これまで2回にわたり、NBAデビュー~ピストンズとの死闘~前期3ピート~父の死~大リーグへの挑戦~NBAへの復帰と、マイケル・ジョーダンの軌跡をたどってきました。
今回は大リーグからNBAへ復帰したものの、オーランド・マジックにプレーオフで屈辱の敗戦を喫した翌年、1995-96シーズンからの物語を語っていきたいと思います。
NBAを35年間観つづけているわたくしリトルからみても、現在のNBAの盛り上がりは素晴らしいと思います。
〝キング″レブロン・ジェームズ、ステフィン・カリーらベテラン選手から、二コラ・ヨキッチ、ルカ・ドンチッチ、ヤニス・アデトクンボなどのヨーロッパ出身のスーパースター、アンソニー・エドワーズやタイリース・ハリバートンら若手選手、そしてビクター・ウェンバンヤマ。
多くの才能あふれるスター選手たちがしのぎをけずり、バスケットボールのレベルを大きくあげています。
選手たちのサラリーも莫大なものとなり、隆盛をきわめているNBA。
そんな現在のNBAの盛り上がりは、一人の選手のドラマから始まったと言っても過言ではないかと思います。
今回は、マイケル・ジョーダンの物語、最終章です。
1995-96 マイケル・ジョーダン 涙の復活優勝
前年大リーグ挑戦を終え、シカゴ・ブルズに復帰したジョーダンでしたが、シャキール・オニール、アンファニー・ハーダウェイ擁するオーランド・マジックに、プレーオフで敗れ去りました。
ジョーダン自身、大事な場面でミスを繰り返し、相当なショックを受けていたと思われます。
野球に全力を打ち込んでいた間に体重が増え、バスケ仕様の体型ではなくなっていたジョーダンですが、1995-96シーズン開幕前には、引き締まった筋肉をまとうバスケットボール選手の身体に戻っていました。
背番号も23番にもどし、ただならぬ雰囲気をまとっていたように思います。
そして、優勝に向けて闘志を燃やしているのは、ジョーダンだけではありませんでした。
シカゴ・ブルズのフロントも大胆な動きをみせます。
控えセンターだった、前髪フーフーでおなじみのウィル・パデューと交換で、サンアントニオ・スパーズの問題児デニス・ロッドマンを獲得したのです。
ロッドマンは当時ヘッドコーチだったボブ・ヒルに氷の入った袋を投げつけたり、エースだったデビッド・ロビンソンを批判したりと、スパーズの中で問題児となっていました。
扱いに困ったスパーズのフロントは、戦力的にはつり合いがとれないウィル・パデューとの交換でも、とにかくロッドマンを放出したかったのです。
かつてデトロイト・ピストンズで、ジョーダンやピッペンを何度もフロアに叩きつけてきた悪童ロッドマンのブルズ入りには、衝撃を受けましたね。
ブルズにとって最凶最悪の敵が味方になるという、あまりにもドラマティックな展開に、釘づけになってしまいました。
こうして生まれたジョーダン、ピッペン、ロッドマンのビッグ3は、想像以上のケミストリーを構築し、ブルズは当時のNBA新記録、レギュラーシーズン72勝10敗を記録。
NBAの歴史の中で、シーズン70勝を超えた初めてのチームとなります(のちに2015-16シーズンのゴールデンステイト・ウォリアーズが73勝9敗を記録。ただし優勝はならず)。
「ロッドマンの加入によって、ブルズが崩壊するのでは?」という意見も飛びかっていましたが、結果は歴代最強チームの誕生となりました。
1995-96シーズン、マイケル・ジョーダンのスタッツは・・・
1995-96 レギュラーシーズンスタッツ
82試合 平均37.7分出場
30.4得点 6.6リバウンド 4.4アシスト 2.2スティール FG49.5% 3P42.7%
野球に挑戦していた間のブランクを完全に取り戻し、リーグ最強の選手としてブルズを牽引しています。
1度目の引退以前は、強引なドライブからのダンクや、ダブルクラッチ・トリプルクラッチなどのアクロバティックなプレーが持ち味でしたが、復帰後はフェイダウェイなどのジャンプシュートを主体とした、無理のない得点方法を選択するようになっていました。
それでもスタッツは引退前と変わらず圧倒的でしたね。
ジョーダンは4回目のシーズンMVPを受賞。
当然のようにオールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームに選出され、リーグ得点王に返り咲きます。
オールスター戦でもMVPを受賞するおまけ付き。
マイケル・ジョーダン完全復活を印象付けたシーズンでした。
記録的なレギュラーシーズンの勢いそのままに、ブルズはイースタンカンファレンス1位でプレーオフに挑みます。
