寒くて寒くて、腰の痛みが1.5倍増しの、リトルです。
今回は、歴代で最強のBIG3は、どのチームなのかを、NBAを35年間観続けて来たわたくしリトルが、独断と偏見で決定したいと思います。
NBA歴代最強ビッグ3候補
今回、〝歴代最強ビッグ3″の候補を選ぶ条件として、わたくしリトルがリアルタイムで優勝を観たチームとします。
そのため、ラリー・バード、ケビン・マクヘイル、ロバート・パリッシュのボストン・セルティックスと、マジック・ジョンソン、ジェームス・ウォージー、カリーム・アブドゥル・ジャバーのロサンゼルス・レイカーズのビッグ3は除外します。
私リトルは、レイカーズが2連覇した1987-88シーズンから、月間バスケットボールでNBAの少ない記事を読み、夜中にある数少ないNBAの試合を観てきましたが、実際にファイナルの試合を観戦することはできませんでしたから。
それでは、候補となる5チームを発表します。
シカゴ・ブルズ (1995-98)
マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、デニス・ロッドマン
サンアントニオ・スパーズ(2002-16)
ティム・ダンカン、トニー・パーカー、マヌ・ジノビリ
ボストン・セルティックス(2007-12)
ポール・ピアース、ケビン・ガーネット、レイ・アレン
マイアミ・ヒート(2010-14)
レブロン・ジェームズ、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュ
ゴールデンステイト・ウォリアーズ(2012- )
ステフィン・カリー、クレイ・トンプソン、ドレイモンド・グリーン
どのチームも、ビッグ3と呼ぶにふさわしいチームでしょう。
ジョーダン ピッペン ロッドマン(シカゴ・ブルズ)
シカゴ・ブルズ(1995-98)3シーズン 優勝3回
ビッグ3と聞いて、まず思い浮かぶのが、後期3ピートを達成したシカゴブルズ。
3シーズンで3度のチャンピオン。
文句のつけようがありません。
まずは3人の生涯成績をまとめます。
マイケル・ジョーダン(1984-93 1994-98 2001-03)
30.1得点 6.2リバウンド 5.3アシスト
スコッティ・ピッペン(1987-2004)
16.1得点 6.4リバウンド 5.2アシスト
デニス・ロッドマン(1986-2000)
7.3得点 13.1リバウンド 1.8アシスト
圧倒的な攻撃力を誇り、ディフェンスも超一流のGOAT(グレート・オブ・オール・タイム)マイケル・ジョーダン。
そのジョーダンを支える、攻守をオールラウンドにこなす、スコッティ・ピッペン。
攻撃はほかの選手にまかせ、ディフェンスとリバウンドにすべての力を注ぐ、悪童デニス・ロッドマン。
3人のバランスもいいですね。
キャラも立っています。
ジョーダン、ピッペン、ロッドマンのビッグ3結成には、ドラマがあります。
まだジョーダンでは優勝できないと言われていた時代に、シカゴ・ブルズの前に大きな壁として立ちふさがったチームがありました。
〝バッド・ボーイズ″デトロイト・ピストンズです。
強力なディフェンスと、相手にケガをさせるほどの激しいプレイスタイルで、2年連続NBAチャンピオンとなった悪の軍団ピストンズ。
ロッドマンは、若手ながらバッドボーイズの中心選手として、ブルズの前に立ちふさがります。
特にスコッティ・ピッペンは、ロッドマンの1番の被害者でした。
ピッペンは、ロッドマンとビル・レインビアの暴力に近いディフェンスを受け、原因不明の偏頭痛を起こし、まともにプレーができなくなるほど苦しめられていたのです。
1990-91シーズン、ジョーダンとピッペンを中心とするブルズが、初めてプレーオフでピストンズをスウィープで破った、イースタンカンファレンスファイナル、最終第4戦の第4クオーターで、ロッドマンが暴挙に出ます。
バックドアでロッドマンの裏をとり、レイアップを試みたピッペンを、後ろから思いっきり突き飛ばしたのです。
