日傘(イノベーター おすすめです)を買ったとたんに雨続きで、1回しか使っていないリトルです。
サマーリーグ真っただ中、期待のルーキーや若手が活躍するニュースでワクワクしています。
しかし・・・
いま一番注目されているニュースは、KDことケビン・デュラントのトレード要求についてですね。
今日はKDの移籍騒動と、90年代から2000年代のスーパースターの移籍について考えたいと思います。
KDの移籍騒動とは
9月に34歳になり、14年目のシーズンを迎えるトップスコアラーKDは、2021-22シーズン
1試合平均 29.9得点 7.4リバウンド 6.4アシスト FG51.8% 3P38.3% 出場時間37.2分
と素晴らしい数字を残し、ブルックリンネッツのエースとして活躍しました。
シーズンが始まる前、KD、カイリー・アービング、ジェームス・ハーデンのBIG3が揃ったネッツは東の優勝候補にあげられていました。
しかし、シーズン途中でハーデンが76ersに去り、問題山積みのベン・シモンズが加入。
シモンズはおおかたの予想どおり、プレイすることはありませんでした。
レギュラーシーズンを7位で終えプレイイントーナメントは勝ち残ったものの、プレイオフ1回戦ではボストンセルティックスに0勝4敗でスウィープされてしまったネッツ。
新シーズンこそはKD、カイリーを主軸に優勝できるチームにしなければと、オーナー始めチームスタッフは戦略を練っていたはずです。
ところがフリーエージェント(FA)の交渉解禁日である現地時間6月30日に、KDの移籍要求が飛び出したのです。
「フェニックスサンズかマイアミヒートを希望している」と、レギュラーシーズン東西の1位チームへの移籍を希望し、激震が走りました。
しかもその後KD側は、ヒートについて、「ジミー・バトラー、カイル・ラウリー、バム・アデバヨというコアメンバーとプレイできるなら」と注文をつけました。
どうやってまとめんねん・・・。
多くのチームから問い合わせがあったそうですが、ネッツが簡単に放出するわけがありません。
莫大な契約を結んでいるため、KDが希望したからと言ってトレードする必要がないからです。
KDのこれまでの契約
2019年6月のNBAファイナル第5戦。
ゴールデンステイト・ウォリアーズの主力として闘っていたKDは、右足アキレス腱断裂の大けがを負いました。
シーズン終了後、1年間はプレイできないという状況で、ブルックリン・ネッツは4年総額1億6400万ドル(当時約181億円)の大型契約を結んだのです。
1年目の2019-2020シーズンは1試合もプレイできませんでしたが、翌2020-2021シーズンに見事復活。
1試合平均 26.9得点 7.1リバウンド 5.6アシスト FG53.7% 3P45.0%
素晴らしい個人成績を残しました。
するとネッツは4年総額1億9800万ドル(当時 約267億5700万円)という莫大な契約を結びなおしたのです。
契約最終年には37歳になるKD。
アキレス腱断裂歴もあり、怪我のリスクも大きい選手です。
それでも今後ネッツはKDに望みのすべてを賭け、優勝を目指すという賭けに出たのです。
まさかたった1年後に、チーム崩壊の危機が訪れるとは、関係者誰も考えていなかったでしょうね。
NBAコミッショナーのアダム・シルバーも「私たちは選手のトレード要求が通ってしまうことを見るのは、好きではない。」と苦言を呈しています。
NBA選手の年俸高騰による チームと選手のパワーバランスの変化
今回のKD(ケビン・デュラント)、昨年のベン・シモンズなど、公然とチームへの不満を発言し、契約下にありながら移籍を志願する選手が増えています。
なぜフランチャイズプレイヤーとして期待され、大金を受けとりながらも、チームのためにプレーできないのでしょうか?
