【初代ドリームチームまとめ①】マジック・ジョンソンとラリー・バードの物語

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FIBAバスケW杯2023の開催が近づいてきました。

我らが日本代表の活躍にも期待したいところですが、NBAファンとしては、やはり強いアメリカ代表が観たい!

今回のアメリカ代表は、平均年齢24.6歳と、フレッシュなメンバーが揃っています。

正直、いいメンバーが揃ったとは思いますが、ベストなメンバーではありません。

個人的には、面白いチームになるのではと思いますが、SNSでは「とてもアメリカ代表とはいえない」という、きついコメントもみられますね。

確かに、オールスター出場歴がある選手は4名のみ(タイリース・ハリバートン、アンソニー・エドワーズ、ブランドン・イングラム、ジャレン・ジャクソンJr.)。

とても、〝ドリームチーム″とは言えません。

そう考えると、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、マイケル・ジョーダンなど、スーパースターが終結した初代ドリームチームは、本当に奇跡のような存在だったんだなと、あらためて思い知らされます。

今回からは、5回に分けて、正真正銘の〝ドリームチーム″だった、1992年バルセロナオリンピックのアメリカ代表チームメンバーについて、まとめます。

目次

初代ドリームチーム結成にいたるドラマ

オリンピックのアメリカ男子バスケットボールチームは、長年大学生の選抜チームで挑んでいました。

大学生のチームでも、ほとんどの大会で金メダルを勝ちとっていたアメリカチーム。

特に1984年のロサンゼルスオリンピックでは、マイケル・ジョーダン、パトリック・ユーイング、クリス・マリンら、後にNBAで活躍することになる、若きスーパースターたちが終結し、「最強の大学生チーム」と呼ばれました。

圧倒的な強さで金メダルを勝ちとりましたが、4年後のソウルオリンピックで、状況は一変します。

デビッド・ロビンソン、ミッチ・リッチモンド、ダニー・マニングらで挑んだアメリカチームは、準決勝で宿敵ソ連(現ロシア)に76-82で敗れ、3位に終わったのです。

当時のソ連には、サルナス・マーシャローニス、アルビダス・サボニスと、NBAでも活躍したスター選手がいましたが、それでもアメリカがバスケットボールで負けることは、許されないことでした。

1989年にFIBA(国際バスケットボール連盟)が国際大会におけるプロ選手の参加を解禁し、NBA選手のオリンピック参加が可能になります。

当初、アメリカのバスケ界で大きな力を持っているNCAA(全米大学体育協会)は、「オリンピックはアマチュアの頂点の大会であるべき」と、強く反対していましたが、多くの人々が「金メダルを獲得するには、プロの力は欠かせない」と確信していました。

NBAは、当時のスーパースター3人、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、マイケル・ジョーダンの3人に、バルセロナオリンピックへの参加を打診します。

まず、マジックが快諾し、バードも腰の状態が悪いながらも、マジックの熱い思いに賛同し、出場を決意します。

しかし、すでにロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得していたジョーダンは、当初出場には消極的でした。

当時犬猿の仲だった、NBA屈指の司令塔、アイザイア・トーマス(デトロイト・ピストンズ)と同じチームになる可能性が高いことも、ジョーダンを悩ませていました。

そこで、マジックが動きます。

ジョーダンには、「君がオリンピックに参加するなら、俺が金を出してもいいよ。」と、冗談を交えて説得し、親友のアイザイアをチームに勧誘することはしませんでした。

こうして、ジョーダンも出場を決意し、チームの核となる3人のスーパースターが揃いました。

その後、NBAから8人、大学生から1人が選出され、当時のバスケ界で最高の12人からなる、史上最強のチームが結成されたのです。

今回は、スーパースターぞろいの初代ドリームチームの中でも、キャプテンを任された二人、マジック・ジョンソンと、ラリー・バードについて語っていきたいと思います。

スタッツに関しては、レギュラーシーズンの生涯通算成績と、バルセロナオリンピックが行われる直前の1991-92シーズンの成績を、記載しています。

名前の横にある数字は、バルセロナオリンピックでの背番号です。

初代ドリームチーム 15 マジック・ジョンソン 

所属 ロサンゼルス・レイカーズ 背番号32
206㎝ 当時32歳
通算 906試合 19.5得点 7.2リバウンド 11.2アシスト FG52.0% 3P30.0%
1991-92 HIV感染のためプレーせず

スーパースターが集まった初代ドリームチームの中心人物。

レイカーズを5度の優勝に導き、ファイナルMVPを3回、レギュラーシーズンMVPを3回受賞しています。

206㎝と、ポイントガードとしては規格外の大きさを誇るマジックは、卓越したスキルと、華麗なノールックパスで、〝ショータイム・レイカーズ″を牽引しました。

その魔法のようなプレーは、本名のアービン・ジョンソンより、マジック・ジョンソンのあだ名の方が有名になってしまうほどでした。

バルセロナオリンピックに向けて、NBAが水面下でドリームチームの結成に向けて動いたとき、最初に手を挙げたのがマジックです。

しかし、1991年11月7日、マジックが開いた記者会見で、世界に衝撃が走ります。

自身のHIV感染を発表したのです。

大学生だったわたくしリトルも、ニュースを見て、凍りついてしまいました。

今と違い、当時はHIVウイルス=エイズ=死 というイメージでしたから。

当然のように、マジックは引退し、ドリームチーム参加も絶望的かと思われました。

しかし、1992年2月に行われたNBAオールスターで、マジックは1夜限りの復活を果たします。

マジックが引退を発表したのが、1992-93シーズン開幕直前だったため、すでに発注していたNBAオールスターの投票用紙に、マジックの名前が当然のように記載されていたのです。

