2023₋24シーズンに打ち立てられた、デトロイト・ピストンズの連敗記録は28で止まりました。
オールスター選手になってもおかしくないケイド・カニングハムや、能力の高い若手選手を擁しながら、NBAのシーズン連敗記録を更新したピストンズ。
11月に続いて12月も全敗で終わるかと思いましたが、2023年最後の試合でトロント・ラプターズになんとか2点差で勝利しました。
試合終了のブザーが鳴った瞬間、フロアに両手をつくカニングハムの姿が印象的でしたね。
今は苦しい状況にあるピストンズですが、若く能力の高い選手がそろっており、未来は明るいのではないでしょうか。
今回は、デトロイト・ピストンズの連敗ストップ記念として、最強で最悪だった〝バッドボーイズ″時代のデトロイト・ピストンズについて語りたいと思います。
バッド・ボーイズとは
わたくしリトルがNBAを知り夢中になった高校時代、一番夢中になった選手はもちろんマイケル・ジョーダンでした。
空中で静止するかのような、圧倒的な跳躍力からのダブルクラッチを、バスケ部の練習中にみんなマネしていましたね。
もちろん誰もできていはいませんでしたが。
とにかく、マイケル・ジョーダンは全国のバスケ部に所属する少年たちにとって、神でした。
そんな神を、奈落の底に落としていたのが、アイザイア・トーマス率いる〝バッドボーイズ″デトロイト・ピストンズです。
暴力的なまでのフィジカルなディフェンスと傍若無人な態度には、恐怖を感じるほどでした。
当時のバッドボーイズの悪質ファールは、ドレイモンド・グリーンが可愛くみえるほどです。
〝バッド・ボーイズ″ピストンズは、当然のようにNBA1の嫌われ者チームでしたが、ピストンズファンからは熱狂的な支持を受けていました。
なんと言っても強かったですから。
悪くて強い「ダークヒーロー」ほど魅力的なものはないかもしれません。
それまでNBAの頂点だったロサンゼルス・レイカーズのショータイムバスケットや、ボストン・セルティックスの質実剛健なプレースタイルとは一線を画すバイオレンスなチームは、両チームからNBAの主役の座を奪っていきました。
1987-88シーズン、ピストンズはラリー・バード擁するボストン・セルティックスをカンファレンスファイナルで倒し、NBAファイナルに進出。
ファイナルでは前年チャンピオンのロサンゼルス・レイカーズを追いつめたピストンズでしたが、第7戦で敗れます。
翌1988-89シーズンは、レギュラーシーズンNBAトップの63勝19敗を記録すると、2年連続でファイナルに進出。
プレーオフを11連勝と無敗で勝ち進んできたレイカーズとの再戦を、まさかのスウィープ(4勝0敗)で制し、ついに悪の軍団バッドボーイズはNBAの頂点に立ちました。
NBAの主役の座を奪ったピストンズは、翌年もクライド・ドレクスラー擁するポートランド・トレイルブレイザーズをファイナルで下し、連覇を果たしています。
ジョーダンルールとは
1988年から3年連続シカゴ・ブルズと対戦し、マイケル・ジョーダンのシーズンを終わらせたピストンズ。
バッドボーイズの真骨頂は、このシカゴ・ブルズとの戦いでした。
「マイケル・ジョーダンに得点を許さなければ勝てる」
この誰もがわかっていて、実行できなかったことを、全身全霊で行ったのがバッドボーイズピストンズ。
まだ若かった頃のジョーダンは、ガンガンインサイドに突っ込み、ダンク、ダブルクラッチ、トリプルクラッチで得点を量産していました。
〝エアージョーダン″と呼ばれた所以です。
このジョーダンのドライブを、徹底的に潰すのが、ピストンズの「ジョーダンルール」でした。
ジョーダンにマッチアップするのは、バッドボーイズ唯一の良心と呼ばれたジョー・デュマース。
オールディフェンシブ1stチームに4度も選ばれたディフェンスのスペシャリストです。
デュマースがジョーダンにボールが回らないよう執拗に追い回し、ジョーダンがボールを持ちドライブを仕掛けると、すぐに屈強なインサイドプレイヤーが、ファールを厭わない激しいダブルチームを繰り出すのがジョーダンルールと呼ばれる作戦でした。
ビル・レインビア、デニス・ロッドマンらの暴力的なカバーディフェンスに、ジョーダンは何度もフロアに叩きつけられ、精神的・身体的に疲弊していきます。
こうしてピストンズは3年連続、プレーオフで当時人気絶頂のシカゴ・ブルズを倒し、マイケル・ジョーダンのシーズンを終わらせたのです。
結局、プレーオフでの直接対決4年目の1991年、ピストンズは0勝4敗のスウィープでブルズに敗れ、ライバル関係は終焉。
