ビクター・ウェンバンヤマがまたやってくれました。
2月12日(日本時間13日)に行われたトロント・ラプターズ戦で、27得点 14リバウンド 10ブロックのトリプルダブルを記録したのです。
5アシスト、2スティールのおまけつき(笑)。
たった28分間のプレーで偉業を達成し、現在ウエスタンカンファレンス最下位のスパーズを勝利に導きました。
いつかは10ブロックするかと思っていましたが、54試合目でやっちゃうとは・・・。
スパーズがこのまま最下位でシーズンを終え、来年のドラフト1巡目全体1位を獲得しちゃったりなんかすると、あっという間に王朝完成しちゃうかも・・・と、夢が広がったりもします。
今シーズンは、ウェンバンヤマとチェット・ホルムグレン、2人の高身長スーパールーキーの活躍で、歴代の高身長選手に再度注目が集まっています。
当ブログでも、「歴代高身長選手まとめ①」でマヌート・ボル、ジョージ・ミュアサン、ヤオ・ミン、「歴代高身長選手まとめ②」で、ラルフ・サンプソンについて語ってきました。
今回は、第3弾として、ユタ・ジャズで活躍した史上最高のブロック王、マーク・イートンについて語ります。
それでは、レッツラゴー。
歴代高身長選手6位 マーク・イートン 224㎝
マーク・イートン(1982-93)
1957年1月24日生まれ 享年64歳
224㎝ 125㎏
1982年NBAドラフト4巡目72位(ユタ・ジャズ)
875試合出場 6.0得点 7.9リバウンド 1.0アシスト 3.5ブロック FG45.8%
NBA最優秀守備選手賞×2(1985 89)
NBAオールディフェンシブ1stチーム×3(1985 86 89)
NBAオールディフェンシブ2ndチーム×2(1987 88)
NBAオールスター選出(1989)
NBAブロック王×4(1984 85 87 88)
ユタ・ジャズ永久欠番 「53」
若きストックトン&マローンが猛威をふるっていた1980年代後半のユタ・ジャズで、ゴール下に仁王立ちしていたのが、224㎝の大巨人、マーク・イートンです。
NBAを35年間観つづけているわたくしリトルが、最初にファンになったチームが、ユタ・ジャズでした。
次々にノーマークをみつけパスを通してしまう、ジョン・ストックトンのコンピューターのようなプレイメイク。
立ちはだかるディフェンダーを跳ね飛ばしながら、リングにボールを叩きこむカール・マローンのダンプカーのようなパワープレイ。
そしてもう一人、わたくしリトルを夢中にさせたのが、ゴール下に立ちふさがり、相手のシュートを次々にたたき落とす、大巨人マーク・イートンでした。
個人的に特に好きだったのが、たまにしか見れない、イートンの左腕から放たれるミドルシュート。
積極的にシュートすることはあまりなかったのですが、意外に美しいフォームで、イートンがシュートを決めた時には、ホームのデルタセンターは、大きな盛り上がりをみせていました。
NBAにのめりこんでいった時期に夢中になった選手を、30年以上たった今語ることができるのは、本当にワクワクします。
マーク・イートン 学生時代~ユタ・ジャズ初期
1957年1月24日、カリフォルニア州南部のイングルウッドで生まれたマーク・イートン。
少年時代は、バスケットボールではなく、水球に夢中だったそうです。
高校卒業後は自動車整備工として3年間勤務。
その時に車の修理に来たお客さんに、「サイプレス・ジュニアカレッジ」バスケットボール部のアシスタントコーチがいました。
あまりにも規格外なサイズをもつ整備工に興味をもったアシスタントコーチは、イートンをジュニアカレッジのバスケ部に勧誘します。
サイプレス・ジュニアカレッジ入学後、一度フェニックス・サンズにドラフト5巡目107位で指名されますが、イートンは名門UCLAへの編入を決断します。
UCLAに編入したものの、イートンは大学時代優秀な選手というわけではありませんでした。
UCLAでの2年間で出場した試合は11試合。
出場時間はトータルで、わずか42分間でした。
大学で活躍することはできなかったイートンでしたが、その規格外の大きさに注目するNBAチームがありました。
リーグ下位に低迷していたユタ・ジャズです。
当時のユタ・ジャズは、得点王争いをしていたエイドリアン・ダントリーを中心に、攻撃力の高さを武器にしていました。
しかしディフェンス力はリーグ最低クラス。
少しでもディフェンス力をあげたいと考えていたジャズのフロントは、イートンのサイズに目をつけます。
ジャズは1982年のNBAドラフト、4巡目全体72位(当時は全23チーム)で無名の大巨人、マーク・イートンを指名しました。
