前回ルカ・ドンチッチ(ダラス・マーベリックス)が1試合60得点のトリプルダブルという、とんでもない記録を打ち立てたことを記事にしましたが、今度はドノバン・ミッチェル(クリーブランド・キャバリアーズ)が71得点した上で、キャブスを勝利に導いたというとんでもニュースが飛び込んできました。
同日(日本時間2023年1月3日)には、我らがゴールデンステイト・ウォリアーズのクレイ・トンプソンも54得点を記録。
翌1月4日には、怪物ヤニス・アデトクンポ(ミルウォーキー・バックス)が55得点と、個人が高得点する試合が続いています。
今回は、スター選手の高得点試合が多発している現状について、そして2003年のルール変更で、ゲームを大きく変えたハンドチェック禁止について、語ります。
ドノバン・ミッチェルの71得点について振り返る
2023年1月3日、クリーブランド・キャバリアーズ対シカゴ・ブルズの試合で、その記録は生まれました。
この日キャブスは、ポイントガードのダリアス・ガーランド(1試合平均21.4得点)と、インサイドで攻守の要になっているエバン・モーブリー(1試合平均14.3得点)をケガで欠く苦しい布陣。
対するシカゴ・ブルズは今シーズン16勝21敗(1月3日現在)と苦しんでいるものの、デマー・デローザン、ザック・ラビーン、二コラ・ブーチェビッチなど、実力者を揃えたチームです。
試合のスタートから、本来シューティングガードのミッチェルは、ガーランドがいないためポイントガードとしてプレイ。
身長185㎝と小柄なミッチェルですが、98kgの筋肉モリモリの肉体のおかげで、あまり小ささを感じさせません。
第1クオーターのミッチェルは、インサイドへのドライブを警戒されていたため、パスをさばくことが多く、5得点のみ。
第2クオーター、ミッチェルは11得点するもの、ブルズに差を広げられ、47対65と18点のビハインドを背負います。
しかし第3クオーター、ミッチェルがアタックモード全開でブルズに襲いかかり、12本のフリースローをすべて決め、24得点と大爆発。
ミッチェルは第3クオーター、フル出場し、チームも5点差まで追い上げます。
第4クオーターもスタートから登場し、やや疲れをみせながらも18得点。
この試合1番の見せ場は残り4.7秒でブルズに3点をリードされた場面。
前回記事にした、ルカ・ドンチッチの60得点トリプルダブルの試合とほぼ同じシチュエーション。
フリースローラインに立ったミッチェルは、1本目を確実に決めます。
ミッチェルは2本目のフリースローを通常のように高い弧を描く軌道で放つと、ゴール下に飛び込み、自らリバウンドをタップショット!
奇跡の同点に持ち込みました。
よくみると、明らかにボールがリングに当たる前にフリースローラインを超えてリバウンドに向かっているので、バイオレーションとられてもおかしくないのですが、地元クリーブランドの観客の盛り上がりがそうはさせませんでしたね。
結局オーバータイムでは勢いに乗ったミッチェルの独壇場となり、キャブスの15得点のうち、13得点を一人であげます。
ブルズをオーバータイムで4得点に抑え、145-134でキャブスの勝利。
この日のミッチェルは49分48秒出場して、71得点8リバウンド11アシストと、鬼神のごとき活躍で、キャブスを勝利に導きました。
NBA1試合での個人高得点ランキング
ここで、長いNBAの歴史の中で、個人が1試合70得点以上を記録したケースをまとめます。
得点/プレーヤー/試合日/所属チーム
100得点 ウィルト・チェンバレン 1962.3.2 フィラデルフィア・ウォリアーズ
81得点 コービー・ブライアント 2006.1.22 ロサンゼルス・レイカーズ
78得点 ウィルト・チェンバレン 1961.12.8 フィラデルフィア・ウォリアーズ
73得点 ウィルト・チェンバレン 1962.1.13 フィラデルフィア・ウォリアーズ
73得点 ウィルト・チェンバレン 1962.11.16 サンフランシスコ・ウォリアーズ
73得点 デビッド・トンプソン 1978.4.9 デンバー・ナゲッツ
