前回、映画「THE FIRST SLAM DUNK」について語りました。
アニメに興味がなかったわたくしリトルにも、思いっきりぶっ刺さった、最高のエンターテイメント!
NBAに特化した当ブログですが、「THE FIRST SLAM DUNK」については書かずにはいられませんでした。
スラムダンク熱が再燃している中、ネット記事を何気なくみていると、「スラムダンクのモデルとなったNBA選手」という記事がいくつかみられました。
んっ?
いや、違うだろ。
どの記事もおおかた同じ選手がとり上げられていますが、NBAを約35年観つづけてきたわたくしリトルのイメージとは違うんです。
NBAブロガーとして黙っていられないため、今回はスラムダンクのモデルとなったであろうNBA選手について語ります。
スラムダンク登場人物のモデルとなったNBA選手とは?
度々いろんなところで語られていますが、スラムダンクの登場人物のモデルとなったNBA選手は誰なのか?
この永遠の課題に、約35年間NBAを観てきたわたくしリトルが、答えを出したいと思います。
まずは、結果から。
【リトルが考える登場人物のモデル】
宮城リョータ・・・ケビン・ジョンソン、タイロン・ボーグス
三井 寿 ・・・レジー・ミラー
流川 楓 ・・・マイケル・ジョーダン
桜木 花道 ・・・デニス・ロッドマン
赤木 剛憲 ・・・パトリック・ユーイング
一つ言っておきたいことは、井上雄彦先生は、登場人物にモデルとなったNBA選手がいるとは認めていないということです。
つまり、正解はないのです。
例えば、桜木花道のモデルとしてよく名前があがるのがデニス・ロッドマンですが、井上先生は明確に否定しています。
登場人物のモデルとなるNBA選手は、ファン一人ひとりが勝手に思い描いて楽しむファンタジーなんです。
ただし、NBAを約35年間観つづけてきた、わたくしリトルには、それぞれのモデルを選んだ確固たる根拠があるので、ぜひご覧ください。
宮城リョータ・・・ケビン・ジョンソン&タイロン・ボーグス
宮城リョータだけは、あえて二人あげちゃいました。
ほとんどの考察サイトでは、宮城のモデルはケビン・ジョンソン(KJ)になっています。
確かに、見た目のイメージはKJに近いですし、3ポイントが苦手なところも似ています。
履いているバスケットシューズもコンバースですし。
ただ、KJは身長185㎝と小柄ながら、213㎝のブロック王アキーム・オラジュワンの上からダンクを決めるなど身体能力オバケでした。
また、3ポイントは平均30.5%と苦手にしていましたが、フィールドゴール成功率は49.3%と、高い確率でシュートを決めまくっています。
1989―90シーズンには、1試合平均22.5得点をあげるなど、攻撃力の高い選手だったことを考えると、ちょっとリョータとはスタイルが違いすぎますね。
そこで、浮上してきたもう一人のモデルが、タイロン・〝マグジー″・ボーグスです。
身長はリョータ(168㎝)よりも低い160㎝。
NBAの歴史で最も背の低い選手でありながら、14シーズンも現役で活躍したレジェンド選手です。
ボーグスは、NBAで最も低身長でありながら、激しいディフェンスと、類いまれなパス能力で、シャーロット・ホーネッツのポイントガード、そしてキャプテンをつとめました。
プレースタイルからみると、ボーグスの方がリョータに近いと思うのですが、いかがでしょうか?
