ついに、デンバー・ナゲッツがNBAファイナル進出を決めました。
アップセットを繰り返してきたロサンゼルス・レイカーズを4勝0敗のスウィープで一蹴、チーム力の差をみせつけましたね。
アンチレイカーズであるわたくしリトルも、八村塁選手の加入によって、始めて本気でレイカーズを応援していましたが、残念な結果に終わりました。
でも、いいんです。
NBAを35年間観つづけてきたわたくしリトルは、ナゲッツのエース、二コラ・ヨキッチのプレーに惚れこんでいますから。
ここまで完璧な「ポイントセンター」はNBAの歴史でも、二コラ・ヨキッチが初めてだと思います。
現在のナゲッツの美しいパッシングゲームは、バスケットボールの進化を感じさせてくれますね。
ただ、NBAを35年間観つづけてきたわたくしリトルが思うデンバー・ナゲッツのイメージは、どちらかというと泥臭い、地味な、試行錯誤を繰り返すチームでした。
今回は、地味ながらもつい応援したくなるチームづくりを続けて来た、デンバー・ナゲッツについて、語っていきたいと思います。
デンバーナゲッツ イングリッシュ リーバー アダムス時代
わたくしリトルがNBAに興味を持ち始めたのは、1987-88シーズンからでした。
翌1988-89シーズンからは、衛星放送で夜中に放送されるNBAの試合を、バスケ部の後輩に頼んで、放送された試合をすべてビデオに撮ってもらい、繰り返し観ていましたね。
わたくしリトルがNBAを観始めた時、デンバー・ナゲッツは地味だけどそこそこ強いチームでした。
主力は、アレックス・イングリッシュ、ラファイエット・リーバー、マイケル・アダムス。
アレックス・イングリッシュは、201㎝のスモールフォワード。
1976年のNBAドラフトで2巡目全体23位でミルウォーキー・バックスに指名されNBA入り。
バックスとペイサーズで2年づつを過ごしたのち、ナゲッツに加わると、1982-83シーズンには、1試合平均28.4得点でNBAの得点王に輝いています。
当時、スモールフォワードといえば、ドミニク・ウィルキンスなど派手なダンクをぶちこむ選手が人気でしたが、イングリッシュは、地味に淡々とミドルシュートを決めるタイプで、正直「おもしろくないなー」と思っていました。
ラファイエット・リーバーは191㎝のポイントガード。
1982年のNBAドラフト1巡目全体11位でポートランド・トレイルブレイザーズに指名されると、1984年にデンバー・ナゲッツに移籍。
当時のポイントガードとしては身長もあり、とにかくリバウンドが強かったことが印象に残っています。
ジェイソン・キッドタイプのオールラウンドなガードでしたね。
1987-88シーズンのシカゴ・ブルズ戦では、31得点 20アシスト 16リバウンド 6スティールというモンスタースタッツも記録します。
マイケル・アダムスは178㎝の小柄なポイントガード。
1985年のドラフト3巡目全体66位でサクラメント・キングスに指名され、ほとんど期待されていない状態でNBAの世界に入りました。
1年目は18試合に出場し2.2得点を記録。
2年目はワシントン・ブレッツに移り、63試合に出場、7.2得点と成績を伸ばし、迎えた3年目、デンバー・ナゲッツに移籍し、才能が開花します。
1987-88シーズン、全82試合に出場、75試合でスターターをつとめると、1試合平均13.9得点 2.7リバウンド 6.1アシスト 2スティールを記録。
その後も成績を伸ばし、1990-91シーズンには、1試合平均26.5得点 3.9リバウンド 10.5アシスト 2.2スティールと、トップポイントガードのスタッツを残しています。
わたくしリトルがNBAに興味をもちはじめた1987-88シーズン、デンバー・ナゲッツは、54勝28敗を記録し、ウエスタンカンファレンス第2シードでプレーオフに進出。
ファーストラウンドでシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマ・シティ・サンダー)を倒しますが、カンファレンスセミファイナルで、ダラス・マーベリックスに敗れ、シーズンを終えました。
正直、印象には残っていません。