観客席まで吹っ飛ばされたピッペンは、あごを6針縫うけがをしました。
敗退が決まってやけくそになったロッドマンのプレーは、ピッペンとの遺恨を決定的にしたのです。
まさか、この5年後に、ジョーダン、ピッペン、そしてロッドマンがともに戦い、優勝を勝ち取るとは、夢にも思いませんでした。
実際、ブルズ入りが決まった時に、ヘッドコーチのフィル・ジャクソンは、ロッドマンに対し、「君がこのチームに加わりたいなら、スコッティに謝罪しなければならない。」と言ったそうです。
素直に謝ったロッドマンと、素直に受け入れたピッペン。
ジョーダンが大リーグ挑戦からバスケに復帰した直後のプレーオフで、若きオーランドマジックに叩きのめされたブルズ。何かが足りないと感じていたファンの元に届いた「ロッドマン、ブルズ移籍」のニュースは、NBAファンを騒然とさせました。
その後ビッグ3体制でのシカゴ・ブルズについては、ご存じの通りかと思います。
シカゴ・ブルズ ビッグ3(1995-1998)
3シーズン 優勝3回
通算成績(レギュラーシーズン)
203勝 43敗 勝率82.5%
通算成績(プレーオフ)
45勝 13敗 勝率77.5%
3度のファイナルでは、シアトル・スーパーソニックスとユタ・ジャズ(2年連続)をすべて4勝2敗で破り、3連覇。
生え抜きのスター選手2人に、他のチームでお荷物だった実力者が加わり、強力なビッグ3を結成したパターンです。
ドラマ性と実績、どちらも文句のつけようのないビッグ3だと思います。
ダンカン パーカー ジノビリ(サンアントニオ・スパーズ)
サンアントニオ・スパーズ(2002-16)14シーズン 優勝4回
スパーズ王朝をつくったビッグ3。
NBAでは、他のチームのスター選手をトレードやFAで獲得して、ビッグ3を〝つくる″ことが多いのですが、スパーズの3人は、生え抜きの選手がビッグ3に〝なっちゃった″理想的なパターン。
現在でいえば、ゴールデンステイト・ウォリアーズのビッグ3(カリー、クレイ、ドレイモンド)と同じパターンですね。
ティム・ダンカンはドラフト全体1巡目1位のエリートですが、トニー・パーカーは1巡目全体28位、マニュ・ジノビリは2巡目全体57位と、誰も〝ビッグ″と呼ばれる選手になるとは思っていない2人でした。
それでは、3人の生涯成績をまとめます。
ティム・ダンカン(1997-2016)
19.0得点 10.8リバウンド 3.0アシスト
トニー・パーカー(1999-2019)
15.5得点 2.7リバウンド 5.6アシスト
マヌ・ジノビリ(2002-2018)
13.3得点 3.5リバウンド 3.8アシスト
常に冷静沈着なエースビッグマンのダンカン、スピードでかき回すチームの司令塔パーカー、予測できないパスやシュートで魅せるファンタジスタのジノビリ。
ジノビリは、シックスマンとして出場する時期も多かったのですが、勝負を決する第4クオーターでは、ジノビリを含むビッグ3を中心に、相手を圧倒し、栄光をつかんできました。
ダンカンがヴァージン諸島生まれのアメリカ国籍、パーカーがフランス国籍、ジノビリがアルゼンチン国籍と、多国籍であることも、ほかのビッグ3とは異なる特色です。
スパーズのビッグ3を語るうえで、欠かせないのが、ヘッドコーチのグレッグ・ポポビッチ。
言わずと知れた名将ポポビッチがいなければ、国際色豊かなビッグ3は誕生しなかったでしょう。
1998-99シーズン、デビッド・ロビンソンとティム・ダンカンのツインタワー擁するサンアントニオ・スパーズは、チーム史上初めての優勝を勝ちとります。
続く1999-00、2000-01シーズンは、シャック&コービーのロサンゼルス・レイカーズが圧倒的な強さで2連覇。
このままの戦力では勝てない、しかし、強豪チームであるスパーズに、ドラフト上位指名権はない。
ポポビッチが目をつけたのが、当時はまだ未開の地だった海外でした。
1999年のドラフトで、アルゼンチン出身のマヌ・ジノビリを2巡目全体57位で指名。
ジノビリは、指名を受けたあとも、2年間セリエAのボローニャでプレーし、2年連続セリエAでMVPを獲得。