現在NBAドラフトは2巡目までしかありませんが、当時は対象選手が尽きるまで何巡まででも指名ができましたから、ダメ元で指名したのです。
当時ユタ・ジャズのヘッドコーチだったフランク・レイデンは、マーク・イートンを指名した理由を記者に聞かれ、「身長は教えられるものではない」と答えています。
説得力満点ですね。
博打のような指名でしたが、イートンは入団1年目から大活躍。
先発センターだったダニー・シェイズ(いや、懐かしい!)からシーズン途中にポジションを奪うと、大きな身体を生かしたディフェンス力で、存在感を高めていきました。
ルーキーシーズンは81試合に出場(うち先発出場32試合)し、1試合平均3.4ブロックを記録。
新人ながらリーグ2位のブロックショットを記録し、注目を集めました。
2年目の1983-84シーズンには全82試合に出場し、うち78試合先発出場。
1試合平均4.3ブロックで、初のNBAブロック王に輝きます。
イートンの活躍もありユタ・ジャズは45勝37敗と勝ち越し、前身のニューオーリンズ・ジャズ創設後10シーズン目にして初めて、プレーオフに進出しました。
プレーオフでは1stラウンドでデンバー・ナゲッツを倒したものの、2ndラウンドでフェニックス・サンズに敗れます。
大きな喜びにわいたユタのファンでしたが、ここから20年連続プレーオフに進む強豪チームになるとは、誰一人想像すらしていなかったでしょうね(笑)。
充実のシーズンを終えたユタ・ジャズは、「史上最高のドラフト」とも言われる1984年のNBAドラフトに挑みました。
マーク・イートン ストックトン&マローンとの出会い
1984年のNBAドラフトには、多くの有望な選手がエントリーしていました。
マイケル・ジョーダン、アキーム・オラジュワン、チャールズ・バークレー・・・。
しかしユタ・ジャズの指名権は1巡目16位。
大学バスケ界でスーパースター級の選手が、16位まで残っているはずもなく、ユタのファンの期待もそれほど大きくはなかったんじゃないでしょうか?
ドラフト当日、次々とスター選手が指名されていく中、ユタ・ジャズが指名したのは、当時無名のゴンザガ大学の、無名のポイントガード、ジョン・ストックトン。
当時のNBAコミッショナー、デビッド・スターンが185㎝の小さな白人選手の名前を読み上げると、会場はブーイングに包まれました。
誰もストックトンのことを知らなかったのです。
テレビ解説者は、会場に響き渡ったのは、「ブーイング」ではなく、「フー(WHO?)イング」だと言っていました(笑)。
ストックトンの指名に驚いたのはファンやマスコミだけではありませんでした。
自宅のテレビで中継を見ていたストックトン自身が一番驚いたのではないでしょうか?
無名大学ながら、ロサンゼルスオリンピックの選考会にも呼ばれるほど、一部には実力を認められていたストックトンでしたが、後のインタビューで「NBAなんて思ってもいなかったし、ドラフトされるとは考えもしなかった。」と語っています。
テレビ中継していた解説者ですら、資料を持っていないほどでした。
そもそもゴンザガ大学の知名度が低かったため、「ゴンザガ大学のストックトンか?ストックトン大学のゴンザガか?」と本気で話題になっていたそうです。
ユタのファンや地元の記者からは、指名について批判が集まりましたが、ジャズのフロントやヘッドコーチのフランク・レイデンは、ストックトンの成功を確信していました。
ストックトンを見つけてきたスカウトを絶賛するコメントを出し、マスコミを挑発するほどでした。
ただ、ストックトンがその実力を発揮するのは、もうしばらく後の話です。
話をマーク・イートンに戻しましょう。
1984-85シーズン、マーク・イートンはこの年、生涯で最高のシーズンを過ごします。
1984-85シーズンのマーク・イートンのスタッツをまとめると・・・
82試合 34.3分出場 9.7得点 11.3リバウンド 1.5アシスト 5.6ブロック
全試合に先発、224㎝の巨体を持ちながら平均34.3分も出場しています。
とても大学時代11試合で合計42分間しか出場していなかった選手とは思えませんね。
得点、アシスト、リバウンドは11年間の現役生活の中で最高。
何より特筆すべきは、得意のシュートブロックで、シーズン平均5.6ブロックは、現在もNBAレコードとして記録されています。
マーク・イートンはこの年NBA最優秀守備選手賞を獲得、スター選手の仲間入りを果たしました。
ユタ・ジャズはこの年41勝41敗と前年より勝率を落としたものの、プレーオフには進出。
