NBAマイドリームチームメンバー発表 歴代NBAプレイヤーから選ぶ12名は?

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当時大学生だったわたくしリトルは「NBAドリームチーム結成」のニュースをみて震えました。

1991年9月21日、翌年のバルセロナ・オリンピックに出場する男子バスケットボールアメリカ代表の選手10名が発表されます。

ポイントガードはマジック・ジョンソンとジョン・ストックトン。

シューティングガードはマイケル・ジョーダン(のちにクライド・ドレクスラーも発表)。

スモールフォワードはクリス・マリンとスコッティ・ピッペン、そしてラリー・バード。

パワーフォワードはカール・マローンとチャールズ・バークレー。

センターはパトリック・ユーイングとデビッド・ロビンソン(のちに大学生のクリスチャン・レイトナーも発表)。

そうそうたるメンバーがNBA選手初のオリンピックチームとして発表されました。

文句のつけようのない、当時のNBA最強チームが、オリンピックの舞台でどんなプレーをみせてくれるのかワクワクした気持ちを、30年以上たった今でも覚えています。

まさに「ドリームチーム」の誕生です。

今回は、NBAを36年間観つづけてきたわたくしリトルがつくる、ドリームチームを発表します。

わたくしリトルが12人のNBA選抜チームをつくるとしたら・・・。

歴史をこえて、わたくしリトルが好きな選手を集めた「リトル的ドリームチーム」について、思いっきり語ります。

熱量たっぷりでレッツラゴー!

目次

リトル的ドリームチーム

わたくしリトルが自分の目で実際観てきた36年間の中で、好きな選手、思い入れのある選手、それでいて実力も申し分ない選手で、12人のドリームチームを選抜しました。

今回は「最強チーム」ではありません。

「最好チーム」です。

各ポジションで、自分の思い入れのある選手、大好きな選手を選んでいます。

勝つための「最強チーム」チームではありませんので、そこはお間違いのないように。

時代はバラバラです。

まずは「リトル的ドリームチーム」をごらんください。

リトル的ドリームチーム
PG
ステフィン・カリー
ジョン・ストックトン
ジェイソン・ウイリアムズ
SG
マイケル・ジョーダン
クライド・ドレクスラー
SF
クリス・マリン
スコッティ・ピッペン
PF
ダーク・ノビツキー
カール・マローン
チャールズ・バークレー
C
二コラ・ヨキッチ
シャキール・オニール

いかがでしょうか?

もっともNBAに夢中だった学生時代に観ていた、初代ドリームチームの選手が多くなってしまいました。

現役選手からはカリーとヨキッチの二人のみ。

実力的には選ばれるべきであるレブロン・ジェームズやコービー・ブライアント、ケビン・デュラントなども入っていません。

まあこれは単純にわたくしリトルが好きな選手を選んだマイベストチームですからね。

アンチレイカーズ(今は八村選手とルカのおかげで応援していますが)、フランチャイズプレイヤー好きのわたくしリトルの「好き」に当てはまらなかっただけです。

とにかく思い入れの強い12人を選出しました。

それでは、1人づつ語っていきたいと思います。

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PG ステフィン・カリー

ステフィン・カリー
ゴールデンステイト・ウォリアーズ
188cm 84㎏
2009年1巡目7位~
優勝×4(2015 17 18 22)
ファイナルMVP(2022)
シーズンMVP×2(2015 16)
オールスター×11