1stラウンドではマイアミ・ヒートを4勝0敗でスウィープ。
カンファレンスセミファイナルではニューヨーク・ニックスを4勝1敗で一蹴。
カンファレンスファイナルでは前年に屈辱の敗戦を喫したオーランド・マジックを、4勝0敗でスウィープし、リベンジを果たします。
圧倒的な強さをみせ、NBAファイナルに進出しました。
NBAファイナル1996 ジョーダンvsケンプ&ペイトン
ファイナルの敵はウエスタンカンファレンス1位のシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)。
ブルズに次ぐ攻撃力を誇っていたソニックスは、若さあふれるチームでした。
チームの中心は当時26歳だったパワーフォワードのショーン・ケンプと、当時27歳だったポイントガードのゲイリー・ペイトン(現在ゴールデンステイト・ウォリアーズのゲイリー・ペイトン二世の父)。
圧倒的な身体能力を誇るダンカー、ショーンケンプと、当時最高のペリメーターディフェンダーであり、優秀なパサーでもあった司令塔ゲイリー・ペイトンのコンビは、レギュラーシーズン猛威をふるいました。
シーズン64勝18敗を記録したソニックスは、ウエスタンカンファレンスセミファイナルで前年のチャンピオン、ヒューストン・ロケッツを4勝0敗のスウィープで下すと、カンファレンスファイナルではストックトン&マローン擁するユタ・ジャズに最終第7戦で競り勝ち、ファイナルに駒を進めます。
こうして1996年のNBAファイナルは、リーグ勝率1位のシカゴ・ブルズ対勝率2位のシアトル・スーパーソニックスの戦いとなったのです。
ファイナル第1戦、ジョーダンは28得点を記録。
ショーン・ケンプには32得点を奪われたものの、ブルズはスコッティ・ピッペンが21得点、ポイントガードのロン・ハーパーが15得点、センターのルーク・ロングリーが14得点、6thマンのトニー・クーコッチが18得点とバランスのよい攻撃をみせ、107-90で勝利します。
第2戦は終盤にソニックスが粘りをみせたものの、ジョーダンが29得点 6リバウンド 8アシスト、スコッティ・ピッペンが21得点7リバウンド、デニス・ロッドマンが10得点 20リバウンドとビッグ3が活躍したブルズが92-88で2連勝。
戦いの場をシアトルに移した第3戦は、ジョーダンの36得点の活躍もあり、ブルズが108-86で圧勝。
ブルズファンはスウィープ(4勝0敗)への期待を高めました。
しかしここからソニックスが反撃をみせます。
シアトルでの第4戦、ホームの大歓声に後押しされたソニックスは意地をみせ待望の1勝をあげます。
第5戦はソニックスのディフェンスが、リーグナンバー1のオフェンスチームであるブルズを沈黙させ、78-89のロースコアとなった試合を制し、2連勝。
王手をかけながら2試合足踏みをしたブルズは、シカゴに移った第6戦で、ついに勝負を決めます。
ジョーダンは22得点を記録したものの、フィールドゴール成功率は26.3%と絶不調。
しかし、ピッペンが17得点 8リバウンド 5アシスト 4スティール、ロッドマンが9得点 19リバウンド(!) 5アシスト 3スティールを記録し、87-75のディフェンス合戦を、シカゴ・ブルズが制しました。
試合残り時間21秒、勝利を確信したフィル・ジャクソンHCはジョーダンとピッペンをベンチに下げます。
チームメイト、コーチたちと熱い抱擁をくりかえすジョーダン。
試合終了と同時にベンチから飛び出してきたジョーダンは、ボールを抱え込みフロアに倒れこむと、その後ボールを持ったまま一人でロッカールームへ。
ロッカールームで一人ボールを抱きかかえたまま倒れこみ、号泣しつづけるマイケル・ジョーダンが印象的でした。
父を殺され、父の好きだった大リーグに挑戦したジョーダンは、一回り大きくなってNBAの頂点に返り咲いたのです。
運命のいたずらでしょうか、ブルズが優勝を決めたこの日、アメリカでは〝父の日″でした。
1996年 NBAプレーオフとファイナル、ジョーダンのスタッツは・・・
1996NBAプレーオフ スタッツ
18試合 平均40.7分出場
30.7得点 4.9リバウンド 4.1アシスト 1.8スティール FG45.9% 3P40.3%
1996NBAファイナル スタッツ
6試合 平均42.0分出場
27.3得点 5.3リバウンド 4.2アシスト 1.7スティール FG41.5% 3P31.6%
ジョーダン自身、決して絶好調とは言えませんでしたが、チームメイトの成長、デニス・ロッドマンの活躍もあり、チーム力で優勝を勝ちとりました。