72得点 ウィルト・チェンバレン 1962.11.3 サンフランシスコ・ウォリアーズ
71得点 エルジン・ベイラー 1960.11.15 ロサンゼルス・レイカーズ
71得点 デビッド・ロビンソン 1994.4.24 サンアントニオ・スパーズ
71得点 ドノバン・ミッチェル 2023.1.2 クリーブランド・キャバリアーズ
70得点 ウィルト・チェンバレン 1963.3.10 サンフランシスコ・ウォリアーズ
70得点 デビン・ブッカー 2017.3.24 フェニックス・サンズ
現在76年目のシーズンを戦っているNBAの長い歴史の中で、1試合70得点以上を記録したのはたったの12回。
12回のうち、ウィルト・チェンバレンがなんと6回。
1959年にNBAデビューしたチェンバレンは、216㎝、125㎏と当時では突出した肉体を持ち、並外れた身体能力で得点を量産したレジェンド選手です。
ただ、NBAファン歴35年のわたくしリトルが直接観ているわけではないので、1960年代、70年代のチェンバレン、デビッド・トンプソン、エルジン・ベイラーの試合に関しては語る資格なしとします。
そうなると、今回語る対象となるのは・・・
81得点 コービー・ブライアント 2006.1.22 ロサンゼルス・レイカーズ
71得点 デビッド・ロビンソン 1994.4.24 サンアントニオ・スパーズ
71得点 ドノバン・ミッチェル 2023.1.2 クリーブランド・キャバリアーズ
70得点 デビン・ブッカー 2017.3.24 フェニックス・サンズ
35年間NBAを観つづけた中で、たった4回しかありません。
コービー・ブライアント 81得点の衝撃
なんといっても、コービーの81点ゲームは衝撃でしたね。
ただ単に得点をとりまくっただけではなく、トロント・ラプターズ相手に前半49ー63と劣勢だったチームを、ほぼ独力で勝利に導いたのですから。
前半は26得点。
第3クオーターにはフィールド・ゴール11本中9本成功、3ポイントは4本すべて成功させ、27得点。
勝負をかけた第4クオーターには、フリースロー12本を含む驚異の28得点を記録し、チームを122-104の勝利に導いたのです。
コービーの81得点は、ラプターズに勝利するために必要な81得点だったために、今も伝説として語り継がれているのです。
デビッド・ロビンソン 71得点の失笑劇
反対に、デビッド・ロビンソンのケースは、当時苦笑いで伝えられていましたね。
1993-94シーズンの最終戦を前に、得点王争いはオーランド・マジックのシャキール・オニールが手にすると誰もが確信していました。
1位のシャックと2位のロビンソンには、1試合を残して、点数にして約33点の差があったのです。
最終戦でシャックは32得点を獲得。
ジョーダンが前期3連覇を達成し、野球に転向したこのシーズン。
新たなスターとなる、NBA2年目の若いシャックが得点王となることを、誰もが歓迎していました。
ところが、サンアントニオ・スパーズという球団はあきらめませんでした。
シーズン最終戦で、とにかくボールをロビンソンに集め、シュートを打たせる作戦に出ます。
ロビンソンはチームの期待に応え、フィールドゴールを41本中26本、フリースローを25本中18本決めきり、71得点。
ロビンソン以外に2ケタ得点した選手はいませんでした。
71得点した結果、ロビンソンはオニールを僅差でかわし、大逆転で得点王に輝いたのです。
オニールはロビンソンを自由にプレーさせたロサンゼルス・クリッパーズのディフェンスを、痛烈に批判していましたね。
当時のクリッパーズは弱小チームで、プレーオフも関係ありませんでしたから、最終戦のモチベーションも感じられませんでした。
今回あげた70得点超えのゲームの中で、価値としては一番低いと言えるでしょう(一生懸命がんばった提督ロビンソンには申し訳ないですが)。
2004年~ ハンドチェック禁止は是か非か
もう一度、わたくしリトルがNBAを観はじめてから、70得点以上したケースをまとめてみましょう。
81得点 コービー・ブライアント 2006.1.22 ロサンゼルス・レイカーズ