ユーロリーグでも優勝し、ここでもMVPを獲得する大活躍をみせ、2002-03シーズンからNBAデビューしました。
2000年のドラフトでは、フランス出身のトニー・パーカーを1巡目全体28位で指名。
当時、ヨーロッパ出身の選手は、シューターやビッグマンが多く、チームの要であるポイントガードの選手はいませんでした。
ドラフト前に、スパーズのワークアウトに呼ばれたパーカーは、ポポビッチの前で大失態をさらします。
「僕は、コーチ・ポップの前で、最低のプレーを披露してしまった。しかも、考えられる限り最悪のタイミングでね。球団は、ワークアウトで対戦する相手に、ランス・ブランクスという元NBA選手を用意してくれた。彼とのマッチアップではこてんぱんにやられてしまって、僕は単なる10代の選手でしかなかった。」
「コーチ・ポポビッチについては、『頑固』というイメージがついてしまっているかもしれない。でも、もしポップが自分に2度目のチャンスを与えてくれなかったら、僕はNBA選手になれていなかったかもしれない。彼は僕をもう1度ワークアウトに呼んでくれて、アピールするチャンスを与えてくれた。2回目の対戦では、ランスを相手に前回より良いプレーができた。厳しい対戦だったけれど、なんとか持ちこたえられた。多少なりとも実力を見せられたと思う。そうしたら、2001年のドラフト全体28位でスパーズから指名されたんだ。」
のちにパーカーが語った言葉です。
スパーズ入団後も、ポポビッチは、特にパーカーには厳しい指導を行いました。
時には、試合中でも血相を変えてパーカーに詰め寄り、怒鳴り上げるポポビッチは、まるで部活の監督のようで恐ろしかったですね。
それでも、次第に成長したパーカーは、ファイナルMVPを獲得する選手となり、ビッグ3の一角と呼ぶにふさわしい選手へと成長したのです。
チームの大黒柱ティム・ダンカン、努力の男トニー・パーカー、天才マヌ・ジノビリ。
スパーズの「ビッグ3」は、ヘッドコーチグレッグ・ポポビッチのもとで成長をとげ、数々の栄冠を勝ち取り、いつしか人々から「ビッグ3」と呼ばれるようになった、理想的なパターンだと思います。
サンアントニオ・スパーズ ビッグ3(2002-16)
14シーズン 優勝4回
通算成績(レギュラーシーズン)
810勝 322敗 勝率71.5%
通算成績(プレーオフ)
129勝 74敗 勝率63.5%
14シーズンの長期間にわたって活躍したビッグ3は、4度チャンピオンを獲得。
14シーズンすべてプレーオフ進出する、スパーズ王朝を築きあげました。
ちなみに、マヌ・ジノビリという呼び方は昔からのファンにとって、ちょっと気持ち悪いんです。
エマニュエル・ジノビリという、デビューの時からの呼び方をしたいんですけど、途中から「マヌ」が正式名になっちゃったようなのでねえ。
ピアース、ガーネット、アレン(ボストン・セルティックス)
ボストン・セルティックス(2007-12)5シーズン 優勝1回
スパーズとは対照的に、完全に〝つくられた″ビッグ3。
2006-07シーズン、ボストン・セルティックスは、エースのポール・ピアースがケガで長期欠場したこともあり、24勝58敗とイースタンカンファレンス最下位となります。
ピアースは、セルティックスのフロントに対して補強を強く希望し、自身の移籍もほのめかしました。
エース流出の危機を迎えたセルティックスのフロントは、起死回生の大ばくちに出ます。
シアトル・スーパーソニックスから移籍希望していたレイ・アレンをトレードで獲得。
当初セルティックス行きを拒否していた、ミネソタ・ティンバーウルブズの不動のエース、ケビン・ガーネットも、セルティックスの本気を感じ、トレードに応じます。
ここに、オールスター常連選手3人がそろう、ビッグ3が誕生したのです。
ポール・ピアース(1998-2017)
19.7得点 5.6リバウンド 3.5アシスト
ケビン・ガーネット(1995-2016)
17.8得点 10.0リバウンド 3.7アシスト
レイ・アレン(1996-2014)