ブルズは勢いそのまま初優勝を飾ったのですが、ピストンズのジョーダンルールが、マイケル・ジョーダンのレベルを1段上げたと言ってもいいと思います。
ドライブだけではピストンズに勝てないと悟ったジョーダンは、ミドルシュートやフェイダウェイシュートを磨き、味方を使うことを覚え、アンストッパブルな選手へと成長していきました。
シカゴ・ブルズはその後2度の3ピートを達成するのですが、その陰でバッドボーイズは崩壊していったのです。
バッドボーイズの中心選手
〝バッドボーイズ″時代のデトロイト・ピストンズの主力選手を紹介します。
スタッツはバッドボーイズ全盛期、1987-88シーズンから1989-90の3シーズンと、通算のスタッツです。
アイザイア・トーマス
アイザイア・トーマス
身長 185㎝
ポジション ポイントガード
1987-90 バッドボーイズ時代スタッツ
18.7得点 3.5リバウンド 8.7アシスト 1.7スティール FG45.5% 3P29.7%
通算スタッツ(1981-94)979試合出場
19.2得点 3.6リバウンド 9.3アシスト 1.9スティール FG45.2% 3P29.0%
バッドボーイズの総帥、アイザイア・トーマス。
歴史に残る名司令塔は、〝天使の笑顔と悪魔の心を持つ男″と呼ばれていました。
ドリブル、パス、シュート、すべてのテクニックを持ち合わせたトーマスは、1980年代のNBAにおいて、マジック・ジョンソンに次ぐポイントガードと言われています。
マジックと同じように、トーマスもその屈託のない笑顔でファンを魅了していました。
しかし、トーマスの勝利への執念は、常軌を逸するほどでした。
なんとしても弱小チームだったピストンズを勝利するために、手段を選ばないトーマスを、次第に人々は「天使の笑顔と悪魔の心を持つ男」と呼び出します。
今考えると、「それはもう悪魔じゃん!」と思いますが・・・。
トーマスは完全にゲームを支配するため、プレーだけではなく、戦略面でも重要な働きをしていました。
「ジョーダンルール」もトーマスのアイデアだとも言われています。
暴力ともいえる激しいディフェンスで勝利を重ねるチームを、笑顔で束ねるトーマスの姿には、恐ろしさも感じましたし、とてつもなく魅力的でもありました。
「ジョーダンがルーキーシーズンのオールスター出場時、アイザイア・トーマスがわざとジョーダンにパスをしなかった」という噂は有名ですね。
トーマスは否定していて、真実はわかりませんが。
ジョーダンはトーマスのことを本当に嫌っていて、初代ドリームチームに参加を打診された時には、「アイザイアが選ばれるなら出ない。」と言ったとされています。
結果トーマスが初代ドリームチームに選ばれることはなかったのです。
実力と実績を考えると、初代ドリームチームに選出されるべき選手だったのですが。
ビル・レインビア
ビル・レインビア
身長 211㎝
ポジション センター
1987-90 バッドボーイズ時代スタッツ
13.1得点 9.8リバウンド 2.2アシスト 1.1ブロック FG49.2% 3P35.3%
通算スタッツ(1980-94)1068試合出場
12.9得点 9.7リバウンド 2.0アシスト 0.9ブロック FG49.8% 3P32.6%
アイザイア・トーマスと並び、バッドボーイズの中心人物。
〝パブリック・エナミー″(公共の敵)の異名を持ち、NBAの歴史上最も嫌われた男です。
とにかくダーティープレーに関しては、天才的でしたね。
211㎝111㎏の巨体を生かして、つかむ、叩く、引き倒す、身体全体を使って相手の得点を阻止していました。
ただし、レインビアはただダーティーなだけで、チャンピオンチームの主力になったわけではありません。
的確な位置取りで1986年にはリバウンド王に輝き、4度のオールスターにも出場。
3ポイントシュートも武器としており、当時では珍しかったストレッチ5としても活躍していました。
背番号40はピストンズの永久欠番にもなっています。
身体能力が低い白人選手でありながらリバウンド王に輝いたのは、レインビアの研究のたまものであり、そのテクニックは後に7年連続リバウンド王に輝く後輩のデニス・ロッドマンに引き継がれました。
ちなみに、レインビアの父は大会社の重役。
NBA選手で唯一、父親よりサラリーの低い選手と言われていました。
意外にも育ちのいいレインビアは、「NBAで生き残るために悪役を演じていたのでは?」とも言われていますが、実際はどうなんでしょうか?
