腰痛と戦いながらも、NBAの舞台で、日本人プレイヤー同士の戦いを観れる、幸せを感じているリトルです。
ロサンゼルス・レイカーズvsブルックリン・ネッツの大都会対決で、八村塁vs渡邊雄太の戦いが観れるとは。
八村塁選手がレイカーズに移籍したことで、一気に注目度も上がりましたね。
八村塁選手のトレードの噂は、シーズン序盤からありましたが、移籍先が名門レイカーズだったことには驚きました。
正直、八村選手が活躍することを考えると、もっとフィットするチームはあったと思います。
しかし、歴史と人気があり、注目度の高いレイカーズで活躍すれば、評価は爆上がり間違いなしです。
レイカーズが八村選手の活躍で、シーズン後半連勝、プレーオフ進出なんてことになれば・・・。
夢は広がります。
今回は、八村塁選手レイカーズ移籍記念、NBAを35年間観続けて来たわたくしリトルが、「えーっ!」と驚いたビックリトレードについて語ります。
チャールズ・バークレー(76ers⇨サンズ)
76ers⇨サンズ
チャールズ・バークレー
サンズ⇨76ers
ジェフ・ホーナセック
アンドリュー・ラング
ティム・ペリー
トレードといって、真っ先に思い出すのがこのチャールズ・バークレーのトレード。
当時のNBAは、現在のNBAと違って、スーパースターの移籍は考えられませんでした。
各チームに、そのチームの顔となるフランチャイズプレイヤーがいて、周りを固める選手をトレードで獲得。
フランチャイズプレイヤーの力が落ちて来た時に、引退もしくは他のチームにトレードするというパターンが多かったですね。
しかし、76ersからサンズにトレードされた1992年、バークレーは29歳。
オールスターにも5年連続で出場し、1991年のオールスターではMVPも獲得。
1992年のバルセロナオリンピックでは、初代ドリームチームの一員として金メダルを獲得したばかりの、絶頂期でした。
バークレーは、76ersのフロントが、チームを強化しようとしないことに怒りを爆発させ、自らトレードを志願したのです。
結局移籍したサンズでは、シーズンMVPを獲得する大活躍。
自身の力を思う存分発揮し、ウエスタン・カンファレンスを制覇。
NBAファイナルへ進みます。
惜しくもマイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズにファイナルで敗れ、チャンピオンリングに手は届きませんでしたが、サンズにとって大成功のトレードとなりました。
素晴らしいシーズンとなったサンズとは逆に、ロールプレイヤー3人を獲得した76ersは、長い低迷期に入ります。
リーグの底辺をさまよい、再びプレーオフに帰り咲いたのは、アレン・アイバーソンがエースとなった1998-99シーズンでした。
当時1対3のトレードは衝撃的で、「さすがバークレー、NBA選手3人分や!」なんて思っていましたが、今ならこれにどれだけドラフト権が付くんでしょうかね。
ちなみに、バークレーはだんだんとケガがちになり、オーナーとの確執もあり、1996年にヒューストン・ロケッツに去っていったんですが、その時はもうそんなに驚かなかったです(笑)。
デニス・ロッドマン(サンアントニオ・スパーズ⇨シカゴ・ブルズ)
スパーズ⇨ブルズ
デニス・ロッドマン
ブルズ⇨スパーズ
ウィル・パデュー
ビックリ度では、間違いなくこのトレードが一番でしょう。
ニュースを見て、本当に「えーっ!」と声をあげたのは、この時だけかもしれません。
あまりにもつり合いのとれないトレードだったもので(笑)。
デトロイト・ピストンズでNBA最凶のディフェンダーとして、恐れられていたロッドマン。
〝バッドボーイズ″と呼ばれたピストンズの一員として、NBA2連覇(1989、1990)を果たします。
1990年、1991年、2年連続でNBA最優秀守備選手賞を受賞し、名実ともにNBA最強のディフェンダーとして認知されるようになったものの、強力なライバルチームによって、ロッドマンのプライドは傷つけられます。
シカゴ・ブルズ。
マイケル・ジョーダンとスコッティ・ピッペンを中心とした超人気チームを、ピストンズはプレーオフで3年連続下していました。
しかし、1991年のイースタンカンファレンスファイナル、ピストンズはブルズに完膚なきまでに叩き潰されます。
ブルズが3連勝して迎えた4戦目。
ロッドマンは、マッチアップしていたピッペンを、試合の序盤から「ホ〇野郎!」とののしり続けると、敗退がほぼ決定した第4クオーターに暴挙にでます。
