NBAを35年間観つづけてきたわたくしリトルにとって、バルセロナオリンピックで金メダルを獲得した、「初代ドリームチーム」の衝撃は、いまだに色あせることはありません。
これまで、「マジック・ジョンソン、ラリー・バード」、「マイケル・ジョーダン、チャールズ・バークレー、スコッティ・ピッペン」について、語ってきました。
今回は、わたくしリトルが大好きな最強のデュオ、ジョン・ストックトンと、カールマローンについて語っていきたいと思います。
初代ドリームチーム 12 ジョン・ストックトン
所属 ユタ・ジャズ 背番号12
185㎝ 当歳30歳
通算 1504試合 13.1得点 1.7リバウンド 10.5アシスト FG51.5% 3P38.4%
1991-92 15.8得点 3.3リバウンド 13.7アシスト FG48.2% 3P40.7%
NBAの歴史上、最も味方の得点機会を演出し、敵からボールを奪ってきた選手、ジョン・ストックトン。
厳しいNBAの世界で、19年間にわたり、トップポイントガードとして活躍しました。
通算アシスト数15,806、通算スティール数3,265は、ともにNBA歴代1位。
なによりも驚かされるのは、19年間すべてのシーズンで、ユタ・ジャズをプレーオフに導いたことです。
バスケの教科書に出てきそうな、正統派ポイントガード、ジョン・ストックトン。
ストックトンは大学時代、マイケル・ジョーダン、クリス・マリン、パトリック・ユーイングらが参加し、金メダルを獲得した、ロサンゼルスオリンピックの代表選考会に招聘されていました。
しかし、チャールズ・バークレーやカール・マローンらとともに落選。
ロサンゼルスオリンピック代表チームのヘッドコーチ、ボビー・ナイトは、当時無名のゴンザガ大学に所属する、小さな白人ポイントガードの実力を、高く評価します。
しかし、ボビー・ナイトが選んだポイントガードは、同じく小さな白人で、よりトリッキーな1年生、スティーブ・アルフォードでした。
アルフォードは、インディアナ大学で、ボビー・ナイトが直接指導している教え子。
ルックスもよく、日本でも当時、マイケル・ジョーダンをしのぐ人気を誇っていました。
1987年のNBAドラフト、1巡目全体11位で、インディアナ・ペイサーズがアルフォードを指名しなかった際、ブーイングが起こったほどでしたね。
ちなみに、ペイサーズがその全体11位で指名し、ブーイングを浴びたのは、のちのレジェンド、レジー・ミラーです。
インディアナ大学のスーパースターで、ロサンゼルス・オリンピックの金メダリストであるアルフォードが、NBAではまったく活躍できなかったのですから、本当に厳しい世界ですね。
ドリームチームの選手選考が行われた1990-91シーズン、当時4年連続アシスト王だった(その後9年連続)ストックトンが、カール・マローンとともに、ドリームチームに選出されるのは、当然だと思っていました。
予想通り、1991年9月21日に発表された10名のドリームチーマーに、ストックトンは入っていましたが、ちょっとした議論が巻き起こります。
それは、「ドリームチームにふさわしいのは、アイザイアだろ!」というものです。
〝バッドボーイズ″と呼ばれたデトロイト・ピストンズで、NBA2連覇を果たした名司令塔、アイザイア・トーマス。
素晴らしいテクニックと観客を魅了するプレースタイルで、NBAでのトップポイントガードの座を、マジック・ジョンソンと争ってきたスター選手です。
マジックとアイザイアは、親友でもあり、「ストックトンより、アイザイアの方がドリームチームにふさわしい。」と声があがるのも、無理はありませんでした。
ただ、前回ジョーダンの回でに語ったように、マイケル・ジョーダンは犬猿の仲だったアイザイアが出場することをこばんでいます。
ジョーダンを出場させるためには、アイザイアを選出することはできなかったわけです。
ただ、バルセロナオリンピック直前の1991-92シーズンの二人のスタッツを比べると・・・
1991-92シーズンスタッツ
ジョン・ストックトン
15.8得点 3.3リバウンド 13.7アシスト 3.0スティール FG48.2% 3P40.7%
アイザイア・トーマス
18.5得点 3.2リバウンド 7.2アシスト 1.5スティール FG44.6% 3P29.1%
得点以外は、ストックトンがよりよいスタッツを残しています。
1991-92シーズン、ストックトンは5年連続のアシスト王(結局9年連続まで記録をのばす)、2回目のスティール王に輝く大活躍で、オールNBAセカンドチーム入りし(アイザイアはサードチームにも選出されず)、周囲の声を黙らせました。
チームの成績も、ユタ・ジャズが55勝27敗、デトロイト・ピストンズが48勝34敗と違いをみせつけ、シーズンが終わった時には、文句を言う人もいなくなりましたね(笑)。
ドリームチームの一員として挑んだアメリカ大陸予選でのスタッツは・・・