それは、あまりにも選手が大金を手にし、強大な力をもってしまったからです。
チームと選手のパワーバランスが壊れてきているのです。
今年の夏にも、二コラ・ヨキッチ(デンバーナゲッツ)が5年総額2億6400万ドル(約356億円)のスーパーマックス契約をむすび話題となりました。
ブラッドリー・ビール(ワシントン・ウィザーズ)は5年総額2億5100万ドル(約339億円)。
デビン・ブッカー(フェニックス・サンズ)は4年総額2億2400万ドル(約302億円)。
考えられないような大金を一人のスター選手が受け取り、強大な権力を持ってしまうようになりました。
1990年代、ジョーダン世代の選手たちには考えられない契約です。
NBAにおける90年代のトレード要求騒動
90年代は、各チームに象徴となるスター選手、いわゆるフランチャイズプレイヤーがいました。
フランチャイズプレイヤーが衰えてくると再建を図るために、当時もトレードは行われていましたが、中には絶頂期にトレードを要求するスター選手もいました。
チャールズ・バークレーの場合
現在テレビ解説者として活躍するバークレーは、フィラデルフィア76ersの象徴でした。
個人成績は素晴らしいものでしたが、チームとしては年々下降線をたどってしまいます。
バークレーが慕っていたチームの柱、モーゼス・マローンがトレードされ、主力が次々に去り、次第にチーム成績は落ちていきました。
1991年-92年シーズンにはついにプレイオフ出場も逃し、誰よりも負けず嫌いなバークレーの不満が爆発します。
「フロントの連中は優勝するよりも金儲けのほうに興味がある。」とチームを公然と批判し、トレードを要求したのです。
この時、ファンの反応は「バークレーの言い分はもっともだ」という人が多かったと思います。
チームは、フェニックス・サンズとのトレードをまとめます。
バークレー1人に対し、ジェフ・ホーナセック、アンドリュー・ラング、ティム・ペリーの3人が交換相手となりました。
当時は、「1対3や!さすがバークレーやな!」と思っていました。
今思うと、考えられないほどサンズにお得なトレードでしたが。
バークレーはサンズ1年目からレギュラーシーズンMVPに輝く大活躍。
チームもNBAファイナルまで駆け上がります。
ファイナルではジョーダン率いるブルズに敗れますが、いまだに最高のファイナルとも言われる素晴らしい戦いでした。
一方76ersは、バークレーを失ったことで、完全に再建期に入ります。
NBA最弱の時期を経て、アイバーソンをドラフト1位で指名し、ファイナルの舞台に戻ってくるのは2000-2001シーズンのことでした。
バークレーの移籍志願は、自分が全力を尽くしても勝てないもどかしさから生まれました。
チームの強化を怠るフロントに対しての不満からのトレード要求。
ある意味デュラントの状況に似ていますね。
しかし、現在ネッツのフロントがデュラントやカイリーに大金を投資し、残ったサラリーキャップの中でいかにロールプレイヤーを集め、優勝できるチームにするか必死に考えているのに対し、当時の76ersのフロントは、とにかくお金をださないことが第一にみえました。
バークレーのトレード要求に対して、ファンが「これはしょうがないな・・・」と感じても仕方がないものでした。
スコッティ・ピッペンの場合
ピッペンは、言わずと知れたマイケル・ジョーダンの相棒として、ブルズの6回の優勝に、多大な貢献をしました。
無名の大学時代から、ドラフト5位という高順位でシアトルに指名され、当日ブルズにトレード。
その後も順風満帆にスターとして活躍してきたと思っている現在のファンもいるでしょう。
ただ、90年代のピッペンは、ずっとお金のことで文句言っているイメージがあるんです。
ピッペンは12人兄弟の末っ子として貧しい一家に生まれました。
父が脳出血で倒れる悲劇もあり、アルバイトをかけ持ちし、働く兄たちからの援助を受けながら、なんとか学校に通う日々。
人一倍お金に苦労してきたために、ブルズ加入後の契約で大きなミスをしてしまったのです。
セントラルアーカンソーという無名の大学から、ドラフト5位の高順位でシアトルスーパーソニックスに指名され、即日ブルズにトレードされたピッペン。
全米では無名の大学出身だったピッペンは、ドラフト上位選手とは思えない安い年俸で契約しました。
