NBA3年目への挑戦が始まる我らが河村勇輝選手。
約2年ぶりに日本代表にも復帰し、安定感のあるプレーでワールドカップアジア地区予選のサウジアラビア戦、カタール戦で日本の勝利に貢献しました。
なかなかシュートは入りませんでしたが、ゲームメイクはさすがでしたね。
今回は河村勇輝選手の厳しい現状と、これまでの軌跡をふり返っていきたいと思います。
小さな身体でつねに逆境をはね返してきた河村選手を、みんなで全力で応援していきましょう!
それでは、レッツラゴー!
河村勇輝 基本情報
河村勇輝 基本情報
所属:ロサンゼルス・クリッパーズ(エグジビット10契約)
サイズ:173㎝ 72㎏
ポジション:ポイントガード
生年月日:2001年5月2日生まれ(25歳)
出身地:山口県柳井市
血液型:B型
足のサイズ:27㎝
中学:柳井市立柳井中学校
高校:福岡第一高等学校
大学:東海大学(中退)
Bリーグ所属
2019-20 三遠ネオフェニックス
2020-24 横浜ビー・コルセアーズ
NBA所属
2024-25 メンフィス・グリズリーズ
2025-26 シカゴ・ブルズ
河村勇輝 現在の状況(クリッパーズ)
NBA挑戦3シーズン目をむかえる河村選手は、かなり厳しい立場にあります。
NBA挑戦1年目の2024-25シーズンはメンフィス・グリズリーズと、翌2025-26シーズンはシカゴ・ブルズと2way契約を結び、NBAと下部組織のGリーグでプレーを続けてきました。
衝撃的なパスを連発し、世界最高峰のバスケットボールリーグNBAでもベストプレーにランクインするなど、爪痕を残してきた河村選手。
残念ながら本契約を勝ちとることはできず、勝負の3シーズン目はインディアナ・ペイサーズの一員としてサマーリーグを迎えました。
サマーリーグは毎年夏のオフ期間に行われる、新人や若いベンチ選手、NBA挑戦を夢見る世界各国の選手たち、そしてNBAに生き残りをかけた選手たちが出場する、トーナメント戦です。
河村選手がプレーしたペイサーズには、今年のドラフト2巡目全体38位でブルズに指名され、トレードで加入したパデュー大学のブレイデン・スミスがいました。
178㎝と小柄なパス優先の純粋なポイントガードであるスミスは、パデュー大学でプレーした4年間で1103本のアシストを記録。
これはNCAAの長い歴史で、歴代最多の記録です。
小柄でゲームメイクにすぐれた正統派ポイントガード・・・まさに河村勇輝選手のアップグレード版といえるでしょう。
予想通りサマーリーグで優先されたのはブレイデン・スミスでした。
河村選手もベンチから登場し、素晴らしいパスで会場を沸かせることもありましたが、とにかくシュートが入らない。
サマーリーグ全5試合で13本の3ポイントシュートを打ち、成功は1本のみ(成功率7.7%)。
身長のハンデがあるため、パスだけではなく、確実にノーマークを決め切るシュート力を武器にしないと、NBAで生き残ることはできません。
当然ブレイデン・スミスはペイサーズと2way契約を結び、同じタイプの河村選手は契約を勝ちとることはできませんでした。
しかし8月10日、うれしいニュースが飛び込んできます。
ロサンゼルス・クリッパーズが河村選手とエグジビット10契約をむすんだのです。
エグジビット10契約とは、無保証の最低年俸でトレーニングキャンプとプレシーズンマッチに参加できる契約。
アピール次第で、開幕までにNBAとGリーグでプレーできる2way契約へと切り替えることができます。
とにかくNBA挑戦への道がなんとかつながった河村選手。
日本代表でともにプレーする八村塁選手が、この夏クリッパーズ入りしたことも、河村選手にとっては心強いでしょう。
ただ、河村選手の状況はいまだ厳しいのが現状です。
クリッパーズは現在2way契約の枠が3つとも埋まっています。
しかもかなり強力な3人が揃っているんですよね。
クリッパーズとの2way契約を勝ちとる可能性は、正直メチャメチャ厳しいのが現状です。
ただだからといって、あきらめるわけにはいきません。