2.8得点 0.3リバウンド 2.0アシスト FG50.0% 3P50.0%
ストックトンは、予選2試合目のカナダ戦で右足を剥離骨折してしまい、その後は出場できませんでした。
本来ストックトンはケガに強い選手で、19年間の現役生活の中で欠場はなんと22試合のみ。
1987-88シーズン開幕前に、左膝遊離軟骨除去手術を行い、開幕から18試合を欠場したため、それ以外に欠場したのは、たったの4試合だけです。
これだけケガに強いストックトンなのに、大事なオリンピック前にケガをするなんて・・・。
ただ、ヘッドコーチのチャック・デイリーは、ストックトンの代替選手を選ぶことはありませんでした。
ストックトンのケガが癒えるのを、待つことにしたのです。
まあ、ドリームチームの顔ぶれをみれば、一人出れなくても、金メダルは間違いないですからね。
そして、バルセロナオリンピックでは・・・
2.8得点 0.3リバウンド 2.0アシスト FG50.0% 3P50.0%
8試合中4試合に出場することができました。
重症ではなくて、本当によかったです。
オリンピックでは不完全燃焼に終わったものの、ストックトン&マローンのコンビが金メダルを掲げた場面は、ジャズファンとして感慨深いものがありました(わたくしリトルは、当時ウォリアーズ、ジャズ、ブルズのファン)。
ストックトンは、1992-93シーズンNBA開幕戦から元気に出場し、当然のようにアシスト王となり、オールNBAセカンドチーム入りする大活躍。
ケガはありましたが、初代ドリームチームのポイントガードは、〝スーパースター″マジック・ジョンソンと、最多アシスト&スティール記録保持者、ジョン・ストックトンの二人で本当によかったと思います。
初代ドリームチーム 11 カール・マローン
所属 ユタ・ジャズ 背番号32
185㎝ 当歳30歳
通算 1476試合 25.0得点 10.1リバウンド 3.6アシスト FG51.6% 3P27.4%
1991-92 28.0得点 11.2リバウンド 3.0アシスト FG52.6% 3P17.6%
ストックトンから、最もアシストパスを受け取った男カール・マローン。
確実にボールをゴールに配達するため、大学時代についたあだ名は、メイルマン。
筋骨隆々の肉体で、ディフェンスをなぎ倒して、次々と得点を重ねていました。
NBAで記録した通算得点36,928点は、レブロン・ジェームズ、カリーム・アブドゥル・ジャバーに続いて、歴代3位。
ちなみに、出場試合数1,476試合は、NBA歴代6位。
マローンの一つ上の歴代5位は、盟友ジョン・ストックトン。
なんて頑丈なコンビでしょう!
わたくしリトルが特に好きだったのが、マローンのリバウンドです。
空中で相手に競り勝ち、右手でつかんだボールを、バチーンと左手に叩きつけるようにしてキープする姿は、しびれるかっこよさでした。
インサイドでの強さはもちろん、ミドルシュートもうまい、穴のないプレイヤーでした。
しいていえば、勝負のかかった大事な場面で、ちょっと勝負弱いイメージがありましたね。
大事な場面でウイニングショットを打つのは、決まってジョン・ストックトンでした。
カール・マローンも、ルイジアナ工科大学在学中に、ロサンゼルスオリンピックの代表選考会で、落とされています。
ロサンゼルスオリンピックの代表選考会が、ストックトンとマローンが初めてともにプレーした場所でした。
マローンいわく、スポーツの選考会で落選したのは、初めてだったそうです。
その悔しさを力に変えて、マローンはユタ・ジャズの不動のエースとして、大活躍をみせます。
チャールズ・バークレーと、どちらがナンバー1パワーフォワードなのか、大学時代バスケ部の仲間とよく言い合いになってましたね。
ちなみに、わたくしリトルは、〝マローン派″でした。
もちろんバークレーも大好きですが。
ドリームチームにマローンが選出された時に、文句を言う人はこの世に一人もいなかったと思います。
それほどまでに当時、圧倒的な存在でした。
スター選手がそろう、フォワードのポジションで、1988-89シーズンから1998-99シーズンまで、11シーズン連続オールNBAファーストチームに選出されているのですから、驚きます。
得点力やテクニックだけでなく、身体の丈夫さも群を抜いていました。
ストックトン引退後、現役最後の1年間、マローンは優勝を求めてレイカーズでプレーしましたが、ユタ・ジャズでの18年間で欠場したのはなんと10試合のみ。
ロードマネージメントもくそもありません。
今のNBAよりも、さらに肉弾戦が多かった当時のNBAで、ほぼ休まなかったマローン&ストックトンのコンビは、化け物ですね。
マローンのアメリカ大陸予選でのスタッツは・・・
14.8得点 5.8リバウンド 1.5アシスト FG62.3% 3P0%
確実にインサイドで得点を重ねました。
