーシーズンでは勝ち星を8伸ばしただけでしたが、チャンピオンチームに挑んだプレーオフでの7試合で、ブルズは大きく成長し、戦う集団になったのだと思います。
デリック・ローズは、マイケル・ジョーダン以来のブルズのスーパースターになるべき男でした・・・。
本当にケガさえなければ・・・。
2011年受賞 ブレイク・グリフィン
ブレイク・グリフィン(ロサンゼルス・クリッパーズ)
2011年新人王受賞
82試合 平均38.0分出場
22.5得点 12.1リバウンド 3.8アシスト FG50.6% 3P29.2%
チーム成績 +3勝
今回ベストルーキー候補であげた10選手の中で、最も衝撃を受けたのは、もしからしたブレイク・グリフィンかもしれません。
一番期待値が低い選手だったため、よけいに豪快なプレーが衝撃的だったのです。
期待値が低いとはいっても、実力的には申し分なしでした。
オクラホマ大学で2年間プレーし、大学バスケの個人賞を総なめする活躍をみせ、2009年のNBAドラフト1巡目全体1位で、ロサンゼルス・クリッパーズに指名されNBA入り。
長年弱小チームだったクリッパーズを変えてくれる存在として、ファンの期待値は高まっていました。
開幕前のサマーリーグで期待通りの活躍をみせますが、サマーリーグ最終戦、ダンク後の着地で左膝を痛め開幕には間に合わず。
当初6週間の離脱と発表されていましたが、結局手術をすることとなり、1年目全休が発表されます。
ファンの落胆は半端じゃなかったですね。
絶望に近かったかもしれません。
理由は2つあります。
1つ目はグリフィンが大学時代ケガを繰り返していたこと。
2つ目は、2年前の2007年のNBAドラフト1巡目全体1位で指名されたグレッグ・オデンが、膝の怪我でほとんど活躍ができていなかったこと。
グリフィンと同じように、大学時代にナンバー1プレイヤーとして個人賞を総なめにしていたグレッグ・オデンは、健康でさえあればオールスター級のセンターでしたが、膝のケガでほぼプレーできず。
能力が高くても、プレーができなければ意味がないことをオデンは教えてくれました。
グリフィンは1年間休んだあと、2010-11シーズンでデビュー。
ただ、グリフィンの期待値は膝のケガで大きく下がっていました。
ファンの多くが、オデンの悪夢をグリフィンに重ねていましたね。
グリフィンが身体能力に頼るタイプの選手だったため、膝のケガは致命傷になると思われていました。
開幕時の注目は2010年のドラフト全体1位で指名された、ジョン・ウォールに集まっていました。
しかしデビュー戦のポートランド・トレイルブレイザーズ戦で20得点14リバウンドを記録する大活躍をみせたグリフィンは、デビューから67試合連続で2ケタ得点を記録。
まるでシューズにバネがついているかのような暴力的なダンクを連発し、観客を熱狂させました。
圧倒的なジャンプ力とパワーで、リバウンドも次々と奪い、モンスターぶりをいかんなく発揮します。
人気は大爆発し、ルーキーながらオールスターにも出場。
ダンクコンテストでも当然のように優勝を果たしました。
リトル的には、あの車飛び越えダンクには納得していませんが・・・(笑)。
結局心配された膝のケガの影響はみられず、82試合全試合スターターで出場し、22.5得点 12.1リバウンドと、ルーキーらしからぬスタッツを残し、満票で新人王に輝きました。
ちなみにグリフィンがNBAで過ごした13シーズンの中で、ルーキーシーズンに記録した12.1リバウンドが自己最高の記録となっています。
数えきれないモンスターダンクでNBAをよりエキサイティングなものにしたグリフィン。
ルーキーシーズンの輝きは、素晴らしいものでした。
グリフィンがデビューする前の2009-10シーズン、クリッパーズは29勝53敗。
グリフィンが加入した2010-11シーズンは32勝50敗と、勝ち星は3勝増えています。