正直NBA挑戦1年目も、まさか2way契約を勝ちとれるとは思っていませんでしたから・・・。
河村勇輝選手 スタッツ
Bリーグ
三遠ネオフェニックス
2019-20 11試合出場(うち先発7試合)
12.6P 2.0R 3.1A 1.5S
横浜ビー・コルセアーズ
2020-21 16試合出場(うち先発1試合)
6.0P 2.3R 3.4A 1.6S
2021-22 32試合出場(うち先発6試合)
10.0P 2.9R 7.5A 1.3S
2022-23 52試合出場(うち先発50試合)
19.5P 3.4R 8.5A 1.5S
2023-24 56試合出場(全試合先発)
20.9P 3.0R 8.1A 1.1S
NBA
メンフィス・グリズリーズ
2024-25 22試合出場(うち先発なし)
1.6P 0.5A 0.9A 0.1S
シカゴ・ブルズ
2025-26 18試合出場(うち先発なし)
3.4P 1.8R 2.6A 0.5S
NBAGリーグ
メンフィス・ハッスル
2024-25 24試合出場(全試合先発)
12.4P 2.6R 7.7A 1.3S
ウィンディシティ・ブルズ
2025-26 11試合出場(うち先発9試合)
18.7P 5.2R 10.8A 0.8S
河村勇輝選手のBリーグ、NBA、そしてNBAGリーグのスタッツをまとめました。
BリーグとNBAの下部組織であるGリーグでは、すばらしいスタッツを残していることがお分かりいただけるでしょう。
やはり世界最高峰のNBAは、異世界なんですよね。
それでは、河村選手のこれまでのバスケ人生、そしてNBA挑戦の道をふり返っていきましょう。
河村勇輝 高校~大学時代
福岡第一高校時代に全国大会を4度制覇、ウインターカップ2連覇を達成するなど、高校ナンバー1ポイントガードとして注目を集めた河村選手は、高校3年生だった2020年1月20日、三遠ネオフェニックスに特別指定選手として加入します。
「特別指定選手」とは一般の選手登録10~13名と別枠で22歳以下の選手を2名まで登録できる、若手を育成するための制度で、高校や大学のバスケ部との二重登録が認められる制度です。
河村選手は当時史上最年少でのB1リーグ出場となり、大きな話題となりましたね。
11試合に出場し平均12.6得点と、期待を上回る活躍をみせ、河村選手が出場する試合のチケットは完売が続きました。
2020年4月に大学バスケの強豪、東海大学に進学したものの、コロナのため関東大学リーグ戦は中止。
インカレでは東海大学のメンバーとして見事優勝し、自らは3ポイント王のタイトルを受賞します。
現在は3ポイントが弱点といわれる河村選手ですが、日本の大学レベルでは、優秀なシューターでした。
2020年12月19日には、Bリーグの横浜ビー・コルセアーズに特別指定選手としての入団を発表。
2020-21シーズン16試合に出場し、平均6.0得点 2.3リバウンド 3.4アシストを記録し、ルーキーベスト5に選出されます。
大学2年生で挑んだ関東大学リーグ戦では、優秀選手賞とアシスト王を受賞し、インカレでは東海大学を準優勝に導き、自らはアシスト王に輝きました。
2021-22シーズンも横浜ビー・コルセアーズと特別指定選手の契約を結ぶと、32試合(うち先発6試合)に出場。
前年を大きく上回るスタッツ(10.0P 2.9R 7.5A)を残しました。
そして2022年3月に河村勇輝は大きな決断をします。
両親とも教員だった河村選手は、いずれは自分も教員になりたいと常々語っていました。
しかしバスケへの情熱が抑えきれなくなり、河村選手はプロバスケ選手になるため東海大学を中退することを決意したのです。
河村勇輝 横浜ビー・コルセアーズ時代
ついに正真正銘プロバスケットボール選手となった河村選手は、2022-23シーズンついに覚醒します。
52試合(うち先発50試合)に出場し、平均19.5得点 3.4リバウンド 8.5アシストを記録。
Bリーグ最優秀新人賞はもちろん、シーズンベスト5、アシスト王、MIP、そしてBリーグのMVPまでをも受賞してしまったのです。
