2022-23シーズンが始まり、八村塁選手、渡邊雄太選手、日本人選手の活躍を満喫しているリトルです。
開幕して2週間が経過した現在、最もサプライズを起こしているチームはユタ・ジャズではないでしょうか?
新加入のラウリ・マルッカネンを中心に、最下位争いをすると思われていたチームが強豪を打ち破り旋風を巻き起こしています。
わたくしリトルにとって、ユタ・ジャズは特別なチームです。
高校生の時にNBAに夢中になったわたくしが、最初に好きになった3チームが、マイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズ、クリス・マリン擁するゴールデンステイト・ウォリアーズ、そしてジョン・ストックトン&カール・マローン擁するユタ・ジャズだからです。
先日、今年のジャズについて記事を書いている途中に、ストックトン&マローンに夢中になっていた頃の思いがよみがえってきました。
今回は、現在NBAで最も多用されているオフェンス戦術、「ピック&ロール」の最高の使い手、ジョン・ストックトンとカール・マローン、そして第1回NBAジャパンゲームズの苦い思い出を語ります。
ユタ・ジャズ ストックトン&マローン
わたくしリトルが本格的にNBAにはまったのは、高校2年生の時でした。
毎日ビ〇タをくらいながら、バスケ部のハードな練習をこなす生活の中、一番の娯楽がNBAを観る事でした。
2年生になり、バスケ部の後輩に父親が社長をやっているお金持ちの息子が入ってきて、僕の世界は変わりました。
なんと後輩の自宅には、衛星放送のテレビアンテナが設置してあったのです。
NBAの試合をビデオ録画してもらい、勉強もせずに自宅でテープが擦り切れるんじゃないかというほど、繰り返し観ていました。
そんな中、最初に夢中になったチームがユタ・ジャズ。
ストックトンの正確無比なパスとゲームコントロール。
マローンのボディービルダーのような体で相手を蹴散らしダンクするパワー。
ストックトンのピチピチのパンツと、マローンのブカブカのパンツ。
そのすべてが、とてつもなくカッコよく見えました。
当時はマジック・ジョンソン、カリーム・アブドゥル・ジャバー、ジェームス・ウォージーなどのスターがそろい、若きパット・ライリーが率いるロサンゼルス・レイカーズが絶大な人気を誇っていました。
レイカーズのショータイム・バスケットは多くのファンを魅了し、チームは2年連続チャンピオン。
アンチ巨人で、へそ曲がりなわたくしリトルは、レイカーズのホームコート「ザ・フォーラム」の床が黄色っぽくて、ユニフォームの黄色と混じって観にくいことと、周囲の連中にあまりにもファンが多いことから、アンチレイカーズとなり、ジャズに夢中になっていきました。
キャリア初期のカール・マローンは、プロレスラーのような肉体を武器に、ガンガン相手の中に飛び込んでいました。
そしてリングを破壊する勢いでのダンク。
荒々しいマローンのプレーと、それをあやつるストックトンの針の穴をとおすようなパスに、高校生のわたくしリトルは、夢中になりました。
試合を観ていて「あっ。そこだ。」と思ったと同時に、ストックトンのパスがマローンに渡り、リングに叩き込んでいる。
ジャズの試合にはストレスがなく、爽快感を感じていました。
ストックトン&マローンといえば「ピック&ロール」。
ストックトンにつくディフェンダーの横にマローンが立つと、ディフェンダーはマローンの筋肉のよろいにぶち当たり、身動きできなくなります。
ストックトンはそこを見逃さず基本に忠実なドリブルでスペースをつき、ヘルプに出てきたディフェンスとの駆け引きで、シュートに行くか、ブロックの後インサイドにロールしたマローンに針の穴をとおすようなパスを送るか。
どちらにしろ、確実に得点を奪っていました。
もちろん、高校のバスケ部で、仲間とストックトンやマローンになりきって練習しましたが、あんなに簡単そうに見えたピック&ロールは、そんなに簡単なものじゃなかったんです。
NBAの超一流のディフェンダーが必死で止めに来ても、淡々と当たり前のようにピック&ロールで得点していたストックトンとマローン。
NBA歴代最高のデュオは、いまだにジョン・ストックトンとカール・マローンだと思います。
ユタ・ジャズの仲間たちと名将ジェリー・スローン
私が夢中になったユタ・ジャズには、ストックトン&マローンのほかにも、強烈な個性を持ったマーク・イートンがいました。
224㎝、125㎏の巨体を武器に、能力のすべてをディフェンスに捧げるイートンのプレースタイルは、斬新でした。
2度の最優秀守備選手賞(1985年 89年)と4度のブロック王(1985年 85年 87年 88年)を獲得しています。