ジョーダンは4度目のファイナルMVPを獲得。
前年オーランド・マジックに敗れた屈辱を糧に、ジョーダンはNBAの頂点に返り咲きました。
1996-97 マイケル・ジョーダン 連覇への挑戦
NBAチャンピオンとして迎えた1996-97シーズンも、シカゴ・ブルズは圧倒的な強さを見せつけます。
開幕から12連勝とスタートダッシュに成功すると、前年から3つ勝ち星を落としたものの、リーグトップの69勝13敗を記録。
デニス・ロッドマン(27試合欠場)とトニー・クーコッチ(25試合欠場)のケガによる離脱がなければ、前年以上のチーム記録を残していたかもしれませんね。
このシーズン、マイケル・ジョーダンのスタッツは・・・
1996-97 レギュラーシーズンスタッツ
82試合 平均37.9分出場
29.6得点 5.9リバウンド 4.3アシスト 1.7スティール FG48.6% 3P37.4%
NBA3年目以降で(シーズン途中で復帰した1994-95シーズンを除くと)、初めて平均得点が30点を切りましたが、それでも9度目の得点王に輝きます。
平均得点で2位のカール・マローン(ユタ・ジャズ)が平均27.4得点ですから、圧倒的な1位です。
リーグトップの選手が平均30得点を楽々超えている現在と違い、当時のルールではハンドチェックが禁止になっていませんでしたから、かなりディフェンスが有利な状況でした。
そんな中、一人異次元の得点力と勝負強さを発揮していたジョーダンは、〝神″と呼ばれるにふさわしい存在でしたね。
1986-87シーズン、ジョーダンは当然オールNBA1stチームとNBAオールディフェンシブ1stチームに選出。
しかし、シーズンMVPに輝いたのはユタ・ジャズのカール・マローンでした。
マイケル・ジョーダンを神とあがめていたわたくしリトルですが、ストックトン&マローンにも人一倍思いが強かったため、マローンのMVP受賞にはテンションが上がりましたねえ。
マローンは82試合すべてに先発出場し、1試合平均27.4得点 9.9リバウンド 4.5アシスト 1.4スティールを記録。
ユタ・ジャズをブルズに次ぐリーグ2位、64勝18敗の好成績に導きました。
「今年こそユタ・ジャズがチャンピオンになる年だ!」
「ブルズはもう4回優勝したし、ストックトン&マローンが歓喜する姿をみたい!」
と考えていたことを思い出します。
プレーオフに入っても、ブルズとジャズの勢いは続きました。
ブルズは1stラウンドでワシントン・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)を3-0、カンファレンスセミファイナルでアトランタ・ホーククスを4-1、カンファレンスファイナルでマイアミ・ヒートを4-1で倒し、当然のようにNBAファイナルに進みます。
ジャズは1stラウンドでロサンゼルス・クリッパーズを3-0、カンファレンスセミファイナルでロサンゼルス・レイカーズを4-1、カンファレンスファイナルでヒューストン・ロケッツを4-2で倒し、危なげなく球団史上初めてのNBAファイナルに進出しました。
NBAファイナル1997 ジョーダンvsストックトン&マローン
シカゴ・ブルズとユタ・ジャズはともにベテランスーパースターを主力としたチームでした。
NBAファイナル開始時点での主力選手の年齢をまとめると・・・
シカゴ・ブルズ
マイケル・ジョーダン 1963年2月17日生
34歳
スコッティ・ピッペン 1965年9月25日生
31歳
デニス・ロッドマン 1961年5月13日生
36歳
ユタ・ジャズ
ジョン・ストックトン 1962年3月26日生
35歳
カール・マローン 1963年7月24日生
33歳
1997年のNBAファイナル開始時、チームの主力がかなり高齢だったことが、おわかりいただけるかと思います。
実際1996-97シーズン、ストックトンは9年連続で保持してきたアシスト王のタイトルを、当時インディアナ・ペイサーズに所属していたマーク・ジャクソンに奪われています。
体力的には衰えがみられるようになる年齢になったストックトンですが、経験に裏打ちされた自信、そして勝利への渇望は過去最高に高まっていました。
ストックトンもマローンと同様、ベテランながらシーズン82試合すべてに先発出場をはたしていますから、2人が鉄人と言われるのも納得です。
ブルズではデニス・ロッドマンが36歳となっていましたが、リバウンド力、ディフェンス力には陰りがみえず。