それでもピッペンは、家族に仕送りできるお金を得たことで満足でした。
その後、ピッペンは徐々に頭角を現し、ジョーダンの相棒として認知されるようになっていきます。
1991年には、ついにマジックジョンソン率いるレイカーズを破ってNBAチャンピオンに輝きます。
この年、ピッペンはオールディフェンシブセカンドチームにも選出され、オフェンス、ディフェンスともに優れたオールラウンダーとして認知されたのです。
ブルズにとって欠かせないスターとなったピッペンは、チャンピオンになったオフに、ブルズと再契約を行います。
チームからの提示は200万ドル(約2億円)。
当時背中の痛みに悩まされていたピッペンは、金額よりも契約年数を重視し、7年間の契約を結びました。
1年200万ドル×7年間。
この契約がピッペンを苦しめることになったのです。
当時のNBAはジョーダンフィーバーもあり、また初代ドリームチームの世界的な人気爆発も重なって、一気に収益を伸ばしていました。
選手の年防も毎年増え続け、一流選手の年俸はそれまでの200万ドル(約2億円)から、一気に1000万ドル(約10億円)まで跳ね上がりました。
ピッペンの年俸200万ドルは、チームの控え選手よりも安くなってしまったのです。
ピッペンは何度もチームに契約の見直しを訴えますが、当時のジェネラルマネージャーであるジェリー・クラウスは相手にしてくれません。
結局2回目のの3ピートを達成する98年には、ピッペンの年俸200万ドルは、NBAの選手の年俸上位100位にすら入っていなかったのです。
ピッペンのトレード要求は、年俸の異常な低さと、それに伴うジェリー・クラウスとの確執からくるものでした。
後期3ピートの間には、何度かピッペンのトレード要求がニュースになりましたが、そのたびにジョーダンが強く反対し、おさめていました。
ピッペンがトレードでロケッツに移籍するのは、6度目の優勝を果たし、ジョーダンが2回目の引退をした1998年のことです。
KDのトレード要求について思うこと
バークレーとピッペンのトレード要求について思い返すと、現代と違い、権力を持つ所属チームに対しての闘いであったと思います。
バークレーの場合は、全力を尽くして頑張っても、チームを強化しようとしないフロントと闘い、最終的にトレード要求を突きつけました。
ピッペンの場合は、長期契約を結んでしまったために不当な安い契約を見直すよう、チームのジェネラルマネージャー、ジェリー・クラウスと闘い、結局見直しは認められませんでした。
二人とも、強大な力を持つチームに立ち向かってきました。
一方、KDはというと、自分を中心としてチームを造ってきたチームに対し、突然トレード要求を突きつけました。
年俸60億円を超える莫大な契約が、あと3年間も残っている状況での移籍希望は、通常では考えられないものです。
ただ、私がもっと不可解に思ったことは、トレード要求を突き付けられたニュージャージーネッツが、右往左往していることです。
もちろん、ニュースを信じるならばですが・・・。
90年代のチームフロントであれば、「何をばかげたことを言ってるんだ。」と一喝していたでしょう。
当時はチームの力が強かったですから。
そこから、バークレーやピッペンのように、チームと闘いながらも全力でプレーし、NBAの人気を高めてきた過去の選手たちの努力で、徐々に選手の権力が強くなり、今やパワーバランスの逆転が起こっています。
ひとつ言いたいのは、「ファンの思いを考えてほしい」ということです。
応援しているチームのエースが、莫大なお金を稼ぎながら、突然「トレード先を探してくれ。優勝できるチームじゃなきゃイヤだよ。」と言い出したらどう思うでしょう。
もし、KDのトレードが決まったら、ファンは「これはしょうがないな・・・」と思えるでしょうか?
今や50億円を超えるお金を一年で稼いでいるNBAのスター選手。
莫大な年俸を手にするということは、それだけチームやファンに対する大きな責任を負っているということを自覚してほしいと思います。
KDにはもう一度考え直して、ネッツで優勝を目指してほしいと強く訴えたいです。
NBAの頂点をつかめるだけの選手なのですから。
僕もそんなKDのファンだからこそ、厳しいことを書いてしまいました。
KDこのブログ読んでくれんかな・・・
めっちゃ怒るかな・・・