三井寿・・・レジー・ミラー
〝あきらめの悪い男″三井寿。
決して身体能力は高くないものの、圧倒的なシュート力を武器にしているNBA選手はたくさんいます。
しかし、オフボールの動きに優れ、味方のスクリーンを使ってフリーになる能力が高く、劣勢な時ほど活躍する〝あきらめの悪い″NBA選手と言えば、レジー・ミラーでしょう。
絶体絶命の場面で次々と3ポイントを決め、チームを逆転に導く〝ミラータイム″は、数々の名場面をつくってきました。
ミラータイムと言って一番に思い出すのは、1995年のプレーオフカンファレンスセミファイナル、ペイサーズ対ニックス第1戦。
試合は第4クオーター残り18.7秒で99-105と6点差でニックスリード。
この絶体絶命の場面から、まず3ポイントを決めると、ニックスのインバウンドパスを奪い、すぐに3ポイントラインまで下がって再び3ポイントを成功。
次のプレーでファウルを受けたニックスのジョン・スタークスが、緊張のあまりフリースローを2本とも外します。
リバウンド争いでファールを受けたミラーがきっちりと2本のフリースローを決めきり、ペイサーズは奇跡の逆転勝ちをはたしたのです。
レジー・ミラーは絶体絶命の状態から、わずか9秒間の間に一人で8得点。
このように、誰もがあきらめるような状況でこそ真価を発揮する、あきらめない男がレジー・ミラーなのです。
プレースタイルも含め、まさに三井寿じゃないですか。
ちなみに、考察サイトでは、三井寿=マーク・プライスとされていることが多いようですが、
プライスとはプレースタイルがまるで違います。
三井はシューティングガードですが、プライスはポイントガード。
ボールを保持するタイプの司令塔で、素晴らしいシュート力を持っていましたが、三井のように、オフボールでスクリーンを使ってノーマークとなるよりも、自らドリブルでシュートチャンスを作る選手でした。
シュート力以外が並みの選手だったと考察サイトにはありますが、プライスには、スピードと、なによりもゲームを読む頭脳とアシスト力がありました。
三井やミラーが、ポイントガードに使われる選手であったのに対して、プライスは使う側の選手だったのです。
また、レジー・ミラーは海南の神宗一郎だと考察サイトで説明されていることが多いですが、スポットシューターとして美しいフォームでとにかくシュートを決めまくる姿は、ステフィン・カリーの父、デル・カリーの方が近いと思います。
身体能力は高くないものの、とにかく淡々と3ポイントシュートを決めまくる姿に、衝撃を受けた選手です。
当時のNBA解説者、結城昭二さんは、デル・カリーのプレーをみて、「このシュート力があれば、他はなにもいらないですね。」と言っていました。
身体能力は並以下でも、無駄のないシュートフォームから次々と3ポイントを決める姿は、神宗一郎選手と重なります。
流川楓・・・マイケル・ジョーダン
流川に関しては、どの記事をみても、マイケル・ジョーダンと書かれていますね。
ここはわたくしリトルも同意見です。
ただし、井上先生は流川に関して、「マイケル・ジョーダンに憧れている高校生」と語っています。
流川は左肘(正確には前腕)に黒いリストバンドをつけています。
本来手首につけるべきリストバンドを、肘(しつこいですが正確には前腕)につけプレーしたのがマイケル・ジョーダンです。
1990年当時のバスケ少年たちは、ジョーダンに憧れ肘にリストバンドをつけてプレーする派と、普通に手首につける派に分かれていました。
わたくしリトルは、がっちりジョーダンに憧れていた派でしたが、正直顔の汗を拭くのに、めっちゃ不便でした。
手首につけた方が確実に便利なリストバンドを、めっちゃ使いにくい肘につける高校生が、当時は全体の半分くらいいたのではないでしょうか?
そんなジョーダンに憧れた高校生の象徴が流川楓というキャラクターです。
もちろん、ダブルクラッチや美しいダンクシュート、フェイダウェイシュートなどのプレースタイルもジョーダンと通じます。
驚異的な勝負強さも、まさにマイケル・ジョーダン。
流川がスモールフォワード、ジョーダンがシューティングガードと、ポジションは違いますが、間違いないでしょう。
ジョーダンは無口な流川と違って、試合中にめちゃめちゃトラッシュトークしてましたけどね(笑)。
桜木花道・・・デニス・ロッドマン
冒頭で取り上げたように、井上先生は桜木花道のモデルはデニス・ロッドマンではないとおっしゃっています。
どちらかというとチャールズ・バークレーと語られたとの噂もあります。
確かにキャラクター的には、エンターテイメント性抜群のバークレーに近いんでしょうが、プレースタイルは明らかにロッドマンですね。
バークレーは、見た目とは違って、パワーフォワードとしては、とても器用な選手です。
198㎝(実際は193㎝との噂もあり)の身長は、パワーフォワードとしてはかなり小さいものの、1986-87シーズンにはリバウンド王にも輝いています。