バックドアからゴール下に抜け出し、レイアップを試みたピッペンを、客席まで突き飛ばし、顎を6針縫うケガを負わせたのです。
まさか、数年後、宿敵シカゴ・ブルズのユニフォームを着ることになるとは、この時は夢にも思いませんでした。
1992-93シーズン、ロッドマンは1試合平均18.3リバウンドと素晴らしい記録で2年連続のリバウンド王を獲得。
しかし、チームは負け越し、10年ぶりにプレーオフを逃すと、ピストンズはトラブル続きのロッドマンをサンアントニオ・スパーズに放出します。
2シーズンをスパーズで過ごす間にも、数々のトラブルを巻き起こしたロッドマン。
おおやけに、チームリーダーのデビッド・ロビンソンを批判するようになったロッドマンを、スパーズは持てあましていました。
そこで成立したトレードが、シカゴ・ブルズのウィル・パデューとの1対1のトレード。
トレード前の1994-95シーズン、ロッドマンとパデューの成績を比べると・・・
デニス・ロッドマン
32.0分 7.1得点 16.8リバウンド 2.0アシスト
ウィル・パデュー
20.4分 8.0得点 6.7リバウンド 1.2アシスト
ロッドマンはリバウンド王でオールディフェンシブファーストチームに選ばれています。
パデューはブルズの控えセンター。
前髪フーフーで有名なロールプレイヤーでした。
あまりにも実力的に釣り合わないトレードでしたが、何がなんでも厄介者を追い出したいスパーズにとって、見返りはどうでもよかったのかもしれません。
「ブルズはえらい賭けに出たなあ!」「ロッドマン、ピッペンとプレイできるんやろうか?」と、当時バスケ仲間と盛り上がったことを思い出します。
結果はご存じの通り。
マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペンにデニス・ロッドマンを加えたチームは、3連覇を果たし、NBAの歴史に輝かしい足跡を残したのです。
もし、ブルズ加入が決定した時に、ロッドマンがピッペンに素直に謝らなければ、ブルズの2度目の3ピートはなかったのかもしれませんね。
ケビン・ガーネット(ミネソタ・ティンバーウルブズ⇨ボストン・セルティックス)
チームのエースがトレードで移籍することが、当たり前になるきっかけとなったトレードだと思います。
2006-07シーズンを、イースタンカンファレンス最下位の24勝58敗で終えたセルティックス。
エースのポール・ピアースは他チームへの移籍をほのめかす、最悪のチーム状態でした。
当時セルティックスのGMダニー・エインジは、大きな賭けに出ます。
4年連続リバウンド王、オフェンスでもディフェンスでもNBAトップクラスの実績を誇り、2004年にはシーズンMVPも受賞しているケビン・ガーネットを獲得することで、ピアースの移籍を食い止め、チーム状況を変えることを目標に動き出したのです。
当時ケビン・ガーネットが所属していたミネソタ・ティンバーウルブズも、チーム状態は最悪でした。
ガーネットは大活躍しても、チームは3年連続プレーオフを逃し、どん底の状態。
高校卒業後、12年間をウルブズのエースとして過ごしてきたガーネットも、ついに優勝ができるチームへのトレードを希望したのです。
複数のチームが有力候補として名前があがりましたが、31歳とベテランに差し掛かり、優勝への焦りがあったガーネットにとって、当初イースタン最下位のセルティックスは、候補にすら上がっていませんでした。
そこで、セルティックスGMの策士、ダニー・エインジは、まずシアトル・スーパーソニックスから、エースのレイ・アレンをトレードで獲得。
ケガで両足首を手術し、長期離脱していたアレンを獲得し、本気で優勝を狙っていることをガーネットにアピールします。
エインジのチームプランに心動かされたガーネットは、ついにセルティックス入りを決め、1対5+ドラフト権×2という前代未聞の大型トレードが成立したのです。
トレードになったことより、ガーネットが前年イースタン最下位の当時の弱小セルティックスを選んだことに、びっくりしましたね。
結果は、前年最下位からのNBA制覇というシンデレラストーリー。
優勝は2007-08シーズンの1回だけでしたが、〝セルティックスを長年強豪に導く″大きなトレードでした。
後に語る、セルティックスとブルックリン・ネッツの大型トレードまで含めて、ダニー・エインジのマネージメント力には驚かされますね。
選手としては、カーっと頭に血がのぼる、ファイタータイプでしたが、引退しフロント入りした後は、本当に冷静だと思います。
現在ユタ・ジャズの社長として辣腕をふるっているエインジ。