18.9得点 4.1リバウンド 3.4アシスト
セルティックスのエースとしてチームを支えてきた、オールラウンドなスコアラー、ピアース。
圧倒的なディフェンス力を誇るチームリーダー、ガーネット。
歴代トップクラスの3ポイントシューター、レイ・アレン。
3人とも、それぞれのチームを長年エースとして牽引してきた、オールスター選手。
しかも、3人ともチームの勝利を第一と考える、アンセルフィッシュなチームリーダーでした。
ビッグ3体制となった2007-08シーズン、前年イースタンカンファレンス最下位だったセルティックスは、リーグトップの66勝16敗を記録。
この年、ガーネットはオールNBAファーストチーム、ピアースはサードチームに選出されています。
完璧なチームワークと、魂のディフェンスで、苦しみながらもプレーオフを勝ち抜き、ファイナルに進出。
ファイナルでコービー・ブライアント擁するロサンゼルス・レイカーズを4勝2敗で下し、ビッグ3体制1年目でのNBA制覇という、期待以上の結果を残します。
ファイナルMVPは長年セルティックスを支えてきた、ポール・ピアースが手にしました。
ボストン・セルティックス ビッグ3(2007-12)
5シーズン 優勝1回
通算成績(レギュラーシーズン)
273勝 121敗 勝率69.2%
通算成績(プレーオフ)
54勝 39敗 勝率58.0%
ビッグ3体制がつづいた5年間で、優勝は1回だけでしたが、コービー擁するレイカーズとの2度のファイナルの戦いは、強烈な印象を残しました。
しかし、抜群のチームワークを誇ったセルティックスのビッグ3は、思いもよらない形で終焉を迎えます。
2012年のプレーオフカンファレンスファイナルで、セルティックスはマイアミ・ヒートに第7戦までもつれこむ接戦の末、3勝4敗で敗れてしまいます。
シーズン終了後、FAとなったレイ・アレンは、大方の予想をくつがえし、セルティックスではなく、あろうことか敗れたばかりのライバル、マイアミ・ヒートと契約を結んだのです。
当時マイアミ・ヒートは、スリーキングスと呼ばれるビッグ3、レブロン・ジェームズ、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュを擁し、圧倒的な戦力を誇るチャンピオンチーム。
スリーキングスは、セルティックスのビッグ3に影響を受けて結成されたとも言われていました。
カンファレンスファイナルで敗れたばかりの、チャンピオンチームへの移籍を決断したアレンに対し、ガーネットとピアースは激怒し、セルティックスの第二次ビッグ3の時代は終わりました。
結局アレンは2013年のファイナルで、絶体絶命の状況から起死回生の3ポイントを決める大活躍で、チャンピオンリングを手にしたのですから、選択としては間違ってなかったのでしょうが・・・。
正直、残念な選択だったですね。
レブロン、ウェイド、ボッシュ(マイアミ・ヒート)
マイアミ・ヒート(2010-14)4シーズン 優勝2回
〝つくられた″ビッグ3の究極が、レブロン、ウェイド、ボッシュのスリーキングスといえるでしょう。
クリーブランド・キャバリアーズ(レブロン)と、トロント・ラプターズ(ボッシュ)、2つのチームの、まだ25歳と26歳のバリバリのエースが、突然FAでなんの見返りもなく、友人でありスーパースターのウェイドがいる、マイアミ・ヒートへ移籍したのですから、そりゃあ強いですわね。
まずは3人の生涯成績をまとめます。
レブロン・ジェームス(2003- )
27.2得点 7.5リバウンド 7.3アシスト(2023.2月15日時点)
ドウェイン・ウェイド(2003-19)
22.0得点 4.7リバウンド 5.4アシスト
クリス・ボッシュ(2003-17)
19.2得点 8.5リバウンド 2.0アシスト
何も言うことはありません。
これまで紹介したビッグ3とは違い、バリバリの若手オールスター選手3人が、一緒にプレーしたら優勝できるんじゃね?のノリで、集まったチームですから。