のそのそと動きながら、つねにハンドアップを意識し、相手のシュートをたたき落とす。
現代の3ポイント主体のNBAでは、スピードのミスマッチをつかれ、起用は難しいと思われますが、当時はゴール下の驚異として、相手の前に立ちはだかっていました。
ほかにも器用なスモールフォワードだったサール・ベイリー、アウトサイドが得意だったボビー・ハンセンなど、好きなプレーヤーがたくさんいましたね。
ジャズを率いるのは、名将ジェリー・スローン。
1988年から23年に渡り、ジャズのヘッドコーチ(HC)をつとめ、通算1221勝803敗、歴代3位の勝利数を記録しています。
スター選手だけに頼るのではなく、それぞれの選手に役割を与え、選手が連動してシステマチックなバスケをするのがジェリー・スローンHCの特徴でした。
一人のスターに頼らないスタイルのため、誰かがケガをしても、チーム力が一気に落ちることがありません。
その上、ストックトンとマローン、チームのスーパースター二人は怪我での欠場がほとんどなかっため、毎年安定した成績を残し、ジョン・ストックトンが在籍していた19シーズン(マローンは1年遅れでNBA入り)、ジャズは1度もプレーオフを逃しませんでした。
ジェリー・スローンHCの落ちついた佇まいは、当時のバスケ部の暴〇監督と違い、インテリジェンスがあふれていて、うらやましかったもんです。
ユタ・ジャズとフェニックス・サンズ ジャパンゲームズ決定の衝撃
わたくしリトルが大学生の時に、大ニュースが飛び込んできました。
初めてNBAの公式開幕戦が、日本で行われるというのです。
しかも来日するチームはユタ・ジャズとフェニックス・サンズ。
ユタ・ジャズはもちろん、フェニックス・サンズもスターが揃う強豪チームでした。
サンズのエースは、〝マーク・ジャクソン飛び越えダンク″で有名なトム・チェンバース。
1987年のオールスターでは、34得点の大活躍でMVPを受賞している、208㎝のパワーフォワードです。
ポイントガードはケビン・ジョンソン。
言わずと知れた後のサクラメント市長です。
ストックトンとは違い、身体能力が高いポイントガードで、隙があれば強引なカットインから豪快なダンクをお見舞いする強気なポイントガードで、こちらもオールスターの常連。
アウトサイドシュートが得意で、後にジャズでも大活躍したシューティングガード、ジェフ・ホーナセック。
シックスマンには、当時若さでチームにエナジーを注入していた〝サンダー″ダン・マーリーなど、注目選手が揃っていました。
第1回ジャパンゲームズに来日した選手の中で、後にチームの永久欠番となった選手はなんと7人もいます。
ユタ・ジャズ 背番号
ジョン・ストックトン 12
カール・マローン 32
マーク・イートン 53
ジェフ・ホーナセック 14
フェニックス・サンズ 背番号
トム・チェンバース 24
ケビン・ジョンソン 7
ダン・マーリー 9
これだけ歴史に残るスター選手が一同に集まる試合は、なかなかないのではないでしょうか?
ジェフ・ホーナセックにいたっては、対戦相手のチームの永久欠番になっています。
これも珍しいケースですね。
日本でNBAの開幕戦。
来日するチームは1番好きなユタ・ジャズと、スター揃いの強豪フェニックス・サンズ。
これは行くっきゃないでしょ!
ってことで、旅行代理店に勤める知人にチケットをとってもらいました。
大学生のため、6000円とリーズナブルな席。
1990年11月2日の開幕戦。
東京へのあこがれも含め、ワクワクが止まりませんでした。
涙のジャパンゲームズ ピック&ロールはテレビで
なんとかチケットを確保したわたくしリトルのもとに、「11月の最初の週末に、大会があるってよ。」と、不吉な情報がはいってきました。
当時1年生だったわたくしリトルは、先輩たちの手前なかなか大会を休んでジャパンゲームズを観にいくとは言えず。
ただただ時は過ぎていくと、当時一度も飛行機というものに乗ったことがなかったわたくしリトルは、だんだん大都会東京に一人で行くことが怖くなり・・・。
ツアーをキャンセルして、元気に大会に出場していました。
テレビで観たピック&ロールは相変わらず確実にポイントをとり、マーク・イートンはガリバーのように大きく、リバウンドを奪っていました。
サンズではエースのチェンバースが38得点の大活躍。ケビン・ジョンソンが10アシスト。
会場で、観客が笑顔で拍手している姿をみて、寮の4畳半の部屋で涙がこぼれてきました。
結果開幕戦は、サンズが119ー96で制しました。
フェニックス・サンズ total 119P
F トム・チェンバース 38P 10R 3A
G ケビン・ジョンソン 29P 1R 10A
G ジェフ・ホーナセック 6P 3R 6A
C マーク・ウエスト 6P 3R 0A