カンファレンスセミファイナルでは、レイカーズvsジャズ、ブルズvsピストンズ、セルティックスvsホークスに注目が集まっていたからです。
たぶん、プレーオフのナゲッツ戦は放送もなかったと思います。
それほど、地味なチームでした。
ただ、平均得点はNBA1位の攻撃的なチームなんですけどね。
NBAを観始めたころは、各チームのロゴも、かっこよく感じていましたが、ナゲッツのロゴは山の前にテトリスみたいなビルが並んでいて、「ださいなあ」と思っていました。
1988-89シーズンに44勝38敗、1989-90シーズンに43勝39敗を記録しプレーオフに進みますが、どちらもファーストラウンドでスウィープで敗れ、ナゲッツのフロントはチームの解体に踏みきりました。
1989-90シーズン終了後、アレックス・イングリッシュとラファイエット・リーバーを、トレードでダラス・マーベリックスへ放出。
翌1990-91シーズン、20勝62敗と散々な成績に終わると、シーズン終了後には、チームトップの平均26.5得点をあげていたマイケル・アダムスをワシントン・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)に放出しました。
ナゲッツは新たな時代に突入していったのです。
デンバー・ナゲッツ ムトンボ時代
デンバー・ナゲッツは1991年のNBAドラフト1巡目全体4位で、ジョージタウン大のセンター、ディケンベ・ムトンボを指名します。
218㎝、手足も長く、センターとしてもサイズは文句なしでしたが・・・。
NBA入りした時はまだヒョロヒョロで、ゴール下の争いに勝てるのかと不安に思ったものです。
1991年当時のNBAといえば、アキーム・オラジュワン、パトリック・ユーイング、デビッド・ロビンソンなど、スーパーセンター全盛期。
翌1992年のドラフトでは、シャキール・オニール、アロンゾ・モーニングも指名され、最もセンターポジションが注目された時期でもありました。
そんな中、ムトンボは予想以上の活躍をみせます。
サイズが大きくても、なめらかなハンドリングとテクニックで、相手を翻弄するオラジュワンらと違い、ムトンボは見るからにぎこちない動きで、見ているこちらが、ほっこりするほどでした。
強豪校のバスケ部に、背が高いというだけで、無理やり入部させられた素人がいるような・・・。
ただ、ムトンボには大きな武器がありました。
相手のシュートを、次々とたたき落とす「ブロックショット」です。
ぎこちない素人のような動きで、NBAのスーパースターのシュートをたたき落とす姿は、見るものに大きなインパクトを与えました。
オフェンスでも、インサイドでシュートを確実に決め、ルーキーシーズンのスタッツは・・・
16.6得点 12.3リバウンド 2.2アシスト 3.0ブロック
と、エリートセンターといえる成績を残します。
ルーキーながら、マジック・ジョンソンが奇跡の復活をした、1992年のオールスターにも出場しました。
1991-92シーズン、ムトンボを獲得したものの、チームとしては24勝58敗と、低迷を抜け出せず。
しかし、ムトンボが加入して3シーズン目の1993-94シーズン、ついにナゲッツは大躍進することになります。
レギュラーシーズンを42勝40敗でなんとか勝ち越し、ウエスタンカンファレンス8位でプレーオフに進むと、レギュラーシーズン63勝19敗でNBA全体1位のシアトル・スーパーソニックスと激突。
ソニックスは、ゲイリー・ペイトンとショーン・ケンプの2大エースを擁し、オフェンス・ディフェンスとも隙のない、優勝候補ナンバー1のチームでした。
当時プレーオフのファーストラウンドは現在と違い、3戦先取方式。
ナゲッツは大方の予想どおり、シアトルのホームコートで行われた1試合目を82対106、2試合目を87対97であっさり落とします。
しかし、デンバーに舞台を移すと、第3戦を110対93、第4戦を94対85で取り返し、勝負はシアトルのホームコートで行われる第5戦へ。
迎えた第5戦、デンバーの選手たちの気迫あふれるプレーは、シアトルの選手とファンを飲み込んでいきました。
ムトンボは、攻撃面では8得点に終わりますが、鬼気迫るディフェンスで、15リバウンドに、なんと8ブロック!