ストックトンはバックアップポイントガードとして、平均18.2分のみ出場し、5.1アシストを記録したものの、まだ注目を集めるほどではありませんでした。
そして、2年連続、運命のNBAドラフトを迎えます。
1985年のNBAドラフトも、前年に負けないほど優秀な選手が集まった、大豊作のドラフトでした。
しかしこの年ジャズの指名権は1巡目13位。
前年と同じく、スーパースターを獲得できるチャンスは少ないかと思われました。
そんな中獲得したのが、ルイジアナ工科大学のパワーフォワード、カール・マローンでした。
ロサンゼルスオリンピックの選考会に参加し、ストックトンとも顔を合わせていたマローンでしたが、まさかNBAの舞台で18シーズンもの長い間コンビを組むことになるとは、夢にも思っていなかったでしょう。
1985-86シーズン、マーク・イートンは80試合に先発出場し、4.6ブロックを記録するなど、守護神として変わらぬ活躍をみせました。
ジョン・ストックトンは82試合中38試合に先発出場し、平均23.6分の出場ながら、7.4アシストと実力の片りんを見せ始めます。
カール・マローンはオールルーキー1stチームに選出。
しかしチーム成績は42勝40敗と、前年とほぼ変わらないままでした。
翌1986-87シーズンも44勝38敗とウエスタンカンファレンス4位でプレーオフに進むことはできましたが、1stラウンドでゴールデンステイト・ウォリアーズに敗れ、シーズンを終えています。
マーク・イートン 強豪ユタ・ジャズの守護神に
ユタ・ジャズの運命を大きく変えることになった1987-88シーズン。
この年、ジャズは大きな決断を下します。
長年ジャズの先発ポイントガードを務めてきたリッキー・グリーンを控えに回し、ジョン・ストックトンを先発に抜擢したのです。
ストックトンは期待を大きく超える活躍をみせます。
全82試合に出場し、平均14.7得点と前年から得点を倍増。
平均13.8アシストを記録し、自身初のNBAアシスト王に輝きました。
2年目のカール・マローンも、ストックトンのアシストを受け、平均27.7得点 12.0リバウンドのモンスタースタッツを記録し、ジャズは47勝35敗を記録。
2人の若きスター選手の攻撃力に注目が集まりましたが、ジャズ好調の理由は、ディフェンス力にありました。
このシーズン平均得点はリーグ10位、平均失点はリーグ5位。
ディフェンスの要は、もちろんマーク・イートンでした。
得点をとれる選手が増えたこともあり、平均得点は下がりましたが、得意のブロックショットは平均3.7と、4度目のブロック王に輝く活躍をみせます。
しかしジャズはプレーオフに進んだものの、またもやカンファレンスセミファイナルの壁を破ることはできませんでした。
マーク・イートンにとって、2度目の最優秀守備選手賞に輝くことになる1988-89シーズン。
ストックトン&マローンもさらに成長をみせ、このシーズン途中からヘッドコーチとなったジェリー・スローンの采配もあり、ジャズはチーム創設以来最高の55勝27敗を記録します。
オールスターには、ユタ・ジャズからジョン・ストックトン、カール・マローン、そしてマーク・イートンの3人が選出され、カール・マローンがMVPを獲得するなど、一大旋風を巻き起こしました。
ユタ・ジャズは絶好調のシーズンを過ごしたものの、プレーオフでは1stラウンドでフェニックス・サンズに敗れ、あっけなくシーズンを終えてしまいます。
イートンは3年連続5度目のブロック王は逃したものの、ディフェンスでの貢献の大きさが認められ、2度目のNBA最優秀守備選手賞を受賞し、守護神としての評価を不動のものとしました。
ちなみにこのシーズン、ブロック王に輝いたのは、身長231㎝のマヌート・ボルでした。
1989-90シーズンもジャズの勢いは続き、ジャズは55勝27敗を記録。
ストックトン&マローンのピック&ロールは、NBAで最強のコンビプレーと呼ばれ、もはや止める術はなくなっていました。
カール・マローンが記録した平均31.0得点は、マイケル・ジョーダンに次ぐリーグ2位。
ジョン・ストックトンが記録した平均14.5アシストは、2位のマジック・ジョンソンに3.0差をつける、圧倒的なものでした。
しかしこのシーズン、守護神マーク・イートンの動きに陰りがみえてきます。
30代中盤に差しかかり、スピードで翻弄される場面が増え、ブロックに遅れる場面が増えてきました。
それでも、必死で両手を伸ばす大きな身体は相手の脅威となり、この年の最優秀守備選手賞の投票では5位となっています。
マーク・イートン 現役終盤から引退後
1990-91シーズン、91-92シーズンと、マーク・イートンはユタ・ジャズの守護神として全試合先発出場を続けましたが、次第にインパクトは小さくなっていきます。