71得点 デビッド・ロビンソン 1994.4.24 サンアントニオ・スパーズ
71得点 ドノバン・ミッチェル 2023.1.2 クリーブランド・キャバリアーズ
70得点 デビン・ブッカー 2017.3.24 フェニックス・サンズ
わたくしリトルがNBAを観はじめた1980年代後半から現在まで、個人が1試合で70得点以上をあげた試合は4回。
得点王をとるためにチーム全体が協力したロビンソンの特殊なケースを除くと、残りの3試合には共通点があります。
それは・・・
3試合とも2004年のハンドチェック禁止後の記録だということです。
1997-98シーズン、2度目の3連覇を達成してマイケル・ジョーダンが引退し(2001~2003年 ワシントン・ウィザーズにて復帰)人気に陰りがみえると、NBAはより攻撃的でアグレッシブな試合となるようルール変更を行います。
まず2001-02シーズンから導入したゾーンディフェンスの解禁と、ディフェンス3秒ルールの導入。
攻撃チームがボールをフロントコートまで運ぶ時間も10秒⇨8秒とし、よりアップテンポな試合となるよう改革を行います。
そしてジョーダンが3度目の引退をした2004-05シーズンに、最も大きなルール変更「ハンドチェックの禁止」が導入されました。
ハンドチェックとは、オフェンス側の選手に対し、ディフェンスしている選手が手や腕で触れること。
相手の身体に触れることで、オフェンスの動きを察知しやくすなり、ディフェンスの選手が有利となっていました。
ハンドチェックが認められていた2003-04シーズンの1試合平均得点は93.4点でしたが、禁止となった2004-05シーズンの1試合平均得点は97.2点に大きくアップします。
そして、昨シーズン(2021-22シーズン)の1試合平均得点は110.6点。
1試合の平均得点が、18年で約17点もアップしているのです。
ハンドチェック禁止によるメリット
ハンドチェックが禁止になったことによるメリットは、より攻撃的でエキサイティングな試合になったことが一番にあげられます。
マジック・ジョンソン、ラリー・バード、マイケル・ジョーダンやチャールズ・バークレーが活躍していた80年代から90年代は、どこのチームも一部のスーパースターを除けば、センターがチームの中心でした。
ガードが一人でディフェンスを振り切ることは難しく、ゴールに近いところで肉弾戦を制したインサイドプレーヤーが勝負を決めることが多かったのです。
しかし、ディフェンスが、オフェンスの選手に触れられなくなったことで、よりスピードとテクニックのあるガードの選手が容易に得点できるようになり、1試合の平均得点も上昇し、攻撃的で派手なゲームが増えました。
現在のNBAでは、ステフィン・カリーや、トレイ・ヤング、ジェームス・ハーデン、カイリー・アービングなど、スピードとテクニックに優れたガード選手が、ゲームの中心となっています。
フォワードでは、レブロン・ジェームスやケビン・デュラント、ヤニス・アデトクンポなど、やはりスピードとテクニックがあり、圧倒的なフィジカルやシュート力を持った選手が活躍。
センターは、ゴール下の守護神として立ちふさがり、オフェンスでは肉弾戦でインサイドでポジションを制するといった典型的なセンタープレイヤーは活躍の場所をうばわれていきました。
二コラ・ヨキッチや、ジョエル・エンビードなど、インサイドだけでなくアウトサイドから3ポイントも打てるシュート力をもち、味方にノールックパスを繰り出し、ディフェンスでは相手のガードにもマッチアップできる総合力の高い選手しか活躍できなくなりました。
スピードとテクニックのある選手が、コート狭しと動き回り、得点を決めまくることで、NBAはよりエキサイティングで観ていて楽しいリーグになったのです。
ハンドチェック禁止によるデメリット
ハンドチェック禁止によるデメリットは、オフェンスが有利となったことにより、ゲームが淡泊になったことでしょうか。
1980年代後半から90年代にかけて、ファンが熱狂したピストンズvsブルズ、ヒートvsニックスなどの肉弾戦は、今のルールではもう観ることはできないでしょう。