河村選手の活躍もあり、チームも創設以来初めて33勝27敗と勝ち越し、チャンピオンシップの準決勝まで進出する大躍進をみせました。
プロバスケットボール選手として1年目でリーグの頂点まで上り詰めた河村選手は、翌シーズンも平均20.9得点 3.0リバウンド 8.1アシストを記録し、2年連続のアシスト王、シーズンベスト5に輝きます。
すでに日本でのナンバー1ポイントガードの座を不動のものとした河村選手は、当然のように日本代表に選出され、パリオリンピックに出場。
そこで河村選手は圧倒的な活躍を世界にみせつけます。
残念ながら1勝をあげることはできなかったものの、準優勝したフランスをあと一歩まで追い詰めるなど健闘をみせた日本代表を牽引し、平均20.3得点(ヤニス、SGAに次いで大会3位)、平均7.7アシスト(ヨキッチ、レブロンに次ぐ大会3位タイ)を記録するなど、絶大な存在感で注目を集めました。
その小さな身体で相手ディフェンスを次々に切り裂き、強気なドライブと華麗なアシスト、そして3ポイント(40.6%)でチームを牽引する姿は、世界中にインパクトを与えましたね。
パリオリンピック終了後、河村選手は渡米。
オリンピック前にメンフィス・グリズリーズとエグジビット10契約を合意していたためでした。
河村勇輝 メンフィス・グリズリーズ時代
オリンピックで世界に衝撃をあたえた河村選手でしたが、正直NBA挑戦は難しいと考えられていました。
173㎝の身長は、平均身長が2m近いNBAの中では当然圧倒的な不利になります。
平面ディフェンスが最強クラスの河村選手でも、高さのディスアドバンテージはどうにもならないと考えられていました。
しかしグリズリーズの一員として出場したプレシーズンマッチの5試合で、河村選手は平均15.1分出場し、3.4得点 4.2アシストを記録。
数字以上のインパクトを与え、2way契約を勝ちとったのです。
河村選手がグリズリーズの一員となったのは、プレー面の評価だけでなく、そのコミュニケーション能力の高さも評価されたのだと思います。
NBAに挑むため早くから英語を学び、ストイックでいて愛されキャラな河村選手は、グリズリーズのメンバーたち、特にチームリーダーのジャ・モラントからの信頼を勝ちとり、チームになくてはならないプレイヤーとなりました。
河村選手は開幕2戦目のヒューストン・ロケッツ戦でNBAデビューします。
ロケッツに大量リードを許した第4クオーター残り3分34秒にコートに立ち、試合終了までプレー。
記念すべき1アシストを記録しました。
河村選手がNBAを目指すと聞いたときは、正直「そりゃあ無理だろう」と思っていただけに、グリズリーズのユニフォームを着て躍動する河村選手をみて、心が揺さぶられましたね。
11月6日のレイカーズ戦でNBA初得点、11月9日のウィザーズ戦で初3ポイントシュート成功と、河村選手の一歩一歩に感動したシーズンでした。
レギュラーシーズン最終戦のダラス・マーベリックス戦では28分5秒の出場で12得点 5リバウンド 5アシスト 1スティールを記録。
チームの圧勝に貢献し、NBA1年目の挑戦を締めくくりました。
スタッツを見ると、平均4.2分の出場で1.6得点 0.5リバウンド 0.9アシストと、厳しい結果ではありましたが、河村選手にとっては素晴らしい1年間だったと思います。
河村選手はGリーグのメンフィス・ハッスルで出場したレギュラーシーズン24試合では12.4得点 2.6リバウンド 7.7アシストを記録し「やっぱりNBAって厳しい世界だなあ」と再認識させてくれました。
河村勇輝 シカゴ・ブルズ時代
NBA挑戦2年目の2025-26シーズン、河村選手のもとにメンフィス・グリズリーズからの延長契約は届きませんでした。
心機一転シカゴ・ブルズの一員としてサマーリーグ5試合に出場した河村選手は、1試合平均10.2得点 2.4リバウンド 6.2アシスト 2.2スティールを記録し、見事2way契約を勝ちとります。
マイケル・ジョーダンがプレーした‶あの″シカゴ・ブルズで河村選手がプレーする!