FAで獲得したため、ヒートは既存の選手を出すこともなく、超豪華戦力を手にすることになったのです。
史上最高のドラフトと語られることも多い2003年のNBAドラフト。
ドラフト1巡目全体1位のレブロン・ジェームズ(クリーブランド・キャバリアーズ)、3位のカーメロ・アンソニー(デンバー・ナゲッツ)、4位のクリス・ボッシュ(トロント・ラプターズ)、5位のドウェイン・ウェイド(マイアミ・ヒート)と、それぞれのチームのエースとなる4人のスーパースターが同時にNBAに誕生した、歴史的なドラフトでした。
特にレブロン・ジェームズは、当然のようにルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝き(私はカーメロだと思いましたが)、〝ゴッド″マイケル・ジョーダンと比較され、〝キング″と呼ばれるようになります。
しかし、生まれ故郷でもあるクリーブランドに、優勝をもたらすことは、〝キング″レブロンをもってしても、簡単ではありませんでした。
まず、結果を出したのが、ドウェイン・ウェイド擁するマイアミヒート。
ウェイドは、シャキール・オニールとの強力コンビで、2006年のNBAファイナルに進出し、ノビツキー擁するダラス・マーベリックスを破り、チャンピオンリングを手にしました。
ウェイドは、ファイナルで1試合平均34.7得点をあげ、文句なしのファイナルMVPを獲得したのです。
もちろん、同期のレブロンとボッシュも、ウェイドの活躍に刺激を受け、それぞれエースとして、優勝を目指します。
レブロン擁するキャブスは、翌2007年ファイナルに進出。
しかし、ダンカン、パーカー、ジノビリのビッグ3の前に0勝4敗で完膚なきまでに叩きのめされました。
個人としては圧倒的な力をみせつけるも、チームとして結果が出ない状態が続くと、レブロンとボッシュは、驚きの決断をします。
ラプターズとの契約が終わりFAとなった時点で、まずクリス・ボッシュがマイアミ・ヒートに移籍。
チームの成績不振から、移籍の噂があったウェイドは、ヒートと再契約をかわします。
この時点で、若いバリバリのオールスターであり、ラプターズ不動のエースだったボッシュが、見返りもなく出て行ったことで、ラプターズファンからは怒りの声があがります。
反対に、ヒートファンは歓喜の声をあげ、マイアミ・ヒートは一躍優勝候補にあがりました。
そして翌日、さらに大きな衝撃が走ります。
ウェイド、ボッシュと同じくFAとなっていたレブロンは、「The Decision」というESPNのスペシャル番組で、ド派手に自身の契約するチームを発表。
世界中のバスケファンが注目する中、マイアミ・ヒートへの移籍を発表したのです。
正直、テレビ番組で発表すると聞いたときは、「さすがにキャブスと再契約して、チーム愛を深めるんやろ。」と思っていました。
ニュースを見た時には、本気で「えーーーっ!」と声をあげましたね。
間違いなく世界最高の選手である、不動のエースに、見返りなく出て行かれるのですから、キャブスファンやチーム関係者の怒りはすさまじく、レブロンのユニフォームを燃やす映像が、ニュースでよく流れていました。
「ジョーダンやコービーがこんな移籍を望むはずがない」
「ライバルたちを打ち破って頂点にたどり着く気概はないのか」
全米のスポーツメディアも、3人の決断を激しく非難。
サラリーキャップのため、3人が他チームよりも割安なサラリーで契約したことにも、批判は集まりました。
レブロン、ウェイド、ボッシュの3人は、2006年日本で行われた世界選手権に出場した際、3人でチャンピオンリングを勝ちとることをすでに話し合っていたそうです。
こうして、マイアミ・ヒートに「スリーキングス」と言われる超強力な若手ビッグ3が誕生したのです。
わたくしリトルも、3人の決断には、残念を通りこして、怒りを感じました。
レブロンが、永遠にジョーダンを超えることはないと確信した瞬間でした。
ヒートのスリーキングスが、ボストン・セルティックスのビッグ3と違うところは、25~26歳とまだ若いスーパースターであること、そして、FAでなんの見返りもなく移籍してしまったことです。