1026試合出場
24.7得点 4.7リバウンド 6.4アシスト
FG47.1% 3P42.3% FT91.1%

NBAの常識を変えた史上最高のシューター、ステフィン・カリー。

16シーズンで積み上げた3ポイントシュート成功数4058本は、2位ジェームズ・ハーデンの3175本に大きく差をつけ、ぶっちぎりの1位です。

通算の3ポイントシュート成功率は、驚異の42.3%。

しかもカリーの場合は、徹底的にマークされながら、わずかなスキをみつけて放つタフショットがほとんどですから、異常としか言いようがありません。

昨年行われたパリオリンピック決勝で、フランス相手に大爆発した第4クオーターのカリーの姿をみて、心動かされないバスケットボールファンはいないでしょう。

カリーの魅力は、プレーだけではありません。

その全力でプレーを楽しんでいる姿、笑顔でファンサービスをする姿、真剣にチームメイトを鼓舞する姿。

人間的な魅力にもあふれています。

わたくしリトルが大学生の時に夢中になっていた超絶シューター、デル・カリーの息子ということも、思い入れの強さの理由になっていますね。

デビュー時はなんだか知り合いの子供のような感覚で応援していましたから。

あの子供のようなほっそりしたカリーが、ここまでのスーパースターになるなんて、夢にも思っていませんでしたが。

「リトル的ドリームチーム」のポイントガード部門は、長い間ストックトンとマジック・ジョンソンを選んでいましたが、もう今は完全にカリーがスターターとなっていますね。

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PG ジョン・ストックトン

ジョン・ストックトン
ユタ・ジャズ
185cm 77㎏
1984年1巡目16位~2003
優勝なし
オールスター×10

1504試合出場
13.1得点 2.7リバウンド 10.5アシスト
FG51.5% 3P38.4% FT82.6%

カリーが歴史を変えたポイントガードなら、ジョン・ストックトンは歴史を継承した正統派ポイントガードの頂点といえるでしょう。

私たち昭和世代の人間にとっては、ポイントガードの象徴がジョン・ストックトンでした。

プレッシャーを受けても慌てずボールをキープできるドリブル力、一瞬のズレを見逃さずパスを出すアシスト力、自ら決めきるシュート力、的確な指示を送るリーダーシップ。

そして相手の司令塔にプレッシャーをかけ、ボールを奪ってしまうディフェンス力。

おまけに決して派手なプレーはせず、勝利に直結するプレーを黙々と続ける精神力。

中学、高校のバスケ部時代、コーチがポイントガードの選手に激しい指導をする中、思い描いていた理想は、きっとジョン・ストックトンのようなプレイヤーだったのでしょう。

ユタ・ジャズ一筋19年のストックトンは、数々の記録を打ち立てています。

9年連続のアシスト王、2度のスティール王。

通算アシスト数15806と、通算スティール数3265は、もう2度と破られることのない前人未到の記録といっていいでしょう。

2025年現在、通算アシスト数、スティール数の歴代2位は、どちらもクリス・ポールですが、アシストは12499、スティールは2717と大きな差があります。

これだけ圧倒的な記録を残した理由は、ストックトンの頑丈さですね。

現役生活19シーズンのうち、全試合休まず出場したのはなんと17シーズン。

左膝の手術のため1997-98シーズンに開幕から18試合を欠場した以外は、大きな怪我無く、19シーズンで通算1504試合に出場しながら、欠場はわずか22試合と、考えられないような強靭な肉体をもっていました。

今後ストックトンより優れたポイントガードはたくさん出てくるかもしれませんが、ストックトンほどプレーし続けることができるポイントガードは出てこないでしょう。

カール・マローンとのコンビで、数々のハイライトプレーを演出してきたストックトン。

基本に忠実なプレーしかしないのですが、当時のユタ・ジャズの試合は観ていて楽しかったんですよね。

一瞬のスキがあれば、ストックトンの矢のようなパスがとおるので、観ていてストレスがないんです。

わたくしリトルが最初に夢中になったチームがユタ・ジャズだったのも、カール・マローンの大迫力のプレーと、それを演出するストックトンのアシストに魅了されたからです。

マイドリームチームの一員として、ストックトンは絶対に欠かせない存在ですね。

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PG ジェイソン・ウイリアムズ

ジェイソン・ウイリアムズ
サクラメント・キングス他
185cm 86㎏
1998年1巡目7位~2011
優勝(2006 マイアミ・ヒート)
オールスター なし

788試合出場
10.5得点 2.3リバウンド 5.9アシスト
FG39.8% 3P32.7% FT81.3%

マイドリームチームの12人を選ぶ時、最後の一人に、どうしても入れたい選手が、このジェイソン・ウイリアムズ(J-Will)です。

今回選んだ12人の中で唯一オールスター出場歴なし。

スタッツもごく平凡。

それでも強烈なまでにNBAの中で光かがやいた、記録よりも記憶にのこる選手です。

J-Willの代名詞となっているのが、トリッキーなパス。

1998年のNBAドラフト1巡目7位でサクラメント・キングスに指名されると、ルーキーながらノールックビハインドバックパスなど、トリッキーなプレーで注目を集めます。