しかし、バークレーの本領はオフェンス。
インサイドでのパワープレーだけでなく、ミドルシュートも得意で、簡単に30得点するスコアラーでした。
反対にデニス・ロッドマンはディフェンス特化型のパワーフォワード。
201㎝と、こちらもパワーフォワードとしては低身長ながら、NBAの歴史上最強のリバウンド王です。
驚異的な身体能力と、絶対にあきらめない精神力で、ガードからセンターまで相手のエースを抑え込んでいました。
ロッドマンが本格的にバスケットを始めたのは大学からと、遅咲きなことも花道とかさなります。
花道がリバウンドに、2回3回と繰り返し飛びつき、奪い取る姿は、ロッドマンそのものです。
シュートを苦手としているところも、2人の共通点ですね。
ただし、スラムダンクで描かれている山王工業戦は、花道がバスケを始めて4か月弱のお話。
花道の成長のスピードをみると、今後はオフェンス技術もあがり、バークレーのようなプレーヤーになるのかもしれません。
ちなみに、髪の毛を赤く染めたのはロッドマンより花道の方が先。
1990年にスラムダンクの連載が始まった時点で、花道の頭はもちろん赤髪でしたが、ロッドマンが初めて髪を染めたのは、デトロイト・ピストンズからサンアントニオ・スパーズに移籍した1993年。
最初は金髪でした。
当時流行っていた映画のタイトルから、「デモリッションマン」と呼ばれていましたねえ。
ロッドマンは次々と髪の色を変えていき、ブルズに移籍したあとも、常に楽しませてくれました。
まさか、スラムダンクを読んだロッドマンが、影響を受けたことはないと思いますが(笑)
赤木剛憲・・・パトリック・ユーイング
ゴリこと赤木は、考察サイトではデビッド・ロビンソンと紹介されていることが多いようです。
いや、ここはパトリック・ユーイングでしょう。
〝ゴリ″というニックネームからも、間違いないと思います。
ニューヨークの象徴〝キングコング″の異名をもつユーイングと重なります。
プレースタイルも、赤木のゴリラダンクはユーイングそのものです。
「ユーイングはミドルシュートがうまかったから、赤木とはタイプが違う。」と考察サイトにありましたが、ロビンソンもアウトサイドからのシュート力は高く、明らかに赤木とプレースタイルは違います。
ロビンソンは、センターでありながら、ドリブルやアシストなどのテクニックにも優れ、ポイントセンターとも呼ばれた器用な選手でした。
1994年2月のピストンズ戦では、34得点、10アシスト、10リバウンド、10ブロックと4部門で2桁を達成するクアダラプルダブルを成し遂げています。
質実剛健な赤木のプレースタイルと、デビッド・ロビンソンの器用なプレースタイルは、あまりにかけはなれていると思うのですが・・・。
そして、赤木のモデルがユーイングであると断言する大きな理由が、そのキャプテンシーです。
デビッド・ロビンソンは、個人成績は文句のつけようがないものの、知的で真面目でおとなしい性格から、チームをまとめるキャプテンシーがないと批判されてきました。
ピストンズから移籍してきたデニス・ロドマンが、「ロビンソンにはリーダーシップが足りない!」と批判していたことを思い出します。
実際、毎年優勝候補にあげられる常勝軍団だったスパーズですが、ロビンソンが初めてチャンピオンリングを手にしたのは、ティム・ダンカンにエースを譲った後の1999年でした。
それにひきかえ、ユーイングはニックスの象徴として長くチームを牽引し、荒くれもの集団をまとめあげていました。
チームメイトから揺るぎない信頼を集めていたユーイング。
優勝する夢はかないませんでしたが、屈強な男たちをまとめあげたキャプテンシーは、赤木と重なります。
現役時代は、大都会ニューヨークということもあり、マスコミから批判されることが多かったユーイングですが、トレードでチームを去ったあとのニックスの低迷をみると、やはり偉大なキャプテンだったなと再認識させられます。
まとめ
今回は、スラムダンクの登場人物のモデルとなったNBA選手についてまとめました。
NBAを約35年間観つづけてきた、わたくしリトルの意見を好き勝手書かせていただきました。
もちろん、井上先生が生み出したキャラクターが、本当にNBA選手をモデルとしていたのかわかりません。
ただ、今回記事をまとめていて、めちゃくちゃ楽しかったですね。
大好きなスラムダンクの世界を、これまた大好きなNBAと結びつけて考えることは、おっさんながら心からワクワクしました。
みなさんもぜひ、ファンタジーの世界を楽しんでみてください。
たとえば、現在活躍しているNBA選手でいえば、誰が近いのか?
三井寿はクレイ(・トンプソン)かなー?
なんて考えながら、スラムダンクを読んで、NBAを観て、バスケを心から楽しもうじゃありませんか!