チームとしては、やや物足りない結果となりましたが、NBAで最低のフランチャイズと言われていたクリッパーズが最も注目を集めた1年でした。
2019年受賞 ルカ・ドンチッチ
ルカ・ドンチッチ(ダラス・マーベリックス)
2019年新人王受賞
72試合 平均32.2分出場
21.2得点 7.8リバウンド 6.0アシスト FG42.7% 3P32.7%
チーム成績 +9勝
現在NBAの顔となっているスロベニア出身のスーパースター、ルカ・ドンチッチ。
19歳でレアル・マドリードをヨーロッパチャンピオンに導き、2018年のNBAドラフト、全体3位でアトランタ・ホークスに指名されます。
ドラフト5位でダラス・マーベリックスに指名されたトレイ・ヤングと即日トレードされ、マブスに加入。
当初ドラフト1位も噂されていたドンチッチですが、身体能力の低さ、スピードのなさ、ディフェンス力などが問題となり、ディアンドレ・エイトン、マービン・バグリー3世の後に指名されることとなりました。
デビュー戦となったフェニックス・サンズ戦では、10得点 8リバウンド 4アシストを記録。
ドンチッチのその後の活躍をみると、ややおとなしいデビュー戦となりました。
2戦目のミネソタ・ティンバーウルブズ戦では、26得点を記録し、マブスを勝利に導きます。
2019年1月21日のミルウォーキー・バックス戦では、史上2番目の若さでトリプルダブルを達成。
シーズンを通して圧倒的なテクニックと勝負強さを見せつけ、当然のように新人王を獲得しました。
ルーキーらしからぬ落ち着きと、老獪なプレーが印象的でしたね。
バスケのすべてを知り尽くしているような・・・。
今よりずいぶん痩せていて、男前ですし(笑)
ドンチッチ加入前の2017-18シーズン、マブスは24勝58敗。
加入後の2018-19シーズン、マブスは33勝49敗で前年より勝ち星を9つ増やしています。
マブスは20年間チームのエースとして活躍したダーク・ノビツキーが2018-19シーズンを最後に引退を表明。
同じヨーロッパ出身のドンチッチに、ノビツキーはバトンを渡し、NBAを去りました。
偉大な大先輩ノビツキーの背中をみることができたことは、ドンチッチにとってかけがえのない財産になったと思います。
ぜひドンチッチには、マブスを2度目のチャンピオンに導いてほしいですね。
ノビツキーに魅せられてマブスファンになった、わたくしリトルも大いに期待しています。
まとめ リトル史上最高のルーキーは・・・
今回は、わたくしリトルがNBAを観てきた35年間で、最高のルーキーを選ぶため10人の選手を挙げてきました。
この10選手に、現在大活躍しているビクター・ウェンバンヤマを含めて検討しましょう。
ルーキーシーズンのスタッツ、インパクト、チーム力の変化などを総合的に判断した結果、リトル史上最高のルーキーは・・・
〝シャキール・オニール″選手です!
インパクトの大きかったビンス・カーターやブレイク・グリフィン、スタッツが素晴らしくチームも強くしたデビッド・ロビンソンなどライバルはいたものの、実力だけでなく、キャラクターとリング破壊のインパクトが凄まじかったシャックを、リトル史上最高のルーキーとしました。
最後まで迷ったのが、ルーキーながらオールNBA1stチーム入り、オールディフェンシブチーム2nd入りしたティム・ダンカンでしたが、あまりにも地味で、インパクト不足だったもので・・・。
大学時代シャックのルーキーシーズンの活躍をみて、「同級生でこんな化け物みたいな選手が、アメリカにはおるんや。」とチームメイトと話をしていたのを思い出しますね。
NBAファン一人ひとりに、思い出のルーキーがいるんじゃないでしょうか?
若いファンの中では、ウェンバンヤマの活躍に度肝を抜かれている人も多いと思います。
ぜひ今後も、選手の成長を見守っていきましょう。
新しい推し選手、推しチームがこうして生まれていくのです。
全力でNBAを楽しんでいきましょうよ。