特に2年目のシーズン、2000年ルーキーオールスター(1年目と2年目の選手が出場)でみせた、伝説のエルボーパスは衝撃でした。

左手でビハインド・ザ・バックとみせかけて、右肘にボールを当て、自分の左側を走っていたリーフ・ラフレンツにパス。

一瞬何が起こったのかわかりませんでした。

できればラフレンツには、リングに叩き込んでほしかったのですが、ファウルで止められたのが残念でしたね。

ちなみにこのエルボーパスは、上の動画の最後に流れますので、ぜひ観てみてください。

J-Willのハイライトは、いつまでも観ていられます。

NBAの試合に一人だけストリートボーラーが混じったような、派手なプレーを続け、熱狂を生みだしたJ-Willでしたが、そのトリッキーなプレースタイルでは、当然ターンオーバーも多発。

キングスでは第4クオーターの勝負所でベンチをあたためることが続き、3シーズン目を終えたところでメンフィス・グリズリーズに放出されるなど、ド派手なプレーは徐々に批判の対象となっていきました。

グリズリーズでも当初はストリートボーラースタイルを貫いていたJ-Willですが、徐々に堅実なプレーにシフトしていき、ターンオーバーも減少。

そしてマイアミ・ヒートに移籍し、スターティングポイントガードとなった2005-06シーズン、J-Willは初めてNBA優勝を経験したのです。

正直優勝した時のJ-Willは、普通のポイントガードでした。

それでも、私たちファンを熱狂させた、あのJ-Willがチャンピオンチームの一員になれたことは、本当にうれしかったですね。

まあ、とにかく上の動画をごらんください。

理屈抜きで楽しめると思います。

マイドリームチームを選出するにあたって、(初期の)J-Willはかかせない存在です。

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SG マイケル・ジョーダン

マイケル・ジョーダン
シカゴ・ブルズ他
198cm 89㎏
1984年1巡目3位~2003
優勝×6(1991~93 96~98)
ファイナルMVP×6(1991~93 96~98
シーズンMVP×5(1988 91 92 96 98)
オールスター×14

1072試合出場
30.1得点 6.2リバウンド 5.3アシスト
FG49.7% 3P32.7% FT83.5%

もはや説明不要のGOAT(史上最高の選手)マイケル・ジョーダン。

空中を舞う華麗なプレーと、異常なまでの勝負強さで、バスケットボールの神と呼ばれるまでになったスーパースターです。

歴代最高の生涯平均30.1得点。

6度のNBAファイナル出場で、すべて優勝し、すべてファイナルMVPを受賞。

5度のシーズンMVP、1度の最優秀守備選手賞。

10年連続の得点王に3度のスティール王。

文句のつけようがありません。

わたくしリトルがNBAに夢中になったのは、ジョーダンが〝バッドボーイズ″デトロイト・ピストンズに叩きのめされていた時期でした。

つまりジョーダンの成長と栄光のストーリーを、リアルタイムで観ることができたのです。

今考えると、本当に幸せな時代に生まれたと思います。

ジョーダンについては、まず上の動画をみてください。

そして以前に書いた記事を読んでみてください。

大学時代、マイケル・ジョーダンはひとつの現象でした。

あの熱狂が、少しでも伝わるとよいのですが。

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SG クライド・ドレクスラー

クライド・ドレクスラー
ポートランド・トレイルブレイザーズ他
201cm 95㎏
1983年1巡目14位~1998年
優勝(1995)
オールスター×10

1086試合出場
20.4得点 6.1リバウンド 5.6アシスト
FG47.2% 3P31.8% FT78.8%

シューティングガードのジョーダンは一瞬で決まりましたが、もう一人はかなり迷いました。

通常はコービーを選ぶ人が多いとは思いますが、そこはアンチレイカーズのわたくしリトル。

最後まで迷ったのは、ドレクスラーとレジー・ミラーとドウェイン・ウェイドとビンス・カーター。

結局わたくしリトルがマイドリームチームに選んだのは、ジョーダンらとともに初代ドリームチームの一員として金メダル獲得に貢献したクライド・ドレクスラーでした。

ドレクスラーの特徴は、なんといってもグライダーのように滑空する、滞空時間の長いダンク。

普段のおだやかな笑顔とは裏腹に、狂暴なまでの激しいダンクで、数々のハイライトシーンを演出しました。

ジョーダンやビンス・カーター、レブロンなど、ダンクが有名なプレイヤーはたくさんいますが、ドレクスラーのダンクは、激しいながらも美しいんですよね。

決して相手をあおったりせず、淡々とプレーする姿にも好感がもてます。

ポートランド・トレイルブレイザーズではエースとして1990年と1992年にチームをNBAファイナルまで導きましたが、〝バッドボーイズ″デトロイト・ピストンズと、マイケル・ジョーダンを擁し連覇を達成したシカゴ・ブルズに敗れ、優勝には届きませんでした。