引退後はWNBAのヘッドコーチとして4回の優勝を果たし、最優秀監督賞も受賞しています。
やはり、ただダーティーなだけでなく、バスケを知り尽くしているからこそ、チャンピオンチームの主力として活躍できていたのですね。
ちなみに、レインビアは93-94シーズン途中で引退を表明しますが、その原因となったのがチームメイトのアイザイア・トーマスとの練習中の喧嘩。
練習中に激しい口論の末、トーマスがレインビアの顔面を殴り、結果トーマスは手を骨折してしまいました。
レインビアが引退する際に出したコメントは、わたくしリトルが大好きな名言のひとつです。
「俺は気に入らない奴はいつもコート外に追い出してきた。今度は自分のことが気に入らなくなったから、自分で自分をコート外に追い出すだけだ。」
結果的に盟友のアイザイア・トーマスを長期離脱させたことに、心から後悔したのでしょう。
ビル・レインビアには、数々のエピソードがあり、このコーナーだけではとても語りつくせません。
今度、レインビアについての記事をまとめたいとの思いが、強くなりましたね。
シカゴ・ブルズを応援していた学生時代、本当に憎たらしい選手でしたが、今となっては大好きな選手です。
ちなみに上の動画は、フィラデルフィア・76ers時代のチャール・ズバークレーとの、有名な乱闘事件のニュース映像です。
最初の画面にはレインビアは映っていないのですが、乱闘の主役はもちろんレインビアですね。
アイザイアもたいがいですが・・・。
バッドボーイズの恐ろしさがおわかりいただけたでしょうか。
デニス・ロッドマン
デニス・ロッドマン
身長 201㎝
ポジション パワーフォワード
1987-90 バッドボーイズ時代スタッツ
9.8得点 9.3リバウンド 1.1アシスト FG57.7%
通算スタッツ(1986-00)911試合出場
7.3得点 13.1リバウンド 1.8アシスト FG52.1%
史上最狂のリバウンド王デニス・ロッドマン。
バッドボーイズの若頭として、ピストンズにエナジーを注入したディフェンスのスペシャリストです。
シカゴ・ブルズの後期3ピートに貢献したことはご存じかと思いますが、ピストンズ時代はリバウンドに特化した選手ではなく、圧倒的な身体能力を武器に、ディフェンスでエースを抑え込む役割を担っていました。
ピストンズ時代はまだ黒髪で、そこそこオフェンスにも絡んでいました。
ロッドマンの詳細については、以前の記事をご覧ください。
1996年のNBAドラフト2巡目全体27位で無名のデニス・ロッドマンを指名したことが、デトロイト・ピストンズの運命を大きく変えました。
ピストンズでなければ・・・そしてチャック・デイリーヘッドコーチでなければ、ロッドマンはNBAプレーヤーとして生き残れなかったかもしれません。
ロッドマンが先発に抜擢されたことで、ピストンズのディフェンスは鉄壁となります。
特にジョーダンやピッペンと対峙したシカゴ・ブルズ戦では、荒々しい暴力的なまでのディフェンスで、何度もシカゴファンを絶望の淵に突き落としていました。
ロッドマンは2度の最優秀守備選手賞を受賞しており、オールスターにも2回出場していますが、意外にもすべてピストンズ時代のことです。
チャック・デイリーの秘蔵っ子ロッドマンは、バッドボーイズの中心選手として、大きく羽ばたいていったのです。
ジョー・デュマース
ジョー・デュマース
身長 191㎝
ポジション シューティングガード
1987-90 バッドボーイズ時代スタッツ
16.3得点 2.6リバウンド 5.1アシスト 0.9スティール FG48.5% 3P38.8%
通算スタッツ(1981-94)1018試合出場
16.1得点 2.2リバウンド 4.5アシスト 0.9スティール FG46.0% 3P38.2%
バッドボーイズ唯一の良心と言われたジョー・デュマース。
寡黙な紳士だったデュマースは、学生時代に自分の部屋にポスターを貼るほど、アイザイア・トーマスに憧れていました。
1985年のNBAドラフト1巡目全体18位でデトロイト・ピストンズに指名されてNBA入り。
アイザイア・トーマスとバックコートコンビを組むと、強力なディフェンスと高いシュート力で、他のチームから怖れられるシューティングガードとなります。
バッドボーイズの一員ながら、デュマースは決して荒々しいプレーに走ることはなく、紳士的なプレーで他チームの選手からも尊敬を集めていきました。
「ジョーダンルール」のキープレイヤーとして、常にマッチアップしたデュマースのことを、ジョーダンは「デュマースこそNBAナンバー1ディフェンダーだ」と公言しています。
初優勝した1989年のNBAファイナルでは、ファイナルMVPを受賞したデュマース。
引退後はピストンズのフロント入りし、2002-03シーズンのNBAエグゼクティブ・オブ・ザ・イヤーに選出され、2004年のピストンズ優勝にも大きく貢献しています。
現在はNBAのリーグ運営に携わっているデュマース。
より魅力的なNBAとなるよう、日々知恵をしぼっています。
現在、そしてこれからのデュマースにも、要注目です。
まとめ
今回は2連覇を果たしたバッドボーイズ時代のピストンズを語りました。
今回挙げた4選手以外にも、ビッグマンのジェームズ・エドワーズ、ジョン・サリー、シュートが入りだしたら止まらない6thマンのビニー・〝マイクロウェーブ″・ジョンソンなど、魅力的な選手が揃っていたバッドボーイズ。
バイオレンスな面ばかり注目されますが、チームとして本当にまとまったいいチームだったと、記事をまとめてみて改めて感じています。
ただし現在のクリーンになったNBAでは、レインビアやロッドマンはプレーすることもできなかったかもしれませんが。
2004年に優勝した時もそうでしたが、ピストンズは一人のスター選手に頼るのではなく、チーム全体が一体となって勝利を重ねてきました。
NBAの連敗記録をつくってしまった現在のデトロイト・ピストンズが、今後どのようにチーム作りをおこなっていくのか、楽しみに見守っていきたいと思います。
頼んだぞ、デュマース!