ちなみに、1990-91シーズン開幕戦、「第1回ジャパンゲームズ」として、ユタ・ジャズはフェニックス・サンズと東京で戦ったのですが、ぜひ以前書いた記事をご覧ください。
今思い出しても、悔しい思いでいっぱいです。
1991-92シーズン、ユタ・ジャズはついにカンファレンスファイナル進出を果たします。
しかし、イートンの衰えは顕著で、かつてユタ・ジャズの強みだったセンターポジションは、ウイークポイントとみらるようになっていました。
ストックトン&マローンが、初代ドリームチームの一員として世界に衝撃を与えた後の、1992-93シーズン。
現役最後となったシーズン、イートンは出場した64試合のうち57試合で先発出場したものの、得意のブロックは平均1.2本に終わり、シーズン終了後に引退を決断しました。
キャリアの晩年、膝と背中の故障に苦しんでいた35歳のイートンには、もうパワーは残ってなかったのです。
マーク・イートン引退後のユタ・ジャズのさらなる躍進は、周知のとおりかと思います。
ただ、ストックトン&マローンとともに、イートンがユタ・ジャズを強豪に押し上げたことは間違いない事実です。
35年間ユタ・ジャズファンを続けているわたくしリトルにとって、ジャズのセンターといえば、やはりマーク・イートンなのです(ゴベアすまん)。
同じ身長のビクター・ウェンバンヤマのようなスピードやテクニックは、まったく持っていなかったイートンですが、常に両手を上げ、愚直にリバウンドやブロックに飛ぶ姿勢こそ、ビッグマンのあるべき姿だと思います。
マーク・イートンが記録したレギュラーシーズン3064ブロックは、カリーム・アブドゥル・ジャバーに次ぐ歴代2位の記録。
生涯平均3.5ブロックは、今なお歴代1位の記録です。
1984-85シーズンに記録した、平均5.6ブロックはも、NBAのシーズン記録となっています。
イートンと同じ224㎝のゴールデンルーキー、ビクター・ウェンバンヤマは、マーク・イートンが持つブロックショットの記録に、どこまで近づいていけるのでしょうか?
マーク・イートンはNBA引退後、地元のテレビ局で、ユタ・ジャズやユタ大学のバスケットボール中継の解説者として活躍していました。
ジャズの後輩にあたる、正統派センター、ルディ・ゴベアは、たびたびイートンにアドバイスを求めていたそうです。
2013年のスラムダンクコンテストでは、前年のチャンピオンだったユタ・ジャズのジェレミー・エバンスが、イートンを連れて出てきたので、大きな盛り上がりをみせました。
そのあと、「おい、座らせるんかい!」と世界中からのツッコミが入ることになりましたが(笑)。
多くの人に愛されたマーク・イートンとの別れは突然やってきました。
2021年5月28日、ユタ州パークシティーの自宅から自転車で外出したまま、マーク・イートンは帰らぬ人となってしまったのです。
イートンは道路で倒れているところを、通行人に発見されました。
事故にあった形跡はなく、突然死との判断がされました。
ユタ・ジャズ初の永久欠番となった名センター、マーク・イートンは、こうして64年の生涯を終えたのです。
ちなみに、ゴベアがイートンを追悼し、SNSにあげた写真をみて驚きました。
初めて、ゴベアのことを「小さいな」と感じてしまいましたから。
まとめ ウェンバンヤマはイートンを超えるのか?
今回は、NBAの歴史に残る大巨人、マーク・イートンについて語りました。
一番NBAに夢中になった時代、大好きだった選手ですから、つい熱くなってしまいましたね。
正直、イートンを超えるショットブロッカーは、もう2度と出てこないかと思っていました。
シーズン平均5.6ブロックは、エグすぎるでしょう。
ビッグマンの肩身が狭くなったここ最近のトレンドからいっても、イートンの記録を超えるようなビッグマン登場は予想していませんでした。
まさか同じ224㎝で、オフェンスもディフェンスも、すべてを最高レベルでこなすプレーヤーが現れるとは・・・。
こうなったら、「ウェンバンヤマにブロック記録も破ってもらえばいいや」という気持ちになっています。
イートンも納得してくれるでしょう。
NBAのすべてをぶち壊す活躍を期待したいと思います。
とにかく、若いNBAファンにも、マーク・イートンの魅力を知っていただけたなら、記事にしたかいがあったと思います。
ストックトン&マローン+イートンの時代は、本当に熱かったですね。
現代のNBAだけでなく、昔のNBAについても、また語っていきたいと思います。
お付き合いいただき、ありがとうございました。