ドレクスラーにとって、自身のキャリアでもっとも充実していた時期に、同じポジションにマイケル・ジョーダンがいたことは不運でしたね。

ちなみにドレクスラーは1991-92シーズンのシーズンMVP投票で2位の得票をあつめています。

MVPに輝いたのは、マイケル・ジョーダン。

「ジョーダンさえいなければ・・・」と言われる代表的な選手の一人が、このクライド・ドレクスラーだと言えるでしょう。

ドレクスラーは、やや衰えがみえだした1994-95シーズン途中に、前年のチャンピオンチーム、ヒューストン・ロケッツに電撃加入。

大学時代のチームメイト、アキーム・オラジュワンとともに、見事ロケッツの連覇に貢献しました。

ドレクスラーにとって初優勝がブレイザーズでなかったのは、当時不思議な感じがしましたが、優勝経験のないスター選手が強豪チームに移籍し優勝をめざす走りとなったのが、ドレクスラーだったかもしれません。

とにかくドレクスラーについても、上の動画を観た上で、以前書いた初代ドリームチームの記事を読んでみてください。

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SF クリス・マリン

クリス・マリン
ゴールデンステイト・ウォリアーズ他
201cm 98㎏
1985年1巡目7位~2001年
優勝 なし
オールスター×5

986試合出場
18.2得点 4.1リバウンド 3.5アシスト
FG50.9% 3P38.4% FT86.5%

一般的にはレブロン・ジェームズの名前があがると思われる、マイドリームチームのスモールフォワードですが、わたくしリトルは歴代でもっとも好きなNBA選手、クリス・マリンをあげさせていただきます。

身体能力はNBA選手の中では最低クラスだったものの、バスケセンスは歴代でもトップクラス。

初代ドリームチームでも、抜群のシュート力とチームメイトを生かすアシストパスで、世界一に大きく貢献しました。

ゴールデンステイト・ウォリアーズのエースとして12シーズンをプレーし、その後インディアナ・ペイサーズに移籍。

2000年にペイサーズはNBAファイナルまで勝ち進みますが、ファイナルではコービー&シャック擁するレイカーズに敗れ、チャンピオンリングを手にすることはできませんでした。

とにかくシュートが美しい選手で、マリンがシュートを打つと、何度も巻き戻して観ていましたね。

1on1のかけひきも、マリンのプレーをみて勉強していました。

先日ネットの書き込みで「なんで初代ドリームチームにクリス・マリンが選ばれたんだろう?」という書き込みを見つけたのですが「いやいや、何もわかってないなあ・・・」と悲しくなりました。

バルセロナオリンピック直前の1991-92シーズン、平均得点ランキングは1位マイケル・ジョーダン(30.1得点)2位カール・マローン(28.0得点)3位クリス・マリン(25.6得点)です。

マリンが選ばれたのは当然で、本番のオリンピックでもマリンのシュート力と的確なパスは、チームを大きく助けました。

スピードとジャンプ力はNBA最低レベルながら、圧倒的なスキルとシュート力で次々と得点を奪うスタイルは、私たち日本人にとっても、おおいに参考になります。

NBAを36年間観つづけてきたわたくしリトルが、最もすきなNBA選手(ジョーダン除く)、クリス・マリンのプレーを、ぜひみなさんにも観ていただきたいですね。

特に1989-90、1990-91の2シーズンにわたってNBAを席巻した、RUN-TMC(ティム・ハーダウェイ、ミッチ・リッチモンド、クリス・マリン)が生みだした熱狂は、いまだに忘れられません。