シーズン平均16.1リバウンドは、リーグ2位のディケンベ・ムトンボが記録した11.6リバウンドに大差をつける、驚異的な記録でした。
イースタンカンファレンスとウエスタンカンファレンス、それぞれで圧倒的な強さを発揮してきた両チームの戦いは、手に汗を握る大接戦で幕をあけました。
シカゴで行われた第1戦。
ブルズのスコッティ・ピッペンが27得点 9リバウンド 4ブロックと攻守に大活躍をみせると、ジャズはカール・マローンが23得点 15リバウンド、ジョン・ストックトンが16得点 12アシスト 3スティールで応戦します。
試合残り時間9秒、82-82の同点の場面、フリースローラインに立つカール・マローン。
緊張の中、フリースローに挑むマローンに、ピッペンがささやきます。
「メイルマンは日曜日には配達しないよ」
毎試合必ず得点を届けるため、マローンには「メイルマン(郵便配達人)」というニックネームがついていました。
第1戦当日が日曜日だったため、ピッペンはマローンに洒落のきいた言葉でプレッシャーをかけたのです。
ピッペンの言葉が効いたのか、マローンはフリースローを2本とも落としてしまいます。
残り7.5秒、マイケル・ジョーダンには十分な時間でした。
トップ・オブ・ザ・キーでドリブルしながら、ディフェンスにつくブライオン・ラッセルをあざ笑うかのように
左に大きくボールをつき出しジャンプシュート。
ボールは試合終了のブザーと同時にリングをくぐり抜けました。
これまで何度も観てきたジョーダンのブザービーターによって、ブルズは初戦を制したのです。
第2戦は、シカゴ・ブルズのディフェンスがジャズを沈黙させ、97-85でブルズが完勝。
会場をユタ・ジャズのホームコート、デルタセンターに移した第3戦。
熱狂的なジャズファンの声援に後押しされたマローンが37得点 10リバウンド 4スティール、ストックトンが17得点 7リバウンド 12アシストと本来の力を見せつけます。
ブルズはジョーダンが26得点、ピッペンが27得点を記録したものの、93-104でユタ・ジャズに敗れてしまいました。
第4戦は、激しいディフェンス合戦の中、第4クオーターでビッグプレーが飛び出します。
73-72とブルズが1点リード、試合残り時間1分を切った場面で、ジョーダンがジャンプシュートをミス。
リバウンドを奪ったストックトンは、すでに逆サイドの相手ゴールに向かってダッシュしていたマローンに超ロングパス。
必死にディフェンスに戻ったジョーダンの手をかすめ、マローンにわたったボールは、楽々とリングに流し込まれました。
勢いにのったジャズは、その後ブルズに追加点を許さず、73-78で第4戦を勝利。
2勝2敗のタイに追いつきます。
第4戦は22得点 4リバウンド 4アシストと抑え込まれたジョーダン。
第5戦での爆発が期待されましたが、思わぬ悲劇がジョーダンを襲ったのです。
NBAファイナル1997 第5戦 インフルエンザゲーム
ファイナルの運命を占う大事な第5戦を前に、マイケル・ジョーダンの身体に異変がおきます。
NBAファイナル第5戦の前日、猛烈な倦怠感でベッドから起き上がることもできなくなったのです。
ドクターの診断は食中毒。
試合開始時間ギリギリにジャズのホームコート、デルタセンターに向かったジョーダンでしたが、試合に出場できる状態でないのは、誰の目にも明らかでした。
それでもジョーダンは強行出場します。
試合開始からジャズがストックトン&マローンを中心に猛攻をしかけ、第1クオーターは16-29とジャズが大きくリードを奪いました。
明らかに動きが悪いジョーダン。
しかし第2クオーターになると、ジョーダンが静かに逆襲を開始します。
表情はうつろながら、淡々とジャンプシュートを沈めていくジョーダン。
速攻でピッペンがレイアップをミスしたところをプットバックで押し込むなど、徐々に本来の動きを取り戻します。
第2クオーターだけでジョーダンは17得点を記録しました。
ハーフタイムをはさんだ第3クオーター、ジョーダンはみるからに身体が重そうでした。
コートに立っているのがやっとの状態で、テレビを観ながら「もう無理やろ。休ませてやれよ」と思っていましたね。
第3クオーター、ジョーダンの得点は2点のみ。
それでも他のメンバーが意地をみせ、なんとか67-72の5点ビハインドで最終クオーターへ。
そしてシリーズの行方を占う大事な最終クオーター、マイケル・ジョーダンが一つの伝説をつくります。
ジョーダンは次々とシュートを決めると、試合時間残り25秒、85-85同点の場面で、値千金の3ポイントシュートをヒット!