ラプターズやキャブスには同情してしまいますね。
マイアミ・ヒート ビッグ3(2010-14)
4シーズン 優勝2回
通算成績(レギュラーシーズン)
224勝 88敗 勝率71.7%
通算成績(プレーオフ)
59勝 28敗 勝率67.8%
ビッグ3体制の4年間すべてでファイナル進出し、2度の優勝。
当初の予想どおりの結果を残しました。
反対に、レブロンとボッシュが所属していたキャブスとラプターズは、リーグ最下位を争うことに。
正直、ヒートのスリーキングスに関しては、わたくしリトルの否定的な感情が出てしまいます。
レブロン、ウェイド、ボッシュファンのみなさまには、申し訳ございません。
カリー、クレイ、ドレイモンド(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)
ゴールデンステイト・ウォリアーズ(2012― )11シーズン 優勝4回
スパーズ(ダンカン、パーカー、ジノビリ)と同じく、生え抜きの選手3人が、結果としてビッグ3と呼ばれるまでに成長したパターンの現代版です。
すでに4回の優勝を勝ちとり、長年弱小チームだったウォリアーズを、人気・実力ともナンバー1のチームに押し上げました。
NBAドラフトの面白さを、再認識させてくれた3人です。
3ポイントシューターが2人と、オールラウンドな能力を持つ小柄なビッグマンという、いびつな形のビッグ3ですが、みなさんご存じの通り、ウォリアーズ王朝を築きあげました。
ステフィン・カリー(2009- )
24.5得点 4.7リバウンド 6.5アシスト(2023.2月15日時点)
クレイ・トンプソン(2011- )
19.7得点 3.5リバウンド 2.3アシスト
ドレイモンド・グリーン(2012- )
8.7得点 7.0リバウンド 5.5アシスト
ステフィン・カリーは2009年のドラフト1巡目全体7位でウォリアーズに指名されますが、当初線の細さが懸念され、「3ポイント以外はNBAレベルではない」と評価されていました。
父親のデル・カリーのファンだったわたくしリトルは、親戚の子供を応援する気持ちで見守ってきたのですが、まさかこんなスーパースターになるとは、夢にも思いませんでしたね。
クレイ・トンプソンは、2011年のドラフト1巡目全体11位。
当時は、クレイが大学の時に、大麻の不法所持で逮捕されていたこともあり、「素行不良の問題児」のイメージがあり、正直「大丈夫か?」と思っていました。
クレイのお父さんも、1978年のNBAドラフト全体1位指名を受け、レイカーズでジャバーの控えとして活躍したセンター、マイカル・トンプソン。
カリーに続いて、2世選手の入団はちょっとうれしかったですね。
ドレイモンド・グリーンは、2012年のドラフト2巡目全体35位。
正直、ドラフト時は2巡目だったため、まったく記憶になく、期待もしていませんでした。
198㎝と小柄ながら、インサイドで奮闘し、パスもうまい選手でしたが、当初同じパワーフォワードに、オールスター出場経験もあるデビッド・リーがいたため、目立った存在ではありませんでした。
しかし、リーがケガをした時に、ゲームメークまでこなすパス能力と、圧倒的なディフェンス力、熱いファイトスタイルで一気にブレーク。
ウォリアーズになくてはならない存在に成長しました。
3人がウォリアーズに揃った2012-13シーズン、ウォリアーズは47勝35敗と勝ち越し、6年ぶりにプレーオフ進出。
この年、カリーとクレイが3ポイントシュートを二人で483本決めるNBA記録をつくると、ゴールネットが跳ねる様を、水面からあがる水しぶきに見立てて「スプラッシュブラザーズ」と呼ばれるようになります。
翌2013-14シーズンもプレーオフに進みますが、1回戦でロサンゼルス・クリッパーズに敗れると、フロントはヘッドコーチのマーク・ジャクソンを解任。
ヘッドコーチの経験がない、スティーブ・カーの就任が決まり、「えーっ!カーで大丈夫か?」の声があふれました。