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SF スコッティ・ピッペン

スコッティ・ピッペン
シカゴ・ブルズ他
203cm 103㎏
1987年1巡目5位~2004
優勝×6(1991~93 96~98)
オールスター×7

1178試合出場
16.1得点 6.4リバウンド 5.2アシスト
FG47.3% 3P32.6% FT70.4%

マイケル・ジョーダンの相棒として、シカゴ・ブルズ6度の優勝に大きく貢献したスコッティ・ピッペン。

ピストンズに叩きのめされていた時代から、ブルズが優勝を勝ちとり、王朝を築いていく時代をリアルタイムで観てきたものにとって、ピッペンは特別な選手です。

マイケル・ジョーダンは神様と言われていましたが、ピッペンは僕たちと同じ人間でした。

1990年のプレーオフイースタンカンファレンスでは、2年連続プレーオフで敗れていたデトロイト・ピストンズと対戦。

大事な場面でピッペンは偏頭痛を発症し、本来のプレーができず、チームは敗れてしまいます。

大きな批判を浴びたものの、敗戦翌日からブルズの練習場に現れ、来シーズンにむけたトレーニングを開始。

この負けずぎらいなピッペンの成長により、翌1990-91シーズン、シカゴ・ブルズは初優勝を勝ちとるのです。

当初はジョーダンの足を引っ張っていたピッペンが、しだいにジョーダンを助けるようになり、攻守に敵を圧倒する存在へと成長していく姿をリアルタイムで体感できたことは、私たちオールドファンにとって、幸せなことだったなあと思います。

初代ドリームチームのメンバーが発表された際、スコッティ・ピッペンの名前が入っていたことに、当時は驚きました。

NBAを代表する11人(+大学生のレイトナー)は、アイザイア・トーマス嫌いだったこともあり、100%文句のないメンバーだったのですが、正直「このメンバーにピッペン入るか?」というのが、正直な感想でした。

シカゴ・ブルズが2連覇を達成した時点では、まだ頼りなさがありましたから。

ただバルセロナオリンピック本番では、ポイントガードのマジック・ジョンソンとジョン・ストックトンがケガしたことにより、ピッペンはスターティングポイントガードに抜擢され、優勝に大きく貢献しています。

この経験が、ピッペンをさらに大きく成長させたといえるでしょう。

常勝ブルズのナンバー2として、攻守に奮闘したピッペンは、その成長過程をみてきたファンにとって、特別な選手なのです。

手足が長く、単純にプレーもかっこいいですしね(笑)。

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PF ダーク・ノビツキー

ダーク・ノビツキー
ダラス・マーベリックス
213cm 111㎏
1988年1巡目9位~2019
優勝(2011)
ファイナルMVP(2011
シーズンMVP(2007)
オールスター×14

1522試合出場
20.7得点 7.5リバウンド 2.4アシスト
FG47.1% 3P38.0% FT87.9%

わたくしリトルは、長い間パワーフォワードの1番手はカール・マローンと決めていました。

しかしそのマローンを超えた、大好きな選手がダーク・ノビツキーです。

213㎝のサイズがありながら、アウトサイドを得意とするスタイルは、当時はまだ斬新でした。

わたくしリトルはノビツキーがNBAデビューして2年目の1989-90シーズンにマブスの試合を観て「面白い選手だな」と興味をもち、そこからノビツキーとマブスを応援するようになります。