開幕が待ちきれない・・・と思っていたのですが、河村選手を悪夢がおそいます。
右下肢の痛みでプレシーズンマッチ3試合目からを欠場していた河村選手は、開幕直前の現地時間10月17日、シカゴ・ブルズから契約解除されてしまいました。
理由は右ふくらはぎと足首の血栓。
血栓とは、血液の中に血の塊ができてしまう状態で、この血の塊が脳や心臓に運ばれてしまうと「脳梗塞」や「心筋梗塞」を引き起こし、最悪命を落とすこともある怖い病気です。
レブロン、ウェイドとともにビッグ3としてヒートを優勝に導いたクリス・ボッシュは度重なる血栓で引退に追い込まれましたし、記憶に新しいところではビクター・ウェンバンヤマも、2024-25シーズン、右肩の血栓で長期離脱をしていましたよね。
NBA挑戦2年目を迎える大事な時に、よりによって病気で契約を解除されるなんて・・・
この時は正直「河村選手のNBA挑戦は終わってしまったのか・・・」と思ってしまいました。
しかし河村選手の情熱は、我々が想像するようなやわなものではありませんでした。
治療のために3か月間抗凝固剤を内服し、その間は激しい練習も禁止。
そんな絶望的な状況でも、河村選手は「今できること」をつみ重ね、自らを成長させていきます。
前向きに努力する河村選手に、ブルズのフロントも治療やトレーニングのサポートを続けてくれました。
NBAの球団には故障で契約を解除した選手に対してサポートする義務があるとはいえ、本契約でもなかった選手に治療やトレーニングのサポートを続け、時にはロッカールームにも招いてくれるようなことは異例です。
ブルズの好意を意気に感じた河村選手は、恩返しするために必死にリハビリ、ワークアウトに励みました。
その間八村塁選手からのサポートも大きな支えになったと河村選手は語っています。
多くの人々の思いを力に河村選手は2026年1月6日、シカゴ・ブルズと再び2way契約を結びました。
1月15日に行われたGリーグの試合で復帰した河村選手は決められた15分という出場時間の中で7本のアシストを記録したものの、フィールドゴールは3本すべてミス。
得点はフリースローの2点のみで、ターンオーバーを4本おかすなど、厳しい内容でした。
応援にかけつけていたトム・ホーバス監督から試合後励ましの声をかけられた河村選手は、記念すべき復帰戦ながらも悔しさを前面に押し出してインタビューに答えていた姿が印象的でしたね。
どこまでストイックなんでしょうか。
そして1月31日のマイアミ・ヒート戦で、河村選手はついにNBAのコートに戻ってきました。
第1クオーター終盤にコートに登場すると、第2クオーター残り10分2秒に味方のバスケットカウントを演出するブルズでの初アシストを記録。
8分53秒にはマタス・ブゼリスからのキックアウトを受け、3ポイントシュートをヒット!
NBA復帰戦で河村選手は6得点 3リバウンド 2アシスト 2スティールを記録し、チームの勝利に貢献しました。
この試合でもっとも注目されたのが、第4クオーター残り6分24秒、102-97とブルズが5点リードした場面でのジャンプボール。
相手は196㎝のカスパラス・ヤクチオニス。
自分より23㎝も背の高い相手よりも、一瞬早くボールに触れることに成功した河村選手は、見事ジャンプボールに勝利し、ブルズボールとしたのです。
現地の解説もおおいに盛り上がっていました(笑)。
今後も語り継がれるプレーとなるでしょう。
河村選手は2025-26シーズンNBAの舞台で18試合をプレー。
グリズリーズ時代と違い、ガベージタイムだけではなく、試合の序盤からプレータイムを与えられ、チームに信頼されていることを感じました。
ただ2月のトレードデッドラインでブルズが大量のガードを獲得したことで、河村選手の出番も制限されてしまったのが残念でしたね。
河村選手はGリーグではわずか11試合の出場ながら、18.7得点 5.2リバウンド 10.8アシストと格の違いをみせつけています。
スタッツ以上に華のあるプレーで観客を熱狂させる河村選手は、アメリカでも人気者になりました。
本場アメリカのファンをここまで熱狂させる日本人が出てくるなんて、本当に夢のようです。
この夢が、まだまだ続いていくことを期待しちゃいます!
まとめ
今回は、我らが河村勇輝選手のNBA挑戦の足跡をふり返ってきました。
NBA3シーズン目の挑戦を続ける河村勇輝選手を、とにかく全力で応援していきましょう。
なんといっても、日本の全バスケ少年たち、そしてかつてのバスケ少年たちの夢を実現させてくれる存在ですから。
NBAを目指し全身全霊でもがき続ける河村選手に、バスケファン全員がパワーを送ろうじゃありませんか。
そう、元気玉のように。
河村選手の挑戦がつづくかぎり、私たちの夢も終わりません。
NBA挑戦3シーズン目で、間違いなく今が一番厳しい状況です。
でも、昨シーズンの解雇からの復活をみれば、まだまだあきらめる状況ではありません。
ぜひ契約を勝ちとり、八村選手とともにNBAのコートに立つ姿を観てみたいですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。