古くからNBAを観ているファンからは、ハンドチェック禁止によってNBAが面白くなくなったと、否定的な意見をきくことも多いと感じます。
また、ハンドチェック禁止が大きく影響していると感じるのが、国際ゲームでアメリカ代表が勝てなくなってきていることです。
東京オリンピックでは、エースのケビン・デュラントが圧倒的なスコアリング能力を発揮し、なんとか金メダルを獲得しましたが、予選でフランスに敗北するなど、かつてのように他国を圧倒する強さはありませんでした。
以前はNBAで闘う選手がそろったアメリカ代表は、圧倒的なフィジカルでソフトなヨーロッパのチームをなぎ倒してきました。
しかし、ハンドチェックが禁止となったNBAに比べ、ヨーロッパリーグの方がよりハードな戦いを続けている現在。
インサイドではアメリカ代表が他国に圧倒される状態が続いています。
また、NBAではスピードとテクニックで得点を量産しているガードのスコアラーも、国際ルールでは思うように活躍できていない現実もあります。
アメリカがバスケ王国ではなくなる日も、もしかしたらあるのかもしれません。
その原因のひとつは、NBAのハンドチェック禁止なのかも・・・。
NBAのハンドチェック禁止は是か非か
かつてコービー・ブライアントは、ハンドチェックを再度解禁することを提案しました。
「今はヨーロッパのバスケットボールの方が、NBAよりフィジカルが強い。NBAはもっとフィジカル色を出す必要がある。」とインタビューに答えています。
また、90年代の肉弾戦の方が、今のソフトなNBAよりも面白かったとのファンの意見も聞きます。
わたくしリトルが一緒にバスケをプレーしてきた仲間の中でも、「NBAが面白くなくなって観なくなった。」「えらいソフトになって面白くなくなった。」「今のNBAはサーカスみたいや。」など、否定的な意見が多いですね。
ただ、わたくしリトルの意見としては、ハンドチェック禁止は「是」、つまり禁止にして正解だと思います。
実際、現在のNBAの盛り上がりをみると、ルールの改正は成功したとみるのが自然です。
確かに90年代の殺伐としたチーム間抗争にもワクワクさせられましたが、現在の選手が純粋にバスケを楽しんでいる雰囲気も、僕は好きです。
基本的にスポーツは常に進化していくと考えます。
よりオフェンスに特化したルール改正も、選手にとってもファンにとっても、必要な進化のひとつだったのではないでしょうか?
まとめ ジョーダン恐るべし
今回は、ドノバン・ミッチェルの71得点を記念して、歴代の個人高得点試合について語りました。
今回の記事をまとめて、あらためて感じたのはマイケル・ジョーダンの凄さです。
個人が70得点以上した12試合をまとめましたが、これに続く13番目の記録は、ジョーダンが1990年3月29日にクリーブランド・キャバリアーズ戦で記録した69得点です。
もちろんハンドチェックが当たり前に行われ、敵チームがジョーダンをあからさまに潰しにくる中で、69得点だけでなく18リバウンド、6アシスト、4スティールを記録し、延長の末、ブルズを勝利に導きました。
現役プレーヤー時代、ディフェンスが有利なルールの中だったにもかかわらず、数々のNBA得点記録を今も保持しているのは、驚異的です。
ジョーダンは得点王に10回輝き、現役通算のレギュラーシーズン1試合平均得点30.1はいまだに歴代1位です。
さらに、ディフェンス強度が上がり、わかりやすく身体を張ってエースを潰しにきたプレイオフでの1試合平均得点は、33.4と驚異的な記録として残っています。
もしもジョーダンが活躍した90年代にハンドチェックが禁止されていたら、いったい何点とっていたのでしょうか。
ジョン・ウォールがインタビューで、「もし当時(後期3ピート時)のジョーダンが、現代NBAでプレーしたら?」という質問に、「ジョーダンは平均45得点、あるいは望めばいくらでもとれるだろう。」と答えていました。
あながち、笑い話ではすまないかもしれませんね。
とにかく、これからもあっと驚くプレーで私たちを楽しませてくれるNBAを応援していきましょう。