シーズン前に引退を発表し、1試合も出場していないマジックに、多くのファンが投票しました。

結果、ウエスタンカンファレンスガード部門2位の得票を集め、当時のコミッショナー、デビッド・スターンの粋なはからいで、チームウエスト13番目の選手として、オールスターゲームへの出場が認められたのです。

しかし、HIVに関する知識が少なかった当時、マジックの試合に出場に反対する声もありました。

選手の中でも、ネガティブな発言をする人もいましたね。

そんなネガティブなイメージもありながらも、久しぶりにマジックのプレーを観ることができる興奮で、会場のオーランドアリーナは異様な盛り上がりをみせていました。

本来ファン投票で選出されていたティム・ハーダウェイから、スタメンを譲られたマジックは、とても引退していた選手とは思えない大活躍をみせます。

オールスターで25得点、5リバウンド、9アシスト、2スティールをあげ、数々の名シーンを生み出したマジックは、オーランドアリーナに、一夜かぎりの魔法をかけたのです。

ディズニーのおひざ元、オーランドでの活躍は、まさに夢のような時間をファンに与えてくれました。

そして、このオールスターでの活躍は、マジックの初めてのオリンピック出場を強力に後押ししました。

ドリームチームで、マジックはラリー・バードとともに、キャプテンとしてチームをまとめます。

最初に行った練習試合で、大学生選抜に敗れる波乱のスタートとなったドリームチーム。

大学生選抜には、後にNBAで活躍する、クリス・ウェバー、グラント・ヒル、アンファニー・ペニー・ハーダウェイなど、有望な選手が揃っていましたが、まさかドリームチームが敗れるとは、本人たちはもちろん、誰も想像もしていないことでした。

54対62で完敗したドリームチームは、マジックを中心に議論を交わし、より一つにまとまり、翌日の練習では、大学選抜を圧倒しました。

ヘッドコーチのチャック・デイリーが、チームの弱点をさらし、ジョーダンの出場を制限するなどして、わざと負けたとの説もある大学生選抜との試合で、よりチームワークは強固なものになったのです。

迎えたアメリカ大陸予選、初戦のキューバ戦では、世界中のバスケファンが固唾をのんで見守る中、136-56という、とんでもないスコアで勝利します。

その後も危なげなく勝利を重ね、当然のように優勝。

予選の6試合すべてに出場したマジックのスタッツは・・・

9.7得点 4.2リバウンド 9.0アシスト FG55.9% 3P33.3%

オールラウンドな活躍をみせました。

スタッツ以上に、チームを時には厳しく、時には最高の笑顔で一つにしていましたね。

そして、バルセロナオリンピックに挑みます。

マジックは膝の痛みで2試合を休んだものの、8試合のうち6試合に出場し、5試合に先発。

8.6得点 2.3リバウンド 5.5アシスト FG56.7% 3P46.2%

オールラウンドな活躍でチームの優勝に貢献しました。

圧倒的な強さをみせたドリームチームの中で、マジックの存在はとても大きなものでした。

まず初めにマジックが手を挙げなければ、ラリー・バードやマイケル・ジョーダンの参加もありえなかったでしょう。

マジックの情熱と笑顔が、多くの人をひきつけ、最強のチーム結成を実現させました。

バルセロナオリンピックの表彰式で、星条旗をまとって、ガッツポーズするマジックは、最高にかっこよかったです。

初代ドリームチーム 7 ラリー・バード 

所属 ボストン・セルティックス 背番号33
206㎝ 当時35歳
通算 897試合 24.3得点 10.0リバウンド 6.3アシスト FG49.6% 3P37.6%
1991-92 20.2得点 9.6リバウンド 6.8アシスト FG46.6% 3P40.6%

206㎝のスモールフォワード、ラリー・バード。

セルティックスを3度の優勝に導き、ファイナルMVPを2回、シーズンMVPを3年連続で3回(1984-86)受賞しています。

マジック・ジョンソンの宿命のライバルとして語られるバードですが、二人のライバル関係が始まったのは、大学時代。

マジック擁するミシガン州立大学と、バードが率いるインディアナ州立大学のNCAAトーナメント決勝は、全米を熱狂させました。

NBAに戦いの場を移してからも、2人のライバル関係は続き、マジックのロサンゼルス・レイカーズと、バードのボストン・セルティックスの戦いは、NBAの人気を一気に別次元まで高めます。