2大スター(ドノバン・ミッチェル、ルディ・ゴベア)を失っても、チームを大崩れさせない手腕は見事です。
ケビン・ガーネット&ポール・ピアース(ボストン・セルティックス⇨ブルックリン・ネッツ)
〝当時はそこまでびっくりしなかったけれど、後々考えるとものすごいトレード″の代表格が、2013年7月13日、ドラフト当日にボストン・セルティックスとブルックリン・ネッツ間で行われた超ビッグトレード。
セルティックス⇨ネッツ
ケビン・ガーネット
ポール・ピアース
ジェイソン・テリー
D.J.ホワイト
ネッツ⇨セルティックス
ジェラルド・ウォレス
クリス・ハンフリーズ
マーション・ブルックス
クリス・ジョセフ
キース・ボーガンス
+
ドラフト指名権×3(2014、2016、2018)
指名順位の交換権
セルティックスのエースとして15シーズンを過ごしたピアースと、勝てなかったセルティックスを強豪に変えたガーネットを、ネッツが強奪したかたちのトレード。
背景には、ネッツの新オーナーとなったロシア人大富豪ミハイル・プロホロフの焦りがありました。
「ニューヨークをネッツの街に!」と高らかに宣言し、ニュージャージーからブルックリンにフランチャイズを移して4年目。
ブルック・ロペス、ジョー・ジョンソン、デロン・ウイリアムズを中心に、2012-13シーズン49勝33敗とそこそこの成績を残すものの、プレーオフでルオル・デン、ジョアキム・ノア、カルロス・ブーザーらを擁するブルズに敗れ、1回戦で姿を消します。
チーム成績もパッとしなければ、観客動員もNBA28位とふるわず。
当初思い描いていた明るい未来とはかけ離れた状況に、業を煮やしたプロホロフは、セルティックスとの大トレードを敢行したのです。
結果として、ネッツ再建の目玉とされた、全盛期を過ぎたセルティックスの大黒柱たちは、インパクトを残せず。
ピアースとテリーは1年で、ガーネットは2年でネッツを去っていきました。
チームが弱体化しても、ドラフト1巡目指名権はセルティックスに渡しているため、ドラフトには参加できず。
ネッツ側からみると、「史上最低のトレード」といわれる、悔やんでも悔やみきれない取り引きとなりました。
対照的にセルティックスは、明るい未来を手に入れます。
GMのダニー・エインジは笑いが止まらなかったでしょう。
力が落ちてきて、扱いに困っていたベテランを放出し、ドラフト1巡目指名権を3つも手に入れたのです。
このトレードによって、さらに〝長年セルティックスを強豪に導く″ことに成功したのですから。
確かに、ネッツからトレードで獲得した選手の、大きな活躍はありませんでした。
しかし、ドラフト指名権を使って、マーカス・スマート、ジェイレン・ブラウン、ジェイソン・テイタムと、現在の主力3人を手に入れたセルティックスは、2023年2月3日現在リーグ首位を走っています。
ネッツとの大型トレードがなければ、セルティックスの現在の姿はなかったでしょう。
ちなみに、トレードの敗者となったブルックリン・ネッツですが、2019年のオフに、ケビン・デュラントとカイリー・アービングのスーパースター2人を獲得し、チームを再建させたフロントも、なかなかのもんですね。
まとめ
NBAを35年間観つづけてきたわたくしリトルが、声をあげるほど衝撃を受けたトレードは、バークレーとロッドマンくらいですかね。
シャキール・オニールがオーランド・マジックからロサンゼルス・レイカーズに移籍した時はFAでしたし、レイカーズからヒートに移籍した時は、「やっぱりか・・・」という感想でした。
コービーとの確執もありましたし、レイカーズがシャックとコービー、2人のサラリー払えるわけなかったですからね。
クライド・ドレクスラーがトレイルブレイザーズからロケッツに移籍した時も、ビンス・カーターがラプターズからネッツに移籍した時も、「ああ、やっぱりね。」という感想でした。
ドレクスラーは力が落ちてきていましたし、カーターは不満がプンプンでしたから。
現在のNBAは、トレードの主役がドラフト指名権になっていることもあり、スター選手の移籍も当たり前になっています。
もう、バークレーやロッドマンのトレードのような驚きは、感じられないのかもしれません。
しかし、今回の八村塁選手のレイカーズへのトレードは、久しぶりのびっくりトレードでした。
数年後レイカーズファンから、「あのトレードは成功だったな。」と言われるような活躍を、八村選手に期待したいと思います。
ついこの間まで、アンチレイカーズだった、わたくしリトルも、全力でレイカーズ応援するぞっ!