直後にジャズに2点を返されますが、ラスト6.2秒、素早いパス回しから、試合を決定づけるブルズのセンター、ルーク・ロングリーのダンクが決まります。
すかさずジャズのジェリー・スローンがタイムアウトをコールすると、ジョーダンは立っているのも難しいのか、ピッペンに抱きかかえられベンチへ。
ジョーダンをねぎらうように微笑むピッペンが印象的でした。
(仲直りしてくださいよ~!)
結果第5戦は90-88でブルズが勝利。
マイケル・ジョーダンは体調不良に苦しみながらも44分17秒出場し、38得点 7リバウンド 5アシスト 3スティールと圧倒的なスタッツを残し、勝利に貢献しました。
ジョーダンの体調不良に関しては、ピザによる食中毒、インフルエンザ・・・などいろいろな説がありますが、ファイナル第5戦は「インフルエンザゲーム」と呼ばれ、今でも語り継がれています。
3勝2敗とブルズがリーチをかけて迎えた第6戦は大接戦となります。
86-86の同点で迎えた残り28秒からのブルズスローインの場面。
誰もがジョーダンのラストショットを期待しましたが、シュートを打ったのは伏兵スティーブ・カーでした。
ジョーダンは、自分に2人のディフェンダーを引きつけ、フリーになったスティーブ・カーにラストパスを送ったのです。
以前のジョーダンでは考えられない選択でした。
最後は残り5秒からのジャズのスローインをピッペンがスチールし、パスを受けたクーコッチがダンクを叩きこみ、観客の興奮は最高潮。
前年優勝を決めた時には号泣していたジョーダンも、満面の笑顔で仲間と抱擁を繰り返していました。
心から優勝を満喫している姿に感動しましたね。
1997年 NBAプレーオフとファイナル、ジョーダンのスタッツは・・・
1997NBAプレーオフ スタッツ
19試合 平均42.3分出場
31.1得点 7.9リバウンド 4.8アシスト 1.6スティール FG45.6% 3P19.4%
1997NBAファイナル スタッツ
6試合 平均42.7分出場
32.3得点 7.0リバウンド 6.0アシスト 1.2スティール FG45.6% 3P32.0%
ストックトン&マローンという強敵を相手に、〝神″の力をみせつけたファイナルでした。
1997-98 マイケル・ジョーダン ラストダンス
史上最強チームと言われたブルズが3連覇を目指した1997-98シーズンは、なんともせつないシーズンでした。
夏のシーズンオフに、選手とフロントの確執が表面化したのです。
特にスコッティ・ピッペンとゼネラルマネージャー(GM)のジェリー・クラウスの確執は話題となりました。
1991年に7年総額1800万ドルの長期契約を結んでいたため、オールスター選手となったにもかかわらず、1997-98シーズンの年俸はわずか260万ドル(当時約3億1200万円 1㌦=120円)、リーグで122番目という超低評価だったのです。
あまりにも実力に見合わないサラリーに、ピッペンは契約を見直すよう直訴しますが、クラウスは相手にせず。
ピッペンはトレード希望を公言するようになりました。
クラウスGMは、名将フィル・ジャクソンに対しても「このシーズンがブルズでのラストシーズンになる」「フィルは82勝0敗を記録しても、指揮官であり続けることは絶対にない」と伝えたと言われています。
フィル・ジャクソンHCは新シーズンに向けた最初のミーティングで、表紙に「ラストダンス」と書かれたハンドブックを配り、特別なシーズンになることを示唆しました。
マイケル・ジョーダンも「フィルとピッペンが辞めるなら、僕も辞める」と語っています。
こうして、ブルズ崩壊が確定したシーズン〝ラストダンス″が始まります。
ちなみに、今年(現地時間2024年1月12日)行われた、ブルズの発展に貢献した人物を表彰するリング・オブ・オーナーで、故ジェリー・クラウスを表彰し、妻が代理人として出席していたのですが、会場のブルズファンから盛大にブーイングをくらっていました。
確かに最強ブルズを崩壊させた人物ですから、気持ちはわかりますが、最強ブルズをつくった人物でもありますからねえ。