若い時には、ディフェンスをなぎ倒して派手なダンクを決めることが多かったマローンでしたが、1990年頃から、あまり無理なダンクをしなくなった印象があります。
より確実で、自身もケガをしないよう、気を使っていたのでしょう。
もう少し派手なプレーがみたいなあと思ったのも事実です。
常に余裕のあるプレースタイルが印象的でした。
そして、バルセロナオリンピックでのスタッツは・・・
13.0得点 5.3リバウンド 1.1アシスト FG64.5% 3P0%
メールマンは、オリンピックでも、もらったアシストパスを確実にゴールに配達。
圧倒的なフィジカルの差で、他国のビッグマンを寄せ付けず、悠々とプレーしているようにみえました。
しかし、U-NEXTで放送されている「ドリームチーム 世界を変えたバスケ界のレジェンドたち」の中のインタビューで、マローンはこう答えています。
「正直に話すよ。毎試合プレーする前は、緊張感で吐きそうだった。」
「失敗が怖かったんだ。」
カール・マローンほどのスーパースターが、吐きそうになるほどの緊張感で挑んだ初代ドリームチーム。
超負けず嫌いの、プライドが高いスーパースターたちの集まりは、アメリカの威厳を、NBAの未来を背負う覚悟で、オリンピックに挑んでいたのです。
今も伝説として語られる初代ドリームチームの本気が伝わってくる、エピソードではないでしょうか?
とにかく、マローンが怖れていた「失敗」はなく、ドリームチームはバルセロナの地で、平均44点差をつける圧倒的な強さをみせつけ、金メダルを獲得しました。
まとめ
今回は、初代ドリームチームで共に戦った、ストックトン&マローンについて語りました。
NBAを35年間観つづけてきたわたくしリトルにとって、NBAの最高のデュオは、間違いなくストックトン&マローンです。
コート上ではもちろん、コート外でも互いの子供の名付け親になったり、共同で自動車販売の会社を経営したり、抜群のコンビネーションを発揮しています。
ジョーダンとピッペンにも見習ってほしい・・・。
ストックトン&マローン擁するユタ・ジャズは、1997年と1998年、2年連続でNBAファイナルに進出。
ジョーダン、ピッペン擁するシカゴ・ブルズに2年連続で敗れてしまいます。
1997年のファイナル開始時、ストックトンは35歳。
マローンは33歳。
すでにベテランとなった二人が牽引するジャズは、ハーフコートでのピック&ロールを中心とした、スローペースのオフェンスを中心としていました。
ストックトン&マローンの印象としては、ファイナル進出時のプレーのイメージが強いと思います。
しかし、私が高校生の時に魅了されたストックトン&マローンは、もっとアグレッシブで、スピーディーなプレースタイルでした。
実際、2人のベストシーズンともいえる、1989ー90シーズンと、最後にファイナルに進出した1997-98シーズンのスタッツを比べると・・・
ジョン・ストックトン
1989₋90 17.2得点 2.6リバウンド 14.5アシスト FG51.4% 3P41.6%
1997₋98 12.0得点 2.6リバウンド 8.5アシスト FG52.8% 3P42.9%
カール・マローン
1989-90 31.0得点 11.1リバウンド 2.8アシスト FG56.2% 3P37.2%
1997₋98 27.0得点 10.3リバウンド 3.9アシスト FG53.0% 3P33.3%
ファイナルに進出した時に比べ、1989-90シーズンのストックトン&マローンが、よりエキサイティングだったことが、スタッツからも伝わるのではないでしょうか?
1989-90シーズン、完全にジャズに魅了されていたわたくしリトルは、1990-91シーズン開幕戦「フェニックス・サンズvsユタ・ジャズ」が東京で行われるとのニュースを聞いて、驚き、すかさずチケットをとりました。
チケットが届いたときの興奮は、いまでも覚えています。
しかし、ちょうど大学の大会と、日程がかぶってしまい・・・観戦を断念したのです。
今でも後悔しています・・・。
先輩に「NBA観に行くので、試合には出られません。」と言えず・・・、生まれて一度も乗ったことがなかった飛行機に、一人で乗る勇気が出ず・・・。
とにかく、ストックトン&マローンはNBAの歴史上最高のデュオでした。
二人が金メダルを掲げた、伝説の初代ドリームチームは、やっぱり最高のチームでしたね!
現在、U-NEXTでは、「ドリームチーム 世界を変えたバスケ界のレジェンドたち」という番組が配信されています。
1話41分全5話で、当時のNBAの盛り上がりからドリームチームの結成、非公開だった紅白戦の様子、メンバーの引退後など、とても興味深い内容になっています。
貴重なインタビューや、当時の映像で、オリンピックだけではなく、NBA人気がどのように変化していったのか、大変興味深い内容になっています。
ぜひご覧ください。