白人ビッグマンのイメージを覆す得点力の高さ、特にアウトサイドシュートの正確さと、片足フェイダウェイなどスキルの高さに、夢中になっていきました。

クリス・マリンの時と同様、試合をみていてノビツキーがシュートを打つと、何度も繰り返し巻き戻してシュートフォームをチェックしていましたね。

ノビツキーを語る上で、絶対にかかせないのが2006-07シーズンのMVP受賞と、2010-11シーズンのマブス初優勝でしょう。

2006-07シーズン、ノビツキーは78試合に出場し、平均24.6得点 8.9リバウンド 3.4アシスト FG50.2% 3P41.6% FT90.4%を記録。

名シューターの証明となる、当時NBA史上5人目の50-40-90達成者となり、初のシーズンMVPを受賞します。

ノビツキーの活躍で、マブスはレギュラーシーズンリーグトップの67勝15敗を記録。

前年NBAファイナルでマイアミ・ヒートに敗れたマブスのリベンジに、ファンの期待は大きく膨らんでいました。

圧倒的な優勝候補としてプレーオフに挑んだものの、1stラウンドで第8シードのゴールデンステイト・ウォリアーズに2勝4敗でアップセットを許してしまいます。

当時のウォリアーズは、NBAのお荷物チーム。

13シーズンぶりにプレーオフ出場したウォリアーズに敗れたのですから、優勝を期待していたマブスファンの失望ははかりしれないものだったでしょう。

そんな中、1stラウンド敗退がきまった後に、ノビツキーのシーズンMVP受賞が決定します。

ウォリアーズとの1stラウンドで平均19.7得点 FG成功率38.3% 3P21.1%と絶不調で、戦犯にあげられていたノビツキー。

なんとも気まずいMVPになってしまいました。

そこから4シーズン後の2010-11シーズン、マブスはウエスタンカンファレンス第2シードでプレーオフに進出。

プレーオフでもノビツキーはシュートを決め続け、NBAファイナルにたどり着きます。

敵はこの年、レブロン・ジェームズとクリス・ボッシュがFAで加わり、ドウェイン・ウェイドとの反則級BIG3が結成されたマイアミ・ヒート。

前評判はヒート有利と言われていましたが、ノビツキーが26.0得点 9.7リバウンドを記録し、マブスは初のNBAチャンピオンに輝きました。

優勝を決めたノビツキーがボッシュをかわして決めたドライブは、感動的でしたね。

わたくしリトルのパワーフォワードランキングで、ノビツキーがマローンを超えた瞬間でした。

ダラス・マーベリックス一筋で現役生活を終えたのも、ポイントが高いです。

真のフランチャイズプレイヤー、ダーク・ノビツキーは、マイドリームチームには欠かせません。

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PF カール・マローン

カール・マローン
ユタ・ジャズ他
206cm 113㎏
1985年1巡目13位~2004年
シーズンMVP×2(1997 99)
オールスター×14

1476試合出場
25.0得点 10.1リバウンド 3.6アシスト
FG51.6% 3P27.4% FT74.2%

ボディビルダーのような筋骨隆々の身体で、相手をなぎ倒しながらダンクをたたきこむ姿に、高校生だったわたくしリトルは、心を奪われました。

NBAで最初に夢中になったチームはユタ・ジャズ。

ストックトンとの阿吽の呼吸でくり出すピック&ロールの美しさと、マローンの豪快なフィニッシュは、中学、高校と夢中になって練習してきたバスケットボールとは、まったく異次元のものでした。

野獣のようなパワーで敵を圧倒しながらも、どこか品がありジェントルマンな感じにも憧れました。

なんかおしゃれなんですよね。

1990-91シーズン、NBAの開幕戦が初めて東京で行われることが発表された時、当時大学生のわたくしリトルは大興奮しました。

東京体育館でユタ・ジャズとフェニックス・サンズのシーズン開幕戦が行われることが発表されたのです。

田舎者のわたくしリトルは当時東京に行ったことがないばかりか、飛行機に乗ったこともありませんでしたが、思い切ってチケットを購入。

当時たしか6000円でした。

ストックトン&マローンを生で観れる、ついでにサンズのケビン・ジョンソンとトム・チェンバースも観れる・・・とワクワクしていましたが、大学バスケ部の大会とジャパンゲームズの日程が重なり、渋々東京行きをあきらめたのです。

今でも後悔しています。

ちょっと話がずれましたが、カール・マローンに話をもどしましょう。

マローンは1997年と1999年にシーズンMVPを獲得するなど、19シーズンにわたって活躍。

マローンのハイライトは、なんといっても1997年と1998年の2年連続NBAファイナル進出。

ただし、マローンにとっては苦い思い出でしょう。

マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、デニス・ロッドマン、史上最高のビッグ3を擁するシカゴ・ブルズに、2年連続で屈辱を味わったマローン。

特にロッドマンとは、プロレスのリングでも戦うほど、名勝負をくり広げました。

現時点でカール・マローンの36928得点は、NBA歴代3位。

歴史に残るパワーフォワード、カール・マローンは、記録にも記憶にも残るスーパースターです。

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PF チャールズ・バークレー

チャールズ・バークレー
フェニックス・サンズ他
198cm 114㎏
1984年1巡目5位~2000年
シーズンMVP(1993)
オールスター×11

1073試合出場
22.1得点 11.7リバウンド 3.9アシスト
FG54.1% 3P26.6% FT73.5%

今回マイドリームチームのフォワード、最後の一枠に選んだのが「ブタキムチ!」でおなじみのスーパースター、チャールズ・バークレーです。

デニス・ロッドマンとどちらにするか最後まで悩みぬきました。

1990年代のNBAでパワーフォワードの最高峰と言われたのが、カール・マローンとチャールズ・バークレー。

鍛え上げた彫刻のような肉体をもつマローンに対し、バークレーはナチュラルながらパワーあふれるボディを誇っていました。

マローンが206㎝と高さもあるのに対し、バークレーはジョーダンと同じ198㎝。

実際には193㎝くらいしかないとも噂されていました。

パワーフォワードとしては「高さがない」という大きな弱点を、パワーとスピードでカバーし、NBAを席巻したバークレー。

オラジュワンやジョーダンと同じ1984年のNBAドラフトで1巡目5位指名され、フィラデルフィア・76ersでデビューすると、2年目には平均20.0得点を記録します。