オーバータイムまで進んだ激闘の末、98対94でナゲッツが勝利し、NBA史上初めて8位のチームが1位を破るアップセットを起こしたのです。
試合終了のブザーが鳴ると同時に、ボールをつかんでいたムトンボがフロアに倒れこみ、両手でボールを高くかかげて最高の笑顔をみせていたのが印象的でした(その後号泣)。
セカンドラウンドでは、ストックトン&マローン擁するユタ・ジャズ相手に、第7戦までもつれる熱戦を演じますが、惜しくも3勝4敗で敗退。
敗れはしたものの、ナゲッツの明るい未来を予想させるプレーオフとなりました。
しかし、翌1994-95シーズンは、なんとか41勝41敗でプレーオフへ進みますが、サンアントニオ・スパーズにあっさりスウィープされると、翌年からは勝ち越すこともできず。
1995-96シーズン終了後には、チームの柱であるディケンベ・ムトンボをアトランタ・ホークスへトレードし、再建を図りますが、その後も低迷は続きました。
デンバー・ナゲッツ カーメロ時代
デンバーに再び光が差したのは、2003年のNBAドラフトでした。
史上最も豊作だとも言われる2003年のNBAドラフトで、ナゲッツは1巡目全体3位でシラキュース大学のカーメロ・アンソニーを指名したのです。
カーメロは、201cm、107㎏のスモールフォワード。
圧倒的なスキルと、美しいジャンプシュートを武器に、楽々と得点を奪い、ルーキーながらチームのエースとして活躍します。
カーメロが加入した2003-04シーズン、ナゲッツは43勝39敗と勝ち越し、9シーズンぶりにプレーオフ進出。
第8シードのナゲッツは、58勝24敗でウエスタンカンファレンス第1シードのミネソタ・ティンバーウルブズに挑みますが、1勝4敗で敗れ去ります。
当時ウルブズのエースだったケビン・ガーネットが、カーメロの前に立ちはだかり、カーメロの平均得点はレギュラーシーズンの21.0点から15.0点に落ち込みました。
それでも、前年17勝65敗だったナゲッツを、プレーオフに導いたことで、カーメロは一気に脚光を浴びることとなります。
余談ですが、当時ドラフト全体1位でクリーブランド・キャバリアーズに指名された、レブロン・ジェームズとどちらがルーキー・オブ・ザ・イヤーにふさわしいか、大論争になったことを思い出します。
二人のルーキーシーズンの成績を比べると・・・
2003-04 レギュラーシーズンスタッツ
カーメロ・アンソニー(デンバー・ナゲッツ)
21.0得点 6.1リバウンド 2.8アシスト FG42.6% 3P32.2%
レブロン・ジェームズ(クリーブランド・キャバリアーズ)
20.9得点 5.5リバウンド 5.9アシスト FG41.7% 3P29.0%
甲乙つけがたい成績ですね。
結局レブロンがルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝きましたが、当時はチームをプレーオフに導いたカーメロを推す声が多かったように思います。
カーメロ・アンソニーともう一人、デンバーナゲッツを強豪に押し上げたキーマンが、翌2004-05シーズンにチームに加入します。
ジョージ・カールHC(ヘッドコーチ)です。
カーメロ・アンソニーという絶対的エースが誕生し、さらなる躍進を期待された2004-05シーズン、開幕から調子のあがらないナゲッツは、17勝25敗と大きく負け越したところで、フロントが動きます。
シアトル・スーパーソニックス、ミルウォーキー・バックスを強豪に押し上げたヘッドコーチ、ジョージ・カールを招聘したのです。
ジョージ・カールが指揮をとった後半戦、ナゲッツは次々と勝利を重ね、43勝39敗のウエスタンカンファレンス第7シードでプレーオフに進出。
しかし、プレーオフ1回戦でサンアントニオ・スパーズにまたも1勝4敗で敗れ、シーズンを終えます。
カーメロ・アンソニー時代のナゲッツは、その後も1回戦の壁に苦しむこととなるのです。
2006-07シーズン、ナゲッツは、4度の得点王に輝くスーパースター、アレン・アイバーソンを獲得する大博打に出ます。
カーメロとアイバーソンは、NBAで最も得点するデュオ(2007-07シーズン、カーメロ28.9得点 アイバーソン24.8得点)となり、ナゲッツはウエスタンカンファレンス第6シード(45勝37敗)でプレーオフに進みますが、1回戦の壁はまたも超えられず。
この年圧倒的な強さで優勝するサンアントニオ・スパーズ相手に、1勝するのが精いっぱいでした。
カーメロ時代のナゲッツが、唯一プレーオフ1回戦の壁を突破したのが2008-09シーズン。
シーズン開幕後、わずか6日でアレン・アイバーソンをトレードでデトロイト・ピストンズに放出したナゲッツ。
ピストンズから加入したのは、ポイントガードのチャウンシー・ビラップス(アントニオ・マクダイスもトレードに含まれていたものの、本人の希望でバイアウト)でした。