しかし、ブルズのビッグ3と共に戦った、名シューターであるカーは、スプラッシュブラザーズを生かすため、ドレイモンドをポイントフォワードとして組み入れ、完璧なシステムをつくりあげます。
そして2014-15シーズン、67勝15敗の圧倒的な勝率でプレーオフに進み、レブロン擁するクリーブランド・キャバリアーズを下し、3人にとって初めての優勝を勝ちとったのです。
翌2015-16シーズンは、73勝9敗と、ブルズビッグ3がつくった72勝10敗のNBA記録を更新。
おしくもNBAファイナルでは、3勝1敗と王手をかけながら、キャブスに第7戦で敗れますが、ウォリアーズの3人が、間違いなくビッグ3であると認識された1年でした。
世間一般では、ケビン・デュラントが加わり、プレーオフを16勝1敗の無双状態で優勝した、2016-17シーズンのウォリアーズが史上最強と語られていますが、個人的には2015-16シーズンのウォリアーズこそ、史上最強だったと思います。
ファイナルでドレイモンドのフレグラントファウルがなければ・・・と悔やまれます。
チームワークばっちりの、カリー、クレイ、ドレイモンドの3人のバスケをもっと見たかった。
正直、デュラントはオクラホマシティ・サンダーのエースとして、ウォリアーズに挑んでほしかった。
ということで、デュラント加入反対だったわたくしリトルにとって、昨年の復活優勝は格別でした。
ゴールデンステイト・ウォリアーズ ビッグ3(2012- )
10シーズン 優勝4回 ※昨シーズンまで
通算成績(レギュラーシーズン)
527勝 266敗 勝率66.4%
通算成績(プレーオフ)
102勝 48敗 勝率68.0%
ウォリアーズのビッグ3の記録をみるときに、忘れてならないのは、クレイ・トンプソン不在の2年間。
トロント・ラプターズと戦った2019年のファイナル第6戦で、クレイは左膝前十字じん帯断裂の大ケガを負い、2019-20シーズンは全休。
ケビン・デュラントがブルックリン・ネッツへと移籍し、カリーもケガで長期欠場したため、2019-20シーズンは、15勝50敗のリーグ最下位となります。
正直、ウォリアーズ王朝の終焉も覚悟した1年でした。
翌シーズン開幕前、トレーニング中に今度は逆足の右足アキレス腱断裂の大ケガを負い、2シーズン連続の全休となったのです。
2020-21シーズンは、カリーの得点王となる孤軍奮闘もあり、39勝33敗とウエスタンカンファレンス8位となりますが、プレーイントーナメントで、レイカーズとグリズリーズに連敗し、終戦。
この苦しんだ2年間があったからこそ、2021-22シーズンの優勝は格別でした。
NBAの歴史に残るシューター2人が、同じ時期、同じチームに揃ったこと、そして2人を操るゲームメイクの才をもったビッグマンが現れたことを、感謝したいですね。
今シーズンは、開幕から厳しい戦いが続いていますが、カリーが健康を取り戻し、また快進撃をみせることを期待しています。
まとめ
今回は、「歴代最高のビッグ3」について語ってきました。
NBAを35年間観続けて来たわたくしリトルの結論は、「ジョーダン、ピッペン、ロッドマンのシカゴ・ブルズ」です。
たったの3シーズンですが、大きなインパクトを残してくれました。
正直、ジョーダン世代にとって、この時代のシカゴ・ブルズは特別なんです。
思い出補正で、正常な判断はできていないかもしれません、すみません。
もちろん、カリー、クレイ、ドレイモンドのウォリアーズが、もう一度優勝すれば、歴代最高と言っていいのかもしれませんが。
ちなみに、「優勝したチーム」に限らなければ、わたくしリトルにとってのビッグ3は、ティム・ハーダウェイ、ミッチ・リッチモンド、クリス・マリンのRUNーTMC(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)ですね。
今年誕生したフェニックス・サンズの新ビッグ3(クリス・ポール、デビン・ブッカー、ケビン・デュラント)が、どんな結果を残すのかも楽しみです。