とにかく奥さんがかわいそうでした。
1997-98シーズンは、スコッティ・ピッペンがケガのため開幕から35試合を欠場したこともあり、シーズン序盤は苦戦したブルズでしたが、徐々に本来の力を発揮。
マスコミでも連日「ラストダンス」の言葉が飛び交い、NBAが最も栄えた一つの時代が終わってしまうという哀愁がただよっていました。
ピッペンは1月10日に復帰。
ピッペンが出場したレギュラーシーズンの47試合で、ブルズは38勝9敗を記録します。
3月には13連勝をかざり、ブルズは62勝20敗のイースタンカンファレンス首位で、プレーオフに進みました。
1997-98シーズン、ジョーダンのスタッツは・・・
1997-98 レギュラーシーズンスタッツ
82試合 平均38.8分出場
28.7得点 5.8リバウンド 3.5アシスト 1.7スティール FG46.5% 3P23.8%
ジョーダンにとって10度目の得点王は、2位のシャキール・オニールと0.4差という僅差の争いを制したものでした。
ジョーダンは常連のオールNBA1stチーム、NBAオールディフェンシブ1stチーム選出に加え、5回目のシーズンMVPも受賞しています。
加えてオールスターのMVPも受賞し、とても引退を噂される選手とは思えない異次元の活躍をみせました。
誰もがジョーダン最後のシーズンであることを予感しながら、戦いの舞台はプレーオフに移っていきます。
プレーオフに入ると、ブルズは1stラウンドでニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)を3勝0敗、カンファレンスセミファイナルでシャロット・ホーネッツを4勝1敗で危なげなく倒し、カンファレンスファイナルへ。
迎えるはイースタンカンファレンス2位の58勝24敗を記録したインディアナ・ペイサーズ。
ブルズは最終第7戦までもつれこむ大熱戦を制し、なんとか3年連続となるNBAファイナルに進みました。
NBAファイナル1998 ジョーダンvsストックトーン&マローン 再び
ファイナルの相手は2年連続ストックトン&マローンのユタ・ジャズ。
レギュラーシーズンを62勝20敗と、ブルズとまったく同じ成績で終えたジャズは、ウエスタンカンファレンスの第1シードとしてプレーオフに挑むと、1stラウンドでヒューストンロケッツ、カンファレンスセミファイナルでサンアントニオ・スパーズ、カンファレンスファイナルでロサンゼルス・レイカーズを破り、2年連続NBAファイナルの舞台に進出してきました。
勝率は全く同じ2チームでしたが、シーズン中の対決ではジャズが2勝0敗とブルズを倒していたため、前年とは違い、ジャズがホームコートアドバンテージを獲得します。
迎えた第1戦。
ユタのデルタセンターで、満員の観客の大声援に後押しされたジャズが奮起します。
カンファレンスセミファイナルでペイサーズ相手に第7戦までもつれこんだブルズと、シャック&コービーのレイカーズをスウィープ(4勝0敗)で下したジャズ。
コンディション的には、ジャズが優位だと言われていました。
予想どおり、前半からジャズ優勢で試合は進みますが、第4クオーターでブルズが8点差を追いつき、初戦からオーバータイムに突入。
オーバータイムでは、ストックトンの7得点の活躍もあり、初戦はジャズが勝利します。
ジョーダンは33得点と活躍しますが、チームとしては苦しいスタートとなりました。
第2戦も接戦は続きます。
ブルズがリードを広げては、ジャズが追いつく展開。
勝負をかけた第4クオーター、13得点を記録したジョーダンの活躍で、ブルズは敵地で貴重な勝利をつかみます。
ジョーダンは37得点の活躍で、MVPの凄みをみせつけました。
シカゴに戦いの場を移した第3戦は、ブルズが96-54で記録的な圧勝。
第4戦は再び接戦となるも、試合終盤にこのファイナル、先発の座をトニー・クーコッチに譲っていたデニス・ロッドマンが貴重なフリースローを2本沈め、86-82でブルズが勝利をおさめました。