ビラップスは、ピストンズがチャンピオンに輝いた2004年に、ファイナルMVPに輝いた名ポイントガード。
ビラップスの加入で、安定感を増したナゲッツは、レギュラーシーズンを54勝28敗、ウエスタンカンファレンス2位の好成績で終えます。
第2シードで迎えた運命のプレーオフ1回戦。
敵はニューオリンズ・ホーネッツ(現ニューオリンズ・ペリカンズ)。
シーズンのアシスト王&スティール王に輝いたNBAナンバー1ガード、クリス・ポール擁するホーネッツを、ナゲッツは圧倒します。
ニューオーリンズでの第3戦を2点差で落としはしたものの、第4戦は121-63の歴史的な大差で勝利し、勢いに乗りました。
4勝1敗でホーネッツを倒すと、カンファレンスセミファイナルでも、ダラス・マーベリックスに4勝1敗で勝利。
ついにカンファレンスファイナルにたどり着きます。
迎えるは、コービー・ブライアントとパウ・ガソルの強力コンビを擁するロサンゼルス・レイカーズ。
事実上の決勝戦ともいえる戦いは、1試合平均34.0得点をあげたコービー・ブライアントの活躍もあり、レイカーズが4勝2敗で制しました。
カーメロ・アンソニー擁するデンバー・ナゲッツが初めて、そして最後に、プレーオフ1回戦を突破したシーズンは、幕を閉じたのです。
2011年2月22日、7シーズン半に渡ってナゲッツのエースを務めたカーメロ・アンソニーは、大型トレードでニューヨーク・ニックスへと去り、一つの時代が終わりを迎えたのでした。
デンバー・ナゲッツ ヨキッチ マレー時代
プレーオフから遠ざかっていたナゲッツに光が差したのが、2015-16シーズン。
ナゲッツは、前年2014年のNBAドラフト2巡目全体41位で、セルビアのプロチームで活躍していた二コラ・ヨキッチを指名していました。
ヨキッチは、1年間セルビアのチームでプレーを続けた後、2015-16シーズンからナゲッツに加入。
当時、ほとんど注目されていなかった211㎝115㎏の白人センターは、1年目から才能の片りんをみせます。
チームは33勝49敗でプレーオフを逃しますが、ヨキッチはシーズン途中からスターティングセンターに定着。
1試合平均10.0得点 7.0リバウンド 2.4アシストを記録しました。
まさか、その後2年連続シーズンMVPを受賞する選手になるとは、夢にも思っていませんでしたが。
2016年のNBAドラフトでは、1巡目全体7位でケンタッキー大学の1年生、ジャマール・マレーを指名。
マレーは、ルーキーイヤーでゲイリー・ハリスの控えをつとめると、1試合平均9.9得点 2.6リバウンド 2.1アシストを記録。
翌シーズンからも毎年、平均得点を着実に伸ばし、マレーのアウトサイドシュートは、チームにかかせない武器になっています。
チームの核2人を手にしたナゲッツは、2018-19シーズンにプレーオフの舞台に復帰してからは、毎年安定した戦力で優勝を狙えるチームとなりました。
しかし、2021-22シーズン、ジャマール・マレーは左膝前十字じん帯断裂の大ケガでシーズン全休。
ヨキッチが1試合平均27.1得点 13.8リバウンド 7.9アシストと、2年連続レギュラーシーズンMVPを獲得する大活躍をしたものの、チームはプレーオフ1回戦でゴールデンステイト・ウォリアーズに1勝4敗で敗れ、悔しいエンディングを迎えました。
そして今シーズン、ジャマール・マレーと二コラ・ヨキッチに加え、アーロン・ゴードン、マイケル・ポーターJr.、ケンテイビアス・コールドウェル・ポープ、ブルース・ブラウン、ジェフ・グリーンなど、サポーティングキャストも充実したデンバー・ナゲッツは、快進撃をみせ、53勝29敗のウエスタンカンファレンス第1シードでプレーオフに進出。
私がNBAを観始めてから35年間、正直、デンバー・ナゲッツというチームが脚光を浴びることは多くはありませんでした。
しかし、NBAの長い歴史の中で、歴代最高のテクニックを持つと言っても過言ではない、二コラ・ヨキッチと、勢いに乗ったら止まらないジャマール・マレーという2人のスターを中心に、ナゲッツはついに、NBAファイナルの舞台にたどりついたのです。
まとめ
現在、イースタンカンファレンスファイナルでは、ボストン・セルティックスとマイアミ・ヒートが熱い戦いを繰り広げています。
レイカーズをスウィープで倒したナゲッツは、実戦から遠ざかることで、勢いを失ってしまう危険性も指摘されていますが、わたくしリトルは、どちらのチームが来ても、ファイナルでのナゲッツの優位はかわらないと考えます。
とにかく、二コラ・ヨキッチの圧倒的なバスケセンスは、異次元です。
今回記事で取り上げた、アレックス・イングリッシュ、ラファイエット・リーバー、マイケル・アダムス、ディケンベ・ムトンボ、カーメロ・アンソニーらの思いを背負って、ファイナルの舞台で輝いてほしい!
チャンピオンリングはもう目の前にあるのですから。