3年目には平均23.0得点 14.6リバウンドを記録し、リバウンド王を獲得。

史上最も背の低いリバウンド王になりました。

その後も76ersのエースとして、毎年シーズンMVP候補となる活躍を続けたものの、チーム強化をすすめない76ersのフロントに不満をもつようになり、ドリームチームの一員としてバルセロナオリンピックで金メダルを獲得したのち、フェニックス・サンズに移籍します。

むかえた1992-93シーズン、バークレーは無双状態でした。

シーズン平均25.6得点 12.2リバウンド 5.1アシスト FG52.0% を記録し、文句なしのシーズンMVPを受賞します。

バークレーに牽引されたサンズはリーグトップとなる62勝20敗を記録。

プレーオフでもバークレーは活躍を続け、サンズをNBAファイナルに導きます。

NBAファイナルでもバークレーは6試合に出場し、平均27.3得点 13.0リバウンド 5.0アシストと圧倒的なパフォーマンスをみせたものの、敵はあまりにも強大でした。

3連覇をめざすシカゴ・ブルズは、マイケル・ジョーダンが平均41.0得点 8.5リバウンド 6.3アシストとモンスタースタッツを記録。

バークレーにとって最高のシーズンは、ジョーダンによって幕を下ろされてしまいました。

結局バークレーがNBAファイナルに進んだのは、この1度だけでしたが、1992-93シーズンのバークレーの無双っぷりは、今でも強烈に印象にのこっています。

キャリア後期、ロケッツでわがままプレーを続け評価を下げたバークレーですが、MVPシーズンの衝撃は、わたくしリトルにとって、はかりしれない衝撃でした。

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C 二コラ・ヨキッチ

二コラ・ヨキッチ
デンバー・ナゲッツ
211cm 129㎏
2014年2巡目41位~
優勝(2023)
ファイナルMVP(2023)
シーズンMVP×3(2021 22 24)
オールスター×7

745試合出場
21.8得点 10.9リバウンド 7.2アシスト
FG56.0% 3P36.0% FT82.4%

センターでは、アキーム・オラジュワンやデビッド・ロビンソンら好きな選手がたくさんいるのですが、この5年間で、序列が一気に変わってしまいました。

わたくしリトルの中で「史上最高のセンター」の称号は、すでに二コラ・ヨキッチのものとなっています。

211㎝ 129㎏の巨体を生かしたインサイドの強さに加え、正確なアウトサイドシュート、そして変幻自在のパス。

すべてが超一流です。

昨シーズン(2024-25)は、平均29.6得点 12.7リバウンド 10.2アシストを記録し、センターながらシーズントリプルダブルを記録。

得点はリーグ3位、リバウンドは3位、アシストは2位と、圧倒的な数字を残しました。

FG57.6% 3P41.7% FT80.0%と、シュート効率もお化けです。

レベルの高い現在のNBAでも、実力は突出しています。

弱点といわれていたディフェンスも、敵のプレーを読み、的確なポジショニングと味方への指示を出すことで、身体能力の低さをカバーし、昨シーズンはリーグ3位となる平均1.8スティールを奪うなど、大きく成長しています。

スピードのない巨漢センターながら、平均スティールはリーグ2位。

このモンスターを2014年のNBAドラフト2巡目41位で指名したデンバー・ナゲッツは、神がかっていましたね。

2023年のNBAファイナルで、マイアミ・ヒートを4勝1敗で下し、球団初のNBAチャンピオンに輝いたデンバー・ナゲッツ。

ファイナルの5試合で、ヨキッチは平均30.2得点 14.0リバウンド 7.2アシスト FG58.3% 3P42.1% FT83.8%とモンスタースタッツを残しています。

大事な場面でも勝利を勝ちとるために淡々と自分のプレーを続けるヨキッチ。

現在30歳。

まだこれから油がのってくるころです。

今後ヨキッチは何度優勝し、どれだけの記録を作っていくのでしょうか?