3連勝と勢いに乗ったブルズは、ホームコートのユナイテッドセンターで勝負を決めるべく、第5戦に挑みます。
しかしここでブルズの前に立ちはだかったのが、ジャズのエース、カール・マローンでした。
NBAファイナルでの4試合で平均20.0得点 シュート成功率43.8%といまいち波にのれず、批判を浴びていたマローンは、この試合27本中17本のシュートを沈め、39得点を記録。
ブルズが6点をリードして迎えた第3クオーター、マローンは一人で17得点を記録しジャズに勢いをもたらすと、チームを勝利に導きました。
最終スコアは81-83。
ジョーダンは28得点をあげたものの、シュート成功率は34.6%。
第4クオーターで7本のシュートを放ったものの、1本しか決めることはできず、ブルズを優勝に導くことはできませんでした。
シカゴのユナイテッドセンターは、優勝セレモニーのため万全の準備を整えていましたが、残念ながらすべてが無駄になってしまったのです。
NBAファイナル1998 第6戦 ラストショット
ユタのデルタセンターに決戦の場所を移した第6戦。
ブルズに緊急事態が発生します。
マイケル・ジョーダンの相棒、スコッティ・ピッペンの腰痛が激しくなり、思うように動けなくなったのです。
鎮痛剤を打ち試合に出場したピッペンでしたが、第6戦の出場時間は25分43秒にとどまり、8得点に終わっています。
ブルズにとって絶体絶命のピンチと思われましたが、世界一の負けず嫌い、ジョーダンの凄みを見せつけられることになるのです。
ジョーダンは前半だけで23得点を記録。
ジャズもカール・マロ―ンが20得点で対抗し、ジャズの4点リードで後半へ進みます。
絶好調だったジョーダンですが、第3クオーターで失速。
12分間フル出場したものの6得点におさえこまれます。
しかし勝負の第4クオーター、ジョーダンが積極的にアタック。
獲得したフリースロー8本をすべて沈め、ジャズを猛追します。
残り37.1秒でジョーダンがレイアップを決めた時点で85-86とジャズのリードは1点に。
ジャズはストックトンがゆっくりとボールをフロントコートに運ぶと、ローポストでポジションをとったマローンへパス。
マッチアップするロッドマンを背に、ボールをキープしたマローンでしたが、後ろから近づいてきたジョーダンに気づくことはできませんでした。
ジョーダンはマローンが持つボールを背後からたたき落としスティールに成功。
残り約20秒でボールを手にしたジョーダンは、ゆっくりとドリブルしながらフロントコートに進むと、ディフェンスにつくブライオン・ラッセルと向かいあいます。
残り時間9秒を切ったところで、ジョーダンが最後のアタックを開始。
右手で強くボールを突き出すジョーダンに反応したラッセルを、あざ笑うかのようにクロスオーバー。
完全に足をとられ、体制を崩したラッセルと、美しいジャンプシュートを決めるジョーダン。
ボールがリングの真ん中を通過するまで保たれた、ジョーダンのフォロースルー。
ジョーダンのラストショットは、映画のラストシーンのように美しい一撃でした。
最終スコアは87-86。
ジョーダンは6度目のファイナルMVPを受賞し、ブルズのラストダンスは最高の結末をむかえました。
1997年 NBAプレーオフとファイナル、ジョーダンのスタッツは・・・
1998NBAプレーオフ スタッツ
21試合 平均41.5分出場
32.4得点 5.1リバウンド 3.5アシスト 1.5スティール FG46.2% 3P30.2%
1998NBAファイナル スタッツ
6試合 平均41.7分出場
33.5得点 4.0リバウンド 2.3アシスト 1.8スティール FG42.7% 3P30.8%
NBAの歴史上最高の選手は、これ以上考えられない最高の結果で、選手生活に幕をおろした・・・と思っていました(笑)。
マイケル・ジョーダン まさかの現役復帰
1998年のNBAファイナル終了後、シカゴ・ブルズは予想どおり解体されます。
フィル・ジャクソンHC、スコッティ・ピッペン、デニス・ロッドマン、ルーク・ロングリー、スティーブ・カーらはブルズを去り、ジョーダンは引退を表明。