マジックと同じ206㎝の身長のスモールフォワード、ラリー・バードは、マジックとは対照的な人物でした。

黒人と白人、常に笑顔を絶やさず明るいマジックと、言葉少なく知的なイメージのバード(トラッシュトークは有名でしたが)は、ロサンゼルスとボストンの戦いを、よりわかりやすく盛り上げていましたね。

想像を超えるノールックパスで、観客を魅了したマジックに対し、バードの最大の武器は、正確なアウトサイドシュート。

特に試合終盤の勝負がかかった場面では、圧倒的な集中力で、ゴールを射抜きました。

1986年に始まった、オールスターウイークエンドの3ポイントコンテストでは、第1回から3連覇しています。

正直、足は遅いし、ジャンプ力はないし、一見スポーツが苦手なおっさんのような動きに見えますが、シュート力と、パス能力、なぜか相手を抑え込んでしまうディフェンス力、すべてが一流の、バスケットボールプレイヤーでした。

史上最高のスモールフォワードとも言われる(最近は、さすがにレブロンを推す声が大きくなっていますが)バードですが、キャリアの後半には、背中の痛みに苦しめられます。

試合中ベンチでは椅子に座らず、フロアに寝そべって身体をやすめる姿が定番でした。

つま先の感覚がなくなるほどの痛みは、日常生活に支障をきたすほどでした。

1991-92シーズンには、背中の痛みはより激しくなり、シーズン82試合のうち、45試合の出場にとどまっています。

そんな最悪のコンディションながら、平均20.2得点 9.6リバウンド 6.8アシストをあげるんですから、やはり怪物ですね。

後にバードは、「当時バスケが嫌いだった。」と語っています。

バードの身体が限界に近付いている中、バルセロナオリンピックへの参加が打診されました。

当然、バードはバルセロナオリンピックへの出場に難色を示していました。

しかし、最高のライバルマジック・ジョンソンから熱心に誘われ、セルティックスやNBAの関係者からも熱心に説得されたバードは、現役最後の舞台に、バルセロナの地を選びます。

こうして、マジックとバードは、初めて同じチームでプレーすることとなったのです。

アメリカ大陸予選、バードは2試合の出場にとどまりましたが、スタッツは・・・

9.5得点 3.5リバウンド 1アシスト FG72.7% 3P40.0%

出場時間は少ないものの、シュート力の高さを見せつけました。

とにかく、歴史に残るスーパースターのプレーをその目に焼き付けようと、世界中のファンがバードの一挙手一投足に注目していましたね。

そしてバルセロナオリンピック本番。

ラリー・バードは全8試合に出場し、・・・

8.4得点 3.8リバウンド 1.8アシスト FG52.1% 3P33.3%

を記録しました。

バルセロナのベンチでもタオルをフロアに敷き、その上に腹ばいになっているバードの姿は変わらず。

かなり背中の痛みは強そうでしたが、それでもコートに立つと、確実なシュートやパスで、観客を魅了しました。

決勝では、ドラゼン・ペトロビッチ(ニュージャージー・ネッツ他)、トニー・クーコッチ(シカゴ・ブルズ他)、ディノ・ラジャ(ボストン・セルティックス)らNBAでも活躍した選手が多数いるクロアチアを相手に、前半で一時23-25と逆転を許すものの、最終的には117-85と、32点差で勝利。

見事当然のように、金メダルを獲得しました。

そして、ラリー・バードは、正式にユニフォームを脱ぐことを決断したのです。

まとめ

結局ドリームチームは、アメリカ大陸予選で、平均得失点差51.5点、バルセロナオリンピックでも、平均得失点差43.75点と、圧倒的な強さをみせて優勝しました。

試合中に、相手のチームがベンチでドリームチームの写真を撮るなんて、今の国際大会では考えられない光景がみられていましたね。

それだけ、誰もが認める、スターの集まりでした。

そんな特別なチームのキャプテン、マジックとバード。

二人のスーパースターがドリームチームをまとめあげ、最強のスターたちが懸命に金メダルを目指し、戦ったからこそ、ドリームチームは、過去最高のナショナルチームと呼ばれるようになったのです。

ドリームチームは、世界中に影響を与えました。

バルセロナオリンピックで、アメリカの異次元のバスケットボールをみて、マジックやバード、ジョーダンやバークレーのプレーを夢中になってマネをした世界中の子供たちが、後にNBAの舞台で活躍するようになり、バスケという競技のレベルを一気に上げたのです。

現在NBAでは、ヤニス・アデトクンボ(ギリシャ)、ルカ・ドンチッチ(スロベニア)、そして二コラ・ヨキッチ(セルビア)など、多くのアメリカ以外のスーパースターが戦っています。

あの時、マジックやバード、ジョーダンらが、ドリームチームに参加を表明しなければ、もしかしたら現在のNBAは、ここまで盛り上がってなかったのかもしれませんね。

現在、U-NEXTでは、「ドリームチーム 世界を変えたバスケ界のレジェンドたち」という番組が配信されています。

1話41分、全5話でドリームチームの結成から、非公開だった紅白戦の様子、メンバーの引退後など、興味深い内容になっています。

ぜひご覧ください。

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