心配なのは、ヨキッチがバスケより馬が好きだということ。

母国セルビアで競走馬の馬主としても有名なヨキッチは、とにかく馬に愛情を注ぎまくっています。

もう一回くらいナゲッツを優勝に導いたら、馬主に専念するためにあっさり引退してしまうのではないかと心配です。

まあ、そんなバスケに執着していない感じも、ヨキッチの魅力のひとつではあるんですが・・・。

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C シャキール・オニール

シャキール・オニール
ロサンゼルス・レイカーズ他
216cm 147㎏
1992年1巡目1位~2011
優勝×4(2000-02 06)
ファイナルMVP×3(2000-02
シーズンMVP(2000)
オールスター×15

1207試合出場
23.7得点 10.9リバウンド 2.5アシスト
FG58.2% 3P4.5% FT52.7%

最後までアキーム・オラジュワンと迷ったのですが、最後の一人はシャックに決めました。

アンチレイカーズなわたくしリトルが、なぜレイカーズ3連覇の立役者であるシャックを選んだのかというと、シャックがわたくしリトルと同級生だからです。

初代ドリームチームの活躍でNBA人気が沸騰していた1992年のNBAドラフト1巡目1位でオーランド・マジックに指名されNBAデビュー。

初めてプレーを観た時にはその迫力に圧倒されました。

「これで20歳?」と、自分と同じ年齢であることが信じられませんでした。

ルーキーシーズンから平均23.4得点 13.9リバウンド 3.5ブロックと、NBAで猛威をふるったシャック旋風。

次第に同級生だというだけで、親近感がわき応援するようになりました。

NBA3年目には、アンファニー・〝ペニー″・ハーダウェイとのコンビで、はやくもNBAファイナルに進出。

アキーム・オラジュワン擁するヒューストン・ロケッツに0勝4敗で完敗したものの、マジックの黄金時代が来ることを確信したファイナルとなりました。

しかし翌1995-96シーズン、オーランド・マジックは60勝22敗を記録したものの、その前に大きな壁が立ちはだかります。

前年のプレーオフカンファレンスセミファイナルで、マジックが倒した元王者シカゴ・ブルズが72勝10敗という、当時史上最高勝率を記録。

前年のシーズン終盤に、大リーグ挑戦を終えバスケに復帰したジョーダンは、すでにバスケの神様状態に復活していました。

プレーオフカンファレンスファイナルで0勝4敗でブルズに完敗したシャックは、FAで突然レイカーズへの移籍を発表します。

正直、わたくしリトルが心の底から応援していたシャックは、レイカーズ入りする前までのシャックです。

アンチレイカーズのわたくしリトルにとって、レイカーズで3連覇を達成し、3年連続ファイナルMVPを受賞したシャックは、にっくき敵となりました。

それでも、やはり216㎝ 147㎏の巨体とは思えないスピードと、人間とは思えないパワー、なんともいえない愛嬌を兼ね備えたシャックは、史上最高のセンターの一人であることはまちがいありません。

現在のNBAでは、センターにも3ポイントシュートが求められています。

ただ、シャックのように圧倒的な破壊力でゴール下を蹂躙し、アウトサイドシュートはまるでダメという、オールドタイプのセンターには、たまらない魅力を感じるのですが・・・

難しいですかねえ。

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まとめ

今回は、NBAを36年間観つづけてきたわたくしリトルが選ぶ「マイドリームチーム」を発表してきました。

正直最強チームをめざしたのではなく、各ポジションで大好きな選手、思い入れのある選手を選びました。

最強をめざすのであれば、レブロン・ジェームズやコービー・ブライアント、ティム・ダンカンらは絶対入っくるでしょう。

まあ誰が選んでも「最強チーム」となれば、同じような選手になるのではないでしょうか?

今回、ドリームチームを考えるのは、本当に楽しかったです。

ちなみに、わたくしリトルがマイドリームチームを選ぶ時に、1番に浮かんだのはクリス・マリンでした。

なかなかそういう人はいないかもしれませんねえ。

来年、再来年とシーズンを重ねるたびに、新しいスターがマイドリームチームに加わり、いつかはクリス・マリンが外れてしまう日が来るかもしれません。

そう考えると、これから現れるスター選手に期待する気持ちと、なんだか寂しい気持ちと、複雑な感情にゆさぶられてしまいます。

まあとにかく、今回の記事は書いていて楽しかったです。

みなさんも、自分にとってのドリームチームを考えてみてください。

きっと、色々な思い出がよみがえって、幸せな時間を過ごすことができるはずです!

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