F カート・ランビス 2P 1R 2A
G ダン・マーリー 16P 3R 2A
F エディー・ジョーンズ 8P 0R 2A
G ケニー・バトル 7P 3R 2A
F イアン・ロックハート 4P 0R 0A
F セドリック・せバロス 2P 1R 0A
ユタ・ジャズ total 96
F カール・マローン 33P 10R 3A
G ジョン・ストックトン 16P 0R 12A
G ジェフ・マローン 11P 4R 1A
C マーク・イートン 6P 13R 0A
F サール・ベイリー 17P 9R 0A
F ブルー・エドワーズ 6P 2R 1A
C マイク・ブラウン 2P 3R 0A
C ウォルター・パーマー 2P 3R 0A
F アンディ・ツールソン 2P 0R 0A
F クリス・モンク 1P 1R 0A
今回は得点のあった選手をまとめました。
こうしてみると、懐かしい名前が並んでいます。
1992年のオールスターダンクコンテストで、突然目隠しをして走り出し「ホーカス・ポーカス」と名付けたイカさまダンクで優勝をかっさらったサンズのセドリック・せバロスは、なんとNBAデビュー戦です。
ジャズのブルー・エドワーズも、マイク・タイソンのような風貌で、身体能力の高い、お気に入りの選手でした。
ちなみにマイク・ブラウンは、現在サクラメント・キングスのヘッドコーチのマイク・ブラウンとは別人ですので、お間違えないように。
翌日の第2戦は、101-102の接戦をジャズが制しました。
NBAの公式開幕戦が日本で行われるという夢のような舞台、第1回NBAジャパンゲームズは、大きな盛り上がりをみせ、無事終了したのです。
わたくしリトルは、4畳半の寮の部屋で、一人ジャズ対サンズの熱戦をビデオで観ながら「行きゃーよかったなあ!」と何度声をあげたでしょう。
隣の部屋の友人から「なんか叫んでなかった?」と不審がられるほどでした。
現在のNBAと32年前のNBAの違いは3ポイントシュート
今回、1990年11月2日に東京体育館で行われた、第1回ジャパンゲームズNBA開幕戦、ユタ・ジャズ対フェニックス・サンズの記録を調べて、おどろいたことがあります。
なんと、この試合でユタ・ジャズは3ポイントシュートを5本打って成功は1本。
ストックトンが3本打って1本決めたのみです。
フェニックス・サンズにいたっては、4本打って成功は0!
ジェフ・ホーナセックや、ダン・マーリーなど、3ポイントシューターのイメージがありますが、1990年の時点では、まだ3ポイントは邪道な攻撃だったんですねえ。
両チーム合わせて3ポイントの試投数は9本だったわけですが、2011-12シーズン、ステフィン・カリーの1試合あたりの試投数は、11.7本です。
この30年間、NBAにおいて、戦術がいかに変わってきたのかがよくわかりました。
1試合100回攻撃するとして、確率50%の2ポイントを打ち続けた場合、100得点。
確率35%の3ポイントを打ち続けた場合、105得点。
2021-22シーズン、3ポイント成功率が35%を超えているチームは30チーム中19チーム。
フィールドゴール成功率(3ポイント含む)が50%を超えているチームはありません。
計算上は3ポイントで攻撃し続けることが、最も効率的であることは間違いありません。
しかし、80年代後期から90年代にかけて、ピストンズ対ブルズ、ニックス対ヒートなどガチンコの肉弾戦に熱くなったファンに言わせると、効率だけを求めすぎないで・・・とも思うのです。
まとめ
今回は、わたくしリトルの1番思い入れのあるコンビ、ジョン・ストックトン&カール・マローン、そして第1回NBAジャパンゲームズについて語りました。
思い出すと、当時のワクワクと後悔で胸がキューンとなります。
とにかく一度しかない人生、「迷ったらやらなきゃだめ!行かなきゃだめ!」と強く胸に刻んだ出来事でした。
ポイントガードのお手本のようなストックトンのまじめなプレーと、漫画から飛び出してきたようなマローンのド派手なダンクに魅了されたわたくしリトルは、30年以上たった今でも、NBAに魅了され続けています。
現在NBAを視聴する方法は、NBA Rakuten一択です。
NBA Rakutenでは、今回紹介したユタ・ジャズ対フェニックス・サンズをはじめ、これまでのジャパンゲームズの試合も視聴することができます(2022年11月現在)。
NBA Rakutenは、テレビ(一部のテレビ以外は、クロームキャストやFire TV Stickが必要)、パソコン、スマホなど、いろいろなデバイスでNBAを楽しむことができます。
八村塁選手、渡邊雄太選手が活躍する、夢のような現在のNBA。
楽しまなきゃ損!
ぜひNBA Rakutenで、NBAライフを満喫しましょう。