「ラストダンス」と言われた1997-98シーズンが、あまりにもドラマティックだったため、わかってはいましたが、すべてが終わってしまったショックは大きかったですね。
本当に放心状態のような・・・
さびしさでいっぱいでした。
ただ、ジョーダンにとってはあまりにも美しいラストだったため「こんなに美しい引退はないなあ」とも思っていました。
シカゴブルズ時代のジョーダンのスタッツは・・・
シカゴブルズ(1985-98) ジョーダンスタッツ
レギュラーシーズン
919試合 38.6分出場
31.5得点 6.3リバウンド 5.4アシスト 2.5スティール FG50.5% 3P33.2%
プレーオフ
179試合 41.8分出場
33.4得点 6.4リバウンド 5.7アシスト 2.1スティール FG48.7% 3P33.2%
史上最高の選手(GOAT=Great Of All Time)と呼ばれるにふさわしい記録を残しています。
そして記録以上にジョーダンのプレーは記憶に残るものでした。
何度も〝バッドボーイズ″デトロイト・ピストンズの壁にはばまれ、世間からのバッシングを一身に浴びながらも栄光を勝ちとってきたジョーダンのドラマは、最高のエンターテイメントでしたね。
仕事や私生活でつらいことがあっても、ジョーダンのプレーを観ると「また頑張ろう」と思えたものです。
高校、大学、社会人とバスケットボールを続けてきたのも、マイケル・ジョーダンの影響が大きかったと思います。
本当に感謝しかないですね。
ありがとう、マイケル・ジョーダン!
と思っていたら2001年、当時ジョーダンがバスケットボール部門で社長をつとめていたワシントン・ウィザーズで突然復帰を宣言!
嬉しかったのですが・・・ちょっとお太りになられた姿をみて、あれ?とも思いました(笑)。
シューティングガードとしてはスピードも落ちていたため、スモールフォワードとしてプレーしますが、弱小ウィザーズをプレーオフに導く働きはできず・・・。
2001-02、2002-03の2シーズンプレーし、引退を発表しました。
ウィザーズでのスタッツは・・・
ワシントン・ウィザーズ ジョーダンスタッツ
142試合 36.1分出場
21.2得点 5.9リバウンド 4.4アシスト 1.5スティール FG43.1% 3P24.1%
こうしてみると、そんなに悪い数字ではないですね。
ただ、ジョーダンファンとしては、複雑な気分でした。
シカゴ・ブルズ時代のヒリヒリとした独特の緊張感をまとったマイケル・ジョーダンは、そこにはいませんでしたから。
特に2002-03シーズンは、「生涯平均得点で歴代1位のまま終わってくれ」の気持ちが強かったですね。
あともう少しで、ウィルト・チェンバレンの記録を下回るところでしたから(2人とも生涯平均30.1得点 わずかにジョーダンがリード)。
40歳になってからも43得点したり、すごかったんですが・・・。
まあ、2003年のオールスターでの活躍もありましたし、十分楽しませてもらいましたね。
まとめ ジョーダンこそGOAT
3回にわたって、わたくしリトルの〝GOAT″マイケル・ジョーダンについて語ってきました。
わたくしリトルは高校、大学、社会人と、マイケル・ジョーダンとともに成長してきたと思っています。
最高のエンターテイメントを体感できたことを、心から幸せに思います。
現在プレーオフの真っただ中ですが、ミネソタ・ティンバーウルブズのアンソニー・エドワーズ(アント)が、マイケル・ジョーダンと比較される活躍をみせています。
プレーオフ1回戦、フェニックス・サンズ相手にスウィープを決めた第4戦。
マークについていたブラッドリー・ビールをぶち抜き、ケビン・デュラントの上から試合を決定づける豪快なダンクを決めた瞬間、アントの姿がジョーダンと重なりました。
アントはまだ22歳。
マイケル・ジョーダンで言えば、NBA2年目、ケガで苦しんでいた年ですからねえ。
新たなスーパースターの成長するドラマを、また体験できるのかと、ワクワクしているわたくしリトルです。